英雄 33 (三人称)
レオたちが帰る日になった。朝から別れの感傷に浸る…なんて暇はなく、ライアンたちは朝早くから大忙しだった。
出立の前に、一気に村人たちの記憶を消さなければならないのだ。レオとアリスの存在を消し、元々ここにいなかったということにする。
「で?! あの湖のところに、村人全員を呼ぶのか?! 忙し過ぎないか?!」
「前もって、言ってた、人たちは、来てくれるって」
「アリスを神聖視し始めた人間は来るだろう。何たってその聖女様の頼みだからな。それが約三割ほど。残りの七割をかき集めるぞ」
「無理だろ?!」
「できるかどうかは聞いていない。嘘でも何でも言って集めろ」
どんな手段を使ってもいいから人を集めなくてはならない。そんな無理難題をこなすためにライアンたちは走り回った。
村の一軒一軒を回って「熊が出た」だの「すぐそこで火事が起きた」だの「前の雨でこの辺りに土砂崩れの被害が出そう」だのと、思い付く限りの嘘八百を並べ、どうにかこうにか村人たちを湖の方へと誘導した。
湖にはレオが表結界を張り、何も知らずにのこのことやって来た人間たちを中に閉じ込めて捕獲。
「出られなくなった」と騒ぐ村人たちには、アリスが茶と菓子を振る舞って落ち着かせた。
熊やら土砂崩れやらから守るためのものだ、ここにいれば安心だ、と説明して、レオたちが帰ってくる頃には皆でピクニックをしていた。
てっきりパニックにでもなっているのかと覚悟していた二人は、穏やかに悩み相談会をしているアリスと村人を見て、自分の目を疑った。
「平和にピクニックとは…。蜘蛛の方がまだ警戒心があったぞ。ここで火を放てば、一気に阿鼻叫喚の巷と化すな」
「怖いこと言うなよ…。まぁ元々平穏なところだからさ。ましてや自分の病を治してくれた人が言うことなら普通に信じるだろ」
「この村全員、詐欺に気を付けた方がいいぞ」
目標人数が集まったところで、レオが結界の中に入った。表結界に加えて裏結界も張り、空気の流れも遮断する二重防御結界を作る。
そして愛想笑いを顔に張り付け、呑気にピクニックを楽しむ人たちに「突然すみません。驚いたことでしょう」と謝罪の言葉を述べて話を始めた。
そうしてレオたちが村人たちの注意を引き付けている隙に、ライアンは用意していた十個ほどの瓶を蓋を開けながら、そこかしこに置いていく。
五分ほどすると、眠気を誘う薬草の香りが辺りに漂い始める。しかし、今回は何せ人数が多い。全員に効き始めるまでにはまだ時間が必要だろう。
準備が整うと、レオが「さて。本日は今までのお礼として、是非とも見せたいものがあってお呼びしたのです」と杖を取り出した。
ライアンは何回か見たことがあるけれども、他の村人たちはアリスが魔法を使うところはあっても、レオが使っているところを見たことはない。
全員の意識が、レオと杖に集中した。
ーーーーー想像を骨格とし、魔力を肉とし、一つの理想郷を我は所望す。一つの都、一つの国、一つの世界、その地に住む魂たちは全て我が創り上げしもの。神の御業に近き行いを執り行う。かの者は客人、最上級の持て成しを。
レオが軽く杖を振る。…何も起こらない。
ライアンを含めた全員が首を横に傾げたその時、レオが笑って指を鳴らす。視界に鮮やかな色が入り込んできた。上からだ。
人々は上を見上げて、わぁ、と声を上げる。
空から花びらがゆっくりと落ちてきていた。色とりどりの花が雪のように降ってくる様子は、はっとするほどに美しい光景だった。
誰もが上を見上げ、驚きの表情を浮かべている。
「せっかくのピクニックでしたら、ちょっとした余興も必要かと思いまして。楽しんでいただけたら幸いです」
上ばかりを見つめ…地面に置かれた瓶に、誰も意識を向けることがない。独特な薬草の香りも、花が降っているせいでその花の香りだろうと錯覚してしまう。
「よい夢を」
一人、また一人と村人たちが船を漕ぎ始めた。ピクニックで食べられていた茶菓子にも眠り薬は入れてある。全員が寝落ちするまでに十五分とかからなかった。
一気にしん…と静まり返った中、レオは人のよさそうな笑顔から無表情になって「さ、やるか」と声を発する。花の雨は止み、地面に落ちていた花びらもいつの間にか消えていた。
「俺…お前が怖いわ。本当に。意識をそらすのが手慣れてるんだよ。お願いだから詐欺師とか殺人鬼とかになるなよ」
「人を殺戮が趣味の狂人のように言うな。必要に迫られなければしない」
村人たち一人一人の記憶から、レオたちの存在に関するものを消していく。
忘却魔法はその者たちへの執着や印象が強ければ強いほど、かかりにくく記憶の齟齬が起こりやすい。
村人たちに蜘蛛のことを詳しく教えなかったのは、村の危機を救ってくれた恩人という強い印象を、これ以上植え付けないようにする目的もあったらしい。
二時間ほどをかけて漸く全員の記憶の消去が済んだ。これでこの村でレオとアリスのことを覚えているのは、ライアンただ一人となった。
作業が終われば、いよいよ本当に別れの時間になる。
「…お前たちには、あんまりいい思い出なかったかもしれないんだけどさ。普段はいい村なんだ。平和で、住んでる人たちも優しいし」
だからさ、と見送る時になってライアンは言う。
「また遊びに来いよ。村のいいところ案内してやるから」
「気が向いたらな」
「うん。楽しみに、してる」
二人との別れはあっさりとしていた。名残惜しそうにする訳でもなく、特に感傷的でもない別れ方。別に驚くことでもない。この二人はこういう人間なのだ。
小さくなっていく背中をライアンは見送った。色々あったけど、思い返せば楽しい時間も多かったような気がする。
あの二人に会えてよかったな、と思いながら「さ! 皆を起こすかぁ」とライアンは明るく独り言を呟いた。
翌朝。ライアンは早起きをした。空もまだ薄暗い。まだ眠気を感じていたが、自分に活を入れてベッドから起き、服を着替える。
木剣を持っていつもの場所に行き、そして三十分間走ってから素振りを始める。
その横にレオはいない。サボったところで嫌味を言われることもなければ、蹴りがとんでくることもない。
それでもライアンは手を抜かずに、今までと同じく丁寧に練習をした。終わる時間になると、水分をとって身体を暫く休ませてから家に戻る。
すれ違う人たちに挨拶を返しながら、空を見上げて「平和だな」と呟きながら歩く。
家に帰れば、ロージーが朝食の支度をしていた。
「あら、まだ寝てると思ってたのに。どこに行っていたの?」
「ちょっと剣の練習」
「珍しいわね。昨日まで早起きなんてしなかったじゃない」
「んー。まぁ、そういう気分になったんだ。今日から毎日する予定」
「まぁ…できるの?」
「やるよ。だから明日も朝は出掛けてるから」
サイラスも起きていて家族で食卓を囲む。平和だ、と思う。平和で穏やかで、特に刺激もない、時々退屈になるような生活。
でもこれが幸せということなのだとライアンは知っている。
「父さん。次の誕生祭のプレゼントは、本が欲しいんだけど」
「お、そうか。レオフェルド・ダ・ヴィルトの本は人気があるからなぁ。手に入るといいが」
「いや…それも欲しいけど、他の本でもいいよ。植物とか歴史の本とかでも。小説じゃなくてもいい」
そう言えば、サイラスは驚いた顔をした。今まで本と言えば、冒険物語のようなものしかねだったことがない。どうして急に、と思ったのだろう。
「ちゃんと勉強しようと思ってさ」
「…ど、どうした? いや、父さんも勉強はいいことだとは思うけどな、今まで剣とかそういうのにしか興味がなかったじゃないか。…頭でも打ったのか?」
「まぁそうなんだけど。そういう気分になったから」
「べ、勉強したくなる気分に…?」
「そう」
「そ、そうか…いや、うん。いいことだな。いいことだ。父さんは応援するぞ」
朝食が終われば食器を片付ける。
この後、普段はそのまま二階でゆっくりと過ごす。しかし今日は違った。皿洗いを始めようとする母親に「…母さん。今日は俺も手伝う」とライアンは照れ臭そうにしながら言った。
「あらあら…本当に珍しいわねぇ。ライアンが家事の手伝いなんて。どういう風の吹き回し?」
「いいだろ。別に」
「またそういう気分になったの?」
「そうだよ。悪い?」
「悪くはないけど…そうね。ちょっと質問したいわ。そういう気分になったきっかけは何なの?」
不思議そうに尋ねてくる母親に「目標ができたんだ」と答える。
「絶対に追い付いてやりたい、って思える奴と会ったんだ。性格が悪くて、秘密ばっかりで、よく分からない奴だったけど。でも、すげぇ強い。今は足元にも及ばなくても…いつか、アイツが驚くくらい強くなってやるって決めたんだよ」
そう言って、ライアンはニッと明るく笑った。
メリークリスマス! ですね!
皆様、よい一日をお過ごしください(*゜∀゜*)