英雄 29 (三人称)
勢いで言ったものがまさかこう返ってくるとは…。呆然としながらライアンは請求書を見下ろす。
ギリギリ生きられる程度の取り立てなのは、コイツの最後の良心なのだろうか。いや、コイツのことだから生かさず殺さずの具合で長く取り立てるのが効率的、みたいな考えなんだろうな…。マジかぁ…。
「俺ばかりが得しているように思えるが、ちゃんとお前の願いを叶えてやったことことも忘れるなよ。これは搾取ではなく、あくまで対等な取引だからな」
願い? ライアンが首を横に傾けると、レオはベッドの横から机のある位置に移動した。机の上には小瓶が数多く並んでいる。
「注文の品だ。貴白と、アリスの至聖水を元に作った薬。試作品をお前の母親に試したところ、熱が順調に下がっている。効き目はあると見ていいだろう」
「うぇ?! え? 足りてなかったって…」
「あぁ。だから用意した」
足りていなかったから用意した? 再び疑問を覚えるライアンに「詳細な絵を見たことがなかったから、俺もお前が持ってくるまで気付かなかったんだけどな」とレオは話し出した。
「俺の家にある花壇に普通に生えていた」
「は?!」
「だから、俺の家に貴白が栽培されていた。ごく自然に普通のガーデニング感覚で」
「お前の家、どうなってんの…?」
「伯父が土産感覚で持ってきて、なんとなく栽培しよう、くらいの気持ちでやっていたらしい。父様に一応尋ねたが大切に育てているという風でもなかったし。本来は高山植物で栽培が難しいはずなんだが、そこは魔法道具で色々と」
「お前の実家って変わってるって言われない?」
「さぁ…家の噂はあまり聞いたことがない」
家に栽培されていた花の存在は知っていたが、貴白の挿し絵を見たことがなかったため、貴白イコール生活でよく目にする身近なこの花、とは繋がっていなかったらしい。
ライアンが貴白だと一輪持ってきたことで、漸く同じものだと分かり、実家から大量に摘んできたとレオは説明した。
その後、一晩かけて他の材料を加えて薬を作ったり、ライアンの借金返済計画書を作成したり、と色々とやっていたようだ。
「おかげで寝不足だ。一日中山登りをしていた後にやらせる仕事量じゃないぞ」
「それは…まぁ…お疲れ…」
不満げなレオに、ライアンは呆れながら言葉を返す。
「次に…」とレオが言いかけたところで、ごんっと一階から音がした。人が壁か何かにぶつかったような音だ。
「アリスが起きたらしい」
「今の、大丈夫か? すごい音したけど…」
「蜘蛛対策と安静させる目的で、強い結界を張ってたからな。内側からも出られないようにしてある。頭でもぶつけたんだろう」
そう言って、レオは一階へと下りていった。えぇ…と呆気にとられた後に、ライオンもベッドから出て後を続いた。
アリスが寝ていた部屋に入れば、彼女は頭を押さえ、しゃがんでうずくまっていた。レオの言った通り、結界とやらに頭をぶつけたようだ。
「レオ。これ、嫌い」
「普通に歩けば、ダメージはまだマシなんだけどな。起きてすぐに走ろうとするからだ」
レオがパチンと指を鳴らす。結界は透明なのかライアンには見えないが、今ので解除されたのだろう。
「あの子の、お母さんは…」
「寝ろ」
「でも、まだ熱が、ある人が…」
「わざわざ時間をかけて魔力操作をしてやった、俺の努力を無駄にするつもりか? 寝床に縛り付けてもいいんだぞ」
アリスは渋々寝ていた場所に戻る。
「食欲は?」
「…ない」
「食わないと体力が回復しない」
「…」
「…はぁ。何なら食う気がある?」
本当に食欲がないのだろう。アリスは長い間悩んだ後に、目を伏せてぽつりと呟いた。
「……ホットミルク」
「…俺は食べ物を聞いたつもりだったんだが」
飲み物じゃないか、と話を聞いていたライアンは思った。
レオも同じことを考えたのかそう突っ込み、「お前が固形物を腹に入れたくないのは分かった。…まぁ何も口にしないよりはマシか」と面倒そうにしながらも台所へと消えていく。
「…?」
「…よ、よう…」
部屋に二人きりで残されたライアンは、緊張しつつアリスに声をかける。彼女は「熱の、あの人、まだ大丈夫だった?」 と尋ねてきた。
「俺も今起きたばかりだから、状況はまだよく分かってないんだけど…でも、きっと大丈夫だ! アイツが薬を作ってくれたらしいから」
「レオが?」
「そう! 貴白が材料なんだってさ。お前たちの家ってすごいんだなぁ…。貴白が栽培されてるらしいじゃないか。薄々分かってたんだけど、金持ちのところの坊っちゃんやお嬢様なんだろ?」
「貴白が、あったの? 家に?」
アリスもレオと同じく、貴白だとは気付いていなかったようだ。初耳だ、と驚いた顔で目を丸くする。
「ほら、白い花だよ。これくらいの大きさの」
「? 白い花、沢山、だから、どれか分からない」
「え? マジか。どう言えばいいんだろうな。星みたいな形でさ、そんなに目を引くような外見じゃないんだけど…」
どうやら他にも白い花を栽培しているようだ。ピンときていないアリスに、どう説明すべきかとライアンは悩んだ。どうにか特徴を伝えようとするものの、なかなか伝わらない。
「お前が杖の材料に使っていた花だ。これで分かるだろう?」
そんなことをしている内に、レオが帰ってきた。手には三人分のホットミルクがある。
「杖…そっか。確か、薬になるって…」
「杖に使っていたということで印象に残っていてな。すぐに思い出せた」
「うん。材料に、するなら、これを、入れたかったの」
アリスは薄く微笑み、取り出した自分の杖を撫でる。そして「花冠に、してくれた、思い出、覚えていたくて」と言った。
「あれ? 三つ? 俺にもくれるのか? お前が?」
「これからの借金返済生活を頑張れという、俺からの激励だ」
「うっ…お前、忘れてたところだったのに…」
一時たりとも忘れるなよ、と釘を刺された。ライアンはうなだれながら、くれるならもらうけど…とホットミルクに手を伸ばす。
そう言えば昨日はずっと動き回っていたから、腹も空いている。ちょっど温かいものを身体が求めていた気がするーーーーと口に含んだところで、思わず思いっきり吹き出した。
「甘っっ!!」
びっくりするくらいに甘い。ただの砂糖水より甘いし、口の中が何だかヌメヌメする。絶対にただ牛乳を温めただけのものじゃない。
ライアンも普通に甘いものは好きだが、これはいくら何でも甘すぎる。
「何入れたんだよ?!」
「蜂蜜を少々?」
「少々?! おい、少々ってどのくらいの量だ?!」
「さぁ。多ければ多いほどいいのかと」
「大雑把過ぎる!!」
「そうなのか。俺は甘味は口にしないから、適量が分からなかった」
「…それって、お前のは蜂蜜なしってことか?」
「だな」
「おい!! 自分だけ普通に美味いやつ飲みやがって!!」
頬を膨らませて、レオのものを奪い取ろうとする。レオはそれを軽々と避け、ライアンは派手に床に転ぶ。その際に、運悪く持っていたカップが宙に浮かび…そして何の偶然か、ライアンの頭に落下した。
頭から蜂蜜入りのホットミルクを被ることになったライアン。それを見てレオが腹を抱えて爆笑し出した。
ライアンは羞恥に顔を赤くさせる。
「ははは!! 滑稽だな!!」
「お前の…性格の悪さ、どうにかならないのかよ?!」
ぎゃいぎゃいと、二人でそう言い争いしていると。微かな笑い声が聞こえてきた。
「…ふ…ごめん…なんか、懐かしくて、安心したから。…面白くて…ふふ…」
え、可愛い。花が綻ぶように笑うアリスの笑顔に、ライアンは口を開けてぽけっと呆けた。
「えっ? …天使?」
「また頭でも打ったのか?」
レオから冷静に突っ込みをされた。