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英雄 27 (三人称)


山に向かう前にテッドの家に寄り、試験管を手渡して手短に使い方を説明する。


言うだけ言うと「何もしないよりはいいから! 絶対にやれよ! じゃあ俺は行くところがあるから!」と、テッドの返事も聞かずにまた走り出した。


貴白がある場所は覚えている。というか、自分が死にかけた場所なんて印象的過ぎてなかなか忘れる訳がない。


滑りそうになる山道を慎重に、しかしできる限り早足で登っていく。一時間ほどで、例の崖へとたどり着くことができた。



「…で、問題はここからだよなぁ」



今度は足場が壊れないことを念入りに確認しながら、下を覗き込む。ほぼ垂直。まさに断崖絶壁。


しかも登山と同じで、崖を移動するのも上るより下る方が困難だと聞いたことがある。


一応足場や手で掴めそうな場所はあるものの、危険なことには間違いないだろう。前は運よく生き延びれたが今度落ちても無事である保証はどこにもない。


加えて、と空を睨む。この雨だ。危険度は更に上がる。



「…でも、やるしかないよな」



深呼吸をして気持ちを落ち着ける。そしてライアンは地面に手をついて、崖を下り始めた。


五分後。


あ、ヤバい。ライアンは五分前の自分の判断を悔やんでいた。



「死ぬ!! マジで死にそう!! 想像以上に怖いぞ、これ?!」



恐怖に耐えられなくなってそう叫べば、右足をのせていた場所からパラパラと小石や土が落ちる。それを見て、ひぃ、と悲鳴を上げる。


やるしかないと腹を括ったはいいものの、ライアンが想像していたものよりも、はるかに崖を下るというのは難しかった。


いちいち下を確認して足場になりそうなところを探さなくてはいけないし、その度にはるか下にある地面に視界に入って、自分がどれだけ地面から高い位置にいるのか思い知らされる。


ここから落ちてよく生き残ってたな…としみじみと思った。


そう泣きそうになりながらも、目をこらしてあの特徴的な白色を探す。小さな花だ。これだけ雨で視界が悪いと、注意していなければ見逃してしまう。



「まだ下か…?」



記憶を掘り起こしながら、恐る恐る進んだ。



「あった…!!」



雨風に揺れる一輪の貴白を見つけ、ライアンは明るい声を上げた。片手でバランスを取りながら、もう片方の手で花を掴む。それを服のポケットに入れた。


探し物を手に入れて息を吐く。


安堵したことで一気に身体の疲れを自覚したのか、雨が降っているというのに身体が冷えるどころか妙に火照っているのに気が付いた。


ずっと走ってきたのだから無理はない。急いで家に帰って休もう。


よし、あとは登ってこれを届ければ…。そう思ってライアンが上を見上げたその時だった。


身体が凍りついた。崖ではなく、自分の腕を見て。


横に張り付いていることで、長袖の袖が下へと落ちている。普段はその袖で隠れている、肘近くの辺りに…小さな赤い噛み跡が残っていた。



「は…?」



すぐに思ったのは、なんで、という疑問だった。次に恐怖が襲ってきた。先程まで走っていたせいだと決めつけていた身体の火照りが、蜘蛛の毒による熱なのでは、と気味の悪いものに変わっていく。


貴白を見つけた喜びから一転、突然冷水をかけられたような気持ちになった。



「おい…嘘だろ…?」



思わず、独り言を呟く。



「だって…噛まれた記憶なんて…」



気付かぬ内に、自分も噛まれていたなんて。そんなもの知らない。聞いていない。自分は大丈夫だとそう信じていたのに。



『深紅毒虫蜘蛛の毒を打ち消す薬になると書いていた。本当かどうかは知らないけどな』


『あっているのかどうかさえ疑わしい』



ライアンは貴白を見つめた。震えた声で、答えもしない花に尋ねる。



「なるよな…? 薬に…アイツは本当かは分からないって言ってたけど…俺も、母さんも…テッドの母さんも、助かるんだよな…?」



勿論答えはなかった。雨が容赦なく降り続いている。身体はどんどん冷えっていくはずなのに、ライアンには逆に熱が上がってるような気さえした。


自分もまた毒を受けたのではと一度でも思ってしまうと、身体が鉛のように重く感じ始める。


腕が動かなかった。足が動かなかった。ライアンはただ呆然と無様に、崖に張り付くことしかできなかった。


ガンっ、と視界が白くなった。近くに雷が落ちたのだ。その音に驚いて右手が滑り、左手で身体を支えている状態になる。


下を見下ろす。まだ地面は遠い。落ちたら死ぬかもしれない。


目の裏が熱くなった。歯を強く噛み締めると、口の中に鉄臭い血の味が広がった。



「死にたくねぇよ…当たり前だろ…」



倦怠感の残る身体を叱咤し、崖にしがみつく。



「くそぉ…まだ死ねないんだよ!!」



やり残したことは一杯ある。こんなことなら面倒臭がらずにもっと色々やるんだった。


母さんの手伝いをもっとするんだった。父さんにもっと剣の練習に付き合ってもらうんだった。テッドとももっと話すんだった。レオにも色んなことを教えてもらって、アリスにも…帽子のことちゃんと謝ればよかった。


ここで諦めればきっと全部後悔する。だから死ねない。


毒が何だ。別に今すぐ死ぬ訳じゃないんだろ。貴白が薬にならなかったら? ならないかどうかさえまだ分かってないじゃないか。ここで諦めたら今まで、死に物狂いで崖を下りた俺の苦労は何だったんだよ。


石を掴む右手に力を込める。


やれよ。後悔するのなら、全部やれることやってから後悔しろよ。格好つけて諦めるなら、無様でもみっともなくても最後まであがけよ。走り回れよ。レオみたいに上手くできないなら、せめてやれることは全力でやれよ。


俺が誇れるものなんて、諦めの悪さと根性くらいしかないんだからさ。


身体の熱が、右手に集まっていく感覚がした。



「死んで…たまるかよっ!!」



少しでも上に上がろうと、右手に力を込めたその時だった。


ぐんっ、と強い力に引っ張られてライアンの身体は宙に浮かんだ。「は?!…はぁ?!」と驚くのも束の間、そのまま身体はものすごい力で上へと放り投げられる。


運よく崖の上にある、道に落下した。受け身をとる暇もなく、固い地面に打ち付けられたライアンは全身の痛みに短い悲鳴を上げる。



「なっ…は? 何が起こって…?」



身体を起こそうと試みる。そして、手に激痛が走った。見れば右腕があり得ない方向に曲がっていた。



「折れてる…」



持ち上げると、右手がプラン…と揺れる。骨が折れていた。まるで普通では不可能な力を発揮したことで、身体の一部が耐えきれず壊れてしまったかのように。



「おい…まさか今のって…アイツが言ってた魔力操作ってやつじゃないよな…?」



軽く蹴るだけで岩が粉砕できるのだ。軽く引っ張るだけで、ライアンの身体を宙に浮かばせ、上まで引っ張り上げられるだけの力が出てもおかしくない。


ポタッと何かの水滴が顔から落ちた。一瞬雨かと思ったが、その水滴は赤い。鼻血が出ているのだ。


意識すれば身体の熱が一気に上がっていて、身体の節々から少しずつ痺れに近い痛みが広がってきているのを実感した。


この感覚には覚えがある。前より酷くはないものの、レオに魔力操作を教えてもらった時に感じた、内側から焼かれるような痛みだ。



「魔力の乱れ…な。そりゃあ初心者でこんな無茶をやったら、流れが狂うのは当然か…」



おそらく前のように倒れるのは時間の問題だ。



「崖を一気に登れたのは正直助かったけどさ…毒に熱に、魔力の乱れって…しかもタイムリミットが早まったし…酷いどころじゃないんだけど…」



はは…と乾いた笑いを漏らす。



「流れが狂って、完全に動けなくなる前に…急がないとな…」



ライアンは痛む右手を押さえ、家に向かって歩き出した。





ちなみにですね。


ライアンが噛まれているのに何だかんだ動けているのは、彼は毒や薬が効きにくい体質だからです。毒の巡りが遅いんですね。『英雄 6』あたりでレオがそんな感じのことを言っていると思います。


とはいっても、じわじわ毒は広がって、他の人よりも遅くではありますが熱が上がってくるので、彼も薬を飲まないと危ないです。ただ彼の場合、薬も効きにくいので大量に飲む必要がありそうですけど…。



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