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アリス・アクイラの過去 7


「アリス。夢で、お前に会った」



あと数ヵ月したら、私たちは五歳になろうとしていた時のことだった。他愛もない話をしていたら、レオは思い出したように突然、脈絡もなくそう切り出したのだ。


ぎょっとしたが、レオが気にしてなさそうな口調で呟いたので、私も「そう」と返す。



「自分を殺したいか、っていう質問は復讐したいのかという意味だったのか。やっと分かった。あれは自爆魔法だろう?」


「そう、なの? 名前、知らない」


「名前さえ知らないものを使ったのか? 無茶をするな」



それで話を戻すけど父様が…と先程まで話していた話題に戻ろうとするので、私の方は慌てて「えっと、その。もっと、言うこと、ない?」と突っ込んでしまった。



「言いたいこと?」


「え、だって。私、レオ、殺したから。もっと、恨み、とか」


「いや? 強いていうなら夢の正体は気になるな。アリスが言いたくなさそうだったから今まで我慢していたけど、そろそろ聞いておきたい。俺の予想だと平行世界、パラレルワールドに生きる自分と記憶を共有しているのかと…だがそれは、あの世界でさえ魔法学的に不可能に近いはずなんだが…」


「えっと??」


「アリスも覚えているんだよな。俺だけに起こった訳じゃないから…でも、別世界への転移は研究していたが、理論上はギリギリ可能でも、肉体が絶対に衝撃に耐えられない…いや、記憶または意識だけを何らかの方法で飛ばして、電磁波のように…別世界の人間がその情報を受け取れば…」


「レオ。ちょっと、ストップ」



あの夢は魔法学的にどうなのか、とまで考え出したので、私は制止の声をかける。レオは素直に口を閉じて首を横に傾げた。


もっと、こう。よくも殺してくれたなとか。今度はお前の番だとか。そんな反応を覚悟していたのに、まさか全く気にしている素振りがないのは予想外だった。



「怒って、いい、よ?」


「いや、別に怒ってはないけど」


「え?」


「え? って、これ。前もやったな」



今回はアリスが言いたいことも分かるけど、と前置きして「本当に怒りは覚えてない。理由は上手く説明できないけどな」とあっさりと言い放つ。



「死にたかった、とか…?」


「あの時期は生きることに執着していた訳でもないが、特に死ぬ気もなかった。暗殺しようとする奴らを片っ端から駆除してたし」


「駆除…?」


「害虫のように次から次へとわいてくる…王族じゃない統治者が気に食わないからと、次々に仕事を押し付けてくるのも鬱陶しい。文句があるなら直接本人が殴り込みに来たらいいのにな。力業でいいなら早く片付く」


「殴り込み…?」



前にレオから魔王になったことは聞いていたが、悠々自適、快適な生活とまでにはならなかったらしい。予想外の言葉の数々を聞いて目を白黒させる私に、レオは「まぁ、つまり」と続けた。



「アリスのことだから、そうしなくちゃいけない事情があったんだろう。だから怒ってはない」



その言葉に、自分がしたことを許されたような気がした。ずっと胸に渦巻いて消えなかった罪悪感がちょっとだけ和らいだ気がしたのだ。


レオは夢のことを無理に聞き出そうとはしなかった。アリスが言いたくないなら言わなくていい、という彼の言葉に甘えて、私がはぐらかし続けた。


…だから、きっと、罰が当たったのだと思う。



「五日後だ」



五歳の誕生日が間近になっていた、ある日のことだった。真剣な顔をしたレオが私を呼び止め、そう言い出したのだ。



「…何が?」


「俺はこの屋敷で過ごした記憶を全部失くすと思う」



突然のことに、声が出なかった。



「ここでの記憶が失くなったら、残るのはあの世界の記憶だけになる。おそらく前の俺に戻るはずだ」


「…それ、どうにかできたり、は…」


「無理だと思う。前みたいに、アリスの呼び掛けで思い出すのも不可能に近い。何故か分からないけど、そんな確信があるんだ」



記憶を失くすことは避けられない。レオは既に諦めているのか、すぐに首を横に振ってそう言った。


前から少しずつ意識がぼんやりとすることが多かったらしい。しかし、それも重すぎる夢の記憶に引っ張られていることが原因で、時間をかけて整理すればいずれ治るはずだと黙っていたようだ。


でも、自分を自分だと認識できる時間がどんどん短くなっている、とレオは言った。



「多分…脳が耐えられないじゃないだろうか。俺が俺として過ごした四年間に比べて、夢は時間的にも内容的にも重すぎる。しかも、夢の"俺"と今の俺では考えが相容れない部分があって、思考に矛盾が生まれてる」


「…」


「なら比較的存在感の薄い俺を消して、もう一人の"俺"で埋めた方が脳へのストレスも減るはずだ」


「…じゃあ、レオは」


「…お前のことも、父様たちのことも忘れてしまうな。全部」



レオの記憶が消える。今まで一緒に過ごした思い出も、全部彼は忘れてしまう。残るのは魔王として彼が持っていた記憶だけ。


…なら、変わってしまった後の彼は"レオ"と言えるのだろうか。


風魔法で部屋を荒らした時のレオを思い出す。雰囲気も違った。口調もどこか違った。父様を殺そうとしていた。私の知っているレオじゃないみたいで怖かった。


記憶を失くしてしまったら、レオが消えて、あの人になるの? ずっと?



「…アリスって意外と泣き虫だよな」


「…ないて…ない…」


「それだけ目に涙を溜めてるんだから、泣いてるのも同然だろう。そんなに怖がらなくてもいい。あの時はアイツが殺されたばかりだったから"俺"も気が立っていたけど、自爆魔法で死んだ時期ならある程度は落ち着いていたから。話はできるはずだ」


「…」


「貴族ということで多少印象が悪くなるのは避けられないだろうが…父様たちの人となりを知れば、"俺"も余程のことがない限り手は出さないだろう。少なくとも、出会ってすぐに、顔を剥ぎ取ろうとすることはない。心配するな」



違う。私が聞きたいのはそういうことじゃなくて。


レオはいいの? 自分が消えてしまうかもしれないのに。



「ほら、アリス。母様が呼んでる。行こう」


「…うん」



私は何も言えなかった。


五日間はあっという間だった。心の整理をつけるにはあまりにも短すぎる時間。一日が過ぎる度に、日に日に焦燥感と不安が強まっていく。


そして、私たちは五歳の誕生日を迎えた。



「…レオ。しんどい?」


「いや、眠いだけだ。今にも寝落ちしそうだな…」



目をこすりながら、いつもよりもぼんやりとした口調で答えるレオ。



「寝たら、記憶、消える?」


「多分な。だから、昼になったら庭に出よう。念のため父様たちと距離を置いておいた方がいいだろう」


「あ、レオ。頭、ぶつかる」


「あぁ…まずいな。眠すぎて柱が歪んで見える…アリス。屋敷の柱って枝が生えていたか? 上の方が四重くらいに見えるんだが」


「生えて、ない、と思う。真っ直ぐ」


「なるほど。俺の目が異常なのか」


「大丈夫?」


「本当に眠い…」



食事の席でもレオはこの調子だった。少しでも気を抜けば寝落ちしてしまうらしく、気だるげな様子で宙を眺めている。


昼になると私たちは父様に頼んで、庭に二人きりにしてもらった。レオは地面に寝転がり、片手で目元を覆って深い溜め息をついた。睡魔が限界に近いらしい。



「レオ。あと、ちょっと、話せる?」


「努力する…」



本音を言えば今すぐにでも寝たいはずだ。それでも、今にも閉じてしまいそうな目蓋を動かし、「どうした?」とレオは私を見つめくる。


私は拳を握り締め、唇を噛み締める。そして意を決して頭を下げた。



「ごめん、なさい…。レオを、ここまで、苦しめて、しまって」


「アリス?」


「夢は、多分生まれ変わる、前の、貴方の記憶。私は、貴方を殺した。最初は罪悪感、さえ、湧かなかった。死んで当然、って、思ってたところも、あると思う」


「…」


「レオは、許してくれる、って言ってくれた、けど。でもやっぱり、私のしたことは、許されて、いいものじゃない、と思うの。それでも、私は魔王の貴方が、父様たちに、危害を加えようとしたら、人とは思えなくなる。そしたら、またきっと、自爆魔法で殺す」


「…アリス」


「ごめん。ぐちゃぐちゃで、自分でも、何が言いたいのか、分からない…。殺して、心がないんだって、決めつけて、ごめんなさい。またレオを殺したら…」



ペシッと頭に軽い衝撃が走った。言葉を止めて、叩かれた部分を押さえる。



「痛い…?」


「え。痛くないように、かなり加減したはずなんだが」


「痛かった、ような、痛くなかった、ような…」


「どちらなんだ。まぁいいか。マイナス発言は止まったし」



「アリスは時々、驚くくらい悲観的思考になるからなぁ…」と呆れ声を漏らし、彼は話し出した。



「好きにしたらいい」


「え…?」


「入れ替わった俺を殺すのも、生かして様子を見るのも、アリスの好きにしていい。どの選択肢を選んでも、俺はお前の意思を尊重する。これについて俺がお前を恨むことは絶対にないから」



両手を軽く上に上げ、どうぞお好きに、という身振りをしてレオが言う。



「…ふざけてる?」


「この状況で、笑えない冗談を言うほど俺は馬鹿じゃない。本気だよ。前から言おうと思っていた」


「…」


「ろくに知りもしない奴に切り刻まれるよりは、妹に殺してもらった方がずっといい。"俺"がやってはいけないことをした時、アリスなら止めてくれるだろう? お前になら安心して任せられる」



レオは落ち着いた口調で続ける。



「俺の生死は好きに決めていい。今まで大勢の命を奪ってきたんだ。誰に殺されるのか選べるだけ贅沢なものだろう。もう一人の"俺"が怒っても俺は許すから、だからもう謝るな」


「…」


「これでも、罪悪感が残るか?」



私は小さく頷いた。レオは考える素振りを見せた後に「んー…じゃあこうしよう」と呟く。



「俺たちも約束でもしようか。アリスがこれから先、約束を守ってくれるなら俺は恨まない。どうだ?」


「…私が、できる、ことなら」



難しいことはできないけれど、できることなら何でもするつもりだった。それで少しでもレオの気持ちが楽になるのなら安いものだ。



「一つ目。自分の意見を言え。前から思ってたけどアリスは意思が弱すぎる。何が嫌なのか、何をやって欲しいのか。『我が儘を言うな』と言われたら『そう言うお前こそ我が儘だ』と言い返せ。図々しく、ふてぶてしく生きろよ」



予想していなかった言葉に驚いて、私は面食らった。



「そんなこと、で、いいの?」


「言ったな? そんなことって言ったからには、ちゃんとやるんだろうな?」


「ど、りょくは、してみる…」


「よし。二つ目。…これは、できればでいいんだが。もし"俺"を生かすと決めたなら、その時はできる限り隣にいてやって欲しい。この五日間で考えたんだ。夢の"俺"と俺はやっぱり同一人物だ」



意味が理解できず、私は首を横に傾げる。前に暴走した時のレオと、今のレオ。


口調や仕草こそ似ているものの、雰囲気が違う。私にとってはほとんど別人のようなものだった。


そんな私の考えが分かったのか、レオは苦笑する。



「お前が違って見えると思うのなら、それはただ環境の違いだろう。俺には家族がいた。食うものに困らなかった。安心できる居場所があった。夢の"俺"が生きるために切り捨てたものを、俺は捨てないでいられたというだけだ」



だから、と彼は言った。



「どうか、泣き方さえ忘れてしまった"俺"に、世界は思っているよりも息苦しくないんだと教えてやって欲しい」


「…でも、私がずっといても、嫌がられる。と思う…」


「なら脅せ。適当に弱みでも握って顎で使ってやればいい」


「えぇ…?」


「…というのは冗談で。大丈夫だ。お前は()()()からきっと無下には扱われない」



誰と、と私が尋ねる前に、睡魔が限界に近いのか「三つ目。これで最後だ」とレオがすぐに口を開いた。



「父様に軽くだけど事情は説明したから」


「えっ…」



私は目を丸くして、「本当?」と尋ね返す。頻繁に夢を見るようになってから、レオは父様と母様に夢について語りたがらなくなっていったのだ。



「嫌がってた、のに…」


「まぁ…そうも言ってられないだろう。性格がかなり変わるかもしれないんだ。流石に全て隠すのは無理がある。ぼんやりしている母様だけならいけたかもしれないけどな」



レオはそう言って、私の頭に軽く手を置いた。



「お前は何でも一人で抱え込むところがあるから。本当に辛くなったら、父様でも誰でもいいから人を頼れよ。ちゃんと」



無性に寂しくなった。喉が締め付けられる感じがする。…それでも、これ以上泣き言を言って彼を困らせる訳にはいかない。



「約束だ」


「…うん、約束する」



レオは満足げに頷いた。そして、目を伏せて「そろそろ限界だ。喋りすぎたな」と今にも消えてしまいそうな声で言った。



「お休み、アリス」


「お休み…レオ」



そして、レオは私たち家族と過ごした記憶を失って、魔王だった頃の彼になった。




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