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アリス・アクイラの過去 3


彼は、危なっかしい子供だった。


しっかりと歩けるようになってからは、レオは屋敷中を歩き回るようになった。気が向いたら私も引っ張って連れて回った。


庭に出るくらいならば可愛いもので、時には掴む力さえないというのに窓から木の枝へ飛び移ろうとしたり、泳ぐ魚が気になるからと泳げもしないのに、池の中に躊躇いもなく飛び込もうとする。


気になることがあれば、それしか目に入らないらしく、危機感もなしに次々とそういった行動を起こすのだ。


特に、鳥が飛べる仕組みが気になるからと台所へ侵入し、両手でナイフを抱え、鶏肉を解体しようとした時が一番肝が冷えた。



「レオ。それは…離して。本当に」


「とべる。どうして。しりたい」


「ナイフ、下ろして。手に当たる」


「やだ」


「お願い、だから」


「や。とうさま、ばらばら、よくわかる、いう。だからやる」


「父様…」



機械を知るにはまずはバラバラに解体するのが一番だ、などと父様が教えた日には、思い立ったが吉日、早速解体しようと台所の肉を引っ張り出してきた。


二歳児の筋力でナイフを持とうとするのだ。できる訳がない。それなのに、どうにかこうにか抱えてフラフラと歩き回る姿は、見ているこちらをハラハラさせるくらい危なっかしかった。


この時ばかりは私も父様を憎んだ。


窓から飛び降り、池に飛び込み、本棚によじ登り、図鑑を抱え、時にはナイフを抱え、あちらこちらと動き回る。


そんなレオを放っておくこともできず、私はできる限り彼の側にいて、彼の大胆すぎる行動を必死に止めた。


好奇心の赴くままに危険な行動を繰り返していたから、きっと放っておけば、殺さずとも彼は勝手に死んでいたのかもしれない。


それでも、もう私には彼の死を願う気持ちがなくなっていた。


だって、笑うのだ。話すのだ。心があって、泣くこともできる。


こんなの、ただの人の子供と変わらない。


好き勝手に走り回るレオと、彼に振り回される私。そんな私たちを見て、母様たちはおかしそうに微笑んで言った。



「アリスの方がお姉ちゃんみたいね」



それはそうだ、と私は思った。私の方が歳上なのだから。


お姉ちゃんみたい、と言う母様の言葉に、横にいたレオは首を横に傾げた。そして私の服の袖を掴み、首をことりと傾げたまま言う。



「ねぇね?」


「……なるほど…これが、かわいい…」



危なっかしくて、目が離せない子供。


私にとって、今の彼はただそれだけの存在だった。魔族だとか魔王だとか、次第にそういう目で見れなくなっていったのだ。


このまま…記憶が戻らなかったらいいのに。そんなことを願うほど、私は彼に生きていて欲しいと思うようになってしまった。


でも、そんな平穏な日々は長くは続かなかった。



「うわあぁあぁぁああぁっ!!」



ある朝。悲痛な叫び声と、何かが割れる音が屋敷に響いた。レオの部屋からだった。私はベッドから飛び起きて彼の部屋に駆け込んだ。


荒らされた部屋の中で、彼が頭をかきむしりながらうずくまっていた。獣の唸り声のような音を発しながら、歯を噛み締めて苦しんでいる。



「レオっ?!」



今まで見せたことがなかった様子に、私は側に駆け寄って彼の肩を揺する。


血走った目がギロリと私を睨んだ。思わず身体を強張らせる。



「…思い、出したの?」



思い出したのならーーー殺さなくては。強く拳を握り締める。


早く、殺さないと。父様と母様に危害が及ばない内に。被害を最小限に。


殺せるの? 本当に。


レオを? 私に外の世界の楽しさを教えてくれたこの子を?


思い出すのはレオと過ごした楽しい記憶ばかりだった。騒がしくて、振り回されて、いつもハラハラさせられてばかりだったけど。


間違いなく、私の記憶の中で一番大切な時間だった。


父様たちを慕っていたレオのためにも、彼が自分の両親を手にかける前に殺さなくちゃいけないのに。


どうして身体が言うことを聞かないの。



「…あ、りす」


「っ! 平気?」



彼は、掠れた声で弱々しく私の名前を呼んだ。現実に引き戻された私は、改めて彼の顔を覗き込んだ。酷い顔色だった。


顔は死人のように血の気を失っていて、強く噛んでいたのか唇が切れていた。頬は自分で引っ掻いたのか小さな傷が沢山できている。目は泣きすぎて赤く充血し、目元は痛々しく腫れていた。



「…っ離せ!」



レオは、はっとしたような顔をして私を突き飛ばした。そのまま彼は部屋を飛び出していった。



「待って!!」



外に出られてはたまらないと、私も急いで後を追う。


駄目だ。レオに人を殺させる訳にはいかない。どうして悩むの。早く殺さないと。分かってるのに…!!



「レオ!! 待って! 外には行かないで! 止まって!!」



必死に走り、階段の手前で腕を掴むことができた。彼はうつ向いていて、表情を見ることはできない。



「話を聞いて。お願い…」


「手を離せっ!!」



乱暴に振り払われる。明確な拒絶に、やはり記憶を思い出したのだという確信が深まった。誰だって自分を殺した人間に触られていい気はしないだろう。


痛む胸を押さえつつ、「…ごめん。触らないから。何もしないから。話を聞いて」と攻撃する意思はないのだと分かるように優しく語りかける。



「嫌だ。離れろ。今すぐに」


「レオ…嫌なのは分かるけど…でも…」


「違う!! 俺はっ…!!」



少しでも私から距離を取ろうと、レオが後ずさる。彼の後ろにある段差に私は息を呑んだ。階段だ。


レオ、後ろ。そんな私の言葉をレオの声が掻き消した。



「俺は…もう殺したくない」



レオの身体が傾いた。足が空を踏み、バランスが崩れた身体が投げ出される。


彼は目を見開いた。けど、すぐに驚いた表情から、どこか安堵のような感情を滲ませた表情へと変わる。


その顔と、前世で最後に見た彼の顔が重なる。


無理だ。


私は、もうレオを殺せない。


無意識の内に私の身体は動いていた。階段へと落ちかけている彼の腕を浮かんで引っ張り上げた。



「アリスっ?!」



勢いよく引っ張った反動から、レオの代わりに自分が階段から落ちてしまった。ゴツンッ、と頭に音が響く。


痛い。目がチカチカして、視界が暗くなっていく。


治癒魔法を…と思ったけれど、頭を強く打ったせいで手が動かなかった。これでは魔力操作も満足にできないだろう。



「アリス!! しっかりしろ!!」



レオの焦ったような声が聞こえたのを最後に、私は気を失った。







次に目を開けた時には、私は自分の部屋のベッドで寝かされていた。側には父様が心配そうな顔をして座っている。



「父様…?」


「よかった…。なかなか起きないから心配したんだ。気分が悪いとかはないかい?」


「うん。平気」


「辛くなったら言うんだよ」



私が頷くと、父様は優しく頭を撫でてくれる。まだ寝起きの頭をどうにか働かせながら、私は「レオは…?」と目の前の彼に尋ねた。



「大丈夫だよ。ちょっと悪い夢を見たらしくて暴れてしまったけど、今は目も覚めたから、と言っていた」


「夢…でも、あれは…」



ただの夢であれだけ心が乱されるものなのだろうか。やっぱり前の記憶が…と心配になるが、父様の様子を見る限り、今はレオも落ち着いているのだろう。


記憶が戻れば、まず私を殺そうとするはずだ。それなのに暴れはしても、気を失った私を傷付けもせずにそのままにするなんて…。


そう考え込んでいると、ドアがノックされる音がした。父様がドアを開けると、暗い顔をしたレオが立っている。彼は父様を見上げ「…アリスと、二人で。話したい、です」と言った。



「…大丈夫そう?」


「もう、暴れないから」



まだ言い慣れていない敬語に、いつもと変わらない父様への態度。それだけ見れば普段と変わらないように見える。


でも何かが違う、と私は思った。


二人きりにすることに躊躇う様子を見せる父様に、「父様。私も話したい、から」と私からもお願いをする。彼は渋々頷いて、相談したいことがあったらいつでも言うんだよ、と言い残して部屋から去ってくれた。



「アリス。頭を打ったって聞いたけど…平気か?」



やっぱりだ。拙かったはずの言葉が流暢になっている。


明らかな変化に警戒が強まる。レオはまだ単語を並べるのがやっとだったはず。元々頭がよくて言葉を話し始めるのは早かったけれど、それでもここまで急に話せるようになるのは変だ。



「レオ。思い出したの?」



私は緊張しながら、そう問いかけた。


レオは目を丸くさせ、そして「あれは…やっぱり夢じゃないんだな…」と暗い声で言う。



「…そう。じゃあ、私を、殺したい?」


「は?!」



では前の自分を殺害した私を殺したいかと尋ねれば、レオは驚愕の表情を浮かべた。予想していなかった反応に私も驚くことになった。



「え…? だって、思い出した、のなら。殺したい、はず」


「どうしてそうなる?!」


「え?」


「え?」



二人して首を横に傾げる。話が全く噛み合わない。



「ちょっと待て。話が飛躍しすぎだ。多分アリスが考えているのと俺が考えているのが違う。そもそも俺が見た夢で、アリスに関係があるものは出てきていないはずだ」


「? じゃあ、何を、夢で見たの?」



手を掴んだ私を嫌がり、あれだけ距離を置こうとしていたのだ。かつて自分が殺されたあの魔法を警戒しての行動だと思っていたけれど…。



「…人を殺す夢だ。最初に母親。次に少しして、誰かの首を落とす夢」


「母様?」


「いや、母様じゃなかった。黒髪だったはずだから。彼女がいたところも、こんな綺麗な屋敷じゃなくて、もっと汚れていて人が住めるとは思えないところだった」



夢のことを詳しく思い出したのか、真っ青な顔で彼は話を続ける。



「金がなかった。腹が減っていた。酔っ払った男に絡まれた。鬱陶しい。だから殺そう。そして金を奪おう。それだけの考えで人を殺したんだ。まるで自分じゃないみたいだった」


「…」


「人を殺すのは…誰かを悲しませるのはいけないことなんだろう? 父様がいつも言ってるじゃないか。どんな理由があっても人を殺すのは駄目なことだって。どうして、夢の俺はあんなに…簡単に人を殺せたんだ…?」


「…私に、離れろ、って言ったのは」


「刃物を使ってなかった。よく分からない力を使って、触れもしないで、自分の倍以上伸長がある男の首を落としたんだ。じゃあ俺の近くにいたら、またあれで誰かが死ぬかもしれないだろう? だから離れた方がいいと言いたくて…」



そう言って「悪い。手、痛かっただろ」とレオは私に謝った。


あぁ、まだレオのままなのだ。彼の話を聞いて私はそう安堵した。


その夢はおそらく魔王のもので間違いはないだろう。だけど、これまで家族と過ごした時間を彼が忘れた訳じゃない。意識はレオのまま、物事の善悪もついている。


これなら、まだ殺さなくていい。まだ一緒にいられる。



「それで? 俺の夢はこれで終わりだけど、アリスの話って?」


「…ううん。まだ、いい」


「? まぁ話したくないなら無理には聞かないけど。そうだ、アリス。何か食べたいものはないか? 暗い話ばかりじゃ疲れるだろう?」



母様が何でも作るって言っていたぞ、とレオは重い空気を吹き飛ばすように明るい声で言う。私が言いたくないと思っているのを察して、話題を変えてくれたのだろう。



「ちなみに、俺のオススメはハンバーグだな」


「…ハンバーグは…飽きた…」


「何だ。いくら食べても美味しいじゃないか」


「それに、あんまり、食欲、ない…」



申し訳なく思いつつもそう返すと、ふむ…とレオは少し考える素振りを見せて「ちょっと待ってろ」と部屋を出ていってしまった。


二十分ほどして、彼はトレイに飲み物をのせて帰ってきた。「これなら飲めるか?」とホットミルクを差し出される。



「母様が、具合が悪い時に飲みたくなるって前に言ってたんだ。アリスのは蜂蜜を入れておいた」


「…ありがとう」



彼なりの気遣いだろう。素直に受け取ってお礼を言い、カップを受け取る。


しかし、一口飲んで思わず口を押さえてしまった。



「甘…」


「えっ?!」



まさか、と驚いた様子でカップを奪い取られる。レオも恐る恐る一口飲むと、うわっ…と言いたげな顔をした。



「これは甘すぎるな…」


「…ふ。い、入れすぎたの…?」


「おい、笑うなよ。適量が分からなかったんだ。仕方ないじゃないか。…笑うなってば。せっかく人が気を遣ってやったのに…」



拗ねるようにレオは口を尖らせる。その年相応の表情が面白くて、つい私は笑ってしまった。こうやって失敗に一喜一憂する姿はやっぱり人らしいと思う。



「…頭を打ったんだし、笑ったりして変に動かさない方がいいだろう」


「問題、ない。治すから」


「…治す?」


「うん。レオが夢の中で、やってるのと、同じ」



治癒魔法を見せれば、レオはまたもや酷く驚いていた。


ぽかん…と呆けた顔で「俺は今日だけで何回驚かされればいいんだ…?」なんて言うものだから、ちょっとした悪戯が成功した気分になって、また笑い出してしまう。



「おい」


「ふ…ふふ。だって…」


「おい、アリス。俺をからかっただろう。お前がそんな力を使えるなんて初耳だぞ」


「レオにそんな、驚いて、もらえると、思わなくて…」



父様たちにもまだ見せたことはないし、万が一にも魔法を使うところを見られて記憶を呼び起こさないように、と彼の前でも魔法を使うのは控えていた。


まさかこんな形でお披露目になるとは私も思っていたなかったけれど。


魔王だった彼に、魔法を見せて驚かれるなんて新鮮な気持ちだった。



「でも、いいな。お前のそれは。人を傷付けなくて」


「レオのも…使い方次第なら…」


「…どうだか。とにかくお前のが治ったならよかった。それでも、一応安静にはしておけよ」


「うん」



この日から、レオは時折悪夢に魘されるようになった。




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