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アリス・アクイラの過去 2

魔王の城に潜り込むことは、勘を使えば難しいことではなかった。


道に迷えば勘に頼り、何となく進むべきだと方向へと歩みを進める。道中で剣も拾った。これは持っていくべきだと思ったから、特に用途も思い付かなかったけれど持っていくことにした。


出発するまではできるわけがないと本気で思っていたのに、城に入る頃には、自分がすでになにをするべきか、具体的なイメージがわくようになっていた。これが「貴方様ならば必ず魔王を殺せる」と神父様が強く言い切った理由なのかもしれない。


"これ"を使えばきっと役目を果たせる。そんな予感があったのだ。


"これ"の名前は知らなかったけど、ただできることは知っていた。やり方は簡単なのだ。


魔力操作をわざと狂わせて、エネルギーを一気に放出する。私の内側に溜められたエネルギーは、私の肉と皮を突き破って一種の結界のようなものを形作り、その結界内にいる者を巻き添えにして爆発する。


魔力操作ができる者であれば、誰だってできる魔法。いや、魔法と呼ぶべきかさえ分からない。


暴走させて魔法式にのせずに放出させるだけなのだから、魔力を操作して奇跡を起こす魔法という定義から外れているのかもしれない。


そんなよく分からないものを行う自体には恐怖を感じなかった。成功するという根拠のない自信があって、成功するのならなんでもよかった。


神父様が喜んでくれるなら、なんでもよかったのだ。


そして、初めて対峙した魔王は、予想よりもずっと人に近い姿だった。


黒髪に黒目で、目付きは鋭いけれど特に凶暴そうでもない。彼は私を見て一瞬だけ驚いた顔をして、どうして人間の娘がこんなところにいるのかと尋ねてきた。


会話ができるということは少しだけ意外だった。けど、そう言えば聖書の魔王も話せていたと思い出す。



「まさか勇者の真似事ではあるまいな? 十数年に一度ほどの頻度で、お前たち人間は勇者と呼ばれる者たちを俺のところに送り込んでくる。少し相手をしてやれば、人間は脆いから簡単に手やら脚やらが折れて騒ぐのだ。鬱陶しいことこの上ない」


「『私は勇者じゃない。でも、貴方を倒すの。私は魔王を倒さなくちゃいけないから。貴方が王座に座ってから、魔族は更に力をつけた。だから、貴方を倒して、戦力を削ぐの』」



口から出てきたのは、何度も読み返した聖女の言葉。


今の私は上手く聖女を演じられているだろうか。ここには神父様も、村の人たちをいないけれど、せめて最後まで彼らにとっての聖女でありたかった。


だけど、どうしても最後の一言だけは言えなくて、私は唇を噛んで剣を構える。



「それが私の…聖女としての最後の務め。だから一緒に死んで、魔王」



魔力の流れを狂わせる。身体が悲鳴を上げた。心臓に激痛が走り、内側から何か食い破られていくような感覚がする。




―――――闇に溺れし者に鉄槌を。闇に生きる者に憐憫を。迷いし魂を大いなる流れの元へ。我の命を供として。



魔王は静かに魔法を使おうとする私を眺めている。


攻撃する意思があるように指が一瞬だけ動いたように見えたけれど、その後は特に何をすることもなく、眩しさからかゆっくりと目を伏せた。


声は聞こえなかったけれど、彼の唇がわずかに動く。誰かの名前を呼んでいるみたいだった。死ぬ間際に家族か誰か、自分が大切に思っていた人のことでも思い出したのかもしれない。


私には何故か、その姿が死を受け入れているように見えて。…人らしく、見えた。


どうして。魔族は心なんてないはずなのに。


視界が真っ白になった。








「アリス」



それが自分の名前なのだと理解した時、私ははっきりと全てを思い出した。


前世の記憶が濁流のように頭の中に流れ込んできて、まだ生まれて数か月だった赤子としての記憶がすべて塗り替えられる。


もしも前世の記憶がない赤子が本物の“アリス”なのだとしたら、“アリス・アクイラ”はこの瞬間消えてしまったのだろう。残っているのはかつて聖女と呼ばれた、名前も持たない人間だけだった。


目に入ったのは知らない女の人だった。彼女は愛おしげに自分のことをアリスと呼ぶ。その名前に、彼女からの愛情がたくさん込められているのだろうなと察することができた。



「アリスは大人しいわねぇ。泣いてばかりのレオも、ちょっとは見習って欲しいわ」



その言葉を聞いて、隣を見た私は息を呑む。


殺したはずの魔王が自分と同じ赤子の姿で安らかに眠っている。



「ふふ。よく眠ってるわ。でも夜泣きがひどいのは困っちゃうわねぇ。少しお昼寝をしてくるから、待っていてちょうだいね」



女の人はそう言って私の頭を撫でて部屋から出ていった。


周りに人の気配がないことを確認して、私は横で眠る魔王へと近付き「…どういう、こと」と尋ねた。



「貴方、の、仕業? 何を、したの?」



赤子の身体だからか所々舌が回らなかったけれど、それでもどうにか意味のある言葉を続ける。彼は答えず穏やかに眠っている。



「…」



私は彼の首に両手を回した。そして全体重をかけて、彼の気道が塞がるように力を入れる。


彼の脈がドクドクと動くのを感じた。上手く呼吸ができなくなって、身体が命の危機を察したのだろう。彼は眠ったまま眉を寄せて、バタバタと四肢を動かした。


魔物は殺さなきゃ。だって、これは生きてちゃいけないものなんだもの。


心は凪いでいた。今更、魔物を一体手をかけることくらい、なにも感じるはずがない。いつものように淡々と息の根を止めればいい。…そのはずだったのに。


彼が目を開けた。黒色の瞳と目が合う。その瞬間私は動けなくなった。


彼が、笑ったからだ。


親しい相手に向けるような、無防備な笑顔を向けられる。


ぼとっ、と涙が溢れた。



「どうして…笑うの…」



抵抗してよ。殺そうとしてよ。


どうして笑うの。


どうして、心があるみたいに振る舞うの。


手から力が抜けていく。唇を噛んで、何度も絞め殺そうと思うのに、そんな意思に反して私の手は動いてくれなかった。


魔物は心がないんでしょう?


お願いだから、そう信じさせて。


そうじゃなきゃ…私は一体、今までなんのために頑張って来たの。



「…」



私は彼を殺すことができなかった。


彼には記憶がなかった。私が使ったあの魔法がどういう風に働いたのかは知らないが、魔力もほとんどなく、ただの無害な赤ん坊に過ぎない。


記憶がないなら、と自分に言い訳をした。


記憶がないならこの子はまだ殺さなくていいんじゃないだろうか。この子が凶暴さを現した、その瞬間に殺しても遅くはないんじゃないだろうか。


この子が魔物としての本性を表したその時は、きっと私はなんの躊躇いもなく殺すことができる。神父様の教えは正しかったのだと安心することができる。


魔族と人間は相容れない存在で、魔物を人のように扱うのはおかしなことなのだと今度こそ信じ切ることができる。


だから、その時までは。


そう自分に言い聞かせる内に二年が過ぎた。



「アリスは喋らないわねぇ」



眉を下げ困ったようにそう言う女性は今世の母だ。柔らかな茶髪に、優しげな微笑みをいつも浮かべている人。


いい人なのだとは分かっているのだけれど、私にはどうしても"母"という存在が受け入れられなかった。母親だけでなく、父親もそう。


前世の記憶がある分、どうしても前の記憶に引きずられて、他の子供のように純粋に彼らを慕うことができない。


彼らが望む、普通の子供でないことに申し訳なさを感じてはいる。


何の罪も、責任もない人たちなのだ。それなのに私と魔王の生まれ変わりである彼を押し付ける形になってしまった。けれど、だからといって、普通の子供のふりができる訳ではない。



「ほら、ドレスよ。可愛いでしょう?」


「…」


「ド、レ、ス。待って。ドレスは発音が難しいかしら…。か、わ、い、い」


「…」


「うーん、何だったら真似してくれる?」



目の前で困ったように母が微笑んでいる。


私は二歳を迎えても彼らの前で言葉を話さなかった。"アリス"になる前から、私は自分の意思で、自分の考えを話すのが苦手だった。


おそらく十年間人の声が聞こえない場所で過ごし、その後も我が儘を言わないようにと口を閉ざしてきた期間が長かったせいだろう。


口を開く度に、いつも、あの雪の日が脳裏を過るのだ。


もう誰かから失望されたくはなかった。もう悲しい思いはしたくなかった。


だから誰にも口をきかず、誰も慕わず、誰にも期待せず。そうやって日々を過ごしていくつもりだった。



「ありす」



舌足らずな声で名前を呼ばれて、私はその声の方へ視線を向ける。


魔王だった彼…今世では兄となったレオが、私の服を掴んできていたのだ。



「いこ」



レオは私の手を取って、ぐいぐいと引っ張っていく。大人もいないのにどこへ? と疑問に思ったけれど、すぐに部屋のドアが開いているのに気が付いた。誰かが閉め忘れていたのだろう。


そしてどうやらレオは二人で外に出たいようだった。


特に外に出る気も起きず、自分は行く気がないと分かるようにずっと座ったままでいたが、レオは不思議そうに首を横に傾げて、じっ…とこちらを眺めている。一人で行く気はないらしい。


私は仕方なく立ち上がり、彼の望む通りに付いていってあげることにした。


曇った灰色の空から、しんしんと雪が降っていた。


レオが連れてきたのは屋敷の庭だった。


どうせすぐに使用人に見つかって連れ戻されると思っていたのに、運がいいのか悪いのか、誰にも発見されずに庭に出ることができたのだ。


その雪景色を見た時、私は雷に打たれたみたいに動けなくなった。


あの日も、こんな景色だった。…そう思うと、もう駄目だったのだ。


「嫌っ…!!」



私はレオの手を振り払った。私よりも小柄だったレオはぽすんと尻もちをついて、目を丸くしながら私を見上げる。


怖かった。肌を指すような寒さも、この銀色も、全てが怖かった。


その場にうずくまって、その場で泣き崩れた。ごめんなさい、ごめんなさい、とかつての自分の叫び声が頭の中で響く。


嫌だ。怖い、怖い―――。


そんな感情に心が塗り潰されそうになった瞬間、ベチャと頭が重くなった。


次に感じたのは冷たさだ。頭にのせられたそれは私の体温で溶けて水になり、私の髪をベチャベチャに濡らしていく。



「かみ、いろ、おなじ」


「…」


「ゆき、おなじ、きれい」


「…」


「きれい」


「…………冷たい」



犯人はレオだった。彼は両手に雪をすくい、ベチャベチャと私の頭にのせていく。どうやら私の髪色と雪の色が同じだと言いたいらしい。


私は恐怖に震えていたのも忘れて呆気にとられた。雪の色と同じだからと、頭に雪をのせられるなんて体験は初めてだったのだ。



「ゆき」


「…えっと」


「かみ」


「…あの、つめた…」


「おなじ」


「………やめ…」


「きれい」


「………うん。ありがとう」



彼に悪気が一切ないのは見れば分かる。


彼なりに髪色が綺麗だと褒めてくれているのだろう。そしておそらく、雪をのせるという行為は、彼にとっては髪を雪で飾っているということなのだろう。


怒る気にもなれず、頭に雪の山をのせてされるがままになっていると、突然レオは雪をのせるのを止めて、のせた雪ごと私の頭を撫で始めた。



「おなじ、で、きれい、から、こわくない」


「…ぇ…?」


「もう、こわくない」



どうして…。驚く私をレオは抱き締めてくれた。



「こわかったなぁ」



拙い言葉でそう言われた。その言葉に深い意味はないはずだ。


彼には記憶がなく、以前の自分とは面識がなかったのだから私の過去を詳しく知っているはずがない。


それなのに。怖かったなと言われて、私は涙が止まらなくなった。



「こわ、かった…」



レオの背中に恐る恐る手を回すと、レオはまたぎゅっと抱きしめ返してくれる。


そして泣き始めた私を見て、彼は首を横に傾げた後、よしよしと頭を撫でてくれた。


私は彼の肩に顔を押し付けて泣きじゃくった。初めて声を上げて泣いた。


痛くて、苦しくて、嫌だった。本当は治療なんてしたくなかった。人は救いたかったけど、もう苦しい思いなんてしたくなかった。神父様に普通に愛してもらいたかった。


レオは、ただ静かに私の話を聞いて側にいてくれた。不思議そうにしながらも耳を傾けてくれた。ただ隣にいてくれた彼の存在に私は救われたのだ。


その後、私たちは大人に見つかって、レオは酷く咎められてしまった。傍目から見れば、兄が妹に雪を被せて、妹がそれに泣いているという光景だ。レオが私を苛めていたと思われるのも無理はない。


弁解もせずに口をへの字に曲げて、黙って叱られるレオを見ていられなくなった私は、母の裾を掴んで言った。



「母様。レオ、悪くない。怒ら、ないで」



言葉を全く話さないと思っていたら、ある日突然、単語どころか文章を話し始めたのだ。母様は目を点にした。気味悪がられるだろうか、と心配になったのも一瞬で、母様は目を輝かせて私を抱き上げた。



「まぁ! やっぱり想像通りだわ!! アリスの声ってとても可愛い!!」


「…かわいい?」


「どうしましょう、私の娘が世界一可愛いわ! 今日はご馳走ね。腕によりをかけて作るわねぇ」



抱き締められて、可愛い、可愛い、と頬擦りをされた。ただ言葉を話しただけなのに、ここまで喜ばれるとは予想していなかった私は不思議に思った。



「どうして、母様が、喜ぶの? 私が、話しただけで」



母様は、キョトン…とした顔をして小首を傾げる。



「愛しているもの。子供の成長を実感するほど喜ばないものはないでしょう」


「それだけ?」


「ええ、それだけよ?」


「…ちゃんと、しなくて、いいの? だって、私は、他に何も、できない…」



まぁ…そんなことを思い悩んでいたの? と彼女は優しげに微笑んで言ってくれた。



「貴方が幸せに自分らしく育ってくれたら、私は幸せだわ。それだけでいいの」



その言葉にどれほど心が軽くなったことだろう。


その日から私は少しずつ、新しい家族の人たちと話すようになった。


私が“アリス”になれたのはレオのおかげだった。



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