英雄 4 (三人称)
「起きて」
朝、起きると目前にアリスの顔があった。ライアンはすっとんきょうな悲鳴を上げて、「な…な、な…」とパクパクと口を開け閉めする。
旅支度といった服装だった昨日とは打って変わって、アリスは真っ白なワンピースを着ていた。横から光に照らされたその姿はとても可憐だ。
「朝食。レオ、もう起きてる。あとは、貴方だけ」
アリスはそれだけ伝えて、用は済んだとばかりに梯子から下りていく。
「か、可愛い…」
一人残されたライアンはそう呟いた。
「これはここに?」
「ええ、そうよ。助かるわぁ、ライアンは何にも手伝ってくれないんだから」
「母様、の、手伝い、慣れてる。役に立てた、なら、よかった」
一階では既にレオたちが起床していて、ロージーの手伝いをしていた。ロージーは下りてきたライアンに気付いて、「私の息子も、この子たちを見習って欲しいわねー」とライアンに聞こえるようにわざと大きな声で独り言を言う。
余計なお世話だ、と思いながら、ライアンは母を睨んで席についた。薪を割っていたサイラスも戻ってきて、五人で食卓を囲む。
サイラスはアリスを見て、「おっ! それ、貸してやったんだな」とロージーに言った。
「私が昔着てたワンピース、ぴったりでしょう? 思い入れがあるものだから捨てられなかったのよ。着てもらえてよかったわ」
アリスが着ていた服はロージーのお下がりだ。アリスも気に入っているらしく、「貸して、くれて、ありがと」と嬉しそうにしていた。
「二人はこの村は初めてなのよね?」
「はい。そうなりますね」
「じゃあ案内が必要ね。ライアン、貴方が村のことを色々と教えてあげなさい。子供同士の方が何かと気楽で楽しいでしょう」
「ええっ?! 俺が?!」
当然話題に出されてそう言われ、ライアンは思わず立ち上がった。立ち上がってからアリスの視線が自分に向いているのを感じ、恥ずかしくなりながら、静かに座り直す。
ロージーはそんな息子の様子に首を横に傾げていたが、サイラスは、何か通じるものでもあったのか、はっ…とした顔をした。
そして「分かる…分かるぞ、息子よ。だが勇気を出すんだ。美人は待っていても振り向いてくれない。口説く力も男として必要不可欠な能力だ」と神妙な顔で言う。
普段は尊敬する父であるが、ライアンは余計なお世話だと、無性に父を殴りたくなった。理由は分からないけども。
「? 嫌、なの?」
アリスが隣に座るライアンの顔を覗き込んでくる。
ち、近い…。ライアンは心の中で悲鳴を上げる。
だが、嫌な訳ではないのだ。決して。ライアンだってアリスと話してみたいとは思っているし、叶うことなら仲良くしたい。
このまま黙っていては、案内するのが嫌だと勘違いされてしまうだろう。そう思ってライアンは無言で何度も頷く。了承した、という意味だ。
こうしてライアンは、レオとアリスの二人を町に案内することになった。
アリスは着ていたワンピースに加えて、バッグから綺麗な帽子を取り出してきた。つばが広く、青いリボンが巻かれているものだ。色も白であるから、ワンピースとよく似合い、まるでその二つは初めから、彼女のために作られたもののようにさえ思える。
見惚れるライアンとは対照的に、帽子を見たレオは呆れた声を上げた。
「まさかそれを持ってきたのか? 気に入っているとはいっても、山に登るとあらかじめ言っていたのに?」
「父様、から、贈り物。使いたい」
「普通は登山でそんなものは使わない」
「でも、実際に、今、使ってる、もの。…それとも、似合って、ない?」
「孫にも衣装だな」
「酷い」
「冗談だ。お前に、よく似合っている」
「それだけ気に入ってもらえたのなら、きっと父様も喜ぶだろう」とレオが言えば、「うん」とアリスは明るく返事を返した。
固まっている自分を放って、二人だけで会話をしているレオたちを見て、ライアンは面白くない気持ちになる。
まるで自分なんか見えていないみたいに。兄妹であるなら仲がいいことも分かるけれど、自分にも感想を聞くくらいしたらいいだろうに。
どうにか関心を引きたくて、ライアンはわざと大きな声で言った。
「ま、まぁ?! 多少は見れるようになったんじゃないか? 昨日は薄汚れた鼠みたいな格好だったからな!」
アリスとレオは揃って目を丸くした。
顔が全く似ていない二人だが、こうやって同じ顔をしていると、やはり兄妹と言うべきか雰囲気が似ているものだな、とライアンは関係がないことを考えた。自分が今、言った発言を省みることはせず。
悪気はない。彼は精一杯に褒めたつもりなのだ。
「…ありがとう?」
「俺が褒めてやったんだ。ありがたく思えよ」
「うん?」
ライアンは反応が返ってきたことに満足し、きちんと伝えられた満足感に浸りながら、二人を置いて歩き始める。自分が案内人なのだから、二人は勝手に付いてくるだろう。
「…父様と同じタイプか? いや、まだ辛うじて褒める意思があると分かるだけ、父様の方がマシか…」
機嫌よく歩みを進めるその背中を、レオは残念なものを見る目で見つめていた。
「この辺りは父さんの葡萄畑。収穫する時期になったら、足で踏んでジュースにする。俺もやるけど、かなり疲れる作業だ」
「その後は?」
「そっ、その後はっ! 発酵させてから、樽の中に入れて熟成させたりして、それでワインを作る。意外と手間がかかるんだ」
「そう。大変、だね」
「まぁな! 俺にとっては大した手間じゃないけど!」
ライアンが一番前を歩き、その次にアリス、レオと続く。
アリスはこの村の風景が物珍しいのか、キョロキョロと辺りを見回しては、これは何かあれは何かとライアンに尋ねた。ライアンはそれに得意そうに答える。
気になっている子が、自分に教えて欲しいとねだってくるのだ。だから、ライアンは自分は何でも知っているといった風に、胸を張って、村のあれこれを教えてやった。
レオは、後ろから前の二人を興味深そうに眺めた。はてどう転ぶのやら、楽しみだ、と呟きながら。
三人は湖にやって来た。空や周りの緑を映し、スカイブルーやエメラルドグリーンといった色が混ざり合う、息を呑むほど美しい湖だ。
「綺麗…」と、思わずアリスの口から感嘆の声が漏れる。
「この湖は村の名物なんだ。これを見るためだけに、山を登ってくる人がいるくらいだからな」
「詳しい、ね」
「まぁな。観光する人が俺みたいな子供に案内を頼みだがるから、小遣い稼ぎで皆よくやってる。やっぱり仕事で忙しい大人に頼むよりも、子供と話す方が気楽らしくてさ」
「すごい」
「そ、そうか?!」
アリスとライアンが湖の話題で盛り上がる一方、レオはふと近くの大岩に目を向けた。岩の表面に絵やら文字やらが刻まれているのだ。
レオが眺めているものに気が付いたライアンは、あぁ、と思い出したように説明をした。
「それは石碑だ。この辺りで言い伝えられている話について書いてある」
「話とは?」
「昔、この村を襲った呪いについて。村の人口が三分の一になるくらいの被害だった…って聞いてるけど、呪いなんて馬鹿らしいよな。その石碑だって古い文字や意味が分からない絵ばっかで、何を伝えたいのか分からないし」
「なるほど…古代文字か」
「何だ。こんなのが気になるのか? どうせ俺らみたいな子供に分かるはずがないだろ」
「…」
「おい、聞いてるのか」
黙りこんで無視をするレオに、ライアンは苛立ちを覚える。何なのだろう、こちらを馬鹿にしているのだろうか。
まだ出会って二日だが、ライアンはどうにもこのレオに対して苦手意識が生まれつつあった。
何を考えているのか分からない、意味不明、気まぐれ、という印象から、今ではすっかり、無口で根暗な奴め、という悪印象を持つまでになっている。簡単に言えば気に食わないのである。
頬を膨らませてレオを睨んでいると、「喧嘩、は、駄目」とアリスに窘められる。渋々ライアンはレオを睨み付けるのを止めた。
二人を案内している最中、テッドの母親に出会った。
「あら! ライアンちゃん!」
ライアンも挨拶を返し、レオたちも頭を下げる。後ろの二人の存在に気がついた彼女は、あら、と目を丸くしてから「あぁ、噂の」と思い出した顔をした。
「可愛らしいお客さんだこと。この村に来る人は時々にいるけどね、子供は流石に初めてだね。都会からかい?」
「ええ、まぁ」
「やっぱり! 何だか上品な感じがするものねぇ」
レオがそう返事をすれば、テッドの母親は人のよい笑みを浮かべて頷いた。そして「人数が増えたなら、その分食べる量も増えるだろう。これを持ってお行き」と手持ちの野菜をライアンに手渡す。
ライアンが慌てて礼を言えば、「いつもウチの息子が世話になっているお礼だよ」と言われた。
「あの子ったら、家ではいつもライアンちゃんの話ばかり。憧れなんだってね。どうかこれからも仲良くしてあげておくれ」
以前テッドと母親は喧嘩をしていたが、普段は仲のよい親子だ。気弱ながら母親を気にかけるテッドと、心配性ではあるものの気弱な息子を案じる母親。そして、息子が憧れていると言うライアンのことを彼女もよく思ってくれている。
少しばかり気恥ずかしく思いながらもライアンは、はい、と彼女の言葉に返した。