英雄 3 (三人称)
ライアンの父であるサイラスが帰ってきたのは、その二日後のことだった。大きな怪我もなく、獲物も捕まえることができた。
そこまではいつも通りだったのだが、一つだけ普段とは違うことが起こった。村に帰ってきた者たちの中に、見知らぬ黒髪の少年と銀髪の少女が混じっていたのだ。
彼らとは山の中で出会ったらしい。年齢はもうすぐ六歳になると言う。
二人は、この辺りの山で咲くとされる貴白という花を探しに来たと言った。貴白は珍しい植物で、ここで生まれ育っているライアンでさえ、名前は聞いたことがあっても実際に目にしたことはない。
その花を見つけるまでこの辺りで滞在しようと思っている、どこか宿はあるか、と彼らに尋ねられ、幼い子供二人だけの旅を案じたサイラスが「なら、俺の家に来たらいいじゃないか」と誘ったらしかった。
こうして暫くの間、ライアンはその二人と同じ屋根の下で暮らすことになった。
「ほら、ライアン。挨拶しなさい」
ロージーは、借りてきた猫のように大人しくなったライアンを小突く。
「ラ、ライアン・コリンズだ。…よろしく」
母に急かされ、ライアンはやっとの思いで名乗った。言い終わってから後悔する。喉がからからに乾いていて、声がみっともなくかすれていたからだ。
「嫌ねぇ。ライアンったら柄にもなく緊張しているのかしら。ロージー・コリンズよ。自分の家だと思ってゆっくりしてちょうだいな」
ロージーは特に気負った様子もなく名乗り、「貴方たちの名前を聞いてもいいかしら」と子供たちに優しく尋ねた。
「レオと言います。ご迷惑をおかけすると思いますが、どうぞよろしくお願い致します」
「アリス。よろしく」
黒髪の方はレオ、銀髪の方はアリスと名乗った。
アリス…そうか、アリスというのか…。
銀色の髪に、銀色の瞳といった神秘的で、愛らしい少女。
彼女の名前を知り、ライアンの心臓は忙しく脈打った。
彼女の姿を初めて見てからというもの、どうにもこんな調子が続いているのだ。暑くもないというのに汗をかき、心臓の音が大きく聞こえる。何故だか気恥ずかしくて、目を合わせることができない。
しかし、ライアンは自分の心をかき乱す、その感情の名前をまだ知らなかった。
ライアンの家に客人のための部屋はない。そのため、レオはライアンの部屋で、アリスは物置きとして使っていた部屋を掃除してそこで寝るということになった。
最初は、まだ子供なのだし、ライアンの部屋で三人で寝たらいいのでは、と両親は話していたが、ライアンが全力で反対した。目を合わせることさえ叶わぬというのに、同じ部屋で寝るなど緊張でどうにかなってしまいそうだ。
アリスは元々気が強い方ではないのか、どちらでも構わない、と言っていたけれど、最後にはレオが「そこまで言うのなら、物置きでも掃除すれば十分に寝れると思いますが。アリスは隙間風の強いボロ家で寝たこともありますからね」と言って、そういうことに決まったのだ。
「お前とあの子はどんな関係なんだ」
共に食事を終えて、ライアンとレオは二階で二人きりになった。
大きなバッグを下ろし、荷物の整理をしているレオにライアンは問いかける。妙に喧嘩腰な言い方になってしまった。
「どんな、とは?」
レオは、ライアンを一瞥し尋ね返す。
「み、妙に仲がいいみたいじゃないか。しかも子供二人で旅なんて…何か事情があるんだろ」
「事情も何も申し上げた通りです。貴白を探しに来たんですよ。アリスは勝手に付いてきました」
「だ、だからっ、付いてくるって言うのも、仲がいい証拠だ!!」
レオは一瞬、は? といった顔をした。次の瞬間には上手く表情を取り繕っていたが。馬鹿にされたと思ったライアンは、顔を羞恥に真っ赤にさせて、「だ、だからだなっ!」と続ける。
「お前とあの子は…ただの友だちか何かなのか…って聞いてるんだ」
「…あぁ。なるほど、そういう」
レオは腑に落ちた、といった顔をした。そして口角を上げ、面白がっている声色で言う。
「いいことを教えて差し上げましょうか?」
「…何だ?」
「僕と彼女のファミリーネームは同じなんです」
「ファミリーネーム…」
つまり、それって…。ライアンは期待するような眼差しでレオを見つめる。彼は口元に手を当てて笑いを噛み殺しながら言った。
「アリスは妹で、外見は似ていませんけれど双子ですよ」
「本当かっ!!」
「ええ」
よかった…とライアンは安心した。安心して、そしてふと疑問に思う。どうして自分は今、安心したのだろう? 彼女が誰と仲がいいかなんて自分には全く関係がないことなのに。
まぁ、いいか。理由は分からないけど、兎に角、よかった。
安心すると眠くなってくる。ライアンはベッドに寝転がった。
レオは荷物の中から事典のような分厚い本を取り出していて、月明かりでそれを読んでいる。
山を登っていたと聞いているが、まさかそんな重そうな本を抱えて、山の中を歩き回っていたのだろうか。
「おい、何を読んでいるんだ?」
「…」
ごく自然に無視をされた。読書中は話しかけるなということだろうか。
ライアンはむっ…とした。
いけ好かない。よく分からない奴だな。喋りかけられたら話すだろう、普通。
ふんっ、とそっぽを向いて目を閉じる。話しかけて欲しくないなら、こっちも放っておいてやるさ。ライアンは勝手に眠ることにした。