誕生祭 24
数日後。俺たちはエヴィたちの家へと来ていた。俺の隣にはアリスと、治癒魔法で体調が改善したアーラが座っている。
「借金、無事に返せたわ」
真剣な顔でそうエヴィは切り出した。アリスとアーラは顔を明るくし、それはよかった、ほっとしたと口々に祝いの言葉をかける。
「…それで、残ったお金なんだけど、本当にもらっていいの?」
「アリスが、金銭に困っていないのならお前に渡せと五月蝿いんだ。好きに使えばいい。生活費の足しにするなり、お前の夢に使うなりな」
「…そう」
「今度は上手く隠しておけ」
「分かってるわよ」
今回の賭場で稼いだ金は、エヴィたちが負っている借金の分を引いてもかなり残っている。
俺が稼いだのだから残りは回収しようかと思っていたのだが、アリスがエヴィにあげたいと言って聞かなかったので俺が折れる形になった。元々博打で稼ぐのは好きではないしな。
「…それで、その…。途中からの記憶がない僕が、聞いてもいいことか迷うんですけど…お祖父さんの方は大丈夫でした?」
アーラが、おずおずと躊躇いながら尋ねる。
話を聞いたところ、アーラはあの日の記憶をぼんやりとしか覚えていないらしい。熱があったことも気付いておらず、兎に角エヴィを何とかしてやろうという気力だけで動いていたようだ。
アリスの治療を受け終わった彼は、この通り元の気弱な性格に戻っている。目が覚めて「僕、何かしました?」と尋ねる彼に、「あぁ、エヴィの祖父に喧嘩を売っていたな」と教えてやれば、声にならない悲鳴を上げていた。
面白かったので「酒もかけてな、『救いようがないくらいの馬鹿なんですねぇ。僕よりも頭が悪い人、初めて会いました』と大胆不敵に笑っていた」とまで言ってやると、彼は一瞬にして顔を真っ青にし、「え…何なんですか、それ…黒歴史確定? 僕って厨二病を患ってたんですかね? え、二十歳にもなって? え、死ぬ…死にたい…」と呟いていた。
それからは縄を手に持って、じっ…とそれを見つめているので、止めるのには苦労したが。
「あぁ、そうよ! お祖父ちゃんのことで、アンタに聞きたいことが」
そこまでエヴィが言いかけた時、上からガタガタッと音がした。
誰かが慌てて飛び起き、そして勢い余ってベッドから落ちたような音だ。その音の後に、「頼むッ! 悪かった!! 悪かったから!! 綿の中に埋めようとするのは止めてくれっ!!」と叫ぶ声が続く。
エヴィの祖父の声だ。綿の中? と俺たちは首を横に傾げ、エヴィに説明を求める視線を向ける。
「ずっとこの調子なの。アンタが薬をかけてからだから、てっきりアンタの仕業だと…」
「あれはただの眠り薬だ。特別な効果はないぞ。あの反応だと悪夢か何かか?」
「ええ。縫いぐるみの大群に襲われる夢を毎日見るんですって。毎日のことだから精神的にも参ってきてるみたいで。機嫌が悪くて私に八つ当たりした日なんて、酷い悪夢だったそうよ。だから、前よりもずっと大人しくしてくれて、助かってはいるんだけどね」
「縫いぐるみ?」
テディベアに襲われる悪夢。はて、どこかで聞き覚えがあるような…。
「エヴィ」
アリスがエヴィの名前を呼んだ。そこで俺たちの会話は中断され、エヴィは「…何かしら?」とアリスに尋ねる。
どうやら彼女は考えの読めないアリスに対して、どこか苦手意識を感じているらしい。かといって別に嫌いという訳でもなく、俺のように突っかかることもできずに、どう話せばいいのか戸惑っている印象だ。
「話、聞いて、きたの。マリー、お手伝い、欲しいって」
「…通訳を頼むわ。そもそもマリーって誰よ」
「近くで薬屋を開いている夫婦がいる。その妻の名だな」
「うん。レオに、ハンドクリーム、もらって、思い出したから、会いに行った。で、ルークのお世話、大変、らしくて」
「…通訳、ルークって?」
「少し前、その夫婦に子供が生まれてな。随分と活発な子だそうで、世話で忙しいと言っていたぞ。育児で手一杯で仕事にまで手が回らないらしい」
「…つまり?」
「仕事の斡旋じゃないか?」
エヴィは立ち上がって、目を輝かせた。
「働かせてもらえるの?! 勿論、給金は出るのよね?!」
「うん」
「本当に?! 私みたいな子供でも?!」
「うん。あと、ルークの、遊び相手に、なって欲しいって」
「二言はないわね?!」
「うん。嘘じゃない」
それを聞いたエヴィはアリスに抱き付いた。「エヴィ…ちょっと、苦しい…」とはにかみながら言うアリスに、エヴィは涙声で礼を伝える。
「一件落着って感じですねぇ」
アーラは微笑ましげに目を細めて、ゆったりと紅茶を口にする。彼のそんな様子を見て、俺も同じく紅茶を飲みながら「…ところで」とアーラに話しかけた。
「絵を仕上げろと言っていた期日が明後日なんだが、それだけ落ち着いているということは、既に仕上がっているんだろうな?」
「げほっごぼっっっ…!!」
「うわ…汚い…」
アーラは茶を吹き出した。唾液混じりの紅茶が辺りに飛ぶ。俺は顔をしかめながら後ろへと下がった。
「なっなななな何のことでしょうっ?!」
「明後日。期日。絵を仕上げる。俺はちゃんと言ったぞ?」
「えっ…???」
「…期日に仕上げることもまた一種の契約だ。破ればどうなるか、理解しているな?」
俺は笑顔を浮かべ、アーラにだけ見えるように懐からナイフを取り出す。さぁ…と彼の顔はますます青くなった。
「やってないなら、今すぐ取りかかれ。行け」
「イエッサー!! すぐに向かいます!!」
アーラは血相を変えて、飲みかけの茶も放り出し全速力で出ていった。急いで行けとは言ったがバタバタと慌ただしいものだ。
俺は紅茶を飲み干し、立ち上がって「用事は済んだだろう? 俺たちもそろそろ出るぞ」とアリスに声をかける。アリスを連れて部屋を出ようとすると、「ち、ちょっと待って!」とエヴィが引き留めた。
まだ何か用が? と視線で問う。エヴィはうっ…と言葉を詰まらせ、視線をそらしながら言った。
「ア、アンタのおかげで助かったわ。私だけじゃ解決できなかったと思うし…。その、だから…ありがとう。…レオ」
癪だけど礼は言う、といった苦々しい顔をして礼を述べる彼女。
「どういたしまして、エヴィ」
感謝する人間の顔じゃないな、と笑いながら俺はそう言葉を返した。
帰り支度を整え、家の玄関に立つ。エヴィは祖父の様子を見に行ったので、俺とアリスだけだ。そう言えば、と俺はアリスがこのところずっと持ち運んでいたバッグを指差した。
「それ、何が入っているんだ?」
試験管や小瓶などの薬を持ち歩いている俺とは違って、基本的にアリスは荷物が少ない。常に持ち歩いていると言えば杖くらいのものだろう。
しかし、エヴィの宝探しに付き合い始めた辺りから、何故か妙に膨らんだバッグを持ち歩くようになったのだ。アリスが「これ、はね」と開いて、中から何かを取り出した。
縫いぐるみだった。首の辺りが拙く縫われている。俺が首を引きちぎった、エヴィの縫いぐるみだった。
「頑張って、繕った」
アリスは自慢げに胸を張る。そして玄関の近くにあった机の上に縫いぐるみを置き、その頭を撫でた。
「お祖母ちゃん、の、代わりに。これからも、この子が、エヴィを、見守るの。でも、ずっと、首が取れたまま、だと、痛そうと思って」
「…代わりに見守るとは?」
「? そのまま、の、意味」
アリスはそれだけ言って満足し、玄関から外へと出ていく。全く、アリスの言葉は俺でさえ理解不能な時がある。
俺が縫いぐるみへと視線を戻すと、少し歪んだそれの両目と目が合った。二階からは未だにエヴィの祖父の、縫いぐるみが、綿が、という叫び声が聞こえている。
「縫いぐるみに襲われる夢か。ただの偶然、はたまた、孫を案ずる祖母の気持ちが奇跡でも起こしたのか、それとも別の何かか…」
縫いぐるみは答えない。身動き一つせず、静かに座っているだけだ。
「事実は小説より奇なり。世の中には俺でさえ予想もつかないような、不思議なことが起こるものだな」
外から俺を呼ぶアリスの声がする。その声に返事を返し、俺はその場を後にした。