魔王と聖女の転生日記
俺が生まれたのは、魔族の中でも特に弱い奴らがひっそりと住むごみ溜めだ。母親は娼婦で、父親は初めからいなかった。母は俺を生んですぐに死んだ。
母は魔族で最弱の部類で、だからこそこんな場所で他の強い者たちに頭を下げて怯えながら生きていた。母の様子を、俺は腹の中から見ていた。
顔も知らない父親が魔力が強かったのか、それともただの神の気まぐれなのかは分からないが、俺は母とは違って魔力が生まれながら…否、生まれる前、胎児の時から強かった。だからこそ、腹の中で既に自我が芽生え、腹の外の様子を学ぶことができたのだ。
自分が外の世界へと出ると同時に、母親を失ってもそこまで困ることはなかった。ここでの生き方は腹の中で知ったし、少なくともこのごみ溜めのなかでは己は力が強い部類であることを自覚していたからだ。
力があるならば、食うに困ることはない。力があれば身を守れる。力があれば、どうにか生きられる。
「ヒィィ…止めてくれ!頼むから!!」
「金を寄越せ」
ビシャ…。ベットリとした赤黒い液体を頭から被る。俺は不快感に顔をしかめた。
人を殺したのは、五歳の時だった。ごみ溜めで他者から物を奪うといっても、別に大したものではない。せいぜい、腐りかけの、まだ食える食料。それだけでは、一日を生き延びるのが精一杯だった。
他に方法はないだろうか…。考えていた時に、目の前に酔っぱらいがいた。近付けば香る強い酒気から、どうやら相当酔っているらしいということが分かる。よくよく見れば、かなり身なりがいい。
俺は、不必要な殺しを避けてきた。意味などないだろうと考えていたからだ。だから、この時もただその男の懐に手を入れて、中にあるであろう金を盗むだけのつもりだった。
しかし、男は俺に絡んできた。終いには、俺に拳を振り上げた。だから、殺した。幼子の純粋な力では勝てないと分かっていたから、魔法を使って。
「金…は結構あるな。当分はもつか」
死んだ男は職があったらしく、そして今日は給金が与えられたらしい。俺は、金の数を数えてから立ち上がり、首から上部が失くなった死体を置いてその場を後にした。
生きるためにそんな行為を繰り返していたら、いつの間にか俺は多くの魔物から恐れられるようになった。俺は「魔王」と呼ばれ、魔族を統べる存在になったのだ。
魔王になったからと言って、俺の本質は変わらなかった。必要ならば、策を練り、他者から奪い取ってでも手に入れる。俺の考えに異を唱える者の声には耳を傾ける。だが、俺に刃を向けて反旗を翻そうとした者は容赦なく命を奪う。
それだけで、畏怖を集められた。
ある時、王座に座る俺の前に一人の少女が現れた。最初は、また魔王を倒してやろうと考える幼稚な勇者が現れたのかと考えたが、その少女を少し違った。白銀の髪に瞳。手には小振りな剣を持っているが、その服装は鎧でも何でもなく軽装だ。まさか、と驚き俺は目を見開く。しかし、すぐに冷静さを取り戻して問いかけた。
「…人間か。ただの村の娘が迷い込んだか」
少女は「…違う」と否定した。
「では、何だ。どうして魔族の…魔王の城にいる?」
この世界には魔族の他に人間という種族がいる。しかし、その種族は魔族よりも圧倒的に持っている魔力量が少なく、彼らは自分たちよりも強い我らを恐れて、魔族が手を出しにくい場所でひっそりと隠れ住んでいる。
だから、魔族がいる場所、しかも特に恐れられている俺の前にいるはずがないのだ。…本来ならば。
俺は、彼女の持つ剣を見て言った。
「まさか勇者の真似事ではあるまいな?十数年に一度ほどの頻度で、お前たち人間は勇者と呼ばれる者たちを俺のところに送り込んでくる。少し相手をしてやれば、人間は脆いから簡単に手やら脚やらが折れて騒ぐのだ。鬱陶しいことこの上ない」
確かに、前の勇者を適当に相手してから十三年が経つ。そろそろ誰か来るのかと思ってはいたが…。
否、違うだろう。女の勇者は今までにも何人かいたが、この娘が所持している武器は、剣だけだ。それにその剣も特別な力は感じない。ただの鉄の刃。これで魔王を倒そうと考えるはずがない。
勇者じゃない、と彼女は言った。
「私は勇者じゃない。でも、貴方を倒すの」
少女は、剣の先をゆっくりとこちらに向けた。彼女からは、魔王を倒してやろうという気迫も殺気も感じなかった。
「私は魔王を倒さなくちゃいけないから。貴方が王座に座ってから、魔族は更に力をつけた。だから、貴方を倒して、戦力を削ぐの」
それが私の…聖女としての最後の務め。だから一緒に死んで、魔王。
彼女はそう言って、剣を上へと振り上げる。辺りが目映い白い光に包まれ、俺は耐えきれずに目を閉じた。
ーーーーー闇に溺れし者に鉄槌を。闇に生きる者に憐憫を。迷いし魂を大いなる流れの元へ。我の命を供として。
彼女が唱えた呪文は、自爆魔法だった。