嘘と罠
包みこまれるような柔らかなベッド。
まるで水面に浮かび揺蕩うかのような心地よさに身体が起きるのを拒否する。
嫌がる身体を無理矢理起こしてカーテンを開く。
『夢じゃ、ないんだな』
昨日、魔王城へと案内された俺はクドレアの本当の思惑を知った。
召喚された異世界人の大半は、驚き、恐怖し、自らの生へと固執し、元の世界への帰還を願う者が多いようで、この世界に興味を持ち、移住を考えるものは稀らしい。
俺とクドレアの会話の中で、俺がこの世界へ興味を持った事に気付いたクドレアは、俺を気に入って城へと連れてきたのだと言っていた。
本来の目的は異世界人を使った実験で、この世界へとやってきた異世界人は稀に異質な能力を発現するため、その解明に使おうと考えていたらしい。あの場にいた大半の者が知ることらしく、今後の俺の身の安全を考慮し、あのような形になったのだという。
『おお、起きておったか!これから少し散歩にいく。お主も一緒にどうだ?』
突然部屋に入ってきたクドレア。
誘いを断る理由もなし、むしろ話ができるチャンスだ。
俺はクドレアを追うようにして部屋を出た。
昨日は恐怖や精神的疲労でゆっくり見ている余裕もなかったが、改めてみると魔王城の大きさには驚きを隠せない。
造りは西洋風で、城というよりも、館や、屋敷という表現の方がしっくりとくる。
魔王城の周辺は一面が野原で、遠くに山と湖が見えるだけで、他には何もない。辺境の地、言わば田舎である。
『ウルスラよ、我に聞きたい事があったのではないか?』
そうだ。観光もしたいところだが、俺にはまだ聞くべき事が山ほどある。
それに、俺の勘違いでなければ、クドレアは俺の為に時間を割いてくれているのだ。無駄にはできない。
庭の片隅にあるテラスで俺はクドレアに昨日抱えていた疑問、この世界の事、これからの事についていろいろと質問した。
午後、俺は悪友であり、親友と呼ぶべき、青野優と会っていた。
『お前はこの世界に残るのか?』
『うん。そのつもりだよ。』
『この世界で俺達みたいな学生が生きていけると、本気で思ってるのか?』
『わからない。でも、俺はこの世界を見てみたい。それに、そんなに長居するつもりはないしね』
『………はぁ。まあいいか。あんまりのんびりしてて、出席日数足りなくなってもしらねーぞ?』
『わかってるって』
『…ま、先に行ってるわ!―――!』
クドレアの開いた転送門へと消える優の背中を見送る。
十数年の腐れ縁に明確な別れが訪れた。
『本当に良いのか?』
『はい。クドレアさんに出会い、いろんな話を聞いて、気持ちの整理ができました。後悔はないです!』
おそらく優は俺が帰らない事を最初から察していたんだと思う。
元気でな――か。
目を閉じると走馬灯のように昔の記憶がフラッシュバックする。
『ありがとう』
それは、遠い世界の親友に向けた感謝と別れの一言だった。
この世界へ来てから一週間。
俺は読めない文字に悪戦苦闘していた。
『いつもすみませんサラさん』
『いいえ、今の私はウルスラ様の専属のメイドです。お気になさらないで下さい』
クドレアから書庫への出入りの許可を得て、資料を探しにきたものの、字が読めず。
悪戦苦闘した末、クドレアに教師を貸してくれと直談判した結果、配属されてきたのがサラさんだった。そしていつの間にか専属にまでなっていたのである。
サラさんはメイドとしてはもちろんのこと、魔法の才にも恵まれており、戦闘面に限っては魔王クドレアの右腕と言っても過言ではない人物で、クドレアの信頼する側近。
何故俺にそのような人物を付けたのかは不明だ。
『でも、しっかり休憩はとってくださいね?』
『ありがとうございます。では、始めましょうか』
今日も今日とて勉強と情報収集だ。
この世界へと来て疑問に思った事が言語の一致だった。
言語はもともと国ごとに違ったのだが、遥か昔、俺と同じように異世界から召喚されたとある女性が、各地を巡って、教え広めた事により、いつしか大陸全土の言語が統一化されたのだという。
この事から、かつて召喚された人物は日本人だった事がわかる。
文字は長き時を経て移り変わったようで、まるで草書のような書体である。
最初から感じていた違和感の一つが解消された。
そしてもう一つ。
この世界にはマナと呼ばれるエネルギーが満ちており、身体に自然と吸収され、魔法を使用する際に用いられる。これには個人差があり、魔法を使えるものは人口の半分に満たない。
マナは自然のエネルギーであり、体内に入ると魔力へと変換される。
マナは便利で活用できる場所が多いが、動物の中にはマナをコントロールできず、体内で暴走し、魔物へと変わることもある。これは魔力への変換ができずに起こる事象だ。人の場合は亜人や獣人といった亜種へと身体が変化する事例がある。しかし、人の場合は環境適応能力が高いため、成長する過程でマナを自然と取り込める身体へと変わっていくのだ。
そしてこの亜人、獣人は見た目で差別される事が多く、その多くは東の街、バルトロスで生活している。
ここ、ネフェルとバルトロスは友好国で、二つの国を繋ぐ街道も整備されているためか、人々の往来も盛んな地。
ここへきて一週間、ほとんど城へ籠りっぱなしで、亜人は見たが、獣人にはまだ遭遇していない。
亜人とは言っても、額から角が生えた程度の鬼のような人しか見ておらず、あまり人と変わらなかったために、感動は薄かった。
できることなら獣人を見てみたいものである。ぜひとも友好的な関係を気づきたいものだ。
『ウルスラ様、獣人に興味をお持ちですか?』
『うん。せっかくだから会ってみたいし、友達になれないかなって』
『それでしたらバルトロスに住む、私の古い知人をご紹介しますよ。人見知りで、少し変わった子ですが、ウルスラ様でしたら、きっと気に入ってくださると思います』
まさかこんな身近に出会いのチャンスがあったなんて思いもしなかった。
とはいえ、バルトロスまで行く手段がない。クドレアに頼んだとしても、ドラゴンに引っかけられての往復になるのだろう。正直あれだけは勘弁してほしいものだ。
『ありがとう。機会があればお願いするよ』
しばらくは魔法の練習と、情報収集で旅行にいく暇もない。
ひとまず文字の翻訳と情報収集を終え、昼食をとり、午後は魔法の練習だ。
この一週間、毎日同じようなことを繰り返してるので、正直飽き飽きしてる部分はある。たまにはゆっくり観光にでも行きたいものだ。
『ウル様やっほー!』
ふいにかけられた言葉に振り返る。
黒いポニーテールをゆさゆさと揺らし、裏表のない笑みを浮かべる碧眼の少女、ティティ。
ティティはメイド見習いで、他のメイドさん達と違って気さくで、まるで友達のような感覚で接してくれるため、友人のような感じだ。
『仕事はいいのか?またサボっててサラさんに叱られても知らんぞ?』
『だいじょーぶ!全部サラさんがやってるから当分来ないよ!』
サラさんの鉄拳制裁確定してるじゃないか…。コワイコワイ。普段優しい人ほど怒ると怖いんだぞ?
『んで、今日は何の用できたんだ?』
『クー様がね、迷宮の工事終わったから見にきてくれ、だって』
あー、罠の件か…。
この前地下の迷宮を案内してもらった時に、侵入者に対する罠の数々に少し口を出したのがきっかけで、ここ最近はクドレアが新たな罠を設置するために地下の迷宮に籠っていた。
落とし穴や転がってくる鉄球、落下する天井といった、いわゆるベタでアナログな罠ばかりだったので、ギミックで開く扉や、ダミーとなる隠し通路など、なるべくアナログ路線を変えないような提案をしたところ、クドレアは目を輝かせて食いついてきたので、いろいろ構造をまとめて具体的な案として設計を考えたところ、今回のクドレアの迷宮引きこもりに発展してしまったのだ。
『ありがと。ならさっそく見に行ってみるよ』
『ボクもついてくよ!』
何を言い出すんだこの子は…。
サラさんに見つかったら俺も怒られるじゃないか!!
『じゃあサラさんに一言声かけてくるわ』
『あー、そういえば仕事残ってたんだった!あはは、またね~ウル様』
扱いやすい奴だなぁ。
俺は一人、地下の迷宮へと向かう。
迷宮といっても何層にも広がるものではなく、二層構造で、罠を作動させていけば玉座へと続く簡単な迷宮で、罠を辿れば一本道という、ゆる~い迷宮だ。
ただし、ここには関係者のみが知る、玉座までショートカットできる隠し通路が存在する。
先に侵入者が迷宮へ入った際に、玉座へと先回りするために造られたものらしく、最初聞いたときは耳を疑ったものだが、こういう時には便利だ。
隠し通路へと向かっていると、ふいに何かの叫び声と共に、地鳴りのような音が聞こえてきた。
音が反響して、前後どちらから聞こえてくるのかわからないが次第に音が近づいてくるのだけはわかる。
『まさか、侵入者か!?』
口にすると頭がクリアになり、思考が始まる。
敵だった場合、このままだと交戦になる恐れがあり、武器も何ももってない俺は圧倒的に不利だ。
それどころか成す術もなく殺されてしまうだろう。
『たすけてえええええええええええええ!!!』
声に反応して振り返ると、涙と鼻水をなびかせ、全力疾走する少女。その背後を追いかけるかのように鉄球が転がってくる。
『ウソだろおおお!?』
このままでは巻き込まれる!?
俺は脇目も振らずに一心不乱に走り出した。
『だああああずげでえええええええええ!!!』
『こっちくんなよおおお!!!』
今になってようやくこのベタは罠も悪くないな、と思ったが、その罠に潰されそうになっている。笑えない冗談だ。
言うなれば俺も仕掛けた側の人間なのだが、ここは恥も外聞も捨てるべきだ。
『たすけてええええええええええええええええ!!!』
俺は叫んだ。
緩やかな傾斜が更に鉄球の速度を加速させて近づいてくる。
脚がもつれ転んでも終わり、立ち止まって休憩してる暇などない。考えるより先に脚を動かす。
『ッ!?』
突如俺は何かに躓き、勢いあまって宙を舞う。
このままでは潰されて死ぬ――景色がスローモーションのように流れ、上下反転した視界には後ろにいた少女が俺の躓いた床の凹凸を今まさに踏む瞬間だった。
カチッ
少女が踏んだ床のスイッチによって床が消滅し、そこの見えない穴が現れる。
吸い込まれるかのように、身体が落ちていく。
『うおおおぇええええ』
内臓が浮き上がるような感覚に思わず声を漏らす。
幸い鉄球は穴の上を通過し、頭上から落ちてくることはないが、落下時の空を切る音が恐怖を加速させていく。
…ドバーーーン!!!
身体中に衝撃を感じ、一瞬思考停止するも、水中だという事を理解し慌てて水面へと顔を出した。
肺に入った水で咽る。
水面へ激突した衝撃で身体は痛いものの、痛みが生への証明にもなっていた。
『『死ぬかと思った…』』
二人の言葉が重なり、互いの存在を確かめるように見つめ合った。
『あなた、だれ?』
『こっちのセリフだ』
ちょっと中途半端なところで切ってしまった感はあります。
誤字等修正。