偽り
狭い牢獄から連れ出され、行先も告げられないまま歩かされる。
重そうな分厚い鉄の扉の先は真っ直ぐな一本の通路。
牢獄と同じで壁の上部に換気用に開けられた鉄格子の隙間からみえるのは青空だけだった。
悍ましい触手に巻かれて連れて来られたのは大きな広場。
ドームとは違い屋根はなく、日の光が直接肌を照りつける。
造りは球場に似ていて、広場の周りにある観客席には大勢の人がいた。
『公開処刑か』
言い得て妙。牢から繋がる構造を考えればその可能性しかないだろう。
『やめてくれ。嫌な予感しかしない』
正面にも同じような通路があり、闘技場のような造りになっている。
これから何が起こるのか、想像したくはないが想像してしまう。
人喰いの何かに追い回され、抵抗もできないまま一方的に蹂躙される光景が頭を過る。
湧き出るような冷や汗が首を伝う。
『あーあ、もったいない。どっちも良い男じゃない』
『確かにね。でもあんたじゃ無理よ!』
『女の方が良かったぜ。裸にひん剥いてよう…』
『ぐえっへっへっ。そいつぁおもしれえな!』
周りの観客の飛び交う言葉が耳へと入り、これから起こる事への恐怖に支配されていた俺に怒りが込み上げてくる。
こいつらからしたら所詮他人事。それも人以下の扱いなのだろう。それでも、ここまで腐っていると、と呆れてしまう。
『くそがっ!どいつもこいつも好き勝手言いやがって!』
この状況への焦りと憤りで優は口調を荒げいた。
俺の中にも同じ憤りはあるが、口には出さない。口に出してしまったらおそらく優より汚い言葉が飛び出る事だろう。
『クフフフ。貴方達の感情は大変美味ですね』
『タベタイ』
ブヨブヨが男の声に反応して喋りだし、声帯があったことに驚く。
『食べてはダメですよ。ソレは魔王様の食事です』
ん?魔王!?
薄々だが感じていた違和感。
現実ではありえないような鎧、魔物とでもいうべきブヨブヨした塊。そして魔王。
確定ではないが、本の世界、もとい異世界なのだろう、と俺の中で結論がでた。
考えるほどに馬鹿馬鹿しい事だ。夢であるなら覚めてほしいが、その可能性は限りなく低い。痛覚も感じれば意識もクリアで、夢の中で夢だと気づくことはないはずだ。一部の例外を除いては。
だが異世界だとすれば、この状況から抜け出すチャンスが生まれるかもしれない。
急に観客達がどよめいた。
何が起こったか理解できず、辺りを見回すと空を見上げる観客達。その視線の先には巨大な影。ドラゴンがいた。
さすが異世界。もう恐怖すら感じない。感覚がマヒしてるのだろう。
ドラゴンは俺達の広場へとゆっくり降りてきた。
『魔王様がいらしたぞー!』
よく見るとドラゴンの背に人が乗っていた。おそらくあれが魔王なのだろう。
ドラゴンの背から降りてきたのは炎のような赤い髪をした露出度の高い服装の女性。
『我が名はクドレア・ダーム!この地を統べる魔王である!』
声高らかに名乗った魔王、クドレア・ダーム。
観客達含め、周りの者が一斉に膝をつく。
向けられた炎のような赤い瞳に思わず一歩引きそうになるのを必死に堪えながら問う。
『貴方が魔王か!俺はウルスラ、少し尋ねたい事がある!』
この状況、引いたら負け。相手に吞まれないように必死に虚勢を張る。
下手に命乞いするより、生かす価値があると思わせたほうがこちらに有利だ。
魔王というからには当然ここにいる連中を遥かに凌ぐ存在、上位者だ。魔王が俺達に興味を示し、生かすと判断すれば、命は保障される、はず。
『貴様ぁ!口を慎め小僧!』
『良いッ!!!』
鎧の大男が腰に下げていた剣を抜き放つが魔王クドレアの一括した。
『申してみよ』
魔王の器が大きくて助かった。
一瞬ヒヤッとしたが、ここで折れてはダメだ!
『まず、ここはどこだ?』
震えそうになる声を必死に抑える。
『ここはネフェル。アルムトラス大陸の北の都市ヤークルだ。』
は?ネフェルとはなんだ?大陸、都市とくれば残るは国名だろうか。
聞き覚えのない地名。それに現実でありえないはずのドラゴン。
異世界、か。
『ではふたつ目、何故俺達はここへ連れて来られたんだ?』
『我への供物、聞いておらんのか?』
そういってチラリと三白眼の男に視線を向けると、男は視線を逸らすように下を向く。
『供物って事は、俺達はあんたに食われるってことか?』
『その通りだ』
俺等はただの食糧と変わらない、か…。
いやまて、肉を食べるだけなら他で代用できるはずだ。なぜ異世界から召喚してまで喰うのか。そこに何らかのメリットがあるのか!?
『人を喰らう事にメリットがあるのか?』
『フハハハ、これから喰われる人間がそんな事を聞いてどうするのだ?』
質問に質問で返してきた、ということは答えられないのか、答えたくないのか。
クドレアが口の端を吊り上げ、目を細めて、邪悪な笑みを浮かべる。
だが俺達に逃げ場はない。ならば攻めるしかない!
『明確な答えもないままだが?観客の前では言いづらい事なのか?』
ふぅ、と一息ついたクドレアの表情から感情が抜け落ちた。
クドレアは答えず、ただ無言のまま見つめている。
ここへきて無視か。質問を変えるべきか、追い打ちをかけるか。
『人間は脆弱な生き物だ。動物に殺されてしまう事だってある。だがあんた等は少なくとも俺達人間より上にいる。あんた等にとっちゃ下等生物くらいなものだろ?』
『………この話はここまでだ』
クドレアの声のトーンが下がり、俺は失敗を悟った。
…はぁ。できることならもっとこの世界を見たかったな…。
異世界の知識を餌に、相手に興味を引かせれば、延命くらいはできたのかもしれない。だが、今となってはもう遅い。もう何を言っても無駄だろう。
心なしかクドレアが少し笑ったように見えた。
『ゼロス、そっちのやつを城まで連れて来い』
ゼロスと呼ばれた者は、俺達を牢から連れてきた目つきの悪い男だった。
必死になっていたせいで周りの様子を伺う余裕もなかった。
すっかり忘れて蚊帳の外にいた友人、優を確認すると力なく倒れこんでいた。
この状況では無理もない。俺もできることなら意識を失いたいくらいだ。
ここまで耐え続けた自分を褒めてやりたい。
『こいつは我が連れて行く。ちと興味が湧いた』
は?
『かしこまりました』
え?
興味を持たせることには成功した、のか?
クドレアの思考が理解できない。どういうことだ?
わけもわからないまま立ちすくむ俺は、ドラゴンの爪にひっかけられるようにして空へと連れ去られた。