真実は一つという幻想
米西戦争の捏造記事やフェイクニュースほど悪質でないにしても、立場が違っていれば当然、意見も違う。芥川龍之介の『藪の中』という小説は同じ殺人事件を目撃しているにも関わらず、証言内容が全く違ってくる。またウィリアム・フォークナーの『響きと怒り』は知的障害のベンジー、精神障害のクウェンティンなどそれぞれが異なった視点で一つの出来事について語っている。このことから、<語り手>の立ち位置は文学研究で大きな着眼点の一つである。
上の小説はもちろんフィクションだが現実の一端を切り取っている。つまり視点人物が違えば、立場も当然違ってくるのだ。
したがってこれはオルタナティブ・ファクトの問題と直結してくる。もう一つの事実と訳されるこの言葉は、2017年1月22日、コンウェイ顧問がトランプ大統領の就任式典を「過去最大の人々が就任式をこの目で見るために集まった」と評したことで注目を集めた。空撮写真によれば、実際はオバマ大統領の就任式典よりも人が少なかったのだが、ここでは立ち入らないこととする。しかしコンウェイ顧問は明らかにトランプ政権に有利な発言をしているのは言うまでもない。
重要なのはどのような立ち位置で語られているかを考えることである。そして発言を突き合わせ、何が起きたのかを導き出していく……。これはメディアリテラシーの基本だが、何も新しいことではない。11世紀のスコラ学派が聖書の読解、解釈に用いているのだから。




