⑤『伝説の誇りにかけて』
猿飛が少年少女のもとに帰ってきた時、三人はなぜか取っ組み合いを始めようとしていた。正確に言えば、小日向が行司をとる左右に、威嚇する蘇芳と思いっきり逃げ腰の西崎が切迫していた。
猿飛は何も考えずに言った。
「痴話喧嘩かしらん?」
三人の視線がいっきに猿飛へ集まる。猿飛が目をしばたたかせていると、西崎の顔は紅潮した。
「元凶が来たぞぉぉぉおおお!」
「おんどれオカマぁぁあああああ!」
「ここで散ってください、今すぐにっ!」
「あんたらアタシがいない間に何話してたのよ」
突撃してくる三人をかわし、身近にいた小日向の頭に軽くチョップした。気を許してない他人に触れることを猿飛は望まないが、この場の空気を換えるには小日向をいじるのが手っ取り早いと考えた。
「あうっ」と少女が鳴くと、もちろん蘇芳の目に炎がともったが、怒りのベクトルは大きく変わった。対する西崎の顔には「あ、かわいい」と書かれてあった。猿飛は空気を整えてから三人から話を聞いた。どうやら猿飛の事を話していたらしい。
「猿飛先輩、あなたは何者なんですか?」
「伝説のシノビ」
「結論出すの早すぎませんか?」
「さっき話したでしょう。巻き込んじゃった手前、事の仔細は明らかにするって。あたしらを転移させたのは風魔っていう猿飛家の親戚で、家出したあたしを付け狙っているストーカー集団よ」
物は言いようである。
「それでアタシ大好きな風魔一族が、この度いよいよ実家にお迎えしてくれたってわけ。むしろ実家が来た」
表現こそふざけているものの、猿飛の語り口は事件の本質をとらえてはいた。すべてを話すと言ったが、己の出生や風魔との関係、推測に過ぎない部分は語らずにあえて省いた。あくまで三人が、風魔旋との会話で聞き取った情報をあらためてやる、という体だ。結局何も教えていないのである。
しかしまだ若い三人は猿飛の巧妙な話術に騙され、それだけで納得してしまった。つまるところ西崎達が知りえた情報は、
・この場所は、風魔家の本拠地。
・風魔家が、西崎達の催眠を解き、この地に送った。
・風魔家は、魔術を得意とする隠密の一派。
・風魔家は、一族を裏切った猿飛斬を追っている。
・猿飛斬は、伝説のシノビ(自称)。
というたったこれだけ。まさか学園とシノビが手を結ぶなんて想像すらしてないだろうし、風魔が猿飛を狙う「本当の理由」なんぞつゆ知らず、そもそも猿飛が十年間も留年してるなんて興味すら湧かなかっただろう。
しかし、それではなぜ西崎は蘇芳といがみ合っていたのだろうか。答えの方から口をきいてきた。蘇芳麻姫だ。
彼女は猿飛に向かって「なあ」と呼びかけた。年上とか上級生とかお構いなしに、不信を露わにした冷たい視線で。
「あんた、知ってたんやろ。今日、これが起こるって」
その問いは、猿飛にとって意外なことだった。微かに驚いたが表には出さない。
「……知らない」
にべも素っ気もなく首を振る。蘇芳は一歩前に出る。
「知ってたやろ?」
「知らない」
「知ってただろ」
「知らない」
「知ってたん、でしょ?」
「知ってました」
蘇芳の口ぶりはもはや確信に至っていた。猿飛は逃れられぬと悟り、それを認めた。反応を見た蘇芳は一瞬息をのむと、再び猿飛を睨む。
「どういうことか説明してもらおか」
少女は腕を組み、冷淡に尋問が始まる。こういう時の猿飛は時間を極めて惜しむ性格をしている。蘇芳という娘も青いながら見るからに強情な気質だろう。猿飛は無駄を省くために彼女の聞きたがっている情報だけをまとめ、簡潔に述べた。ため息まじりに。
「あんた達の催眠が解かれたとき、敷地の外からヤバい気配を感じたのよ。アタシは過去に何十回も学校を出て、シノビの追手を防いできた。だけど、今回のは過去のそれと明らかに違う。異常なまでの『殺気』だった。これから何か起こるってのは、簡単に予想できたわ」
「ちょっと待った。あんた達の……って、猿飛先輩は催眠にかかってなかったんですか?」
西崎が身を乗り出して割って入った。
「あんな陳腐な術くらい、とっくの昔に自力で解いたわ」
「……先輩ってほんと何者なんですか……」
「伝説のシノビ」
「えぇ……」
唖然とする西崎を差し置いて、蘇芳の眼はさらに光る。
「だったら猿飛先輩、あんたさんはこの学校がおかしいって、最初から全部わかってたんやな」
「全部じゃないわ。アタシだって知らない事は山ほどある。けど、そうね。学校としてはおもしろい状態だなとは思ってた」
「じゃあどうして、今までなにも行動を起こさなかったんや。学校の皆がおかしくなってるのに、どうして正そうとせえへんかったんや!」
少女の心には正義が宿っていた。恐ろしい事件を引き起こすきっかけを放置し続けた、元凶が目の前にいるのだから。
「別にアタシ、それで困ったりしてなかったから」
「えっ……?」
元凶の男は、あっさり言った。
「アタシにとって大事なのは、自分の日々を平和に暮らすこと。わざわざ他人のためにその生活を乱そうなんて考えないわ」
「せやかて!」
「アタシにそんな義理はないし、義務もない。放置していたアタシに非があると言うなら、それは結果論よ」
「…………」
蘇芳は黙り込んだ。気づいていたからと言って、猿飛は不可解を是正をする立場の人間ではない。彼がどのように生活しようと、彼はただの一生徒。蘇芳達と同じ、その他大勢の役柄である。悪の正すのはその方面を取り締まる役人か、正義を守る大志者が、勝手にやればいいのだ。
ここに来るまで、自分を洗脳していた学校への復讐心でいっぱいだった。しかもそれは己のためだけじゃなく、周りの皆のためになるとも考えていた。
だが、たとえそれが果たせようと、満身に喜びを表す人ばかりではないのだ。それを他人にさせる理由も、ない。
そこで初めて、この考えが俯瞰されるまでに至った。
小日向と西崎もまた猿飛の言葉の冷たさに、蘇芳を支持する二の句が継げなかった。
蘇芳はじぶ「ちょっとちょっと。あんた」――猿飛が自責を抱きかけた少女の考えを絶った。
「蘇芳ちゃん、だっけ? あんたは今、誰の話を聞いてると思ってんの? 教師? 司教? 松平健?」
「なにを言ってん?」
「はぁあ……ブァァァァァァァカでちゅか?」
なんかものすごく腹が立つ顔で猿飛は言った。蘇芳はムッとして言い返した。
「んなもん分かってるわい! 伝説のシノビって奴やろ、あんた。それがどうし……ん?」
「ビンゴ♪」
猿飛はにこっと破顔して蘇芳を指さした。蘇芳はきょとんとしている。
「一族を抜けてまで得た平穏な暮らしよ。おびやかす者があろうなら、シノビだろうと猪木だろうと全力で倒しに行くわ。これでも、腕は立つのよ」
「そうなんですか?」
西崎が心底驚いたような顔をするので、結論だけさっさと言ってしまう。
「これまでに、在学生で異常行動を起こした者なし。みんな健全誠実な高校生活を送っていったわ」
静かな水面にわざわざ波を起こす気はない。だから自分は何も手を出さなかった。十年もいたら分かるわよ……とは言うまい。そこまで聞けば蘇芳もこれ以上の言及はしようとしなかった。
「だから、アタシは風魔を許さない。あの青二才をぶっ倒して、さっさと帰りましょ」
そして日常を取り戻すのよ。猿飛は三人に言い聞かせた。
「それで、無関係な私とロロナちゃんを巻き込んだことに対する謝罪は?」
「マッスルカーニバル」
「どつき回したろか」
胸倉をつかんで蘇芳が恫喝した。しかし長身の猿飛につかみかかった所で、滑稽な絵面が出来上がるだけだった。
「過ぎたことは気にしなさんな。もちろんシノビ一族が関連した以上、みんなには悪いと思ってる。責任はアタシが拳でとる」
風魔を倒す。今、すべきことはそれだけだ。三人は猿飛の決意を察しとり、何も言わなかった。
「大きくそれたけど、話を戻そうか。アタシは、風魔の罠があることを知ってて外に飛び出しました」
「おいこら待てサル」
「ちょっと西崎くん邪魔しないで」
渋面で詰め寄る西崎を止めた蘇芳。制された方は女子には勝てない男だ。
「西崎くんをどうして外に連れ出したん? 危ないってわかってたんに、どうして?」
ふたたび質問なのには変わりないが、蘇芳の声音にはさっきと違って話を促すような余裕があった。
「西崎さんは、猿飛さんには何か深い理由があるんだって、その一点張りで蘇芳先輩と対峙していたんです」
小日向が、口を開いた。西崎は恥ずかしがるように制しようとしたが、「……セクハラ」と呟かれて身を硬直させた。
「えと、その、猿飛先輩っていつも何考えてるか分からないんですけど、いや、表情は豊かだし話だって面白いですよ。けど、僕なんかじゃ想像もつかない事を考えてそうで……でも、先輩が悪い人じゃないのは、僕、わかってます。先輩には先輩なりの、覚悟があるんじゃないかって、そう思ってますから。信じています、先輩を」
西崎は言葉につっかえながらも、そう言った。現実に起こっている状況をかんがみると、弁護するにはあまりにも脆弱すぎる論拠だった。要するにただの感情論だ。それなのに西崎は信頼という紙の盾だけで、猿飛をかばっていたのである。珍しく、猿飛の心が動いた。
「……逃がしたかったのよ」
「ん、なんやて?」
蘇芳が耳をそば立てて聞いた。
「今夜、学園に留まっているのは危険だった。だから西崎くんを安全なところへ逃がしてあげたかったのよ」
「先輩……」
「なーんかね、ほっとけないのよ。あなたみたいな不憫な子って」
「ふ、不憫……!?」
猿飛のさりげない舌鋒にショックを受けた西崎は、まさしく「ガビーン」の効果音が似合っていた。
「ロロナちゃん、ウチ知っとるで。こういうのって……ホ」
「うわぁぁぁぁあああああああああああああ違います違います違います違います違います違います違います違います違います違います違います違いますちがぁ~~う!」
「そうですね。いくら大事な場面だからってそんな赤裸々に語るのは、ちょっと怪しく思っちゃった」
「ち が い ま す」
顔面を真っ赤にして西崎は顔を振る。その必死の形相は、もはや二人の少女に楽しまれているみたいだ。
「男の友情がホモに見えるなんて、あんたらの目ん玉ボンボヤージュかよ……」
息を荒げながら西崎は台詞を吐いた。なおボンボヤージュの意味は不明である。
「あらやだぁ~ん、アタシって西崎くんみたいなかわいい子がタイプなんだけどなぁ……ちゅっ♡」
「おのれは黙っとれ」
猿飛が放った投げキッスを打ち返した西崎は渾身の渋面を見せつけた。しかし今日ほど表情を動かしたのは、とても久しいことだった。自然に顔が動いている。それは猿飛の眼にもよく分かった。
やはり、西崎には若い話し相手の方がよく似合う。彼が楽しそうなら何よりだ。もうすこし一緒にいさせれば、元の世界に戻ったとしても、西崎の友として関係を続けてくれるだろう。だからこそ、彼らを無事に帰さないといけない。猿飛はそんな若者たちのやり取りを見守りながら、そう思った。
しかし蘇芳麻姫。西崎と同じ一般人だと思って歯牙にもかけてなかったが、猿飛の推測を見破っていたとは。存外この娘、なかなか勘が鋭い。そしてその後輩である小日向もまた、侮れない。蘇芳と西崎が盛り上がっている隙に、そっと小さな巾着を手渡してきた。
「これ、水晶の欠片。使ってください」
「ほぅ。てことはあなた、魔術師なの?」
「……まあ、そんな所です。それは魔力を媒介して事象を起こします。見たところ相手は魔術を使うみたいだし、何かの役に立つかも」
一瞬、考える素振りをしたあたり、みずからの発言にひっかかりがあるのか。だが目の動きを読むと、嘘は言っていない。まぁ、猿飛の知るところではない。軽く袋を振って音を確かめる。細かいガラス粒がジャラジャラなった。
「ありがと」
「いえ、早く帰りたいだけなので。それでその、シノビっていうのは学園と関わりがあるのでしょうか」
核心突いたり。そう尋ねたとき小日向は思っていただろう。ただ聞いた相手が悪かった。猿飛の顔には何の翳りが生まれることなく
「さあね、アタシの知るところじゃないわ」
嘘をついた。