第八話 極秘作戦
打ち合せはそこで一旦打ち切られた。
先輩は辻本司令と共にアローラムの破損状態を再確認するため会議室を離れ、この場には私と日岡さんだけが残された。
「あ、あの……」
「はい? ああ、徳留さん、だったかしら?」
日岡さんはデータパッドの画面から私の顔に目を移し、わずかに目を細めながら答えると、私が浮かべた怪訝な表情に気付いてさらに説明を付け加えた。
「ごめんなさい。この頃ちょっと近視気味なの。すっかり癖になっちゃって。さっさと治療すればいいんだけど、なかなか時間がとれなくて」
「あ、いえ。私のことは香帆って呼んで下さい」
「香帆ちゃんね。私は優子よ。改めてよろしく」
そう言うとにっこりほほえんだ。
「香帆ちゃんってもしかして、去年、ネットで星間ラリーをシミュレートした?」
「え? はい、そうです」
「それで納得したわ。ここに呼ばれるにはちょっと若いわねって思ってたんだけど。あのレースは私達の会社でも一時期評判になったわよ」
言いながら私を柔らかい表情で見つめる。
「実際にうちの部でもプライベートで参加したエンジニアがいたの。優勝争いには残れなかったけど、とてもよくできたアーキテクチャだったって言って感心してたわ」
なんだかこそばゆく感じながら頭を下げる。
「や、どうもありがとうございます」
「やだ、どうしたの? そんなに緊張しなくていいのに」
優子さんが白い歯をみせた。その魅力的な笑顔を見つめながら、一体どう切りだしたものか、しばらく迷った末に小声で呼びかける。
「あの、日岡さん」
「ゆ・う・こ」
優子さんは一言ずつ区切りながら発音し、右手の人さし指を立てて小さく振った。
「当分一緒に仕事するんだから変に遠慮しないでね。私もそうするから」
「あ、はい」
「それより、私に何か?」
「はい。実は、さっきの湊先輩の反応が気になって。優子さんは前に先輩と面識があるんですね?」
「ああ、そのことね」
優子さんは小さくため息をつくとデータパッドを伏せ、しばらく考え込むように沈黙した。
「彼は以前、私と同じ会社の設計技術者だったの」
「やっぱり」
「そう。彼はちょっと……いえ、かなり変わってたけど、それを上回るほど有能な人だった事は確かね。特殊船舶班ではよく組んで仕事したわ」
言葉を切ると再び大きなため息をついた。
「最後に彼と組んだのが新型エンジンの実証船だった。あの時は結局失敗したけど」
「もしかして爆発事故を起こしたっていう」
「知ってるのね」
優子さんは悲しげに目を伏せた。
「あれは私のチームが初めてゼロから設計したエンジンだったの」
そこで一旦口をつぐみ、小さくため息をつく。
「もし理論どおりの性能が得られるなら、燃料消費をそれまでの半分に抑えて、しかも出力は六割増しという夢の革新技術だった」
優子さんはデータパッドから手を離し、机の上で、まるで緊張をまぎらわすように両手を握りしめたり開いたりしはじめた。
「でも、量産試作フェイズに移行するための最終試験、月面低重力負荷試験の最中だったわ。燃料ポンプに外部の業者が後付けした測定用機器が異常な共振を起こして、最後にはタービンブレードが折損したの……。事前のコンピューターシミュレートでも発見できなかった。本当に偶然の事故だったのよ」
口をはさむこともできず、私は黙って唇をかんだ。
「結局それが元でエンジンは暴発。船は一気にバランスを崩して月面に落下したわ。乗っていたパイロット二人が亡くなって、開発は即時中止。でも、彼は一言も私を責めなかった。そして、何も言わずにいつの間にか会社からも姿を消したの」
そこで言葉を切って小さくため息をつく。
「ずいぶん気になってたわ。それが、まさか今頃になってこんなかたちで再会するなんてね」
「あの……」
私が口を挟もうとするのを優子さんは首を振って押しとどめた。
「気にしないで。多分、あなたは知っていてくれたほうがいいと思う」
「どうしてですか?」
「今度積むエンジンはあの時の改良型よ。私にとってはリベンジだけど、彼がアローラムにこのエンジンを積むことを素直にOKするとは思えないわ。だってアローラムの船体はあの時の実証船そのものだし、あの子の……」
そのまま不自然に口をつぐむ優子さん。
最後にもう一度長いため息をついて彼女はふたたび顔を伏せた。
優子さんの告白を聞きながら、私まで胃が痛くなりそうだった。忘れたいつらい事件を共有している先輩と優子さんを、数多い技術者の中からわざわざ選び出してこんな形で再会させる必要が本当にあるのか?
今回の事態がそれほどのものなのだろうか?
私は、辻本司令の考えがわからなくなった。
「アローラムは運がよかった。隕石との相対接触スピードがかなり速かったから、船殻はまるで刃物で切断したみたいにすっぱり切断されているんだ。余計なクラックもない。ちょうどモジュールの境目だったこともラッキーだった。残ったフレームにもほとんど残留ひずみが出ていなかったよ」
翌々日の深夜、トロイスの食堂で遅すぎる夕食を取りながら、先輩は妙に上機嫌な口調でそう解説した。
あの後、再開された打ち合わせの席上で、辻本司令はアローラムの改修スケジュールをおよそ十日間と宣言した。小惑星にもぎ取られたものも含め、すべてのエンジンを優子さんが持ち込んだ最新型に換装し、航続距離を少しでも延ばすために貨物区画をすべてつぶして追加の燃料タンクを積み込む事になった。
さらに加えてコクピットも大幅に改修し、同時に不調の航法システムも丸ごと取り換えると彼はぶちあげた。
各作業は平行して進め、さらに基地の全職員総出、なんと四交代の突貫作業が行われるのだという。
だが、エンジン交換の話が出たとき、先輩はなぜか何も異議を唱えなかった。てっきりまた怒りだすのかと首をすくめた私を、妙に暗い瞳で見つめ返しただけだった。
「基本的に船の形はいじらないから、俺の方の作業はもうほとんど終りだよ」
言いながらフォークを置く。見れば料理の大部分には手が付けられていないまま。トロイスまでの航海中、これほど小食な先輩を見たことはなかった。
「新しい船殻モジュールはすでにここの窯元で成型が終わってる。焼成が明日の朝、徐冷と窯出しが午後だから、あさってにはそいつを取り付けて、追加増槽のフックとパイピング、通信系のプロテクトを追加すれば船体の方はほとんど完成だ。艤装にちょっと時間がかかりそうだけど」
「窯元で? 焼く?」
「ああ、維持部の超高圧トンネル窯」
「どうして?」
「香帆、おまえそんな事も知らないのか?」
先輩はいぶかしげな表情を浮かべる。
瞬間、私は自分のうかつな発言を後悔した。
この日本独自の船殻材料は、船舶設計科に入学した学生全員が聞かされる最初の講義なのだ。
「あ、学期途中の編入だから、最初の方はちょっとよく分からないんで…」
私の苦しい言い訳に先輩はわずかに眉をしかめたけど、結局そのまま説明を続ける。
「まあいい。日本の船はほとんどハイセラミック船殻だからな。NASAやESAの連中はティーカップだなんて言ってばかにしてるけど、アローラムの船殻は本場アリタ出身のトップエンジニア謹製だぞ。それどころか、親方なんか面白がって、余った材料で本当にティーカップを焼いてる。ほら、これもそうだ」
言いながら目の前の低重力マグを指で弾く。だが、澄んだ金属音が響くかと思われたそれは、意外にもぽこりという鈍い音を立てただけだった。
「そ、そんな事より先輩…」
「実際、ここの全施設を今回の計画に振り向けるんだってよ。最初はまた司令の冗談かと思ってたんだけど、NaRDOもけっこう本気だよな」
「先輩!」
私は、不自然にはしゃぐ湊の目をじっと見つめた。
「無理してるでしょ」
「別に」
すっと目をそらした先輩は、テーブルに投げ出したデータパッドに表示されたままの改修進行表を凝視する。
「優子さんに聞いたわ。三年前の事故の事」
「そうか」
「気にしてるの?」
「……いや」
しばらくの無言の後、先輩はようやくそれだけ答えた。
「じゃあなぜ、優子さんに何も言ってあげないの?」
先輩はその問いには答えず、視線を私の背後に移した。
「彼女も謝りたいって言ってたわ。お願いだからチャンスを与えてあげて」
「彼女が謝ることなんか何もない。あれは偶発事故だ」
「じゃあ、どうして?」
小さくため息をついた先輩 。視線は私を通り越して背後の何もない空間に向けたまま。
「死んだパイロットの一人、美和は小学生時代からの日岡の幼なじみだった。二人は俺なんかより、ずっと古い付き合いだった。謝らなくてはいけないのはむしろ、俺の方だ」
「うそ! え? だって……」
先輩はそれ以上は答えずに慌ただしく立ち上がると、データパッドを片手に食堂を飛び出していった。
私はそれ以上何も言えないまま、その場に取り残された。
「やーっぱりまだ無理かな?」
不意に背後から声をかけられ驚いて振り向くと、辻本司令がキャベツ山盛りの豚カツ定食を持ってのほほんと立っていた。
「ああ、司令。いきなり背中から話しかけないで下さい!」
「それよりそこ、いいか?」
言いながら無精髭の目立つあごで先輩の去った向かいの席を指す。
「や、すまんね」
どっこいしょとじじ臭いかけ声をかけながら腰かけると、辻本司令はみそ汁のパックから立ち昇る湯気を吸い込んで幸せそうにうなずいている。
「司令!」
「何?」
「先輩と優子さんの事です」
「ああ、面白い組み合わせだろ」
「司令、もちろん全部ご存知でやってるんですよね? あの二人のこと」
「もちろん」
口一杯にキャベツをかき込みながら辻本司令は大きくうなずいた。
「じゃあ、どうして? 二人ともあんなに辛そうなのに…」
「NaRDO技術本部のAIがそう判断した」
みそ汁で口一杯のキャベツをのどの奥に流し込んだ辻本司令は、いきなり訳の判らないことを口走った。
「素朴な疑問。香帆ちゃんはさ、あの謎の異星船の映像を見てどう思った?」
「どうって……何だか不思議な形だなって」
「だよな。でも、あの船の形を解析した設計支援AIは、比較検証のために投入した太陽圏に存在する膨大な宇宙船データの中からたった三隻を、あの船と類似のグループと認識した」
「え、人類の作った宇宙船全部から、ですか?」
「そう、それこそ前世紀のサターンV型から始まって最新型のプラズマエンジン搭載船まで、投入したデータは数百種類じゃきかなかったな」
「そんなに」
「そう。で、そのうち一隻が何を隠そうアローラム、もう一隻が〈がるでぃおん〉だったんだ。疑わしいものまで入れても六隻しかリストアップされなかった中で、あいつの設計した船が二隻も入って来た。偶然で片付けるにはちょっとばかり出来すぎた話だとは思わないか?」
「どうして? 異星船とアローラムじゃ形だって大きさだって全然違うでしょ?」
「問題はただ見た目の話じゃない。デザインから推測される設計の根本思想がよく似てるんだとさ。船体の重量バランスの取り方とか、応力の逃がし方とか、そういう設計のクセっていうか、基本的な考え方がかなり似通ってるんだな」
「じゃあ、先輩の頭の中は宇宙人と同じだと…?」
「そう。常人離れしてるとは常々思ってたが、人類の基準からも外れている事がはからずも証明されたわけだ」
ご飯で口をいっぱいにしながら、大まじめな表情で辻本司令はうなずいた。
「そういった意味で、謎の宇宙船に迫るためには、湊のあの独特の設計思想と、それに基づいて造られたアローラムをプラットフォームにすることが今のところもっとも成功の可能性が高い」
私が話の内容を消化している間に、辻本司令は今度はソースの染みたカツをもりもりと口に放り込む。
「とはいえ、もちろんオリジナルの性能ではあの異星船にははるかに及ばない事もはっきりしているな」
「はあ」
「で、そのギャップを少しでも埋めてくれそうなのが日岡君の持ち込んだ高性能エンジンだ。我々はそう判断している。そんな事は湊だってちゃんと判っているはずだ」
「……本当にそうでしょうか?」
「たぶんね。私だって、個人的にはあの二人をそっとしておいてあげたいよ。だが、あの宇宙船を首尾よく確保することで我々が一体どれほどの知識と、技術的優位を手に入れられるか、あらためて考えなくても判るだろ?」
「まあ、何となく」
「それを考えるとなあ」
低重力湯飲みに手を伸ばす辻本司令。しばらくは無言で緑茶をすすり、不意に私の顔をじっと見つめた。
「こんな時、個人の事情はどうしたって後回しになってしまう。国土と資源を持たない技術立国の政治戦略にはそういう非情な部分もある。それにな、いずれ君たちにはもっと……」
辻本司令はそこで不自然に言葉を切ると、残っていたタクアンを音を立ててぼりぼりとかんだ。
「明日からは航法コンピューターの組みつけが始まる。君も忙しくなるぞ」
そう言うと、残った緑茶を茶碗に移して一息で飲み干し、肝心な点には触れないまま、神妙な顔で話を締めくくった。
---To be continued---