第六十一話 Final curtain
「TM102、このまま螺旋状に上昇、アルディオーネとのランデブーポイントを想定コースの延長線上に設定します」
アルディオーネにどうドッキングするのか、解決方法はまだ思いつかない。とはいえ、とりあえず一息ついたところでアルディオーネの状況も改めて確認してみる。
「こっちも結構ヤバいね、もう居住区の内圧がほとんどゼロだ」
データリンクが伝えてくる状況はさっきよりもさらに悪い。やはり船殻のどこかの亀裂から継続的にエアが漏出しているのだ。
ただ、のんびり漏出箇所を探している余裕はもうない。それに生身の乗員はもういない。船内が真空でも誰も困らない。
とりあえず陶子さんとシータの生命線、ニューロコンピューター本体とストレージの収納カプセルのみを厳重に密閉し、それ以上の対応はすっぱり先送りする。
キャッチャーアーム、水・酸素再生システム等々、アラートが出まくっているシステムは枚挙にいとまない。TM102共々、満身創痍という言葉がこれほどぴったりする状況はそうそうお目にかかれるものでもない。
「ところで陶子さん、アルディオーネの操縦はできます?」
『そんな、無理よ。操縦は船長のお仕事でしたから』
「じゃあ、シータ、あなたにはどこまで細かい制御が可能なの?」
『通常の航行程度ならなんとか可能ですが、状況の急激な変化に臨機応変な対応は難しいでしょう。恐らくカホ、あなたの方が適切と考えます』
「うぅ、困ったな」
TM102と深く融合した結果、私自身、もはや潜航艇と自分の肉体の境目が曖昧だ。ヒトである自分の両手足の動かし方すらおぼろげになりつつある。こんな状態でアルディオーネのバーチャルコクピットに実体化しても、多分まともには動けない。
まるで紙飛行機のようにろくな制御の出来ない潜航艇をキャッチするためには、たとえどのような回収手段をとるにせよ、間違いなくアルディオーネの絶妙なコントロールが求められる。
でも、湊が戦線離脱中の今、一体誰がそれを代わりにやるのかが大きな問題だった。
『カホ、当初の予定到達高度まであと八分です』
「うう、ねえ、現状だともっと上まで行けるよね。回収ポイントをもう少し高い場所に設定出来ないかな?」
苦し紛れにそう提案してみる。
大した時間稼ぎにならないことは承知の上だ。
でも、少しでも上空でランデブーする方が予想外の事態に対応しやすいのも事実。今は少しでもその余裕が欲しい。
『…可能です。上昇流が比較的安定していますので限界までランデブーポイントを持ち上げましょう』
すぐに再計算されたランデブーポイントのイメージが送られて来る。上昇流の周りをさらに五周追加、高度で二十キロ上空に再設定された。時間で言えば新たに十分強の余裕が生まれた事になる。
「じゃあ、お願い」
応えるようにシータの操作でアルディオーネがゆっくりと上昇していく。と、すぐそばに控えていた異星船も無言のまま、アルディオーネを追うように上昇していった。
(湊、湊…どうすればいいの?)
思いあまって内心で想い人に問いかける。
でも、その問いに答えてくれる人は、いない。
『香帆! 状況は一体どうなっているんだ?!』
回線を開いた瞬間、待ち構えていたように辻本司令の怒鳴り声。仕方ない。ずいぶん長いこと放っておいたし。
「木星深海から異星人の物と思われる遺物を回収しました。現在サンプルケージに格納して上昇中」
おお、という一同の息をのむようなため息に続いて、辻本司令らしくない、何を話そうかとためらっている気配がマイク越しに伝わってくる。
『…艇体がとんでもない事になっているようだが…』
ようやく発せられた一言に問題のすべてが集約されていた。
「お察しの通りです。遺物の重量が可搬範囲を超過していましたので分離可能な重量物をすべて投棄、現在グライダー状態で上昇流にのってます」
『それで、どう戻るつもりだ?』
「まさにそれを相談したくて連絡しました。アルディオーネに回収してもらう以外の帰還方法はありませんか?」
『うーん、少し待ってろ』
回線が繋がったまま、ざわざわとスタッフが議論しているのが聞き取れる。でも、これといった妙案は出ないらしい。
しばらく後、苦い声で告げられたのは、
『もはやミッションの前提がすべて破綻している状態だ、私としては頭が痛いよ』
「はい」
『それで、だ。唯一にして最善の解決策は、やはり湊に回収を任せることだ』
ああ、やっぱりそれしかないのか。私は肩を落とす。
「それで、実際可能なんですか?」
『わからん。ヤツは今、急性放射線障害で意識混濁状態だ。チャンバーに収容して今のところバイタルは安定しているが、神経系に相当なダメージが考えられる。ったく、無茶しやがって』
苦虫をかみつぶすような司令の表情が簡単に想像できる。
「なんとか、彼に負担をかけずに済ませることはできませんか?」
低姿勢で頼んでみるが、
『無理だな』
とにべもない。
『医師の見立てによると、感覚器官もマヒ状態だ。体外からの生半可な刺激ではとても目覚めそうにない。MMインターフェース経由で内側から直接呼びかけるしかないだろう』
「そうですか…」
何か名案がないかと問い合わせてみたものの、結局問題はそこに帰結する。アルディオーネという船は、やはりどうあっても湊が乗り組むことで初めてその性能を十分に発揮する宇宙機であり、共に乗り合わせているシータや陶子さんのような知性体はいくら優秀でもサポートにすぎないのだと思い知らされる。
そして、今回のミッションがアルディオーネありきで組み立てられている以上、湊の不在はミッション全体を危機にさらす。そして、そんな事態を招いた責任の半分は、彼の呪いを無自覚に刺激していた自分にもあるのだ。
私は知らず大きなため息をつき、頭を抱えた。
TM102が回収予定高度に達するまでもう何分もない。
「わかりました。私が直接頼んでみます。彼をMMインターフェースに接続していただけますか?」
無理を言わなくてはいけないのなら、せめて、私自身が心を尽くして呼びかけるしかない。
自らの身を救って欲しいと身勝手な願う以前に、彼には伝えておくべき言葉があるのだから。
『了解、すぐに手配しよう』
「…シータ。回収が間に合わなくなる前に警告してちょうだい」
『了解しました』
シータはそれ以上何も聞かずに沈黙する。どうやら空気を読んでくれたらしい。
私はふうと小さく深呼吸すると、彼との出会いからこれまでを振り返りながら、ゆっくりと心を込めて呼びかける。
「湊、私は、最初の出会いからずっと、あなたと一緒に居たいと思っていたよ。トロイスで前に別れたときも、ESAを辞めたときも、本当はすぐにあなたの隣に飛んで戻って来たかった」
そう。本当はわずかな時間だって離れていたくはなかった。
「状況がなかなか許してはくれなかったけど、それでも、この気持ちは一度も揺らいだことはない。今だって、ずっと同じ」
考えてみれば、湊とは最初の出会い以来、一緒に過ごした期間より、別々に暮らした時間の方がずっと長い。
最初の異星船追跡プロジェクトは、参加から解散までほんの一ヶ月と少ししかなかった。その後三年以上のブランクがあって、今回のミッションがようやく半年と少し。共に過ごした時間のあまりの密度の濃さに、ややもすると十数年を共に過ごしでもしたかのように錯覚してしまうけど、冷静に考えてみると、合計でも一年にも満たない。
ほのかな憧れが好意から恋心に昇華するには十分な時間だったけど、お互いの心の内を十分理解できたかというとそうでもない。
特に、湊は口数が少ない上に表情も変化に乏しく、何を考えているのか判らないところがある。彼が私のことを思いやってくれているのはなんとなく判るのだけど、今回のように自らの身を犠牲にしてまで私を守ってくれようとするのはどうしてなのか。自分の命を平気で危険にさらす、あまりの迷いのなさ。それが私を逆に不安にする。
「ねえ、湊。あなたがそこまでしてくれるのは一体どうして? 私の事をそれだけ大切に思ってくれているのなら嬉しい。とっても。でも、あなたが過去の出来事に引きずられるように自己犠牲を選ぼうとしているのなら…」
そこまで言って不意に言葉に詰まる。
それは、まるで死ぬことを渇望しているような…まさか。
もしかして、実は私の事なんてどうでも良くて、逝ってしまった美和さんに、もう一度逢いたいなんて…思ってないよね。
一端そう思ってしまうと、頭の中でぐるぐると渦巻く疑念にとらわれて、それ以上言葉を継ぐ事はできなかった。
私は唇をかみ、滲んでくる涙を必死でこらえる。
『カホ、間もなく回収予定高度です。アルディオーネとの相対距離、現在千メートル!』
「…湊」
『カホ、想定より早く上昇流がブレイクします!これ以上高度が保てません!』
ここまで運び上げてくれた上昇流が不意にブレイクアウトし、一瞬の浮遊感に続いて、まるでぐつぐつと泡立つような猛烈な揺れがふたたびTM102を襲いはじめた。
結局、冴えたやり方は思いつかなかったなぁ。と、頭の片隅で諦めにも似た気持ちを抱く。
「シータ、私の人格を回収して下さい。残念だけど、さすがにもう無理…」
『駄目!』
突然の拒絶。陶子さんだ。
『諦めちゃ駄目! まだ時間はあるわ! 船長を呼んで、呼び続けて!』
「でも…」
普段おとなしい陶子さんがいきなり感情を爆発させたので驚いた。
『私はいいの。出来損ないの生身の身体にはそれほど未練もなかったし、むしろ今の方がずっと自由だから。でも、香帆ちゃんは駄目!』
「…陶子さん?」
理不尽にも思える激しい主張に思わずたじろぐ。
『早く、呼んであげて。船長にはパートナーが必要よ。シータさんや私みたいな電子の妖精じゃなく、きちんと温もりを感じられる相棒があの人のそばに絶対必要なの! まだ間に合うから!』
『カホ、TM102の高度が最高点に達しました。以降、放物線軌道で落下します』
陶子さんの声にかぶさるようなシータの報告。
『香帆ちゃん!』
『カホ』
「もーぅ、うるさいなあ。せっかく潔く諦めようと思っていたのに」
本音を言うと、怖い。
生身の体にこだわるあまり、このまま孤独に木星の海底に沈んで、一人で死んでいくのだと思うと、とても怖い。
でも、それ以上に、湊の重荷になるのが怖い。
いや、いつだって彼に負担をかけるのは嫌だった。彼が認めてくれたように、対等のパートナーとして、彼にとって役に立つ存在であるように頑張ってきた…つもりだったのに。
こんな所で、自分の無力をさらすなんて。
シータに頼んで、アルディオーネに人格だけ回収してもらうのが一番楽だ。それに異星人の遺物だって、人類はこれまでずっとそんな物なしでやってこれたんだから、多分この先だって大丈夫だろう。
異星船にはちょっと不義理しちゃうけど、まあ、しょうがないよね。
そう、無理やり自分を納得させようとしていた…のに。
潜航艇の全センサーでアルディオーネを見つめる。ああ、こんなに近くにいるのに。
「湊…湊っ!」
もう止められない。気持ちが、溢れる。
「湊、お願い…」
『これ以上アルディオーネとの相対距離を維持できません。距離が開きます』
『香帆ちゃん!』
「お願い、私を…」
寂しいよ、怖いよ、湊。こんな所で甘えたくはない。自分の力でなんとかして見せたかった。でも。
「助けて! やっぱり死にたくない! 湊!」
その瞬間、見つめるアルディオーネの船体が大きく震え、船尾の船殻が激しく吹き飛んだ。
『アルディオーネ、後部貨物ハッチが吹き飛びました!』
「シータ?」
『私ではありません。全く知覚不能でした。私よりさらに上位のっ!』
『香帆! 船体をアルディオーネに正対させろ! 次のマークで残った船殻を全て捨てろ!』
「湊?!」
『言ったろ、信じろ、必ず守るって。時間がない、いくぞ、三、二、一、マーク!』
迷っている暇はなかった。
私は彼の言葉に従って残っている船殻と外部機器の一切を全て投棄した。
船殻センサーに頼っていた全知覚を失い、目の前が真っ暗になる。音も光も失って、真っ暗闇にひとり、漂う。
『香帆、耐圧殻の緊急用センサーを起動しろ。単独で機能する最低限の外部感覚が装備されている』
驚いてシステムを探ると、確かにエマージェンシーセンシングの項目がある。慌てて起動すると、全周可視光映像と外部音響のセンサーが起動して再び外が見えるようになった。
それでも、全装備を投棄したTM102には、もはやまったく姿勢制御の手段ない。なすすべもなく激しい揺れに身を任せながら、こちらも満身創痍のアルディオーネが水生ほ乳類のようになめらかに姿勢を変え、後部ハッチの吹き飛んだ貨物倉をこちらに向けるのをただ眺めていた。
(どうしてあんな機動ができるんだろう?)ぼんやりとそう思う。硬い船殻が、まるで生き物の身体のように柔らかくうねったように見えたほど。
『突っ込むぞ! ショックに備えろ!』
落下を始めたTM102をすくい上げるように、下方から高度を上げながら迫ってくるアルディオーネ。その距離は瞬く間に二百メートルを切り、なおもハイスピードで近づいてくる。
「湊、ぶつかる! 危ない!」
乱流に煽られがくりと高度を落とすTM102に調子を合わせ、アルディオーネもすっと高度を下げた。まるで見えない魔法のロープで繋がれてでもいるかのように、お互いの揺れをぴったりと合わせて接近する彼の手腕に、誰もが固唾を飲む。
『行くぞ!』
次の瞬間、TM102は高さも幅もギリギリの船倉に、まるで吸い込まれるように収容されていた。
真っ白な衝撃緩和フォームが壁と天井から噴出し、発泡して膨らみながら耐圧殻を包み込み始めた。視界のすべてが白い泡で覆われ、三度私は感覚を奪われる。
余りにも滑らかな収容で、まったくといっていいほど衝撃がなかったことが私には逆にショックだった。
(やっぱり、湊じゃないと駄目だ)
私がどんなに頑張っても、船と感覚統合をしてもなお追いつかないその技量の高さに内心打ちのめされながら、私は一方でまるで抱きしめられたかのような暖かさに全身を委ねてようやく息をついた。
「湊…」
『香帆、お願いだからもう少し甘えてくれよ。こんな時に変な遠慮はしないで欲しい』
「でも私…」
『君はかけがえのない相棒だって前に言ったじゃないか。香帆、君のいないこの世界なんて何の意味も無い。俺は君がいるからこそ生きていられるんだ』
「…え?」
『勝手にどこかに行こうなんて思わないでくれ。前に言ってくれただろう? 一緒に行こうって』
知らぬ間に私の目は涙で溢れた。私って、どうしてそんな簡単な事を信じられないでいたんだろう?
『このまま上昇する。香帆、シータ、後は任せるよ。ちょっと…眠い』
そのまま湊の声はぷつりと途絶えた。
TM102はその後、アルディオーネごとトロイス基地に曳航され、ミッション開始から百時間を過ぎた所でようやく耐圧殻から引っ張り出された。
だが、誰もが危惧していた通り、私は立ち上がることはおろか、MMインターフェースなしでは言葉を発することも出来なくなっていた。結局待ち構えていた医療技官の手によって有無を言わせず病院船に移され、即座にICUに収容される羽目になった。
同じ病院船には湊もチャンバーごと搭載され、そのまま猛スピードでサンライズコロニーに移送された。
そんなわけで、私たちは二人とも、自分たちがあれほど苦労して回収した遺物の解析に最後までまったく関わることが出来なかった。
ちなみに、回収した遺物の解析は異星船の申し出を受け、プロジェクトチームと異星船の両者立ち会いで行われる事になったと聞く。両者の仲立ちには超AI、シータが大活躍したらしい。
ただ、遺物に納められていたのは回収者に向けた短いメッセージといくつかの図表だけだったようで、数年がかりを覚悟して始められた解析作業は開始からほんの数日で決着する事になる。
それによると、異星船が始祖と呼ぶ超古代の知的生命体は私たちの太陽系を銀河系における最後の訪問地とし、そこから別の銀河に向けた長い長い旅に出るつもりだったらしい。遺物を木星に沈めた後、実際に始祖達が銀河系を離れたのか、あるいはまた別の目的に向けて旅立ったのかまでは明言されていなかったが、異星船の「彼ら」は始祖のメッセージを信じ、解析完了からわずか数日後には太陽系を離れ、そのまま永久に姿を消した。
私は、別れの挨拶すらも交わすことが出来なかった。
後には、彼らからのギフトとして、膨大な先進異星技術の詰まったデータベースだけが残された。
---To be continued---




