第六話 トロイス基地
「遠いところまで良く来てくれた。それに、災難だったな」
ドックのエプロンには、先ほどの無線の相手、辻本基地司令がみずから姿を見せていた。
「ずいぶんお久し振りです。相変わらずお元気そうですね」
先輩は面映ゆそうな表情で応じながら右手を差し出す。
辻本司令は、その手を両手で力強くがしっと握りしめるとぶんぶんと子供みたいに振り回す。
「それにしても、しばらく会わないうちに相当腕を上げたな。さっきの強制着床は見物だったよ」
「あはは、まあ、必要に迫られて仕方なく……」
辻本司令の微妙なほめ言葉に、先輩も複雑な苦笑いで答える。
その視線の先では、荒っぽい胴体着陸をしていまだつんのめったままのアローラム。すでにグランドクルーの手で消火フォームは取り除かれ、スリングワイヤーが取り付けられようとしていた。
「ところで、校長、いえ、司令はなんでトロイスなんかに?」
「ああ、そのあたり積もる話があるんだが……それよりも」
言いながら辻本は湊の後ろにいた私を手招きした。
「今さら紹介の必要はないよな。君同様、今回、NaRDOの嘱託として来てもらった徳留君だ」
「はぁ!?」
「うわっ! しまった! 忘れてた!」
先輩の目が大きく見開かれ、私は小惑星の衝突騒ぎで完全に頭から吹き飛んでいた重要事項をようやく思い出した。
「何だ 聞いていなかったのか? 船内で折を見て説明するように言っといたんだけどな」
辻本指令は額に冷や汗を浮かべて必死でアイコンタクトを取ろうとしている私を平然と無視すると、のほほんとした口調で先輩に問いかけた。
「どういう事です?」
「あ、あのね、別に隠してた訳じゃないんだけど……実は私」
「なんだ、君もグルなのか?」
「あー」
それ以上言い訳できず固まる私に冷たい一瞥を向けると、先輩はくるりと背中を向ける。
「あの~、先輩ちょっと待って!」
引き留めても無駄だった。
靴音も高らかに、あっという間にエアロック内扉の向こうに消えてしまう。
遠ざかるその背中に手を伸ばそうとした私は、エアロックの扉が閉じた瞬間、がっくりとその場に崩れ落ちた。
「あちゃ、相変わらず気難しい奴だなあ。ま、予想された反応ではあるけども~」
辻本司令はその姿を眺めながら苦笑した。
「司令!笑い事じゃないですよ。私、どうしたらいいんですかぁ!」
私は憤然と立ち上がると、肩を怒らせて辻本司令に詰め寄る。
「密航者のふりをして無理にでも乗り込んでしまえって私に入れ知恵したのは司令ですよ。助けて下さい!」
「でもな、そうでもして強引に乗り込まないとあいつは絶対に他人を乗せないからな」
「だから嫌だって言ったのにー! 先輩がちゃんと見つけてくれなかったら絶対死んでましたよ、私!」
頬を膨らませてなじる私をいなすように司令は苦笑する。
「ちゃんと筋を通して頼めばよかったじゃないですか!」
「そんな事したら確実に断られているって。あいつは自分自身も、自分の設計した船も信用してない。まわりが評価してるほど。そして他人の命を預かれるほどには、な」
辻本司令はそう、独り言のようにつぶやいた。
「え?」
私はその言葉に思わず自分の耳を疑った。
エアロックの機器類が立てる騒がしい音ががすっと遠ざかり、急に周りの気温が数度下がった気がした。
「いや、でも、結局、密航者扱いせずにクルーにも入れてくれたし……思ったより優しかったし」
「湊の外づらは巧妙な演技だよ。俺も古い付き合いだが、あいつ自身の口から本音が出たのをまだ聞いたことがない」
そのまま私に背を向け、小さくため息をつく司令。
「もう三年ほど前になるかな。湊はテストパイロットだった婚約者を亡くしたんだ。自分の設計した船の評価試験中に、よりによって自分の目の前で、ね」
「え……うそ!」
「もちろんあいつのミスなんかじゃない。想定外の不幸なエンジントラブルでね、臨界出力に達した瞬間にエンジンが暴発したんだそうだ。でも、それ以来あいつは自分の設計技術を自ら封印した。そのうちに会社も辞めた。あいつがあんな人嫌いの気むずかしい男になったのはそのあたりからだ」
「あんなすごい船を造れるのに?」
「そう。実際、退職のうわさを聞きつけた大手船舶メーカーや各国の軍需関係からとんでもない高条件で熱心に誘われたらしい」
そう言いながらあごに手を添え、小さく首をひねる。
「まあ、リクルートと言うよりほとんど誘拐まがいの勧誘もあったらしいね。君も知っての通り、あいつの専門は小型の特殊船舶だが、限界を突き詰めた設計思想は軍用の戦闘機動艇に通じるところがあるからねえ」
「そんなことされたら……私だったら」
「まあ、普通、そこまでされたら誰だって人間不信になるな。で、色々あってまるで逃げ込むように私の宙航士訓練校に飛び込んできた。どうしても船の操縦を覚えたいからってね」
「え? 先輩って操船免許持ってなかったんですか?」
「いや、あいつは究極のインドア派でね。それまでは遊覧用のヨットすら操縦したことないって言ってたなあ」
昔を思い出すように斜め上を見上げてふっと遠い目をする司令。
「それはもう、まるで何かに取り付かれたように必死だったよ。うちは普通、NaRDOから教習委託を受けた人間しか受け入れないんだが、ついついあの熱意にほだされてねぇ」
「そんなこと……何も話してくれなかったし」
私は話を聞くうちにいたたまれなくなった。
この二週間、そうと知らずにずいぶん無神経な物言いをしてきたことに今さらながら思い至ったからだ。
「でもな、今回の緊急事態をなんとかこなせそうな民間の超高機動艇っていったら、日本中探して結局二隻しかなかったんだ。湊には悪いけどこればっかりは譲れない」
司令は向き直ってその点を強調した。
「一隻はもちろんアローラム、もう一隻はとあるジャーナリストの持ち船だ。なんせ事が極秘だけに報道関係者にうかつに声はかけられないしな」
「あ、『がるでぃおん』の事ですよね?」
「知ってるか? 実はあれも、あいつが辞める前に設計を手がけた船らしいんだよ」
「……はい、前に調べました」
『がるでぃおん』はこの業界ではかなり名の通った船だ。
個人所有の船としてはおそらく太陽系一の高性能艇ともうわさされている。数年前、火星軌道近くで宇宙人の遺跡らしき構造物を発見したあの有名な女性ジャーナリストの愛機だ。
あの真っ白な船体と流れるように優美な曲線は、確かにアローラムに似ているとも言えなくない。
私はネットニュースで何度も目にした『がるでぃおん』の勇姿を思い浮かべ、あらためて納得してうなずいた。
「まあ、奴もバカじゃないって。きちんと理由を話せばきっと判ってくれるよ」
「理由って言ったって私だってほとんど何も知らされてませんけど」
「じゃあ君の知る限り心を込めて話せばいい」
「え、もしかして、先輩を説得する役目はやっぱり……?」
「そう、もちろん君!」
指さしながらそう言い放つと、司令はもはや半泣き状態の私を無視し、のんびりと腕時計に目を落す。
「じゃあ、三十分後に第三会議室でブリーフィングだ。アローラムも大至急で修理、改修しなくちゃならんし、その後の打ち合わせもしておきたい。詳しい話はその時にするから、うまく言いくるめて連れてきてくれよな」
ほわーんとした口調でずいぶん無茶なことを言う。
「そんな薄情な」
でも、司令はにっこり笑って背中を向けると、そのまますたすたと管理棟の方に歩み去ってしまった。
「どうしよう……」
人気のなくなった連絡通路で、私は一人途方に暮れた。
その後、基地中を走り回ってようやく先輩を見つけたのは、人気の無いカフェスペースの端にある小さな展望窓の前だった。
「はあ、はあ、湊先輩!」
膝に両手をついて必死に荒い息を整えながら呼びかける。
だが、先輩はまったく反応するそぶりも見せず、ディスポタイプの低重力マグを抱えたままぼんやり外を眺めていた。
「先輩、お願いですから話を聞いてくださいよっ!」
できるだけ真剣さが伝わるよう、
「ごめんなさい! 黙っていたことはこの通り謝ります。でも、ちゃんと理由があるんです。聞いてくださいよっ!」
と頭を下げる。
「……断る」
「どうしても大急ぎでトロイスに来たかったんです。辻本基地司令に呼び出されていて。でも、こんな場所、直行便はもちろんチャーター便もめったにありません。それに、先輩は自分の船に絶対に他人を乗せないって噂を聞いて、どうにかならないかって司令に相談したら、こっそり乗り込んじゃえってそそのかされて思わず……。ごめんなさい!」
そのまま体を二つに折る勢いでもう一度頭を下げた。その勢いに押されるように、先輩は半分呆れたような口調ながらようやく返事を返してくれる。
「あのなあ、定期便も通っていない辺境に呼び出す司令が非常識だろう。そんな無茶な要求、聞くことないんだよ」
「でも、私にとってはめったにないチャンスだったんです。もし、今回のチャンスを逃したら、次に外宇宙に出るチャンスなんて学校を卒業して、就職して、何年もずっと地球近傍航路で下積みをがんばって、下手したら十年以上先のことになっちゃいます」
話しているうちに思わず目尻に涙がにじむ。
「でも、それじゃあ困るんです!」
先輩はようやく私に振り返ると、展望窓からのぞく満天の星をバックに、訳がわからないといった表情で両手を広げる。
「なぜそんなに焦るんだ? 外宇宙は見ての通り、何十億年もずっと変化のない世界だ。君みたいな未来のある子がどうして……」
「私、追いつきたい人がいるんです!」
正面から先輩を見据え、選手宣誓でもするように声を張る。
「とにかくすごい才能の持ち主で、私、本当に憧れています。いいなって思う宇宙船には調べてみるといつもその人が関わっていて。でも……」
なんだか恥ずかしくなってきた。顔が熱い。多分私の顔は真っ赤に違いない。
「先輩、あの、『がるでぃおん』って、先輩の設計ですよね?」
「……なぜ知ってる?」
「個人船としては太陽系一の高性能艇だって評判です。あの有名な女性ジャーナリストの愛機ですよね」
「あ、ああ、そうらしいな」
途端に興味を無くしたようなそぶりで、先輩は再び窓の外に視線を移す。
「私、がるでぃおんの活躍を何度もネットで見て、すごいな、私もいつかこんな船にたずさわりたいって思いました。でも……」
窓ガラスに映る先輩の瞳。星の光を反射してきらめくその目を、私はにらみつけるようにまっすぐ見つめる。
「あの船が完成してすぐ、先輩は会社を辞めちゃったんですよね? どうしてですか?」
直球でたずねる。
「辻本司令に聞いてもはっきりは教えてくれませんでした」
「昔の話だよ。もう覚えていない」
「でも、先輩の腕だったら、世界中のメーカーや軍工廠からいくらでもスカウトがあったはずです」
「……」
「どうして、まるで世界中から隠れるみたいにたった独りで外宇宙をさまよってるんですか?」
「……確かに、しつこく追いかけ回されたよ。そういうのが面倒になったんだ」
「本当にそれだけですか?」
先輩の瞳がゆらりと揺れた。
そのまま目を伏せてしばらく黙り込み、やがて、小さなため息。
「あのな、俺自身、自分の設計した船を信じられなくなったんだ。今さら他人の命を預かるなんてとんでもない。それに元々俺はコミュ障だし。独りの方が気楽なんだ」
そう、やけっぱちっぽく答えるとぷいと横を向く。
「そんなのウソです! 先輩、ずっと優しかったじゃないですか。私を港湾局に突き出したりしなかったし」
「……急ぎの仕事だったからな。わざわざ引き返すのが面倒だっただけだ」
ぶっきらぼうに答える先輩。でも、その目がわずかに泳いでいるのを私は見逃さない。
「とにかく、俺はもうこれ以上誰かと親しくするつもりも、新しい船を作る気もないんだ。放っておいてくれないか」
私は天井を見上げて深呼吸し、とどめのセリフを口にした。
「先輩、逃げるんですか?」
途端に先輩の顔が苦しげにゆがむ。
「辻本指令がおっしゃってました。今回の緊急事態をなんとかこなせそうな民間の超高機動艇っていったら、日本中探して結局二隻しかなかった。先輩には悪いけどこればっかりは譲れないって」
「悪いけど」
先輩は話を打ち切るようにマグの中身をぐいっと飲み干すと、緊張して思わず身を固くする私に向き直る。
「……俺にも若い頃、憧れた人はいたよ。もう、皆死んじゃったけどな」
そのままポンと私の頭に右手をのせる。
「短気起こして悪かった。打ち合わせには出るから」
「はい、あの?」
「お前もいつか追いつけるといいな。その、憧れの人ってヤツに。俺も気が合いそうだ」
そう言い残すと、遠い目をしたままマグをダストシュートに放り込んでスタスタと歩み去ってしまう。
「はい、でも? 先輩?」
首をひねる間もなく、私はまたもや一人取り残される。
「まさか、この話の流れで? 全然気がついてないの? せっかく私が勇気を振り絞ったのに!」
だんだん腹が立ってきた。
「この朴念仁! バカァ!」
---To be continued---