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プレ・ドライブ 異星船捕獲作戦  作者: 凍龍
第二部 高重力下の死闘
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第五十八話 Deep Inside

 一体、どのくらいの時間そうしていただろう。

 号泣の余韻で時々発作のようにしゃくり上げながら、私は底知れぬ脱力感と虚無感に身をまかせ、ただぼんやりと虚空を漂っていた。

 涙でぐしょぐしょの頬をぬぐうことすらしなかった。まるで電源が切れてしまったように身体のどこにも力が入らず、TM102が伝えてくる膨大な感覚情報もまるで感じられない。

 頭の芯にまるで綿でも詰められたように何も考えられず・・・いや、何も考えたくなかった。

 考えれば、たちまち私の心は深い後悔と疑問で一杯になってしまうだろうから。

(ああ、静かだな)

 すべての感覚情報を遮断して”文字通り”自分の殻に閉じこもった私は、異星船に捕らえられたまま、どこまでも、深く、深く潜っていく。

 そこにあるのは、ただひたすら、静寂。


 湊と初めて出会った時のことをぼんやりと思い出す。

 辻本司令に初めて出会った時、私はESAしょくばで上司とまったくソリが合わず、いつも臨戦態勢のハリネズミのようイライラした状態だった。

 今では慣れっこになったあのなれなれしい態度にも当時は反感しか感じられず、うるさくつきまとう辻本司令に、子供っぽい反抗心で「そんなに私のスキルが欲しいなら、それなりのそざいを出してみろ!」と、今になってみれば赤面モノの啖呵を切ったことを覚えている。

 でも、「じゃあ、これかな?」と司令が出してきた船は私の予想を完全に裏切るとんでもない代物だった。

 機能最優先の宇宙機業界にあって異端中の異端。性能にまったく寄与しないと思われる海棲ほ乳類のような柔らかで流れるような外観デザインに、物理法則を無視して取り付けられたとしか思えないアンバランスなハイパワーエンジン。普通ならまともに浮きそうもないそんなゲテモノがとんでもない性能スペックを秘めている事にまず驚き、さらにこんな暴れ馬を本能で縦横無尽に操る異能の宙航士がいることにさらに驚いた。

 それが、彼だった。

 とんでもない人嫌いと耳打ちされ、確かにぶっきらぼうではあったけど、その奥に繊細で傷つきやすい魂が隠れているのに気付いたのはいつだっただろうか。

 多分、その時、私は恋に落ちたのだと思う。

 彼のために自分の力を尽くしたいと思ったのも、もうどこにもいないかつての恋人をいつまでも想い続けるその姿に人知れず嫉妬の炎を燃やしたのも、相棒と認めてもらえた瞬間、天にも昇れそうなほど嬉しい気持ちになったのも、すべて生まれて初めての経験だった。

 それなのに。

 まさか、自分の存在が彼の傷を抉り続けていることに今ごろ気がつくなんて。


 突然のアラームで不意に現実に呼び戻された。

 気がつくと、どうやらTM102わたしは木星の海中に静止しているらしい。

 網膜の片隅に表示された液圧は三百気圧、温度は千七百ケルビンで安定している。潜航可能深度にはまだまだ十分余裕がある。アラームが鳴ったのは、アルディオーネと結ばれている超高速データリンクが突然遮断されたためらしい。

(シータ? 支援船、辻本司令?)

 呼びかけてみるが、誰も答えない。おまけに私を異星船に縛り付けていた人工重力もいつの間にかすっかり消えていた。

「シータ! 司令! ・・・湊!」

 私の背中を冷や汗が伝う。

 データリンクが切れたと言うことは、アルディオーネ経由で支援船に送られていたテレメトリーデータもいきなり遮断されているはずで、向こうから見れば圧壊したと判断されかねない。もうひとつ、TM102の制御は、生命維持のための必要最低限を除けば、すべてアルディオーネに搭載されているAI、シータが遠隔制御で担っていた。ニューロAIのために元々搭載されていたストレージはアルディオーネに移設され、初期化されて今はシータの巣になっている。私の自前の脳だけでどこまでTM102の制御が代行できるのか。ストレージ撤去を決めた時点で十分可能という判定は出たけど、実際にシータが完全に切り離されたのは今、この瞬間が初めてだった。

 私はシータが抜けてコントロール不能になった制御モジュールをMMインターフェースにリンクし直し、TM102の状況を把握しようとしてふと、ある可能性に気付く。

 データリンクが切れたのがアルディオーネむこう側の理由だとしたら・・・

 瞬間、目の前がまるで立ちくらみのように真っ暗になった。まさか、そんな。

「アルディオーネ、聞こえませんか? 湊! 湊!」

 いくら叫んでも返事はない。

 おかしい。

 湊と私のMMインターフェースには異星人のテクノロジーが応用された軍用の通信モジュールがペアで装備されている。たとえ電源が喪失し、他のいかなる通信手段が途絶しても、ほんのわずかな筋電位をエネルギー源にして最低音質の音声通信は出来るはずなのだ。

 それなのに、わずか数ビットの生存確認キープアライブシグナルすらも帰ってこない。

 私は最悪の予感にドキドキと暴れ始めた心臓をどうにかなだめ、船殻センサーのゲインを最大限に上げた。加えてTM102わたしに搭載されたすべてのセンサーデバイスをフル稼働させて周囲の状況を探り始める。

 すぐに、異星船を中心に、直径数百メートルの球体が周囲を包み込んでいる事に気付いた。

 どんな波長でセンシングしても、その先の情報がまったく感知できないのだ。まるで漆黒の真綿にでも包まれたように、球体の外側には水素原子一つ感知できず、どんな振動も音も、光や電磁波さえも返ってこない。ついさっきまで豪雨のように激しく降り注いでいた木星放射線すら、まったく検出できない。

 静かなのも当たり前だ。恐らく異星船の仕業だ。私は自分の殻に閉じこもり、今の今まで周囲の変化に気付かなかった自分のうかつさを呪った。

 大きく深呼吸して改めて気持ちを落ち着けると、私は出し抜けにスラスターを全力噴射して上空に向かった。

 だが、それだけだった。

 噴射は確かに続いている。みるみる減っていく燃料ゲージの数値がそれを物語っている。それなのに、異星船との距離も、私達を包んでいる謎の球体との相対位置もまるで変化しない。

 一片の加速度すら感じられないことに気付いた私はパニックになりかけながら噴射の方向をめまぐるしく変え、結果がまるで伴わないことに落胆し、スラスターを停止させた。

 背後のどこかで、定格一杯の連続噴射で過熱、膨張した燃料配管がゆっくりと収縮するチリチリという音がかすかに聞こえる。

 結局、外部液圧ゲージの値も温度計の数値も、まるで網膜に張り付いたようにまったく変化しなかった。

 私を捕らえている正体不明の檻は生半可な試みで破れるものでもないらしい。

「ふう~っ」

 私は深くため息をついて目をつぶり、自嘲気味につぶやいた。

「そうだよね。当然の報い・・・か」


”小さき者よ、そろそろ落ち着いてくれただろうか?”

 張りのあるバリトンボイスが突如耳を打つ。私はハッとして目を見開くと、声の主を探してあちこちに目を泳がせる。

”君たちが明らかにその資質ありと確認できなかったので、色々試させてもらった。それをまずは詫びたいと思う”

「誰?」

 反射的にそう問いかけ、答は一つしかないことに気付いて思わず赤面する。

”私は、君たちが「異星船」と呼ぶ個体の主人格メインパーソナリティーだ”

「もしかして・・・あなたが私を隔離したんですか!」

”ああ。横槍が入らないところでゆっくりと情報交換はなしをしたかった。君の生存は保証する。安心して欲しい”

「私のことより、アルディオーネはどうなっているんですか? まず湊と話をさせて下さい!」

”・・・君のそばで支援を行っていた中型個体の事か? それならば、少し前にこの星の周回軌道にある大型の個体と接触した” 

 私は少しだけホッとした。シータは無事に湊を支援船の所まで運び上げてくれたらしい。

「では、お願いです。湊と話をさせて下さい」

 要求に対し、返事はなかなか帰ってこなかった。

”小さき者よ。残念ながらそれは不可能だ。君を支援していた個体内部の炭素系知性体は思考を停止している。意思疎通は難しい”

「生きて・・・いるんですよね?」

”さて? その言葉が知性体内部の脈動を意味するものであれば微弱だが継続中のようだ。小さき者よ、それよりもそろそろ情報交換はなしをさせてくれないだろうか?”

 声ははっきり苛立ちと感じられる口調を帯びた。

 もっと色々聞きたい。けど、それには声の要求に多少応える必要がありそうだ。

「わかりました。それよりも、さっきはどうしてあんなに高圧的・・・」

”・・・私にはいくつかの副人格サブパーソナリティーがある”

「はぁ」

 いきなり始まった身の上話にどう答えるべきかとっさに思いつかず、とりあえず曖昧に相づちを打つ。

”気の遠くなるような長い旅の間に、我々は多くの知性体と融合を繰り返してきた。その中には、明らかに相反する思考原理を持つ知性体も存在した。彼らと矛盾なく融合するために、我々は主人格をいくつかに分け、似通った思考原理同士で知性融合を行う必要があった。繰り返しそのような事を行ううちに、明確に異なる性向を持つ副人格がいくつか生まれるに至った”

 話のつながりが判らず困惑する私の脳裏に、声はいくつかのイメージを送り込んできた。まず頭に浮かんだのは、巨大な棒渦巻銀河の姿。

”判るだろう。君たちの銀河だ。この中には、我々が知るだけで百三十の知性体がかつて存在した。多くは既に消滅したが、我々の中核をなす最も古い知性体は、この銀河がかつて他の銀河と衝突合体をした頃に最初の知性を得た”

 ああ、いつだったか、アローラムのコクピットから満天の星を眺めながら、湊が壮大な銀河衝突の話をしてくれたなぁとぼんやり思い出す。

 百億年、あるいはもっと前、私達の銀河は、すぐそばにあるアンドロメダ銀河と衝突した。ただ、衝突と言っても星同士はほとんどお互いの間をすり抜けてしまい、正面から激突するのはごくまれな事らしい。

 ただ、数千億の星を有する巨大質量同士の衝突は周囲に激しい重力変化を引き起こし、影響で辺境に位置する多くの恒星系が軌道を崩壊させてバラバラになる。

 数十億年後の再衝突の際には、私たちの地球も太陽から引き剥がされ、どこかに弾き飛ばされてしまうらしい。それを聞いてなんとも物寂しい気持ちになったこともついでに思い出す。

”先ほど君たちに接した副人格は、直前に融合した知性体の影響を極めて強く受けていた。融合直後はそのような事が良く起こる。どうやら、君たちにあまりいい印象を持っていなかったようだが・・・”

「それって・・・」

”そうだ。この星の表面で最初に我々を捕獲しようとした者たちだ”

 私は思わず天を仰いだ。サルベージ船に乗っていたヤトゥーガのパイロットたち。同時に、空っぽの与圧服の理由にも思い至る。どんな方法を使ったのか判らないけど、彼らは異星船に取り込まれたのだ。

「私達を偽の救難信号メーデーでおびき寄せたのも?」

”その通り。結果的に君たちを欺くような結果になったことを許して欲しい”

「でも、どうして? 時間はかかっただろうけど、放っておいてもいずれ私たちはここに来たはずよ。そんな詐欺まがいの計略を巡らさなくても・・・」

”可能な限り急ぎたい理由があった”

「そりゃまあ、そうだろうけど・・・でも、結果的に無理なスケジュールで綱渡りなオペレーションになったわ。十分な準備があれば湊だってあんな目に・・・」

”我々の中核知性は、自らの星系に大量に残されていた始祖の痕跡をつなぎ合わせ、恒星間航行の能力を得た。ちょうど今の君たちがなそうなりつつあるように”

 私のクレームには答えてくれず、またとんでもなく話題が飛ぶ。どうにも話がしにくい。

”銀河に版図を広げ続けるうちに、同じような始祖の痕跡が残る恒星系がいくつも見つかった。ただ、実際に知性体が生まれた星系はその半分にも満たず、星系内の別の遊星にその活動を広げているケースはさらに少なかった”

「じゃあ、私たちの太陽系に遺跡をばらまいたのは、あなたたちじゃなかったの?」

”違う。我々が始祖の痕跡を追ってこの星系に足を踏み入れたのはこの遊星の一周期よりさらに最近のことだ”

 木星の公転周期はおよそ十二年。前回の異星船騒ぎが始まるほんの数年前だ。

 だとすれば、数十億年前から金星に設置されていたシータは、異星船とは関係がなかったことになる。

 では、なぜ両者の通信プロトコルが共通なのか。私は頭を抱えた。解けない謎がどんどん増える。

”我々はまず君たちの文明をつぶさに観測し、またこの星系内に小型の飛翔体を巡らせて君たちの宇宙航行能力を綿密に測った”

「何のために?」

”言うまでもない。我々の本質を脅かす、危険な知性体というのも往々にしてあるのだ・・・”

 声はそのまましばらく沈黙し、少し考え込んだ様子で再度しゃべり始めた。

”幸い、君たちの文明はそこまで危険視はされず、なかなか興味深い事実も判明した。今回、君をこの場に招いた最大の理由がそれだ”

「興味深い?」

”極めて原始的な推進装置しか備えていない個体が我々の飛翔体を捕獲し得た理由が知りたかった”

「それって、アローラムの事?・・・」

”そう。我々はあの小さな興味深い個体を擁するグループが再び接近してくるものと期待した。当初の状況は我々の思惑とは異なったが、副人格との協議で、状況が整理されれば、いずれ君たちが我々に接近するのは必然だろうという見方が大半を占めた。”

「まさか、サルベージ船を引きずり落としたのはそれが目的だった訳じゃないでしょうね?」

”小さき者よ、誤解しないで欲しい。あれは不幸な事故だった。君たちを基準に応対したのだが、予想以上に彼らは脆かった”

 私は心の中でうなり声を上げた。なんとなく、気に入らない。

 ヤトゥーガには何度も煮え湯を飲まされたし、人の命をなんとも思わない強引なやり方にはいまだに強い怒りしか湧いてこない。でも、この声の主の方がそれよりまともだとも思えなかった。

「・・・あれは、まぐれみたいなもの。何が欠けても成功しなかった。あの時初めて太陽系の主な宇宙機関が手をつなぎ、関係者全員がそう願ったから成功しただけの話」

 悩んだ末、私も細かい所はぼかして曖昧に答えた。

 異星船は私たちの実力を知りたがっている。だとすれば、技術情報は交渉のための有力な武器だ。中でも湊の存在は文字通り私の切り札になる。

”ふむ”

 それきり声は途絶えた。

 なんだかモヤモヤする。

 湊と一緒に太陽系中を駆け巡った追跡ミッションは今思えば本当に楽しかった。やってる最中は確かにとても辛かったし、最後の最後にとんでもない落とし穴はあったけど、同時にまるでスポーツのような高揚感と爽快感があった。

 今回はそれがない。周囲には罪もない犠牲者ばかりがどんどん増えて私は辛くなるばかりだ。

(・・・湊)

 心の中でつぶやき、強く、ひたすらに彼を想う。

 世界から完全に切り離され、たった一人。今の私にはそれだけしか頼るものがない。


---To be continued---

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