第五話 ナビゲーション
「ったく、だれの影響かなあ、とんでもないじゃじゃ馬娘になっちまったなあ」
数時間後。俺は右手のコントロールスティックでわずかにカウンターをあて、操縦者の意思に反して勝手に崩れようとする船体の姿勢を微妙に揺り戻しながら思わずグチった。
「先輩、転針おも舵0.2、仰角プラス1.4。また左下に流れてるわ」
香帆が一心に読みふけっていたマニュアルから目を起こし、じとっと俺を睨みつけたかと思うと、マルチディスプレイの星空に天測座標図の表示を重ねながら口をはさむ。
レーザージャイロとビーコンアンテナがいかれてしまったため、全天で最も明るい二つの恒星、太陽とシリウスの位置から方角を割りだす古典的な天測法で針路を確認する以外に方法がなかった。四十年ほど前に太陽系中にビーコンマーカーが設置されて以来、今では無人機すらもめったに使わないクラシックな航法だ。スターマップのデータが船のマスターコアにストックされていたこと自体、奇跡的な幸運としか言いようがなかった。
「りょーかい……って、そんな細かい転針、この状態じゃできないって」
「いいから文句言わずにやるの! と、そう、もうちょい、そのまま、まっすぐ、はい! お上手」
香帆は元の針路に戻ったことを確認すると、再びマニュアルに取り組みはじめる。
「なあ、香帆、それさっきからずっと読んでるけど、もしかしたらなにか手伝ってくれるつもりなのか?」
「え? ああ、これ? 私が操縦を覚えれば先輩も少しは休めるかなって思って」
「でもなあ……」
俺は半分唸るように言葉をつむぐ。
「がんばっているところに悪いが、アローラムはドロナワで操縦を会得できるほど簡単でもないぞ。かなり特殊というか、癖があると言うか……」
けげんそうな表情を向ける香帆に向かって、
「はっきり言った方がいいな。ムリだ。特にこんな悲惨な状態じゃ。半端な知識だけじゃ船は操れない」
断言する。香帆はうつむくと悔しそうにくちびるをかみしめる。
「……でも、確かにそうみたい、ね」
しばしの沈黙のあと、香帆は分厚いバインダーをコンソールに投げだして大きくため息をついた。
「標準外の付属システムやチューンナップ箇所がやたらに多すぎるよ。ここまで無秩序に拡張して、今まで基幹システムのバランスが崩れなかったのはほとんど奇跡に近いわ」
「そうなのか?」
「そうなのかって、先輩、もしかして制御系ソフトウェアの方は専門外なの?」
「ああ、俺はもともとハード屋だからな。航法とか制御システムはガーミンとかの既製品を組み合わせて適当に突っ込んでるだけだ。それでもほら、ちゃんと動いてるから……」
「……それで一見まともに動いてること自体がとーっても不思議なんだけど」
香帆はそのままむっつりと考え込み、しばらくしておもむろに口を開いた。
「だとすると、なるほどね。私の役目はそこかなぁ」
そう言ってにっこりと笑う。
「はい?」
俺はその言葉の意味をはかりかねた。
「ねえ、ちょっと生意気なこと言ってもいいかな?」
「え? ああ」
「私、こう見えても航法システムのプログラミングにはちょっと自信あるの」
そう言って香帆は胸をはってみせた。
「実を言うとこの前話したラリーのシミュレーションプログラム、あれね、基幹アーキテクトから全部私が書いたの。だから……」
「だから?」
「もし先輩が許してくれるなら、この船の操船プロトコル、根元からまるっと書き換えることだってできるはず」
「へえ、でも変だな、操船基幹アーキテクチャはブラックボックスだから変更はできないって聞いてるけど?」
「それは、法律を盾に、業界合意で無難な規格にあわせてるだけよ。ちっともおもしろくない」
「おまえ、業界を敵に回してるぞ」
しかし香帆は歯牙にもかけない。
「この船みたいな超高機能の特殊船舶なら、本来ならそれに見あったオーダーメイドプログラムの書きようがあると思うわ。制御システムだけ変にまともだからせっかくのエンジン性能をずいぶん無駄にしてるし、今回みたいな非常事態にはうまく対応できてないし……」
「まあ、妙な設計の船に無理やり既製のシステムを積んでるわけだからなあ」
「ホントね」
にべもなくずばりと切り捨てる。
「いや、そこは多少でもフォローしろよ」
「……ハードスペックはそれなりなのにOSもしょぼいし、まあ、マスターコアの容量にいくらか余裕があるのが唯一の救いかな」
しょげる俺を放置してあごに手を添え、うむと考え込む香帆。
「ねえ、少し我慢してくれたら、とりあえず駄目になった自動操縦システムを肩代わりするプログラムぐらい書いてあげられると思うけど。どうする?」
「ぜひ頼む。実はいいかげん嫌気がさしてる」
俺は即答した。このままでは目的地につくまでの残りの数日間、トイレもシャワーも我慢して一睡もせずにステッィクを握る羽目になりかねない。いくら操船が好きでもとてもできない相談だ。
「どんなにがんばっても八時間ぐらいはかかると思うけど、そこまで我慢できる?」
「ああ、もちろん。そのぐらいなら楽勝だ。頼んでいいか?」
「まかせて!」
香帆はにっこりと大きくうなずいた。さっそく目の前の星空と座標図を俺のディスプレイに追いやり、かわりにシステムエディタの画面を表示させると、腰のポーチからとりだした2センチ角のマイクロコアメモリをコンソールのスロットに慎重にセットした。
「なにだそれ?」
「え? ああ、これね。私特製のエディトリアルツールと過去に書いたありったけのリソースを詰め込んできたの。この船に忍び込んだのがたまたま航法学の授業のあった日だったから。持っててよかったわ」
香帆はそれきりむっつり黙り込むと、瞳をらんらんと輝かせながら両手の指をまるで準備体操のようにわきわきと動かし、次の瞬間、キーボードを超人的なスピードで叩きはじめた。
「へえ、香帆もアイポインターは使わないんだ」
俺は何気なく問い掛けたが、もちろん答えは返ってこなかった。
アイポインターは視線で画面上のファイルやデータを操作できるけっこう便利な入力デバイスだ。俺自身はコントロールスティックを握ったままでディスプレイ操作ができるので好きなのだが、サンライズ5在住の知り合いのプログラマー連中はなぜかそれを毛嫌いしてほとんど使おうとしない。どうやらプログラマーというのは元来そういう好みの偏った人種がつく職業らしい。
「え、なにか言った?」
しばらくたってやっと香帆が顔をあげた。一応聞こえてはいたようだ。
「いーや、なんでもない」
俺は肩をすくめて小さくため息をついた。
香帆の約束にいつわりはなかった。
予定の八時間に遅れることわずか三分後、俺はかれこれ二十時間近く握り続けたコントロールスティックからようやく開放されようとしていた。
「もう大丈夫だって。先輩の操船の癖も十分覚え込ませたから」
香帆はディスプレイに表示されるパラメーターを確認しながら太鼓判を押した。
実際、香帆のプログラムは三十分ほど前からすでに裏で走っていた。俺の操作をトレースし、船の挙動と操船の癖を覚え込むのにそれぐらいは時間が必要なものらしい。
「よーし、放すぞ、ユー・ハブ・コントロール!」
宣言しながら、俺はこわばった右手の指を一本、また一本と慎重に緩めていった。
「アイ・ハブ。移行完了。はい、これで制御はプログラムに完全に移りました」
香帆が応えて宣言した。試しに目の前のスティックを人差し指でわずかに押してみるが、船の姿勢に変化はない。すでにスティックの機能は完全に停止していた。
「へえ、滑らかなもんだなあ」
ガチガチにこわばった右腕を大きく振り、痛む首と肩をバキバキ回しながら俺は感嘆の声をあげた。
ひっきりなしに暴れるスティックを長時間操り続けたおかげで、右腕全体がパンパンにはって感覚がほとんどない。指先に至っては血の気が失われて白っぽく変色し、感覚がないほどしびれている。
「生き残った船外カメラをターゲットスポッターかわりに、太陽とシリウスを自動追尾して、目標の相対角変化から速度と位置座標を割りだす即席の天測システムなんだけど。どう、けっこう使えそうでしょ。」
香帆が鼻を膨らませて自慢げに聞いてきた。
「ああ、既製の自動姿勢制御システムと比べてもなかなか高性能じゃないか。でも、天測でこれほどの性能が出せるのに、どうしてどれもこれも高額なレーザージャイロを装備する船ばかりになったんだろうな?」
「さあ、大人の事情かしら。多分整備が楽だからじゃないのかな。それにご心配なく。このシステムはアローラムでしか使えないの」
「どうして?」
「この船の冗長なハードウェア構成を逆利用してるから。実際、反則すれすれの裏技もけっこう使ってるし、だいたい私、気に入った船以外に自分のプログラム載せる気はないから……」
そう言うと香帆はきれいな眉をわずかにしかめて言葉を続けた。
「それより、聞いて。ちょっと気になることがあるの」
「なに?」
「実はさっき、システムが立ち上がるまでちょっと暇だったからついでに計算してみたんだけど」
香帆は言いにくそうにそこで言葉を切る。
「だからなに?!」
「先輩、だれにめちゃくちゃ恨まれてない?」
思いがけない質問に俺は目を丸くした。質問の意図がまったくわからない。
「あのね、船に接触した小惑星のコースを逆算してみたんだけど、おかしなことにトモスa2あたりからまっすぐ飛んできたことになるのよね」
「トモスa2?」
俺はその名前に心当たりがあった。確かどこぞの多国籍コングロマリットが所有する大型のM型鉱山小惑星だったはずである。この仕事をはじめたばかりの頃、一度だけ貨物を届けたことがあった。
「なんでそんな……あ!」
「どうしたの?」
「いや、あそこには確かエヌテック社の超電導マスドライバーが入ってたなと思って」
「貨物コンテナとかを猛スピードで宇宙に打ち出すやつ?」
「そう。あそこのは直接火星軌道あたりまでコンテナをぶん投げる高出力のタイプだっただから、確かにあの手の金属小惑星を打ち出すぐらいは簡単だろうな。でも……」
「先輩! のんきにしてられないわよ。理由はわからないけど、私達、狙撃されたのよ」
「どうして? まさか、普通に事故だろ?」
俺は香帆の被害妄想を笑い飛ばした。
確かに間一髪ではあったが、希少鉱物を含む小惑星を丸ごと精錬施設まで飛ばすなんてことはけっこうどこでもやっている。進路上に警告ビーコンが発振されていたかどうかは今さらわからないが。
第一、命を狙われる理由が自分には存在しない。そう俺は確信していた。
「だいたい、俺達を墜とすつもりであれを飛ばしたのなら、簡単に出所のわかるようなひねりのない軌道は使わないだろ?」
「そうかなあ、でも……」
言い終わらないうちに船ががくりと姿勢を変えた。
「およ?」
思うまもなくがたがたと振動しはじめ、瞬く間に本格的なスピンに移行した。
「なに? エンジン出力が変動してる……あ、また!」
香帆があわててシステムを停止させながら叫ぶ。
「こんなに変動したらオートパイロットなんて不可能じゃない!」
一方で俺は半分悟った顔で肩をぐるぐる振り回すと、
「カメラ系がどこかでノイズを拾ってるんだ。外へ出てケーブルの絶縁を……いや、ともかく船を立て直すのが先だな」
俺はもうすっかりあきらめた。
この事態で5分休めただけでも儲けものだろう。
「さて、と」
俺は自動操縦プログラムを切ると、大きく息を吸い、コントロールスティックをわずかに握り直してトロイスに向かっての最終アプローチを開始した。
もはやほとんど信用できないメインエンジンの出力をアイドリングまで下げると、華麗なペダルさばきでスラスターを吹かし、アプローチラインにきっちりと船を導く。
アローラムの残されたメインエンジンは結局最後まで不機嫌なままで、まるで安定しなかった。
香帆は当初そこまで極端な変動を考えていなかったため、残りの航海の間、俺は夜昼の関係なしに何度となくアラームに叩き起こされ、あわててスティックを握る羽目になった。
予想もしない場所から次々に噴き出すトラブルを抑えるため、香帆はプログラムに大量のパッチをあてまくった。結果、最初は弄らないつもりでいたアローラムの基幹アーキテクチャのかなりの部分にまで手を入れる結果となってしまった。
おかげで香帆のプログラムは今や人間の操船にもほとんどひけをとりらない巧みさで操縦をこなせるようになりつつあったのだが。
だが、さすがの彼女も満身創痍でしかもひっきりなしに暴れ回るアローラムを、わずかとは言え重力のある有人基地に首尾よく降ろせる自信までは持てなかったらしい。
何より速さ優先、デバッグもそこそこのやっつけ仕事だけに、どこかに致命的な欠陥が潜んでいる可能性を否定できなかったからだ。
『アローラム、聞こえるか? こちらはトロイス・コントロール』
トロイスの管制部から通信が入った。香帆に手渡されたインカムを素早く装着した俺は、ノイズ交じりの遠い声に冷静に答える。
「ああ、なんとか聞こえてる」
『そちらの船体をたった今光学監視盤で確認した。船体の損傷が報告以上にひどいようだが? 大丈夫か?』
「ああ、今のところはな。一応念のために桟橋に消防隊とレスキューを待機させて欲しい」
『了解した。ところで、一般用の桟橋ではなく、裏の整備ドックの着陸床に直接入ってくれないか』
「なに!?」
いきなりの無理な注文変更に俺は声を荒らげた。
今でさえやっとアプローチラインに乗ってるに過ぎない。操縦というよりほとんど不時着に近い状態なのだ。
「なぜだ? 本船の現状で今さら針路変更は不可能! これ以上無茶を言うならそっちのタワーにまっすぐぶつけるぞ!」
俺の剣幕に一瞬タワーの返答が遅れた。
『湊ちゃん聞こえるか?』
と、そこに突然別人の声が割り込んできた。
「は?」
俺の目が点になる。
『俺だ、辻本だ。懐かしいなあ』
「知ってる人?」
香帆が横から口をはさむ。
「ああ、サンライズ宙航士訓練校の校長だ。なんでこんなところに?」
俺はインカムを左手で押さえながらささやき声で答えると、あらためて無線の声に応対した。
「校長! なんでこんなところにいらっしゃるんですか?」
『あはは、驚いただろ。実は君を送りだしたあと、NaRDOに転職したんだよ』
「転職って…あそこってそんな簡単にほいほい就職できるもんなんですか?」
『まあな。これでも今はここの基地司令だぞ。事故の報告は聞いてるが、積もる話もあるから悪いが勝手口に直接入ってくれないか。そのくらい君なら楽勝のはずだ』
「はあ…」
俺はまだ半分納得できていないが、その間にもトロイスはどんどん近づいて来る。今のアローラムの状態では正規の手続き通り反転してもう一度再アプローチするだけの余裕はない。
貴重な数秒間を使ってじっくり考えを巡らせた末、俺はそのまま手続きを無視してアプローチラインを逸れ、強引にドックに針路を向け直した。タワーの自動管制AIが規定違反をうるさく責め立てるが、俺は眉ひとつ動かさずにそれを無視する。
不意にアローラムの船体がぐらりと傾いた。すかさずカウンターをあてる俺。
香帆は息を殺し、じっと俺の手元を見守った。
ドック入口のウエルカムゲート通過。着陸床はもう目の前だ。
ところが、船首減速バーニアをフルブーストしてもアプローチスピードが予定値まで下がらない。おまけに肝心要のランディングギアすら出てこない。
「おい、しっかりしろっ!」
コンソールを殴り付けながら怒鳴る。額にじっとりと脂汗がにじむ。
「仕方ない。胴着する!」
次の瞬間、鈍い爆音と共に船尾が跳ね上がる。
「きゃっ!」
香帆が短く悲鳴をあげる。不調の電磁加速ノズルがついに焼き切れたのだ。
急激に横滑りする船体。コクピットのメインディスプレイ一杯に頑丈な耐爆壁が迫る。このスピードで衝突すれば船は無事に済みそうにない。
「ちいっ!」
立て続けに非常用のケミカルアンカー全弾を着陸床にたたき込んだ俺は、ワイヤーを急速巻きとりしながらエンジンをすべてカットする。
同時に、予想される破損に備えて圧力弁を開放、燃料配管の圧縮を抜いて引火性を下げ、再着火を防ぐため今だ高温の電磁ノズルに緊急冷却用の液体窒素を盛大に放出した。
だが、極端な温度差による熱応力でノズルは砕け、ノズルコーンごと船体から脱落すると、隣の着陸床に停泊中だった小型のロボタグボートの上に落下してそれをあっけなく押しつぶす。
「げっ! しまった!」
「あ、ひどーい!」
次の瞬間、アローラムは着陸床の隅ぎりぎりの位置で派手にワンバウンドすると、揚げ句に充電ピットに入っていた三台のカーゴリフターを蹴散らして強引に着床した。
立て続けの破壊音のあと、前のめりの姿勢でようやく船が静止する。
同時に耐爆壁から冷却消火フォームが射出され、白い発泡がたちまちアローラムをおおいつくした。
「すごい! 生きてたよ」
部屋中にディスクやチャートが散乱し、床の傾いたコクピットで香帆が歓声をあげた。だが、俺はそんな彼女のはしゃぎようと、またもや警告灯だらけの賑やかなコンソールに順に目をやると、ひどく疲れた表情でぽつりとつぶやいた。
「こんな疲れるフライト、もう二度とごめんだぞ」
---To be continued---