第三十話 陶子
口をあんぐりと開けたまま二の句が告げられずにいる私を見て、湊はどうだ!と言わんばかりの笑顔を見せた。
「どうだ!」
あ、本当に言った。
「どういうこと? 何があったの?」
「うん、色々面倒見てくれる人がいてね、思い切って新しい船を造った」
「何それ。私、全然知らなかった」
「まあ、微妙な時期だったからね。色々とあったんだ。連絡できなくて悪かった」
湊は苦笑いとも取れる微妙な表情で答えた。
どうやら、私が一時期あまり幸せでなかったのと同じように、湊にも結構波乱があったらしい。
それでも。
「良かったら聞かせて欲しいな。その頃の話」
湊がわずかにためらう表情を見せ、何か言おうと口を開きかけた途端、
『お二人さん、思い出話は結構ですけど、その前に私を紹介していただけません?』
と、先ほどの声が割り込んでくる。
私は、お礼を言い忘れていた事に気づいてあわてて声をあげる。
「そうだ、さっきはありがとうございました」
『いえいえ、かわいい家族のためですもの』
「へ?」
ぽかんとした私の顔がおかしかったのか、女性は声を立てて笑った。
「香帆、安曇さんだよ。陶子さん」
「ああ!」
耳打ちされて私はようやく納得した。
「は、はじめまして! どちらにいらっしゃるんです? お会いしたいです!」
『残念ながら、私は船には乗っていませんよ。堅物の船長さんが全力で拒否されるものですから』
「言ったろ、俺は船に他人を乗せない主義だって」
『その割に、シートもサプライもきっちり二人分装備することを強硬に主張されましたけど?』
「ほらそれは、将来船を手放す時、一人乗りの船なんて買い手がつかないから…」
『それ以前に、MMインターフェイスの保有者しか乗務できない特注の棺桶みたいな船、そうそう売れるわけないでしょう?』
「あのなあ」
これは興味深い。湊が辻本司令以外に言い負かされている所を初めて見た。
『香帆ちゃん、この偏屈ものの船長さんは、特定の誰かさん以外は絶対に船に乗せないって言い張ってたのよ』
え? それって?
「もう、いい。おまえら早くシンクロして勝手にやってくれ。俺は、えーっと、積み荷の点検がある」
湊はそのままぷいと立ち上がるとさっさと部屋を出て行った。
だけど、足早にドアに向かう彼の耳が赤かったように見えたのは気のせいだろうか?
私が寝かされていたシートにはヘッドレストにMMインターフェースのワイドバンドコネクタが装備されていて、接続を許可した次の瞬間、私はまるで瞬間移動したように広々としたコクピットに立っていた。
「ふわあ!」
さっきまでのなんとなく隠れ家めいた癒やし系空間と違い、こちらの様子はいかにも最新型のコクピットらしい機能美にあふれている。
眼前に広がる3Dマルチスクリーンには外の風景がコースマップやステータスグラフに重ねて映し出され、今は無人のパイロット席には湊好みのサイドスティック型操縦桿が備えられている。
隣のナビゲーター席も今は空だけど、アローラムタイプの拡張版とおぼしきニューロAIコンソールは思わずほおずりしたくなるほど懐かしい。
「いらっしゃい!」
呼びかけられて振り向くと、ちょうどパイロット席とオペレーター席の中央後方、普通の船だと通信士やコーディネーターが座る席に、腰あたりまで届く長い黒髪の美人が腰掛けていた。
「初めまして、安曇陶子です」
にっこり微笑む様は、久美子さんや日岡さんと同い年くらいに見える。
「は、はじめまして」
私も慌ててぺこりと頭を下げる。
「香帆ちゃんは思ったより小柄なのね。動画で見たときはもう少し背が高い方だと思っていたんだけど」
「あ、そうなんです。よく言われます」
誰かさんには中学生とか言われたし。これでも結構気にしているんだけど。
「それよりここは?」
「アルディオーネのコクピット。実際には存在しない空間だけど、アルディオーネにアクセスする外部の通信士はきっと実物と信じて疑わないでしょうね」
「へえ」
私は驚嘆した。
確かに、バーチャルにありがちな不自然さがまったくない。
最新型ニューロコンピュータでも、なかなかここまでの精細度は出せない。一般的な宇宙船に積むクラスのコンピュータとは次元の違う高性能マシンが搭載されているのに違いない。
「私も、普段はサンライズ7の自宅でこの船に乗務しています」
え? 私はその不思議な言いぶりに引っかかる。
「乗務って。テレワークですか? 距離が離れると遅延しませんか? いくらバーチャルでも」
「大丈夫。どれだけ距離が離れても通信はリアルタイムよ」
「え?」
私は絶句した。
同時に、つい今しがたの湊のセリフも思い出した。物理法則に反していると呆れる私に、「こいつはそういう船だ」と言い切ったじゃないか。
「あの、一体この船で何が起こっているんですか?」
私は真顔でたずねた。
「さっきの離床といい、今のお話といい、どう考えても普通じゃありません」
陶子さんはしばらく何か思案するように斜め上を眺めていたけど、「うん」と小さく頷いて言う。
「船のことはやっぱり船長に聞いてちょうだい。でも、それ以外の事情なら少し話せるよ」
「はい、助かります」
「それじゃあ、あ、立ち話もなんだからそこ、座って」
と、ナビゲーター席を指差す。
「あ、はい」
バーチャル空間で立とうが座ろうが関係ないかと思ったけど、座ってみると不思議に楽だ。
「すごいな、これ」
私は思わずつぶやいた。
「立ったり歩いたりすれば、それだけの筋緊張や運動負荷が生身の方に反映できる仕組みらしいわ。筋肉がゼロGで鈍らないために必要だそうよ」
「言われて見れば、このコクピット、地球上と同じくらいの重力ですよね」
「まあ、その辺りは船長の領分だから後で直接聞いてね。それより、香帆ちゃんは自分が狙われている理由、正確に把握してる?」
改めて聞かれて少し戸惑った。
ヤトゥーガが私を狙う理由は異星船の件以外にあり得ないと思っていたけど違うんだろうか?
素直にそう口にすると、
「半分だけ正解」
思ったより辛口の採点だった。
「あなたも船長と同じね。自己評価かなり低めなんだ」
そう言って、ふうと小さくため息をつく。
「今、あなたは少なくとも三つの勢力から注目されてるわ。一つは言わずもがなのヤトゥーガコンツェルン」
陶子さんはちらりとこちらを見つめ、私が小さく頷いて理解を示すのを確認し、先を続ける。
「以前は、あくまで船長をおびき寄せる餌としてあなたを考えていたようね。だからあなたへの影響はせいぜい悪質なプロバガンダとストーキング程度」
「それでも、とんでもなく迷惑しましたけど」
「そうね」
陶子さんはあっさり頷く。
「でも、ここに来て事情が大きく変わったわ。異星船のサルベージに失敗した彼らは、あなた達の再登場を何としても阻止したい、あけすけに言うと、この世から抹殺してでも」
「それは判ります。お金をかけたなりふり構わないやり方、以前にも経験がありますから」
私はげんなりしながら答えた。
「次は東南アジアの財閥系。こちらは、アローラムタイプの頭脳をつかさどる〈トロイスの魔女〉を我が物にしたい」
「え?」
予想外の話に驚いた。
私自身がターゲットだったの?
「彼らは派生機ビジネスでシェアを伸ばすため、新興国向けに廉価版の販売を計画しているようね。だから、コストのかかるニューロAIの簡略化を狙っている…」
「えー、無理ですよ。アローラムタイプは高機能AIが厳密に制御してるからこそ使いやすいのに。そこを手抜きしたらただの暴れ馬…」
「暴れ馬で悪かったな」
やべ! 聞かれてた。
いつの間にかコクピットに戻ってきていた湊は、操縦席にどかりと腰を下ろしながらぼやく。
その様子を眺めながら、なんだか時間があの頃に戻ったようで思わず吹き出してしまった。
「ざっとそんなわけで、私達も大急ぎで体制を考え直す必要が出て来たわけ」
「あれ?」
ひとつ足りない。
「陶子さん、さっき三つのグループって言ってましたよね」
首をひねる私に、陶子さんは無言のまま意味深な微笑みを返す。
「後はサンライズに到着してからのお楽しみ。じゃあ私はそろそろ定時だから消えるわね。後は二人でごゆっくり」
そう言い残すと、陶子さんは小さく手を振りながら文字通り一瞬でかき消えた。
「慣れないなあ、せめてドアから出て行ってくれればいいのに」
グチりモードのままの湊がブツブツと文句を言った。
「ところで湊…先輩」
二人きりになった所で、私は目下最大の疑問を解消しようと呼びかけた。
「なんだ?」
「あの、湊…先輩と陶子さん、一体どのような…」
ダメだ。どうも照れくさくて素直に名前が呼べない。
「ああ、一言で言うとスポンサーのお目付け役、かな」
「スポンサーって? 安曇さん?」
「香帆は〈ファインセラム〉っていう会社の名前、聞いたことあるか?」
「ええ、宇宙機製造の大手でしょう?」
「そう。俺は今、ファインセラムと宇宙機開発の契約を結んでいる。安曇家はそこの創業者で、現社長が陶子さんの父親。同時に君の義理のお父さんにも当たる」
ああ、どこかの偉い人だとは聞いていたけど、まさかの安曇財閥! という事は、私って財閥ご令嬢?
「何か変な事を考えてないか?」
どうやら心の声がダダ漏れだったらしい。
「え、でも、久美子さんの話ではお子さんはいないって…」
その言葉に、湊がかすかに眉をしかめた。
「表向きにはそういう事らしいね。少しばかり込み入った事情があるんだ」
という事は、湊はその裏事情を知るくらい安曇家と深い関係にあるんだ。
「そう」
私はなんとなく面白くなくて口を尖らせた。
「誤解するなよ。陶子さんを引き受ける時に社長から聞いた話だ。それに、陶子さん本人とはまだ直接会った事もない」
「そうなんだ」
ダメダメだ、私。
せっかく久しぶりに会えて嬉しいはずなのに、変な事ばかり気になる。
「まあ、これ以上は本人から聞いてくれ。外野がこそこそ噂するような話題じゃない」
「え?」
「安曇の本家はサンライズ7にあるんだ。あと六時間ほどで着く」
「うそ! 心の準備が」
「そんなものいらないだろう。家族に会うんだ」
「何言ってんの! 初対面だよ、緊張する」
「そんな時は、寝ろ!」
湊は大あくびをしながら言う。
「どっちにせよ時差調整が必要だからね。ああ、シャワールームはコクピットを出た突き当り、君の部屋はその隣だ」
「あの?」
「何?」
「シャワーとか部屋とかって、どっちにあるの? リアル? バーチャル?」
「ああ、もちろんリアルだ。ゆっくり休むといい」
湊は笑いながらそう付け加えた。
---To be continued---




