第二十話 別れ
あっけない突然の幕切れから2週間が過ぎた。
異星船捕獲プロジェクトの最前線基地として、太陽圏中から殺到した船舶がひっきりなしに発着し、大勢のスタッフや報道陣で連日祭りのようにごった返していたトロイス宙港も、再び辺境の開発基地らしいものさびしさを取り戻していた。
ウェルカムゲートの外では北中国軍の巡洋艦と空母がその巨体を寄り添わせ、楕力でゆっくりと遠ざかりつつあった。
軍艦らしく全身がマットブラックに塗りこめられた船体はすでに闇にまぎれ、肉眼ではサイドスラスターの噴射炎が時おりかすかに瞬くのが見えるだけだった。
「私も、もう行かなきゃ」
がらんとした無人のコンコースを見つめながら、私はひとりごとのようにつぶやく。
「そうか」
となりで窓の手すりによりかかり、桟橋にぽつりと浮かぶアトランティスをぼんやり眺めていた先輩も、ため息まじりに短く答えた。
もともとトロイス基地に所属していた船を除けば、港に残っている長距離船はもはやアローラムIIとアトランティスだけだった。
「残念だったな」
「……そうだね」
再び短く答えながら私は思う。恐らく一生忘れられないであろうあの瞬間以来、私たちはこの会話を一体何度繰り返しただろうか、と。
「惜しかったよね」
「……ああ、惜しかった」
だが、何度繰り返しても、それ以外のセリフは出てこなかった。せめてもう少し気のきいた返事を返してあげたいとは思うのだけど。
多分、先輩も同じ気持ちなのだろう。まるで思考がマヒしたかのように、いつも同じやりとりに終始してしまうのだ。
「先輩は、これからどうするの?」
長い沈黙の後、私はゆっくりと振り向くと、先輩と並んで手すりに両手をのせ、窓の外に視線を移す。
「数日はここで残務整理だな。その後はアローラムIIをサンライズ7のドックに回航する予定。例の耐Gカプセルを外して標準のNaRDO仕様に再整備するらしい。そこでマニュアルの作成と引き渡しが済めば今度こそアローラムIIとはお別れだ」
「じゃあ、その後は?」
「その後、か」
先輩は考え込んだ。
「……なんの予定もないな」
それっきり、むっつりと黙り込む。
「あのさ、もし、あなたにその気があれば、なんだけど……」
私はおずおずと切りだす。
「よかったら、ESAに来ない?」
先輩の反応をうかがうように上目遣いにじっと見つめながら、私の気持ちが少しでも伝わるように祈りながら。
「まったくの無審査というわけには行かないかも知れないけど、今回の事で先輩とそのスキルは世界的にも注目されているし、私も、まあ役に立つかどうかはともかく推薦はしてあげられるとは思うし……」
もじもじと胸の前で両手を組み合わせ、彼の気持ちを読み取ろうとその瞳を凝視する。
「先輩が望めば、どんな仕事でもまず断られる事はないと思うんだけど」
「そして、あと一歩のところで大事な異星船を取り逃がした道化でございって自己紹介するのか?」
「そ、そんな!」
先輩の皮肉な言い方に私はショックを受けた。そんなつもりじゃなかったのに。
「あ、あの、私、そんなつもりで言ったんじゃ……」
私は慌てて否定する。
「わかってるよ」
言いながら、先輩は私の頭にポンと右手をのせてきた。
「君を責めてなんていない」
「でも、私……」
私は今度こそ言葉をなくして顔を伏せた。
(泣いているなんて誤解されたくない)
でも、瞳ににじむ涙をどうしてもおさえられない。思わず肩を震わせ、小さく鼻をすする。
そんな私を前に、先輩は小さく唸りながら困り果てたように天を仰ぐ。
がしがしと頭をかきむしり、おずおずと私の肩を軽く包み込むように両手を添えて、一言一言、かんで含めるように言葉を紡ぐ。
「君の申し出は確かに魅力的だし、実際、俺みたいな男にそこまで気を使ってくれて感謝してる。でも……」
わずかに言いよどみ、小さくため息をつく。
「ごめん。俺は自分がはぐれ者だって事を自覚している。組織では回りに迷惑をかけすぎる。君の立場も悪くなる。それは俺が今、絶対に避けたいことだ」
コンコースのスピーカーがアトランティス出港が間近に迫っている事を告げている。
話せる時間はもうほとんど残されていなかった。
「自分でも思う。いい歳してなんて情けない奴なんだろうって。でもな……」
もう十分だ。これ以上を求めるのはきっと私のわがままだろう。
私は必死に涙をこらえ、無理矢理に口角を持ち上げると、勢いよく顔を上げた。
驚いて目を見開く先輩の顔が目の前にあった。
「なーんて。ね」
「なっ!」
突然の豹変ぶりに化石化した先輩にぎこちなく笑いかけると、彼の肩をぽんぽんと叩き、かたわらのバッグを抱えて歩き始めた。
石化の解けた先輩が慌てて私の後を追ってくると、重いバッグを私の手から手からひったくるようにして肩を並べる。
「はい、冗談冗談。……あーあ、相変わらず鈍いなあ」
「お、おま、年上をからかうな!」
「えへへ、でもおかげでちょっとだけ先輩の本音が聞けたような気がする」
「いや、あれはだなあ」
じゃれ合うように言葉を交わしているうちにエアロックに辿り着いてしまう。
足踏みしながらイライラと待ち構えていた係員が私の差し出したIDカードを素早くスキャナーに通すと、網膜確認用のゴーグルを差し出した。
私はは無造作にそれを覗き込む。すぐに電子チャイムがポンという柔らかい音で識別完了を告げた。
「じゃあ、ここで」
バッグを受け取った私は、それをゆっくりと背負いながらエアロックに二、三歩歩きかけ、ふと立ち止まって振り返った。
「ねえ、私が異星船を捕まえる直前に言いかけていた事、憶えてる?」
「ああ、確か、司令に一つだけ感謝してることがあるって…」
「そう。それが何だか知りたくない?」
「ああ」
「あの時ね、私、みな……先輩に引き逢わせてくれたからだって言いたかったんだよ」
「え?」
「それじゃ。今度こそお別れ」
気持ちがくじけないうちに、と右手をさっと差し出し、反射的に右手を差し出した先輩と短い握手を交わしながら微笑む。
「またどこかで逢えるとうれしいけど、太陽圏はとても広いから…それじゃ、元気で」
そのままくるりときびすを返し、足早にエアロックに入る。
断続的なアラームと共にパトライトが回り始め、背後では磨かれた分厚いチタンの耐圧ドアがわずかなきしみと共にゆっくりと動き始める。
この扉が閉じたとき、先輩との楽しかった日々は終わりを告げる。
そう思った瞬間、サンライズ宇宙港でアローラムに忍び込んだところから、異星船が消滅した瞬間まで、あらゆる情景が一気に脳裏によみがえってきた。
もう駄目。
小刻みに震える肩をおさえることができない。
私は彼に背中を向けたまま、結局最後まで言えなかった言葉を小声でつぶやくように吐き出した。
大丈夫、彼にはどうせ聞こえていない。
「香帆!」
先輩がいきなり叫ぶのが聞こえる。
「太陽圏はそんなに広くなんかない!」
私は我慢できずさっと振り返る。勢いで瞳から大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちる。
「同じ道を歩いているかぎり! いつか、どこかできっと! 香帆! 俺は……」
その瞬間、無粋なエアロックは鈍い音をたてて閉じた。
「あ~、君もつくづく難儀な奴だな」
大きなため息と共に振り向いた俺は、背後に神妙な顔をして立っていた辻本司令の姿に気付いてぎくりと立ちすくんだ。
「ぐっ! ま、さ、か! ずっとそこに居たんですか?」
かっと顔が火照り、耳まで赤くなるのが自分でも抑えられない。
「いや、ほんの五秒前からだ」
辻本司令はしゃあしゃあと答えると、いつもの怪しげな笑みを浮かべて続ける。
「それより、君があの娘をあっさり手放すとは思わなかったよ」
そういってニヤリと白い歯を見せる。
「待って下さいよ。彼女は物じゃありません。それに別に俺は……」
「ま、そういう事にしといてやるか」
「だから、違うんですって!」
むきになって弁解しようとする俺をあっさりかわすと、辻本司令は心底嬉しそうに笑った。
「そ、そんな事より、司令」
どうしても理屈では勝てない。
ならば、これ以上話題が広がらないようにと慌てて口を挟む。
「なんだ?」
「俺、どうしても判らないんです。あの異星船の事です。どうしてわざわざ捕まった瞬間に消えるような真似をしたんでしょう? 結局俺達はさんざん振り回されただけで、何ひとつ収穫も上げられなかったし…どう考えても悔しいですよ」
「ああ、あれね」
だが、辻本司令はいかにも簡単だと言わんばかりにあっさりうなずいた。
「うちも含め各国の解析班が必死になって意味をつかもうとしてるんだが、私なりに今すぐ説明できる合理的かつ納得できる理由が一つある。聞きたいか?」
「と、言うと?」
「ああ、奴は単に我々をおちょくりに来てたんだよ」
「まさか! 司令じゃあるまいし。そんな馬鹿な!」
あきれ返るしかなかった。
そんな俺に彼はいたずらっぽい視線を向けると、右手の人さし指を立ててまっすぐ俺に向けた。
「いいか、あのふざけた通信文、つかず離れずいかにも誘うような飛び回り方、そして、君の報告書にもあったが、我々の持てる知恵と技術を限界まで引きださせた揚げ句、捕まった瞬間あっさりと消えるあのやり口。たちの悪いジョークだと考えるとこれが意外にもしっくり説明できるんだな。決していい加減な思い付きなんかじゃないぞ。それに、だ」
言葉を切ると、辻本司令はこちらに向けていた人さし指をゆっくりと握りこみ、そのまま胸の前でぐっと拳を握り締める。
「我々が得た物だってちゃんとある!」
そう晴れやかに言い切って大きく頷く。
「我々がこの宇宙で決して孤独でない確かな証を得る事が出来た」
「え?」
「その上、長いこと同じ場所でくすぶっていた造船、運用技術が飛躍的に発展する絶好のきっかけもつかんだ。この先、あの船が残したばく大なデータをきちんと解析、応用できさえすれば、我々人類の有人宇宙船が自力で太陽圏を飛び出す日もそう遠くはないぞ」
再びそう言って再び大きくうなずく。
「君もさっき叫んでただろ。太陽圏はそう広くないって」
「いや、あれは……」
「太陽圏、いや違うな。今やこの宇宙だってそれほど広いもんでもないんだ。わくわくする話じゃないか!」
そのまま俺の背中をおもいきりどやしつけると、鼻先にヒョイと小ぶりなジュラルミンケースを突きだした。
反射的に受け取ってしまったが、見た目より随分と重量がある。
「あ、そうそう、これも読んどいてくれ」
まるでついでのようにコアメモリーを俺の胸ポケットに落とし込む。
「君に託しておく。自由にしていい。今回の慰労金代わりだ」
「ちょっと待って下さいよ。俺、これ以上NaRDOに関わるつもりはありませんよ。当分はサンライズに戻って引きこもるつもりなんですから」
「え~、でも、それじゃ徳留君に会えるチャンスがないぞ」
「だから、そういうのじゃないんだって何度も言ってるのに!」
「ま、返事はいつでもいいからとにかく資料を読んでみてくれ。三角山の人工物なんだ。君ならきっと興味を持つと思うけどな」
不穏なセリフに思わず眉が跳ねる。
「何ですか人工物って? また厄介なシロモノじゃないでしょうね?」
「いや、この前徳留くんのパニックでウヤムヤになって見せられなかったけどね、ウチにも出ちゃったんだよ」
「え、すいません、もう一度」
自分の耳が信じられず、思わず聞き返す。
「これがまた興味深い機能満載でね。いじり回したらきっと楽しいおもちゃになる」
辻本司令は心の底から楽しそうな笑顔を浮かべ、湊の疑わしげな視線にもまったく動じようとしない。
「実はな、私は今月末でここを去る事になった。だからこいつをここに残していくわけにいかないんだ。すでに記録はすべて抹消した。分析を担当した研究スタッフは全員が自ら望んで忘却処理を受けた。よって、これは最初からなかったものとして処理される」
「え?」
「知っているのは君の他には久美子だけだ。何かあったら相談してくれ。まあ、そっち方面の危険は多少あると認識しておいてほしい」
いきなり穏やかならざることを言う司令。
「それでも、これは君の手にあって初めて世界の役に立つと信じる。頼む」
そのまま珍しくキリリと表情を引き締め、深く頭を下げる。
いつもおちゃらけている彼と同一人物とは思えない風格。その武士のようなたたずまいに思わず圧倒される。
「……わかりました。とりあえず預かります」
二度と引き返せない橋を渡った気がした。
いや、渡らされた、か。
「それより、司令はどうされるんです? まさか今回の失態の責任を問われて…」
「いやいや、上の本音はどうだか知らないけどね。少なくとも表向きの理由はそうじゃない。来年からNaRDOは国連や他の宇宙機関と共同で新たに大規模な輸送船団を運用する事になってね。その立ち上げに関ることになったんだよ」
「輸送船団?」
「そう。最終的には百億の人間と生き残っているすべての野生動物を火星とコロニーに一旦避難させるんだ。けっこう長いことごちゃごちゃもめてたんだけど、ようやく国際間の調整がついたらしいな。世紀をまたぐ人類史上最大の大脱出作戦だよ」
「大脱出?」
「そう。そんなわけで次の国連総会では〈プロジェクト・ノアズアーク〉が百三カ国の共同発議で正式に討議される。汚染された瀕死の地球を段階的に空き家にして再生させる超巨大プロジェクトの一環だ」
「はあ」
「おい、他人事じゃないぞ。アローラムタイプはプロジェクトのオフィシャル装備として今後大量生産される。二年前からずっと採用を働きかけていたんだが、今回の活躍が決め手になったな」
「ええっ! そんなに前からですか!」
「ああ、直接大気圏突入ができる民間の小型高速輸送船は貴重だからな。君がウチの薫に〈がるでぃおん〉を授けてくれた時からずっと注目していたよ」
「薫さんって、もしかしてジャーナリストの鷹野薫さん!?」
「ああ、あの子も戦友だ」
湊は驚きの連続でついに返す言葉を失った。
「そんなわけで君の口座にはこの先長期にわたって結構なライセンス料が入る。厄介事に巻き込むせめてもの詫びのつもりだ」
「え?」
「じゃあな、良き仲間と良き航海を」
それだけを言い残し、辻本司令はそれ以上一度も振り向くことなく歩み去った。
「あなたも思ったより不器用な人なのね」
腫れぼったいまぶたと赤い目を気にしながら化粧室から出た私は、いきなり背後から呼びかけられ、抱え込んだバッグを取り落とさんばかりに驚いた。
「ひ、ひ、日岡さん、どうしてアトランティスに?」
慌てて振り向く私に、優子さんは小さくウインクをしてみせる。
「ゆ・う・こ、でしょ。火星のアズプール基地まで便乗させてもらうわね。私、今週からエルフガンド・ユーロ社の推進研に派遣される事になったの。」
「……あの」
「だめよ、香帆ちゃん。いつもの押しの強さはどこに忘れて来ちゃったの? あれじゃあの朴念仁には通じないわ。捕まえるのは消えちゃった異星船よりはるかに難易度高いわよ」
「……って、もしかして優子さん、全部見てたんですか?」
私は見る間に耳まで真っ赤になる。
「偶然、ね」
言いながら優子さんは私の背中を押すように促しながら一緒に歩きだす。
「本当は二人そろってる所できちんとお礼が言いたかったの。あなた達のおかげでようやく私も呪縛から開放されたような気がしてたから」
「……美和さんの?」
「そう」
優子さんは立ち止まると、小さなため息と共にうなずいた。
「誤解しないでね。決して彼女と事故の事を忘れてしまいたいと思っているわけじゃないの。でも、過去をひどく重荷に感じてた事も事実。だけどね、あなた達を見ていて私もかなり救われたの」
「そうですか? みな……先輩も彼なりにかなり悩んでたみたいですけど」
「でも、もう、決して後ろ向きに、じゃないでしょ?」
「そう……でしょうか?」
「ええ、あなた達の会話ってなんだかとっても自然だったし。私もいつかこんな風に、懐かしい彼女のことを話せるようになるかもしれないって思えてほっとしたわ」
「げ、それってもしかして……」
「アローラムの会話はずっと多用途船に丸聞こえだったわよ。インカム切り忘れてたでしょ」
私は再び真っ赤になった。
なんだか顔が熱い。私は右手でパタパタと顔をあおぐ。
「それに少しうらやましかったわ。あなたと彼、どこから見ても最高のパートナーだったものね」
「そう、だったの、かな?」
言葉を切ると、私は複雑な気持ちのままで小さく笑った。
「でも、コンビは解消。結局振られちゃった。多分、もう二度と逢う事なんてないだろうし、湊はやっぱり私よりも美和さんの事が……」
「大丈夫!」
優子はうつむく私の肩に両手をのせて大きく揺すると、驚いて目を丸くする私の瞳をのぞき込んで、断言するように言う。
「まだわからないわよ。あの人、昔からこういう事に関してはホントに気がつくのが遅いもの。ほとんど相手があきらめた頃になって急にその気になったりするんだから。美和の時もそうだったわ。それに……」
「それに?」
「なんだか、またすぐにでも会えそうな予感がするのよね」
意味を図りかねて彼女の顔見つめる私に向かって、優子さんはもう一度謎めいたウインクを披露すると、にっこりと魅力的な笑顔を見せた。
---To be continued---




