第十五話 リセット
「すべては一瞬の出来事でした」
壇上でスポットライトを浴びる女性のよく通る声と同時に、彼女の背後の大型スクリーンにケミカルアンカーの構造図が映し出される。
「みなさまもご存知の通り、ケミカルアンカーはその先端に、真空中でも瞬時に硬化する特殊な薬剤のアンプルを装備しています。これが対象物に接触した瞬間に破裂、アンプルの破片と混じり合った薬剤は即座に化学反応を起こし、対象物に固着してアンカーの役目を果たすのです」
「しかし、アンカーの射出スピードはそれほどでもないはずですが?」
暗闇から疑わしげな男性の声が響く。
その声に大きくうなずきながら女性は続けた。
「もちろんアンカーの本来の使い方においてはおっしゃる通りです。ですが、回収されたフライトレコーダーの記録では、彼らはこの時点でも秒速500キロを超える信じがたい速度を保っていたと考えられています」
女性はそこで言葉を切り、周囲の暗闇を埋める聴衆をゆっくりと見回して全員の理解が追いつくのを待つ。
「あの、念のため強調しておきますが ”秒速” ですよ」
そこでようやく理解が広がり、暗闇にざわめきが満ちる。
「そこからさらに前方に射出されたわけですから、船の速度がそのままアンカーの射出速度にプラスされます。それほどのスピードでは、たとえ直径1センチに満たないベアリングの球一粒といえども、その運動エネルギーは大型対艦ミサイルの破壊力に匹敵するでしょう。パイロットのもくろみは決して的外れなものでもなかったのですよ」
「なるほど……」
男性はようやく納得したように黙り込んだ。
「そこで、パイロットは船体が敵コンテナ船と交錯する一瞬を狙って、レーザー発振器の収束コイルにケミカルアンカーを打ち込みました。もちろん照準をセットする間などほとんどありませんから、おそらく本能的なカンによってだと思います」
スクリーンにはアローラムとコンテナ船が交錯する瞬間を遠方から捉えた荒い映像が映し出され、ゆっくりとコマ送りされる。
「手段は極めて原始的です。ですが、偶然とはいえアンカーの狙いはだいたいにおいて正確でした。初弾はレーザーで蒸発し、2弾目と6弾目以降はこのように目標を大きく外れましたが、3から5弾目まではご覧の通り、収束コイル周辺にヒットしています。レーザー砲のデリケートな収束コイルを破壊するには必要にして十分でした」
暗闇からぱらぱらと感嘆の声があがる。
「しかし、この直後、すでに熱的限界を越えていた高速艇のエンジンノズルは爆発しました。発生した強い衝撃波で船倉内の燃料タンクも誘爆し、ハイセラミックの小さな船体は一瞬で粉々にはじけてしまいました」
女性が暗い声で告げる。
スクリーンには粉々に砕け散るアローラムをとらえた超望遠映像がスロー再生された。
数人が悲鳴ともため息ともつかない声をあげ、部屋中が低くどよめく。
「この日本独自の素材ででもあるハイセラミックの船体は、熱応力に強く衝撃にも耐える優れた素材です。しかし万一限界を超えて破壊した場合、船殻の破片がきわめて細かく割れるという欠点があります。そのため船の残骸は最大半径4000キロ、長さおよそ1万9000キロ以上の巨大な円すい状に飛び散り、乗員の捜索は大変な困難をきわめました」
「そ、それで、乗員は、二人は無事に救助されたんですか?」
誰かが早口でどなるように尋ねた。
不意に部屋の照明がともされた。
緊張した面持ちで息を飲む報道陣をゆっくりと見渡し、空白に戻ったスクリーンを背にした女性広報官は両手を演台に突き、にっこりと微笑んだ。
「アローラムに搭載された新型のカプセルシートはその役割を果たしました。乗員を衝撃と高熱から守りきった耐Gシートは、その後自動的に減速して太陽に対して相対停止、ビーコンを発振しながら漂っていました」
部屋中から安堵のため息が漏れる。
「外見を見る限りダメージはかなり深刻でしたが、二人とも、ESAの船と我々の支援船によって無事発見、回収する事ができました」
会場は静まりかえり、誰もが彼女の次の言葉を待ち受ける。
「そう、彼らは、生きていたんですよ!」
途端に会場は手のつけられないほどの騒ぎとなった。
それまでおとなしく聞き入っていた者も含め、皆一様に興奮して勢いよく立ち上がると、スクリーンに向かって先を争うように猛然と詰め寄った。
「乗員は今どこにいるんですか!」
「容体は? インタビューさせてもらえませんかねえ!」
「広報官! ビデオ取材の許可をいただきたい! 大至急!」
しかし、広報官は口々にわめき立てる報道陣をまるで別世界の出来事のように冷静に受け止めると、騒ぎが一瞬静まった隙をついて厳かに宣言した。
「いずれ正式に記者会見を行います。ですが、この勇猛にして果てしなく無謀な二人の乗組員に敬意を表し、今しばらくはそっと回復を見守っていただきたいと思います。では、次の項目です」
配信画像はそこで終わっていた。
モニタを頭の上に押しやって、身体をベッドの背にもたれかかるように起こした所で、個室のドアが滑るように開く。
「どーだー、具合は?」
枕元の松葉杖を取り立ち上がろうとした俺に向かって、辻本司令は両手を広げてそれを押しとどめる。
「あ、はい、今朝、やっとベッドを出てもいいって許可をもらいました」
そう答えながら、俺は彼の背後に立つ女性の存在に気づいて歩みを止める。
「あ、司令、そちらは?」
「君にも話を聞いてもらいたくて呼んだんだ。紹介しとこう。マクシミリアン連合保険のく……久保君だ」
「久保と申します。エアハートさんですね。お噂はかねがね。今回は船を失われたそうで、大変残念でございました。動産保険の方は精一杯がんばらせていただきますので」
シャープな顔つきの背の高い女性が誠実そうな表情で軽く頭を下げると右手を差し出してきた。
「あ、どうも。初めまして」
外見のスマートさからは想像できない力強い握手に驚きながら、ギプスで固められた右手でおっかなびっくり握り返す。
「おう、もう骨がつながったか。早かったな」
「そうでもないです。一週間もベッドに縛り付けられてたんですよ」
俺は心底うんざりといった表情で両手を持ち上げ、首をすくめてみせた。司令はその仕草にニヤリと笑い、ゆっくりと窓辺に近づくと閉じられていたブラインドを勢いよく開く。
見慣れた満天の星空がそこには広がっていた。司令は後ろ手を組み、しばらくは無言で星空に見入った。
「さっき、NaRDO広報局から正式発表があった。今後の異星船捕獲は、国連宇宙機関が新たに組織する捕獲プロジェクトチームに各国が船舶と機材、人員を出しあう国際共同プロジェクトで本決まりらしい」
俺はため息をつき、もぞもぞと居ずまいを正す。
「ずいぶんと事が大きくなってしまいましたね」
辻本司令はゆっくり振り向くと、厳しい表情のまま小さくうなずいた。
「まあな、でも、あんな大事件のあった後で、これ以上一部の国の秘密にしておくわけにもいかないだろ。今回のようなテロの再発を防ぐためにも、さっさと公表したほうがいいと上は判断したんだろうな」
「はあ」
「計画そのものが白紙にならなかっただけよかったと言うべきなのかもしれないぞ。それに、一国だけの捕獲作戦では簡単に奴は捕まらない事がはっきりしたじゃないか。各国、思惑はいろいろあるが、ここはひとまず協力するのが成功の早道だろうと私は思う。異星船だってこの先いつまで太陽系に居てくれるかわかったもんじゃないし」
「……まあ、そうなんでしょうね」
思わずため息をついた。
アローラムを失った自分には、もはや異星船が手の届かない存在である事が残念でもあった。
「それから、例の武装船の所属が判った。久保君、説明を」
「はい」
久保と名乗る女性は湊に向き直り、それが彼女のくせなのか、彼の目をじっと見つめながら口を開く。
「船は、ヤトゥーガの孫会社の持ち船でした」
「何でヤトゥーガが?」
見つめられ、若干の居心地悪さを感じながら、俺は浮かんだ疑問をそのまま口にする。
ヤトゥーガコンツェルンは小惑星帯でのレアメタル採掘をきっかけに急成長した多国籍巨大企業だ。
その事業は今や鉱山、運輸、通信、造船、兵器生産など多岐に渡り、グループの年間総売上は日本の国家予算をもはるかに越えると言われている。
「さあ。ただ、あそこは近ごろレアメタルの鉱区争いで各国の宇宙開発組織といざこざが絶えないんだ。国連宇宙機関の割当て勧告を無視して勝手にあちこちの小惑星をほじくり返している。そこまでする理由はさっぱりわからないんだが、現にNaRDOとも過去何度か、けっこう派手にもめてるしな」
「もしかして、トモスa2のマスドライバーもヤトゥーガの所有ですか?」
「いえ、直接の関係は見受けられません。ですが」
「ま、怪しいだろうね」
辻本司令はそこで言葉を引き取り、久保が差し出した報告書をペラペラとめくる。
「前に君をエアロックに閉じ込めたスパイがいただろ。あいつの逃げ込んだ先がずばり、トモスだったそうだ」
「えっ!」
「ただ、武装コンテナ船の方は一カ月ほど前に被害届が出ていたよ」
「はあ」
うなだれる俺に構わず、久保は言葉を続ける。
「問題のコンテナ船はダイモスの鉱石バースからハイジャックされたもので、所有会社はその直後に船を失った事による業績不振を理由に清算されています。高額の盗難保険金も支払われています。加えて、アローラムやプローブを焼いたのはあくまでテロリストだと元経営者の弁護士は主張しているそうです」
「って、あからさまに怪しいじゃないですか。あの船は相当に金のかかった武装を備えてましたよ。テロリストにどうこうできるレベルを超えてます!」
「まあな。だが、確たる証拠がない以上憶測で文句は言えないよ。捜査はICPOとうちの特別査察部にきっちり引き継いだ。遠からずはっきりするだろう」
辻本司令はそう言って肩をすくめると、椅子にどさりと腰かけた。
「ところで、さっきホールでシルバーストリングの船長を見かけたが…?」
「ええ、見舞いに来ていただきました」
「君の知り合いか?」
「俺じゃなくて、死んだ親父と船長が赤ん坊の頃からの幼なじみだったんだそうです。若いころは、とある日系女性を巡って派手なケンカもした仲だそうで」
「それってもしかして」
「おそらく、母のことでしょうね。二人共もう故人ですから確かめる事はできませんけど」
「なるほどね」
辻本司令はふっと遠い目をした。
「それで彼はあんなに。で、他にも何か?」
「はあ、それが……」
俺は言葉を濁した。
「はっきり言うとスカウトなんです。NASAが国連捕獲隊に推薦する捕獲チームの技術主任に自分を指名したいと」
「おい、そいつはちょっとまずいな~」
「ですよね。自分もそんな大役は向いてないと思って断ったん……」
「いやいやいや、そうじゃない」
辻本司令は俺の言葉を遮るように首を振ると、懐から真っ白い角封筒を取りだした。
「これ、実は国連宇宙機関からの招聘状なんだ」
「はぁ?」
「君を今捕獲計画の捕獲艇のパイロットに推挙したいそうだ。私も、どちらかというと単なるエンジニアより、現場の最前線の方が君向きだと思うがね」
そう言って不器用にウインクをすると、今度は反対側の胸ポケットから一通の長封筒を取り出した。
「それから、こっちはNaRDO本部からの就任要請書」
「そんな何通も……で、こっちはなんて書いてあるんです?」
「ああ、国連の要請に加え、捕獲船そのものの開発に加わって欲しいというオプションがついている。おい、よかったな? 人気者!」
困惑した表情の俺を面白そうに眺めながら辻本司令はいつものニヤニヤ笑いを浮かべている。
「ただし、うちの方にはさらに怪しげな条件がついててね」
「はい?」
「共に開発に携わるエンジニアの人選を我々に一任すること。もう一つは君が乗船する捕獲船の実施設計に君自身が直接関与すること。どうだ?」
湊は怪しげな笑いの奥にある物を何とか探ろうと試みたが、辻本の鉄壁の薄笑いを突き崩す事はできそうになかった。
「しかし、司令、どうせ事がオープンになったのなら、太陽圏中からもうすこしいい人材を広く求めた方がいいんじゃないかと思うんですが」
「私は次善の策なんてのは嫌いでね」
「はぁ?」
「常にその時点のベストを選ぶのが私の主義なんだ。だから今回の一件も、様々な条件を考慮して君が最善だと判断したからこそ君を選んだ。いまさらよそに譲るなんてこと、軽々しく言わないで欲しいな」
「しかし、俺はもう……」
「君がシップビルダーに断ちがたい未練を持っている事は徳留君からも聞いている。そう意地をはらずにもう一度船を作ってくれないかな?」
俺は答えに詰まった。
「国連の獲隊プロジェクトチームからも強く念を押されてるんだ。太陽系一早いキャッチャーボートと腕のいいモリ打ちを用意してくれとね」
「モリ打ち、ですか?」
「ああ、君が武装コンテナ船に対して使った方法を見て、NASAの技官が面白い方法を思い付いたんだ。これは、捕獲船の加速性能が非常に重要な要素になる」
「ですが、俺の船は致命的な……」
「ああ、君の設計思想は確かに独特で、言うまでもなく世の常識からかけ離れている。当時の設計支援プログラムが君の船の問題点を解析できなかったのもそのせいだと思う。5年、早すぎたんだよ」
湊は耳の痛い指摘に唇をかんで顔をふせる。
「しかし、シミュレーションシステムの性能は年々向上してるし、船殻材料だって制御系だって日々進歩してるんだぞ」
「ですが……」
「まあ、いい」
辻本は小さくため息をついた。
「まだ時間がある。じっくり考えてくれ」
そう言って静かに立ち上がると、思いだしたように右脇のポケットからさらにもう一通の封書を取り上げた。
次から次へと、まるでマジシャンだ。
「おっと、これを忘れてたよ。ギネスデジタルレコーズからの公式認定状が届いた」
「俺に、ですか?」
「そう、《有人宇宙船太陽系最高速度記録-秒速507キロ-アローラム号》ってね。念のため付け加えておくと、君達はこれまで人類が打ち立てた有人船での速度記録を一気に3倍近くに押し上げたんだぞ。あの無愛想な北中国国家航天局さえ君達に敬意を表するって非公式にコメントしてきたぐらいだ」
「はあ」
「ああ、そういえば君は以前北中国軍の士官を救助したこともあるらしいな」
「はあ。火星の近くで座礁した中国軍の小型送迎艇を曳航したことならありますけど」
「なるほど」
「でも、あの場に通りかかれば誰だって同じ事をしたでしょうし、それにもうずいぶん前の事ですよ」
湊は受け取った角封筒から箔押しホログラム入りの凝った認定プレートを取りだし、明かりにかざしながら答えた。
「あの時の遭難者が今じゃなんと巡洋艦〈瀑布〉の艦長だ。真の船乗りは受けた義理を決して忘れないんだとさ。くれぐれもよろしく伝えてくれと頼まれたよ」
「へえ。でも、そうするとESAの船はどうしてあれほど親身になってくれたんでしょうか?」
「あー」
俺の質問に辻本司令は珍しく言葉を濁す。
「あそこは別にこれといって因縁がないですよね。いや、もしかして司令の知り合いか誰かが…」
「さあな」
辻本司令はそれ以上は答えず、再びあのニヤニヤ笑いではぐらかす。
「それよりその認定状な、せっかくで悪いがすぐにゴミ箱行きになりそうだ」
「え?」
「実は、日岡君がまたとんでもないモンスターを持ちだしてきたんだよ。エルフのテストベッドでは、あまりの加速Gで腕自慢のテストパイロットが軒並み失神したと言う幻の逸品なんだそうだ。ただし、現時点では最大出力でのエンジン耐久性はわずかに9分。プラズマガスの熱圧にノズルが持たないんだと。おかげで実航テストが一度も済んでないらしいんだが……」
「また! そんなキワ物を使うつもりなんですか?」
「ああ。君達なら安心して任せられそうだって言ってたよ。それに、この前使ったエンジンはついに正式量販が決まったそうだ。優れた燃費と断トツの加速性能はアローラムで証明済だからな。結構いい宣伝になったらしいぞ」
「人を広告塔やらダミーロボットの代わりに使わないで下さい! これじゃ命がいくつあっても足りませんよ」
辻本司令は俺の苦情を無視してにっこり笑った。
「でも、あれだけの無茶をやらかしたくせにちゃーんと無事に生きて還ったじゃないか。大成功だよ。たいしたもんだ」
「ちゃんと、無事……大成功? これで? 本気ですか?」
俺は包帯まみれの両腕を広げて呆れ果てた。
こんな状態でも成功とのたまう神経を疑わずにはいられなかったのだ。
だが、そんな湊にはお構いなく、辻本司令は相変わらずのほーんと部屋を横切りドアノブに手をかけると、もう一言付け足した。
「あ、最後にもう一つ、さっき着任した君の専任航法エンジニアを紹介しとかないとな。さっそく昨日付でESA航法局から派遣されてきたんだ。結構切れ者だ。けんかするなよ」
「司令! 俺はまだ引き受けたつもりは。それに」
言いかける俺を無視し、司令は芝居じみた仕草でさっとドアを引き開けた。
驚きのあまり言葉を失う。
司令はそこにポツンと立っていた小柄な人物ににっこりと笑いかけると、久保を促して足取りも軽く鼻歌まじりに部屋を出て行った。
「……どうも」
そう言って照れ臭そうに右手を上げる香帆の姿がそこにはあった。
---To be continued---




