第十一話 十字架
「みなと!」
呼びかけられて振り向くと、目の前に懐かしい顔があった。
「美和!」
呼びかけに応えるように小さく首をかしげでほほえむ仕草。間違いなく美和だ。
「ど、どうして?」
そう問いかけながらも、頭の別の部分は醒めていて、これが単なる夢であることを告げていた。
(またいつもの夢か……)
ぼんやりとそう、思う。
いつもそうだった。こちらがいくら問いかけても、美和は一言も発することなく、少し寂しげに見える表情で微笑んでいるだけ。
だが、この日は違っていた。
「久しぶりに会ったのにいきなり〈おまえ〉はないわ。それよりも、また優子いじめてるでしょ」
驚いた。
夢の中の美和とこうして会話が成立したことはこれまで一度もなかったからだ。
「別にいじめてなんかいない。ただ……」
少しでも長く話がしたくて、慎重に探りながら答える。
「ただ?」
俺は言いよどんだ。
どう言えばこの気持ちを判ってもらえるのだろう?
「あのね、いつまでもずっと私のことを覚えてくれている、その気持ちは純粋にうれしい。これは本当よ」
美和はこちらの内心の葛藤に気づいているのかいないのか、俺の瞳をまっすぐに見つめながら、そう言う。
「でも、事故は避けられないものだったのよ。優子のせいでも、もちろんあなたのせいでもない」
「そんなはずはない。誰にも責任がないのなら、なぜ君は死んだ?」
もっと理論的に反論しようとしたが、のどがひりついてうまく言葉が出ない。
「……運命ってのはやっぱりあるのよ」
美和は肩をすくめて視線を落すと、小さくため息をついた。
「ねえ、いつまでも過去に縛られてるのは良くないわ。前を見なさいよ。せっかくの才能を自ら封じて、この五年間、あなたはあの実証船に閉じこもって一体何をやってたの?」
「美和は相変わらずストレートな物言いするなあ」
違う。そんなことが言いたいんじゃない。
「あたりまえよ。現実から目をそむけて、一人で殻に閉じこもってるなんて、死んでるのとたいして変わらないわ。もうどこにもいない私の事なんか早く忘れて、いい加減に前を見て欲しいわね」
「違う。忘れたくないんだ。現実に関わり合っているうちに、次第に君の記憶が薄れていくのが耐えきれないんだ」
だが、彼女はそれには答えない。
「……世の中にはまだあなたを必要としてる人達がいるわ。本気で心配してくれる人も、ね。だから」
美和はそう勝手に話を締めくくるとにっこり微笑んだ。その姿が次第にぼやけ始める。
「おい、待てよ」
引き留める間もなく美和の姿はさらにぼやけ、次の瞬間、まばゆい光の中で粉々に飛び散った。
あの時と同じ、音も現実感もない一瞬の爆発。
「行くなーっ!!」
視界一面が白に染まる。湊はその光に向けて絶叫した。
「あ、気が付いた?」
高圧チャンバーの小さな窓から覗きこんでいた幼い顔が急にほころんだ。その顔が引っ込んだかと思うと、耳元で気密の破れるプシュッという音が響き、続いて全身を蔽っていた高圧酸素チャンバーのカバーがゆっくりと開かれた。
湊はリアルすぎる夢のショックから今ださめやらず、看護師がチャンバーカバーをベッドから取り外し、部屋から運び出すのをぼんやりと眺めながら呆然としていた。
「湊先輩! 私が判ります?」
香帆が再び湊の顔を覗き込むように身を乗り出してくる。
「ああ」
ため息のようなかすれ声しか出なかったが、それでも香帆は十分満足したらしい。ベッドの背もたれをゆっくりと起こし、湯気の立ち上る低重力マグを無造作に差し出した。
「はい、これ」
「何? もしかしてホットジェラートか?」
「……ばか」
そう言いながらも、香帆の目尻にはうっすらと涙がにじんでいた。
「よかった。このままずっと目覚めなかったらどうしようって思ってた」
「って、俺、そんなに危なかったのか?」
その問いに無言でうなずいた香帆の目から大粒の涙がぽとりと落ちた。
「ごめんなさい。私、先輩がこんな大変な目にあってるなんて知らなくて……」
そのままぐしぐしと濡れた目をこする。
「別に香帆の責任じゃないだろう。謝るな」
「でも私…」
香帆はそこで言葉を切ると、濡れた瞳で無理に笑顔をつくって勢いよく立ち上がった。
「司令を呼んでくる。ちょっと待ってて」
そう言い残すと、返事も待たずにさっさと病室を飛びだしていった。
「おい!」
俺は彼女の後ろ姿をあっけにとられたまま見送ると、受け取ってそのままになっていたマグを思いだし、両手で包み込むようにしながら中のココアをすすった。暖かい甘い液体がのどを心地よく滑り落ち、二口、三口と口にするうちにゆっくりと全身が温まる。おかげでようやく五官がよみがえってきた。
空のマグをサイドボードに戻し、枕元に置かれていた傷だらけの航宙時計をつまんで表示を確認する。あれだけ無茶な扱いをした時計がまだちゃんと動いていることにまず驚いた。
暗闇で最後に確認してから丸二日が過ぎていた。
左腕に点滴されている栄養剤のためか空腹感はさほど感じなかったが、けっこう長時間意識不明だったらしい。
「どうだ~? 危うく死にそこなった気分は?」
辻本司令が笑えない冗談を飛ばしながら病室に入ってきた。背後に香帆と優子の姿も見える。なぜか三人共、同じように真っ赤に充血した目をしていた。
「すいません。どうも寝坊が過ぎたようですね」
辻本司令は俺の返事に表情をきっと引き締めると大きくうなずき、ベッドサイドのパイプ椅子にどっかりと腰を下ろした。
「実際、あぶなかったぞ。酸欠気味になっていた所に窒素ガスなんて浴びたから、血中の窒素濃度が一気に危険値を超えたんだ。深海作業者がかかる潜水病によく似た症状が出てたな」
言いながら辻本司令は大あくびをかみ殺す。どうやら三人ともほとんど眠っていないらしい。
「あのエアロックの近くにたまたま、まだ生きている監視カメラがあってね、そこに犯行の一部始終が記録されていた」
神妙な顔をして言う。
「だが、映像記録の存在に気付いたのは君が救出された後だったんで、惜しい事に犯人はすでに逃亡した後だったよ」
そのまま首を横に振る。
「実は君の救出と前後して基地内で別の騒ぎも起きていてね。アローラムに直接関わっていないスタッフが基地の北側に集中していたタイミングで、正面から堂々と出て行ったらしい。行き掛けの駄賃にうちの実験用小型艇まで持って行きやがった」
肩をすくめ、情けない表情で吐き捨てる。
「そうですか……」
「ただ、一つだけいい話がある。あれにはたまたま試験中の超小型ビーコン発振器が装備されててね。うちの試作品なんでまだ奴も気付いてないようだ。うまく行けば連中のアジトまで追尾できる可能性があるんで、小型の無人艇がパッシブモードで追尾している」
そこまで話すと、急に改まった態度で背筋を伸ばし、神妙な口調で続けた。
「君には詫びないとな。まさかこんな身内にまでスパイが紛れ込んでいるとは気付かなかったよ。まったくもって申し訳ない」
そのまま深々と頭を下げた。
「いえ、あの、そんな事よりアローラムは無事ですか?」
「ああ、大丈夫だ。事態が発覚して徹底的に再確認した。船は弄られていない」
慌てて問いかけた俺の疑問に、辻本司令は太鼓判を押すように大きく頷き、さっと頭を上げた。
「ちなみに、修理改修作業の方はもう九割がた終わってる。君がここで昼寝している間に窯出しした新しい船殻の組みつけも終わらせた。あとは航法システムのデバッグと全体のバランス調整、それに実航試験だな。できれば君にも明朝までには復帰してもらいたいが、いけそうか?」
「大丈夫です。ほんとにご迷惑をおかけしました」
「それは気にするな。それより、スパイの所属がたとえどこだったにせよ、計画はすでにライバルに筒抜けと考えた方がいいな。この先はスピードこそが勝負を分ける鍵になる」
俺は無言で頷く。
「アローラムは明朝未明出港。残りの作業は実航試験と並行しながらでもいけると思う。もちろん艤装作業完了まではうちの多目的船も並走させるつもりだ。多目的船はその後、君達の支援母船になる」
「はい」
「じゃあ、せめて今晩くらいはゆっくり休んでくれ。俺も少し寝る」
辻本司令はのっそり立ち上がると、背後に隠れるように立っていた二人の肩に両手を乗せ、俺の前に押しだすようにしながらゆっくりと病室を出ていった。
「あ! そうそう、私もデバッグがあるんだった……先輩、また後でね」
俺と優子の顔を交互に見比べた後、香帆はいかにもとってつけた様な用事を思いつくと、辻本司令の後を追うようにあたふたと部屋を駈けだしていった。
病室には俺たち二人だけが残された。
優子は黙りこくったままその場に立ちすくんで動かない。張り詰めた、鉛のように重い空気がその場を支配する。
「座れば」
重苦しい雰囲気に耐えかねて俺は口を開いた。優子はその声にびくっと顔を上げると、おずおずとうなずいてベッドサイドの椅子に腰掛けた。再び気まずい沈黙が流れる。
「「……あの」」
二人の声が重なる。
「ああ、日岡から」
「主任からどうぞ」
「「……それじゃあ」」
二人は思わず顔を見あわせ、どちらからともなくクスリと笑う。だが、おかげで張り詰めていた部屋の空気はようやく緩んだ。
「あの……」
「何?」
「体は、もう大丈夫?」
「ああ、ちょっとだるい気がするだけで」
「こんな大事な時に災難だったわね」
「でも、現にこうしてぴんぴんしてるしね。実際にミッションが始まってから内部で破壊工作をされるよりよっぽどよかったと思うよ」
「まあ、確かにそうね」
優子はうなずいて再び黙り込んだ。と思うと不意に顔を上げ、またすぐに俯いてしまう。
何かを言いだそうとして、ひどくためらっているように見えた。
「あのさ」
そんな優子の姿を目にした途端、俺は衝動的に思わず話し始めていた。
「実は、さっき美和に逢ってきた」
優子の体がぴくりと硬直する。
「あいつに叱られたよ。いつまで過去の事を引きずってるんだってね」
「え? でもあれは私が……」
「あの事故は誰のせいでもないって。あいつが自分ではっきりそう言ったよ。」
どこまでも都合のいい、自分の願望が生み出した幻想。だが。
「俺もそう思う事にした。いや、いい加減そう考えなきゃいけないって思った。だから……」
そこまで一気に吐きだした俺は、優子の目に光る涙を見てそれ以上の言葉を飲み込んだ。涙はたちまち溢れ出し、両の瞳からポロポロと落ちた大粒の涙は膝の上できつく握りしめた両手を濡らしていく。
あの事故の時も、優子は気丈にも人前で涙一つ見せず、淡々と事故の処理にあたっていた。
その彼女が今、無言のまま、まるで子どものように涙をこぼしている。それが俺にはなぜかひどくショックだった。
「だから、頼む。頼むから俺に謝ったりしないで欲しい。そんな事されると俺は君を責めてしまうかも知れない。辛いのは君も同じはずだ。君がこれ以上責任を感じる必要はないんだ。だから」
そのうち自分でも何を話してるのか判らなくなって口をつぐむ。
「ずるい」
優子が俯いたまま、まるで吐き捨てるようにつぶやいた。
「主任は、そうやって他人を許して、また自分だけですべてを背負いこむつもりなんですか?」
「えっ?」
優子は俺の顔を睨むように、涙を一杯にたたえた赤い瞳でぐっと迫ってきた。
「それじゃあ、一体私はどうしたらいいんです! 私の罪は誰が裁くの? 私だってバカじゃないわ。自分の犯した過ちが取り返しのつかないことだってちゃんと判ってる。なのに、なのに、誰も私を責めないなんておかしいわ! そんなんじゃ、私はいつまでたっても許されない!!」
普段の物静かなイメージとは対照的な激しい物腰でヒステリックに叫ぶと、彼女はそのままわっと泣き伏した。
罪の意識。
彼女が感じているのは強烈な罪の意識なのだ。誰にも責められないという事実が、逆に責任感の強い彼女の心をひどく苦しめている。
だが、たとえここでだれかが感情のままに彼女を口汚く罵り、彼女の責任をとことん追及したところで、また逆にすべて許すと言ったとして、それで果たして彼女の魂は救われるだろうか。
俺にはなんとなく理解できた。彼女の感じている果てしない重圧。それは自分があの日以来常に背負っているそれとたぶん同じだから。
また、同時に彼は痛感していた。恐らく彼女も気付いているはずだと思いながら。
いくら誰がなんと言おうと、どんなに自分に都合のいい夢を見ようとも…。
この十字架は、死ぬまで、背負い続けるしかない。
---To be continued---
しばらくの鬱展開、おつきあいくださいましてありがとうございました。次回からは再び本線復帰です。




