第十話 呼吸困難
いつの間にか眠り込んでいたことに気付いてぎくりとした。
だが、あわてて覗き込んだ航宙時計の淡い表示は、それがほんの十分程度であったことを示している。
俺は壁からゆっくりと体を起こすと何度も深呼吸し、息苦しさがちっとも解消しないことを確認して事態の深刻さを悟った。同時に、ほんの子供だましのトリックにまんまと乗せられた自分を悔やんだ。
あの時一緒にいた香帆に一言伝えておけばこんな事にはならなかったはずだ。
だが、俺はそうしなかった。何でもかんでも聞きたがる香帆にこれ以上うるさく突かれたくはなかったし、下手に話せば彼女は自分も絶対についてくると言い張っただろう。それに、まさかここトロイスで命を狙われるなんて考えもしなかった。自分をここで始末して、一体誰が得をするというのだろうか?
閉じ込められてそろそろ十二時間になる。狭い密閉された漆黒の空間で、残された酸素もかなり薄くなっているらしい。息苦しさが次第に深刻なものとなり、なんとなく体を動かすのもおっくうになってきた。
そうするうち、壁にもたれている事すらつらくなり、そのままずるずると床に寝転がる。
「どうしたもんかな?」
もちろん、考え付くすべての手段で外と連絡を取ろうとしたが、ごつごつした岩壁のインターホンにはすでに配線が切られており、宇宙服ロッカーは空、さらにエアロックの外部側ドアは完全に溶接されていた。外部から侵入のために封鎖が破られていたわけではなく、最初から湊をここにおびき寄せ、閉じ込めるための芝居だったのだ。
エアロックの両側にあるチタニウムコートのドアパネルはいくら殴る蹴るの暴行を加えてもびくともしなかった。エアロックだけにとにかく頑丈さが取り柄らしく、へこむどころか傷の一つもついた形跡がない。こぶしが腫れ上がり、あげくにへとへとに疲れただけだった。
「古いくせにこんなところだけは変に頑丈に造りやがって・・」
思わずグチも出る。
普段のパイロットスーツと違って基地支給品の派手なツナギを着ていたため、航海中なら肌身はなさず持ってるはずのエマージェンシーツールは何一つ身に付けていなかった。せめてアーミーナイフの一丁でもあれば事態はもう少し違っていたかも知れないが、手元にあるのは再生プラスチック外装のやわなデータパッドと腕の航宙時計のみ。
データパッドは通信のための搬送波をつかめず、何度もリトライを繰り返したあげく、勝手に休止状態に移行して沈黙している。まさか基地内で圏外状態になるとは想像もできなかった。
まさに絶対絶命の危機だった。
俺はごろりと仰向けになり、床に大の字になって真っ暗な天井をぼんやり見上げた。
今や息苦しさは今や耐えがたいほど。
だが、その瞬間、視界の端でかすかに光るものがあった。
「ん?」
目をこすり、あらためて暗闇を凝視する。
「何だ。あれ?」
見まちがいではない。天井には小さな緑色の瞬き。
何かのパイロットランプだろうか。少なくともあれはまだ生きている。
「一体何だっけ? あれは」
前にどこかで見たような気がして必死に記憶をたどるが、酸素不足の脳みそは容易に回転しない。
腹たちまぎれに手もとのデータパッドを光点めがけてフリスビーのように投げてみるが、天井は思ったより高かったらしく、パッドはそこまで達することなく落ちてきた。
カツーン!
パッドが床に落ちて乾いた音を響かせる。その瞬間、脳裏にひらめくものがあった。
「環境センサー!」
やっと思いだした。どこでも見かける極めてありふれた装置。
彼は小学生の頃のいたずらを思い出していた。
あれは確か二年生、いや三年生だったか。
理科の光の反射についての授業だったと思う。
地球から赴任したばかりの担任は、身近な例としてサンライズコロニーの“陸地”に太陽光を届ける巨大な反射鏡について、その建築工学面の偉大さについて力説していた。
だが、コロニー育ちの生徒たちにとってそれは今さら説明されるまでもないありきたりの情報で、退屈した俺は全員に配られた小さな鏡でなんとなく日光を反射させ、天井に設置されたセンサーに光をあてて遊んでいた。
ところが、誰しも同じように退屈していたらしく、気がつくとクラスの男子全員がまるで示し合わせたように天井の環境センサーに光を集めた。
一つ一つは手のひらに納まるような小さな鏡だったが、晴天の反射光がいくつも集まるとそれなりに温度が上がったらしい。いきなり学校中の火災警報が作動したのだ。次いで教室のスプリンクラーが作動し、豪雨のように降り注ぐ放水でクラスメイト全員がずぶ濡れになった。
首謀者として職員室に連行され、教頭にこってり絞られた事もついでに思いだした。
センサーが生きているという事は、少なくとも信号線がどこかにつながっているはず。
あの時のように、無理矢理にでも反応させればセンターで警報が鳴るはずだ。
願わくば誰かがそれに気付いてくれん事を。できるだけ早く。
息苦しさから考えて、おそらく残り時間はほとんどないはずだ。
俺は慌ただしく暗闇を這い回り、手探りして床に転がったデータパッドを探し出すと、再起動させながら脳みそを振り絞って考える。
「明るさ、熱、あとは何だ、音?」
高い天井に張り付いたセンサーを誤動作させるほどダイナミックな環境の変化をどうやったら起こせるだろう。
「パッドのディスプレイの明るさくらいじゃ全然だめだよな。熱だってほんのり暖かい程度だし、現に俺の体温は全然検知されていないっぽいし。さて、どうする?」
データパッドが懲りずに始めたキャリア信号の探索シーケンスを眺めながら、ふと、気づく。
「電波か。センサーの配線がむき出しなら、波長を合わせればいけるか?」
一般的なキャリア探索シーケンスを中止させ、遭難モードに切り替える。
こうすると、太陽圏で使われている通信周波数を上から下までスキャンしながら、各周波数でバースト的に遭難信号を発信するようになる。音声通話どころか数文字のテキストコードを送信するのが精一杯だが、瞬間的には結構な大出力だ。
「うまくいってくれるといいんだけど」
狙っているのは、岩肌の表面を這ってセンサーに伸びている配線がどこかの周波数帯でアンテナとして機能し、センサーを誤作動させることだ。
一度だけならセンサーノイズで片付けられてしまうだろうが、周期的にノイズが検知されればそのうち気にして調べる人間も出てくるだろう。
だが、データパッドに表示されている酸素濃度が気になる。すでに十八パーセントを割り込んでおり、ゆっくりとだが確実にその値は減少している。
この数字がどこまで減ったら手遅れになるんだったっけ?
だんだんぼんやりしてくる思考の中、必死で記憶をたどる。十〇パーセント、いや十五パーセントだったか?
「頼む! だれか気づいてくれ!」
俺は残り時間を少しでも延ばそうと、わずかな身じろぎすら堪えて酸素消費を抑える。
だが、その間にも、濃度表示は止まることなく減り続ける。
「香帆ちゃん、こっちこっち」
蒸気がもうもうと立ちこめ、相変わらず見通しの悪いサウナルーム。一番奥から聞き心地のいい柔らかいアルトで呼びかけられる。
トロイス通信管制唯一の女性スタッフ、宮迫さんだ。
「宮迫さん、もしかして二十四時間ずっとここにいるんですか?」
いつ来てもサウナルームの一番奥でのんびりくつろいでいる彼女に思い切って聞いてみる。
「そんなわけないじゃん。何バカなこと言ってんの?」
案の定、口を大きく開けて快活に笑いながら宮迫さんは私の二の腕をバシバシと叩く。
彼女からしてみれば軽いスキンシップなのだろうが、宮迫さんはコロニー生まれ特有の長身の割に、腹筋が見事に六つに割れた筋肉女子だ。
本気で痛いから止めて欲しい。
「じゃあ、こんな時間にトレーニングですか?」
「あはは、”こんな時間”はお互い様でしょ」
再びあっけらからんと笑われる。
「ここはほとんど無重力だからね。意識して鍛えないと地球に戻った時辛いわよ」
初対面でそう忠告され、暇さえあればジムに通うようになって以来、彼女とは不思議なくらいよく顔を合わせる。
現在、異星船捕獲プロジェクトは三交代制の二十四時間勤務態勢が引かれている。
だが、それを厳密に守っているスタッフなどだれもいない。ほとんどのスタッフが二直、つまり十六時間以上ぶっ通しで勤務し、残りの時間でつかの間の休息を取るという、前世紀初頭のブラック企業顔負けの過酷な労働環境に自分から喜々として身を置いている。
香帆自身、ここへ来てから次第に時間感覚がおかしくなり始めているのを自覚していた。
太陽からはるかに遠いトロイスでは、地球やコロニーのような「昼間」が存在しない。基地の外は永久の暗黒、そして基地の中は常に煌々と明かりが点され、昼夜の区別は廊下がオレンジっぽい照明か、はたまた青っぽいかくらいの変化しかない。
だから、もう一区切りつくまでなんて考えているうち、気がつくと十二時間以上ぶっ続けでコンソールをにらんでいるなんてことはざらだ。
「宮迫さんのところも大変なんですか?」
「ううん。管制の仕事は相変わらず暇なんだけどね、ここんところ弱ーい不正規信号が入感してて、原因究明で残業してたの」
「不正規信号?」
「そう。方角的には基地の北方向、ちょうど三角山の方向からっぽいんだけど、正規のプロトコルに則ってないし、何よりすぐ途絶えちゃうんだよね。ヘッダーだけ取り出して無理矢理平文に直してみると、どうも救難信号臭い感じがするから放っておく訳にもいかなくて」
「ふーん」
「念のためデータベースを浚ってみたけど、外部作業に出ているスタッフは居ないし、ここしばらくは近傍を航行中の船もないはずだから、出所がさっぱり判らないのよ」
「不思議なこともあるんですね。三角山っていうと、この前話してくれたお化けエアロックの……」
「そう、ちょうどその方向ね。でも信号は間違いなく基地の外側から来てるのよ」
「あ、でも……」
私は何時間か前、優子さんが施設管理課に呼ばれたと言っていたのを思い出す。
「そういえば、お化けエアロックがまた変な風になってるって聞きましたよ。|異星船捕獲プロジェクト《うち》の日岡さんが呼ばれてました。
「む!」
宮迫さんはその話を聞いた途端急に真顔になると身体を起こす。
「気になるわね。ちょっと行ってみる」
そのままスパッと立ち上がると、タオルをさっと振って身体に巻き付ける。
「あ、ちょっと待って下さい」
私も何だか妙な胸騒ぎがして後を追う。
そういえば、先輩はどこにいるんだろう。
こんな時に急に先輩のことが頭に浮かんで困惑する。
「ほら、行くわよ」
促され、私はあたまを軽く振って気持ちを切り替えると宮迫さんの背中を追ってサウナルームを出た。
「管制の宮迫です。現在施設管理課で外部営繕作業されてます?」
「おー、みやっちか? こっちの予定にはないぞー。調査班の連中じゃないか?」
いきなり乱入した私達だったけど、施設管理課の若いスタッフは気にする様子もなく返事を返してきた。
「昨晩から、ウチになんだか変な信号が入ってきてちょっと気になったものだから……」
「変な信号? そういえば昨晩からこっちでもセンサーの誤作動が続いててさ。班長は気にすんなって言ってるんだけど。一応エルフガンドのエンジニアに診てもらったんだ」
「で?」
「いや、設備に異常はないってさ。一体何だろうな」
「ねえ、タナモト、それって基地の北側? 外からじゃない?」
「いいや、ウチのは基地の中。第三エアロックだな。お化けエアロック」
「ちょっと、それって基地の最北でしょ!」
「そうそう、三角山の向かい側」
宮迫さんは腕組みをして沈黙する。施設管理の棚本技師も何か感じるところがあったらしく、無言のままディスプレイにチャートを呼び出してあごをしゃくる。
見ればそれはセンサー誤作動の時系列グラフだった。
「宮迫です。今施設管理に来てるんですけど、例の不正規信号の受信チャート、こっちに転送してもらえますか?」
宮迫さんは通信管制の当直スタッフにインカムを飛ばし、棚本技師のディスプレイにすぐにメール着信のアラートが点る。
「タナモト、悪いけど今受信したタイムチャートをそっちの信号と付け合わせてくんない?」
「お、おう」
言うまでもなかった。棚本技師は阿吽の呼吸でタイムスケールを合わせ、信号の受信チャートをセンサーの誤作動チャートに重ねて私たちに示す。
「うーん、回数と間隔はだいたいあうけど、時間がずれてるみたい」
私が素朴な感想をもらすと、
「確かに違うわね。センサーノイズが観測されて、何秒か遅れて不正規信号が入ってる。まったく同じ発信源という訳じゃないのかぁ」
宮迫さんもため息のようにそう答える。だけど、それを受けた棚本技師の表情は逆に険しくなる。
「おいおい、その方がよっぽど変だろ! 正体不明の信号発信源が基地の内外にそれぞれあって、お互い呼応しあってるってことじゃないのか?」
「……」
「……」
「……」
三人とも首をひねりながらしばし黙り込む。
「宮迫さん……」
促すまでもなかった。宮迫さんは大きく深呼吸すると、
「何が起きているのかは分からない。だが、少なくとも普通じゃないことは確かね」
全員の気持ちを代弁するようにそう断言した。
棚本技師は改めてチャートをじっくり検分し、私たちの表情を確かめるように顔を見合わせると、意を決してコンソール上の受話器を持ち上げる。
「司令室? お忙しいところすいません。辻本司令はいらっしゃいますか?」
データパッドに表示される酸素濃度が十三パーセントを切ったところで、俺は究極の決断を迫られていた。
しばらく前からどうやら熱も出てきたらしい。体中の力が入らなくなってきた。遭難信号は結局、誰にも見つけてもらえていないらしい。
待てば待つほどヤバい状態になるのは確かで、多少でも動けるうちに何か別の方法を考える必要があった。
ここに人が閉じ込められていることを確実に知らせるためには、しょぼいノイズ程度ではなく、もっと確実にセンサーを反応させる必要がある。
「あー、だるい」
ひっきりなしに襲ってくる吐き気を抑えようと生唾を飲み込みながら、ぼやける意識をどうにか保とうと自分の考えを声に出す。
「パッドを分解し、バッテリーをスパークさせる」
だが、その先が思いつかない。
小さくてもいいからそこから炎を起こし、環境センサーに火災だと認識させたい。
だが、今着ている派手な作業服を含め、宇宙空間で用いられている物に簡単に火がつく物は何もない。すべてに完璧なほどの不燃化処理が施されている。電気火花を起こしたところで、そこから先が続かない。
それに、データパッドを破壊してしまえば、そこから先、他の手段は一切とれなくなる。酸素濃度、イコール自分の残り寿命を知ることもかなわなくなる。
「まあ、自分の寿命をカウントされるのはまっぴらだけど……」
真っ暗闇の中、エアロックの四隅の床をもぞもぞと手探りし、わずかに残る綿ぼこりをかき集める。これだって難燃素材には違いないが、これだけ細かい繊維状であれば多少は燃えるだろう。少しでも炎が続けばそれでいい。
「あ、あとは……髪の毛があるか」
痛みをこらえて髪の毛をぶちぶちと引きむしる。
「あとでハゲないだろうな」
思わずそんな心配をした自分に苦笑した。
今をどうにか生き延びなくては、その後なんて心配しても仕方ない。
痛みに涙をにじませながらさらにひとつかみむしり取ると綿ぼこりの上に積み上げる。
「よし」
覚悟を決めた。
データパッドの再生プラの外装を両手で力任せに折り曲げる。薄っぺらい樹脂版はわずかな抵抗の後パカリと剥がれた。ヤワいつくりにこの時ばかりは感謝しつつ、内部から手探りで薄くパックされたバッテリーを引き出すと、プラスとマイナスの電極部分を指で確認する。
「よし」
思ったよりしっかりと金属部分が露出している。
航宙時計を腕から外し、試しにチタニウムのバンド部分を両方の端子にまたがるように押しつける。
バチッ!
想像よりはるかに大きな火花が出た。これなら行けそうだ。
バッテリーパックをほこりと髪の毛の塊の下に敷き、再びバッテリーを小刻みにショートさせる。
バチバチとスパークがはじけ、綿ぼこりに引火して線香花火のような小さな炎を起こす。
「よっし!」
その上に慎重に髪の毛をかぶせる。タンパク質の焦げるいやなにおいがエアロックに充満し、炎はメラリと大きく燃え上がった。
俺はすかさず天井の環境センサーを見上げる。
見つめる間にそれまでグリーンだった光点が不安定に瞬き、間もなく赤色に変化した。
「やった!」
だが、次の瞬間、四方の壁の天井付近に仕込まれていた噴射ヘッドから湊めがけて猛烈な勢いでガスが噴出してきた。
「なっ! 何だ?」
予想外の事態にひたすら混乱する。エアロックのドアには削り取られた文字の他に何か書かれてなかったか?
いけない、確かあれは……
〈イナージン・NN2300系IGS 酸素希釈型消火設備〉
「しまった! イナートガスだ!」
それっきり意識が途絶えた。
---To be continued---




