第一話 密航者
みなさまお久しぶりです。
前作「ディープ・クローム」の世界観で現代的なスペオペを書いてみたいと思います。
今回は太陽系狭しと活躍する一匹狼の主人公と女の子が出てきます。
しばしの間、どうぞおつきあい下さいませ。
通関書類の受領手続きに思ったより手間取った。
おかげで、俺がようやく自分の船に戻ったときには、申請した出港予定時刻までほんの十分ほどしか残されていなかった。
出港準備に万全を期すつもりなら、とりあえず今回の離脱可能時間はキャンセルして再申請することもできる。
だが、あいにく俺はNaRDOの禄を受ける身分ではない。
フリーの運び屋として小型宇宙船を駆る一匹狼にすぎない。
そして、フリーである以上、NaRDO所属の船とは違って何らの優遇も受けられない。ただ港に浮かべておくだけでも港の入港税に停泊料、おまけに桟橋のチャージ料なんて理不尽な経費までがっちりと徴収される。
しかもそいつはなんと秒単位での請求なのだ。
そんなわけで、目当ての荷物を積みこんだらもっとも近い離脱時間枠をゲットして一秒でも早く港を出るのがフリーランスとしての習い性になっていた。
パイロットシートにどさりと腰をおろしながらメインディスプレイの端っこにポップアップしている燃料補給の完了メッセージだけを視界の端で確認し、チェックリストの他の項目はすっぱり全部省略してAPUを始動させた。
もちろん、船体外装、航行機器のチェックは日課のようなものだ。朝一番で念入りに済ませてある。
プロの宇宙船乗りならこれはもう本能のようなものだ。
その一方で、出港時のチェックリスト再確認はいわば儀式だ。やろうがやるまいが別に他人は困らない。
もちろん厳密に言えば宇宙船舶運航法第何条かの何項だかに違反するのだが、
「要はつまらない事故を起こさなければいいだけのこと」
俺はそう自分勝手にへ理屈をつけるとタッチパネルに触れ、マグネットアンカーの通電を切る。
ゴトンというかすかなショックと共にアンカーは桟橋を離れ、船体に自動的に収納される。
格納扉のラッチが作動するガチャリという音に続いて格納完了のメッセージが表示されたモニタ画面をちらりと視界の隅に捉えると、サイドスラスターを起動して軽くひと吹かしする。
惰力でゆっくりと船体は離岸を始めた。メインエンジンのプレヒートを待ちながらきゅうくつな六点式シートベルトを装着する。
面倒だし、それ以上につけ外しに時間がかかるが、万一出港時に装着していないのを見とがめられると離脱許可が取り消される恐れがある。
桟橋から十分に離れたところを見計らって三基のメインエンジンに順番に火をいれる。船尾のほうからターボポンプの始動するキュィーンという金属音と共に細かい振動が伝わってきたが、エンジンの出力が安定すると共に振動はほとんどおさまる。タービン音も次第に心地よい低い唸りに落ち着き、美しいハーモニーを奏ではじめた。
スロットルから右手にフィードバックされる微妙な感触でエンジンの調子を計りながら出力を微調整し、船尾の横滑りをサイドスラスターペダルの一蹴りでぴたっとおさめると、港口のウェルカムゲートが静々と開くのに合わせて船を極微速でじりじりと前進させる。
「悪くないな」
俺は小さくうなずきながらつぶやいた。
これまでよりレスポンスが一割がたはよくなっているだろうか。
「こちらサンライズ5コントロール。船籍番号JASSー70ー1248、高速型貨物輸送船アローラム船長、湊・エアハートさん。間もなく出港予定時刻です。ご準備はよろしいですか?」
タワーから顔見知りの女性オペレータが爽やかな声でコールしてきた。
「いいよ、いつでも出られる」
確か昨夜、運び屋連中と一緒に夜明けまで大酒を飲んだオペレータ娘達の中に、彼女の姿もあったはずだ。
だが、ディスプレイに映し出された明るい表情にも声の調子にもその名残はみじんもなかった。
さすがはプロフェッショナル、お見事な肝臓だ。
「アローラム号、ただいまタキシングゾーンBへの進入が許可されました」
手元に一瞬だけ視線を落とした彼女は、そう言ってにっこりと微笑んだ。カールした明るい茶色の前髪がかすかに揺れ、あでやかな表情を一層引き立てる。
彼女達コントロールオペレータはスペースコロニーへの出入りで宇宙船乗りが最初に目にする、いわばコロニーの看板娘だ。
当然、その人選にはどこの国のコロニーも威信をかけて臨んでいる。
冷静で適確な判断力、魅力的なキャラクター、その両方を兼ね備えた一流の人物だけがオペレータに選ばれるとも聞く。
もちろん男性のオペレータもいないわけではない。だが、職業宙航士の男女比が極端に男性側に片寄っている現状、オペレータに採用されるのはやはり圧倒的に女性が多い。
無味乾燥で孤独な長期間の航海の後、久しぶりに目にする生身の異性となるためか、宙航士仲間で彼女らの人気はつとに高い。現に既婚男性宙航士の四人に一人は元オペレータを伴侶に選んでいる。
一方、彼女達も宙航士との短い会話のチャンスを精一杯生かし、大手エアライン所属のエリートを射止めようと見えない火花を散らしながら日々激しいバトルを繰り広げている、らしい。
が、当然というか残念と言うべきか、俺のような弱小フリーの宙航士にまで同じ笑顔を向けてくれるオペレータはそれほど多くない。
いや、ほとんどいない。
だが、どうやら彼女はそんな少数派に属している可能性が高い。
「今度、また飲みに行かないか? 今度は二人っきりで」
魅力的な笑顔に惹かれてつい口に出してみる。
「アローラム号、出港を許可します。ゲート開放はコールアウト以後280秒間。グリーンの誘導ラインに従って速やかにゲートを抜けてください。それでは、トロイスまでいい航海を。コールアウトGMT1410コンマ0800、オーヴァ」
彼女は最後にベーっと舌を出し、それきり回線はシャットアウトされる。
後には見慣れたNaRDOのロゴがキラキラと回りながら3D表示されるばかりだった。
ナード。正式名、JASNaRDO〈国立特殊研究開発法人・日本宇宙資源開発機構〉
二十一世紀初頭にようやく始まった宇宙資源の本格的開発は、民間宇宙旅行が開始され、大手旅行会社やハイテクベンチャーの資本が投入されるようになった2010年代以降、急激にその規模を拡大しはじめた。
そんな中、天然資源にとぼしい日本の宇宙開発委員会も国際的な流れに遅れまいと、2015年に策定した宇宙開発政策大綱でようやく民間資本を活用した本格的な宇宙資源開発計画を推進すると内外に表明した。
さらに十年後、2025年末にはそれまでのJAXA(宇宙航空研究開発機構)を発展的に解消、翌年にその十数倍の規模をもつ国立の特殊法人「日本宇宙資源開発機構」を発足させた。現在では六つのスペースコロニーを軌道上に浮かべ、NASAや南中国国家航天局、拡大ESAなどと互角に肩を並べる世界屈指の宇宙開発組織に成長している。
ハイセラミック傾斜材宇宙船という日本独自の特殊な造船技術に加え、お家芸の極限ロボット技術を駆使し、水星の灼熱半球から海王星軌道に至るまであまねく進出、大量の無人探査・採掘ペネトレーターをがんがん打ち込むその独特かつ精力的な開発活動は、今や太陽系中でいくばくかの脅威と称賛をもって広く知られている。
そして、これから向かうトロイスは木星軌道付近に浮かぶ大型の小惑星であり、NaRDOの辺境開発における最重要拠点のひとつだった。
俺は回線を閉じ、渋い顔で船を誘導ラインに乗せると、誰に向けたわけでもないかすかな腹立ちと共にスロットルをいきなり半分以上押し込んだ。メインエンジンは俊敏に反応し、心地よい加速度で体が耐Gシートに押し付けられる。
「まったく、もう少し愛想がよくても罰はあたらないと思うけどなぁ」
柔らかなクッションのシートにめり込んだままつぶやいたとき、日系スペースコロニー、サンライズ5はすでにはるか後方で瞬く光点のひとつにすぎなくなっていた。
「あれ?」
繰船をオートに切り替え、出港時に省略した与圧貨物区画の脱気を始めようとサブコンソールに向きなおった俺は、左脇の3Dディスプレイに表示されているグラフを見て首をひねった。
「変だな」
画面には、オートパイロットの設定航路から微妙に外れつつある航跡が示されている。今の所ほんのわずかな誤差だが、設定された航行速度で原因不明のまま放っておけば、明日の朝には予定航路からざっと数千キロは外れてしまうだろう。
画面上に緩やかな放物線を描き、あげくに画面から大きくはみ出している予想航跡のオレンジ色のラインが、それをはっきりと予言している。
俺は税関で受け取ったままになっていた通関書類一式なりのコアメモリを探し出すとあわててコンソールのスロットに差し込み、ディスプレイにパッキングリストを呼び出してみる。航路計算プログラムに貨物の重量を誤入力したのではと考えたのだ。だが、数値は正確だった。
それならば、先週いじったばかりのメインエンジンが予定の出力に達していないのかもしれない。そう考えて出力モニタに切り替える。だが、エンジン出力センサーの値は、すぐ上にブルーで表示されている設定値とコンマ以下5桁まで完全に一致していた。三基とも出力変動のほとんどない理想的な状態だ。
となれば、どうやら一番厄介な事態らしい。
俺は舌打ちをしながら予定と実際の航跡のずれを航法コンピュータに入力し、加速誤差から導き出される船の重量誤差を計算する。はじき出された数字は42キログラム、プラスマイナス2キログラムあまり。
密航者だ。重量からするとまだ子供のようだ。
「ちっ!」
思わず舌打ちがもれる。大人だったら問答無用でとっととエアロックから蹴り出そうと思っていたのだが、相手が子供の場合はそう簡単にはいかないから頭が痛い。
別に博愛主義者を気取っているつもりではない。子供をうかつに泣かすとうるさいし、後でその親がもっとうるさいからだ。このご時世、下手に騒がれようものなら商売にまで響くからいけない。こういう仕事は何より"信用"が大切なのだ。
俺は大きくため息をつきながら立ち上がると、シートの背もたれから防寒ジャケットを取り上げて貨物区画に向かった。
エアロックを開くと、重たい白い霧と共に冷気がどっと流れ出てくる。
貨物区画はまだ与圧されていたが、空調は出航前からずっと切ってあった。中の気温はすでに零下十数度まで落ちているはずだ。
かすかに身震いし、扉の脇の照明のスイッチを手で探りながら貨物区画に大きく一歩踏み出す。
「そこにいるのはわかっている。出てきなさいぃ」
反応はなかった。
船の大きさの割に結構な広さの貨物区だが、今はNaRDOに依頼された鉱石採掘ローダーと、その付属機器一式とやらでほぼ満載状態に近い。
そんな貨物区に、声がぼわんと反響する。吐く息が瞬く間に白く凍り、超高輝度LEDの寒々しい光を受けてキラキラと舞う。
「もう一度言うぞ。おとなしく出てきなさいぃ」
効果なし。
心の底で姿を見せない密航者にめいっぱい悪態をつきながら、それでも努めてやさしく話しかける。
「なあ、こんな寒いところにいても風邪をひくだけだ。つまんないぞ。今なら怒んないから素直に出てきなさいぃぃ!」
エコーが響く。だが区内に動きはない。
「クソっ、もうやめた!」
俺は掃き捨てるようにつぶやいた。根性のひん曲がった密航者にこれ以上のんびり付き合う義理はない。
「あくまで出てこないつもりなら別にかまわないが、これからこの区画の与圧を抜くからな。寒いのは何とか我慢できても、空気がなくちゃたちまち窒息死だぞ。じゃあなっ!」
それだけ言い放つとくるりとまわれ右して、靴音も高らかに貨物区を出ようとしたそのとき、背後でなにかが動いた。俺はすばやく振り向き、そして。
「あーっ!」
意外な光景に思わず気の抜けた声をあげてしまう。
上目使いに俺をにらむようにしながら震える肩を両腕で抱え、霜まみれでよろめくように現れたのは、かなりの美人……と言うより、まだまだ美少女という形容のほうがふさわしい小柄な女の子だった。
「で、どうしてこの船を選んだんだ?」
一時間後、コックピットのすぐ後方のクライアントルーム。
苦虫を三十八匹ぐらい噛み潰したような顔で、俺はぼそりと尋ねた。
「君が承知してるかどうか知らないが、この船はド辺境の小惑星に土木機械を運ぶミッションの最中だ。女の子が一人で訪問して楽しい場所とはとても思わないけどね」
トゲトゲが目に見えるような嫌み交じりの質問を受けて、小柄な密航者はホットココアの入ったマグパックを両手で包み込むようにしてもち、どう答えようかと考えあぐねているように見えた。
見つけたときは凍るように冷たく青白かったほほの色も、ようやく人間並みの赤みを取り戻していた。
実際のところ、目の前に姿を現してすぐに、彼女は張り詰めた気持ちがプツンと切れたように気を失ってしまったほどだ。
無理もない。氷点下の船倉に標準船内服っきりで長時間座り込んでいたのだから。
「君なあ、もう少し見つけるのが遅ければ間違いなく凍死してたぞ」
俺は向かいのシートで呆れ果てた。今回は”たまたま”手続きをすっぽかして貨物区の空気を抜かなかったからいいようなものの、自分がもう少し厳格な船乗りだったらこの娘は今頃フリーズドライのはずだ。
到着地でミイラになったこの娘を発見してうろたえる自分の姿を一瞬脳裏に思い描き、次の瞬間あわてて振り払った。
「それにしても…」
「ごめんなさい!」
さらに非難を重ねようとした俺の言葉のをさえぎるように、その娘はぺこりと頭を下げた。
そして次の瞬間、まるで跳ね返るようにがばっと顔を上げ、大きな瞳をキラキラさせながら言葉を継いだ。
「私、この船の中が見たかったんですっ!」
その勢いのままいきなり身を乗り出してくる。
「は?」
「船の中が一体どうなっているのか、すっごく興味があったんです。この船、あなたが自分で設計したんでしょ?」
「ど、どうして知ってるんだ? 宇宙港にビジネスで出入りするには君はちょっと若すぎるようだけど?」
俺は困惑し、思わず顔をしかめた。
確かに、宇宙船舶設計士の数はそう多くない。
設計士を養成している学校も、今のところ日本には一カ所しかない。
日系コロニー、サンライズ5と7にキャンパスをもつ高校・大学一貫校、サンライズ技術工科大だけだ。
だから、公開されている卒業生名簿を見れば設計士の名前を知ることはそう難しいことではない。
だが、実際には、誰がどの船を設計したかなんて情報が関係者以外の目に触れることは滅多にないはずなのだ。
もちろん、以前の俺と同様、設計士のほとんどが大手の宇宙船舶メーカーか、さもなくばNaRDO本体に所属しているためでもある。
作品にあえて個人名が添えられるのは、俺の知る限りでは、あの伝説的な車イスのシップビルダー、光二郎&和美・ホリエ夫妻ぐらいなものだろう。
「私、サンライズ技工大付属の学生なんです。船舶設計科の高等部2年生です」
「ああ、それで…って、おまえ、ホントに高校生かよ?」
どう見ても中学生程度にしか見えない彼女を、俺は改めて頭の先からから足下までまじまじと見つめた。
身長は恐らく百五十センチをいくらも越えていないだろう。しかも、ショートカットの髪にきゃしゃな体型。細いうなじとわずかな胸のふくらみがなければ、まるで少年のようにさえ見える。
「見た目は関係ないでしょ! これでも成績はよいほうなんですよ!」
彼女は俺の無遠慮な視線に抗議するように、とがったあごをつんと突き出した。
「むぅ、失礼。それにしてもまいったな…」
俺は頭を抱えた。よりによって自分の後輩だったとは。
「今年の設計実習であなたの大学卒業課題がサンプルに出されたんです。私、第一印象でとってもきれいな船だって思いました。だから、おととい、宇宙港のカフェでバイトしている友達からそれによく似たデザインの船が入港してるって聞いて、どうしても自分の目で見たくなって…」
「へえ、あのレーシングボートの設計データ、まだ学校に残ってるのかよ?」
俺はふっと懐かしいあのころを思い返した。
もう8年以上前になる。専攻していた船舶設計科の卒業設計に、そのころ計画だけが持ち上がっていた「月~火星間ラリー」に参加するという設定で、小型のレーシングボートの図面を描き上げた。
ただ、性能優先で思いきり趣味に走った船体の素材とデザインは、船体の有効空間効率うんぬんとか、姿勢安定性がどうだとか、経済性がどうこうなどなど、重要ないくつかの項目を満たしていないといった理由で担当教授に酷評されたはずである。
現に、俺はあの課題で卒業にぎりぎり必要なCプラスの評点しかもらっていない。
「あれは確か山菱準教授にボロっくそにけなされたぞ。そんなものがいまさらどうして高等部の実習サンプルになんかなるんだ?」
思わずシートから上体を乗り出して尋ねる。
彼女はふわっと顔をほころばせると、急にいたずらっぽい目つきになって答えた。
「悪い見本ですって。”デザインに走りすぎて船舶設計の基本をことごとく無視した悪例だ”ってコメント付き」
「くっ!。あの石頭が!」
俺は落胆してどさりとシートに倒れ込んだ。
彼女はその大げさな反応がおかしかったらしく、クスリと笑い声をたてると、両手を温めながら抱えていたマグの中身を飲み干して言葉を続けた。
「でもね、私は別の感想をもったの、聞きたい?」
「えっ?」
「まるで鳥のような、とっても美しい船だと思ったわ」
「おおぅ」
予想外の高評価に戸惑う。
「だから、先輩の設計ほとんどそのままモデルをプログラムして、実際に月~火星の設定データで、バーチャル空間上にシミュレーションを走らせることにしたんです」
「へえ、今は学校でそんなことまでやるのか」
「もちろん授業じゃないんですよ。学園祭のエキシビションです。学生や教官が設計した船体のデータを、大学のスーパーコンピュータを借りて仮想の太陽系空間でレースさせるんです。一位の船に賭けた人に賞品を出すことにしたら、もう大人気で」
「なんだ、賭レースかよ。……で、結果は?」
いつの間にか俺は再びテーブルの上に身を乗り出していた。
「聞きたいですか?」
「ああ」
「それじゃあ、この船に黙って入り込んだことを許してくれますよね? 出航前に私を発見できなかったのは先輩のミスでもあるんでしょ」
「む~っ!」
整った顔に似合わぬえげつない交換条件に、俺は思わずうなり声を上げた。
だが、確かに、自分が出航前のチェックをさぼらなければこんなことにはならなかったはずである。いずれ港湾局に報告するにしても、まずはしっかりつじつまを合わせておく必要があった。
「仕方ない、……許す」
彼女はもったいぶるように小さく咳払いすると、急に改まった口調で続けた。
「パンパカパーン、それでは発表しまーす。結果は、先輩の船がダントツの一位でーす。しかも、賭けていたのは私一人。大儲けしましたよ~!」
「へええ…」
「うれしくないんですか? うちの教官は絶対に信じられないって怒り狂ってましたけど」
「いや、うれしいけどね」
すっかり冷えてしまったコーヒーを飲み干して、ぽつりとこぼす。
「それ以来、仲間内でシミュレーションレースが結構流行ったんですよ。中でも一番すごかったのは、昨年のパリ・ダカール星間ラリーの設定で、フランスコロニーから、火星のニューダカール国際宙港までのラリーを完全再現シミュレーションしたときです。もちろんサンライズ技工大のコンピュータだけじゃ計算容量が全然足りないから、ネットにつながってる世界中の工科大と高専全部に呼びかけて同時分散処理を……」
「そんな大がかりにやったのか?」
「ええ、ネットでかなり大きなニュースにもなったんですよ。見てないんですか?」
「いや、年末からこっち長距離の仕事が多かったからな。多分、俺が土星航路あたりを飛んでたころだろ」
「あら、残念」
さして残念とも思っていない口調で彼女は言った。話に熱中してほほが赤く染まっている。
「参加613台中、先輩の船はイタリア宇宙工科大と最後の最後までトップを争ってデッドヒートを繰り広げたんですよ。手に汗握るってこのことだって思いました。それはもう本当にすごかったんだから!」
「で、結果は?」
「最終のスペシャルステージでほんのわずかに出遅れて、結局タッチの差で2位でした」
「あ~!」
いつの間にか話に引き込まれていた俺は、思わず大きなため息をついた。
「でも、私、本当に感動しました!」
彼女は両手を胸の前で組み合わせ、まるで夢見るようにつぶやいた。
「だって、向こうは最新の造船テクノロジーをふんだんにつぎ込んだ設計データだったし、実際、今年の星間ラリーで優勝したソノートエアロクラフトの現役エンジニアが会社の設計支援AIまで使ってこっそり手伝ったって噂も聞いてます。5年以上前の型遅れ《レガシースペック》でそれに真っ向勝負ができるんだから……」
彼女は夢から覚めたようにあたりを見渡し、納得したようにうなずく。
「この船はあのボートの設計を元にして造ったんでしょ? 大きさはかなり違うけど、船体の基本プロポーションは本当によく似てるもの」
「まあな」
「でも、何で先輩は大手の造船会社とかNaRDOに勤めないんですか? そこならいくらでも腕をふるえるはずでしょ」
「俺は一人でのんびりやるのが好きなんだ。勤め人には向かない性格だと思うね」
「だから、たった一人っきりで運び屋なんてやってるんですか?」
「だからそれは…」
俺はそこで不意に言葉を失った。
(なにかが変だ)
理由はわからない。だが、唐突にそう感じたのだ。
この娘が言っていることがたとえすべて真実だとしても、他人の事情にあまりにも詳しすぎやしないだろうか。それに……。
無言のまま立ち上がると、彼女に背を向け、自分の空の無重力マグにコーヒーを継ぎ足しながら考えた。
今すぐUターンして彼女をサンライズ港湾局に引き渡すのがこの際もっとも正しい選択だろう。
だが、そうなると再入港の手続きや公安の事情聴取などで、どんなに短く見積っても二日は足止めをくってしまう。
それだけは避けたかった。
余計な係留経費をかけたくないのはもちろんだが、今回の貨物はチャーター便で、この手の荷にしては珍しいことにトリプルAクラスの急配指定がついているのだ。
サンライズに出入りしている多くの運送業者中、最高速の船足を買われての依頼だけに、その期待を裏切りたくはなかった。
さて、どうすればいい?
「で、おまえ、これからどうするつもりだ?」
結論が出ないまま、俺は空のマグに再びココアを注いで彼女に手渡した。
「どうするって…?」
湯気のたつマグパックを受け取りながら、彼女は質問の意味が解からないといった風に小さく首をかしげてみせた。
その仕草を目にした途端、心の隅がズキリと痛んだ。
「あ、あのな」
気持ちを落ち着けるために言葉を切り、コーヒーを一口すすって顔をしかめた。長年愛飲しているブランドだが、気のせいか年々不味くなっているような気がする。
「国際宇宙船舶運行法ってものがあって、その中に密航者の扱いについての条項がある。密航者を発見した場合、船長は自己の判断で、密航者に即時船外退去を強制することができる。それがたとえ宇宙のど真ん中だろうがどこだろうが関係なく、だ」
彼女はむりやりしかめっ面をしてみせた俺の言葉に、びくっと首をすくめた。
「予定外の人間が貴重な酸素や燃料をそれだけ無駄に消費するからだ。蓄えの少ない船なら、たちまち乗組員全員が生命の危機を迎えるからな。それは君もわかるだろ?」
肩をすくめ、しおらしくうなずいた姿が妙に哀れみをそそる。
「……だが、実際にその条項が適用された例はまだ聞いたことがない」
一言で彼女の表情がぱっと明るくなる。こんなにも表情の振れ幅が豊かな人間も珍しい。
そんな様子を横目に、俺は冷め切った残りのコーヒーを一気にのどの奥に流し込んだ。
このコーヒーはこんなに苦かったか?
「だけどな、密航はそれだけで重犯罪なんだ。未成年であろうとなかろうと、君はコロニーに戻ったらすぐに逮捕され、恐らく執行猶予なしの実刑を宣告されることになる」
「本当ですか?」
「残念ながらね。だけどまあ、実はひとつだけそうならないで済む方法があるといえば、ある」
「えっ?」
うなだれていた彼女が弾かれるように顔を上げた。表情が再び晴れる。
心なしか、船内の照明までもが急に明るさを増したような感じさえした。
「とりあえず、俺が君を臨時のアルバイトに雇ったことにしとくよ。そうすれば君は捕まることもないわけで…」
「ほんとに、本当に助けてくれるんですか?」
勢いよく立ち上がった彼女が、テーブル越しに俺の両手をぎゅっと握りしめた。あたたかくて、柔らかな感触。
「ただし、条件がある」
その手をさりげなく引きはがしながら俺はきっぱりと宣言した。
「はい! 聞きます! なんでも言ってください」
彼女は大きくくかぶりをふった。
「今回の貨物は超特急の依頼なんだ。だから、今からコロニーへ戻って君をおろしている時間はとても取れそうにない。そこで、悪いけどこのまま目的地のトロイスまで付き合ってもらう」
「それだけ?」
まるで拍子抜けしたような表情で彼女は俺の目をのぞき込んだ。
「実はまだある。食料は十分にあるが、一日に使える水量は限られている。だからシャワーは一日一回、5分間だけ。それから、ベッドも見てのとおりひとつしかない。だから……」
「うっ、も、もしかして……?」
彼女の表情がわずかにひきつった。
「おい、誤解するなよ。俺はコックピットで寝るから。ベッドは君が使えばいい」
「え?でも、それじゃ悪いよ」
勘違いを恥じるように、彼女は心なしか顔を赤くしてうつむき加減に答えた。
「実を言うと、ここ、ほとんど使ってないんだ。法規上は荷主が使うための部屋なんだけど、俺はそもそも他人を乗せない主義だし、コックピットにいるほうが何かと便利で、眠るのもほとんど耐Gシートだ。別に問題はないさ」
話を打ち切るように勢いよく立ち上がりながらそう答え、部屋を出ようとしてふと振り返った。
「そういえば、まだ名前も聞いてないな」
「あ、私、香帆です。徳留香帆です。よろしく」
彼女はそう言うとぴょこんと頭を下げた。
「俺は……」
「知ってます。エアハートさんでしょ? 湊・エアハート船長」
「いや、船長はやめてくれ」
「じゃあ、先輩。ミナト先輩って呼んでいいですか?」
俺は若干の気恥ずかしさを感じながらうなずいた。
「……ええと、じゃあ、徳留さん」
「そんな! 私も香帆って呼び捨てしてくださいよ」
「えーっと、それじゃ、香帆」
「はい?」
「航海中、ひとつよろしく」
「え? あはは、こちらこそよろしく、湊先輩」
そう答えながら、香帆はなにがおかしいのか明るい笑い声をあげた。
---To be continued---