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1章 奴隷商人になるまでの話 1―4

 ――奴隷商の下から戻ってきた翌日のこと。


(金が足りない……)


 武雄は、ゴルドバの家にて大いに頭を悩ませていた。

 もう日本円硬貨はない。

 財布には日本円札があるが、数も少なく、紙という脆弱性を考えると硬貨ほどの高値はつかない気がした。

 では、どうするべきかと武雄は考える。いや、これは考える振りであった。

 本当は答えなど、とうに出ているのだ。


 ――また地球へ。


 武雄は意を決し、念じる。

 今度は誰かに奪われないように、ゴルドバの剣を置いて。

 思い描くのは一人暮らしをしていたマンション。


 そして黒い水溜まりが現れると、武雄はこの世界よりいなくなった。


◆◇


 日本の自分の部屋へと、武雄は戻ってきた。

 そこは、ガランとした何もないマンションの一室。長方形の部屋に、小さな机とベッドがあるだけという簡素な部屋である。


 移動した先で警察官がいることも視野にいれていたが、どうやら部屋にはいないようだ。


 机の上には高校入学のための参考書と携帯電話があった。

 武雄が携帯電話を見やる。

 おそらく電源はもう落ちているだろう“それ”。


 充電器に繋いで電源を入れたならば、そこには家族からの連絡が届いているのだろうか。

 二度もこの世界からいなくなって迷惑をかけたことを考えれば、その内容は文句であろうか。


(いや、もし連絡すらなかったならば……)


 ――怖い。


 武雄にその携帯を手に取る勇気はなかった。


 長居をするつもりもなかったため、武雄はさっさと目的を果たそうと部屋を出る。そして、マンションのすぐ前に設置してある自販機へと向かった。

 日本円札を崩し、多数の硬貨を得るためである。

 

 武雄は自販機に千円札を入れ、水の入ったペットボトルを買う。

 その値段は百十円であり、お釣りは八百九十円であった。

 それを財布に入れると、武雄はペットボトルを自販機より取り出し、蓋を開けて口をつけた。


 買ったら飲みたくなると言うのが人情というものである。

 春の陽気の中、冷たい水が武雄の体によく染み渡った。


 そして蓋を閉め、再び財布から千円札を出そうとしたところで、武雄はふと思いつく。


(このペットボトル売れるんじゃないか……?)


 向こうで手持ちの水入れといえば、獣の皮を材料に作られた革水筒である。

 その口からは水が漏れやすく、残量を確認するのにも中を覗いたり、振ってみたりしなければならない。

 それに比べてペットボトルはどうか?

 ネジ式のキャップで呑み口が閉められており、水が漏れることはないだろう。

 また、透明なため一目で残量もわかる。耐久性も大したものであるし、何よりも珍しい。

 実用性と希少価値を考えれば、硬貨よりもよほど高い値がつくのではないか、と武雄は考えたのだ。


 武雄は部屋に戻って二枚の白いビニール袋を持ってくると、次々と水のペットボトルを買って、その袋に入れていった。

 目の前の自販機で水のペットボトルが売り切れになると、隣の自販機に移り、また百十円の水入りペットボトルを買う。

 そして、それらは最初に買った物も含めて、全部で十八本。残金は一万と二十円となる。自販機は一万円に対応してなかったため、武雄はペットボトルを買うのをここまでとした。

 ちなみに、備え付けのゴミ箱も漁ったが、缶ばかりでペットボトルはなかった。


 マンションの部屋に戻ると、武雄は直ぐ様ゴルドバの家へと移動する。

 日に二回目となる異世界移動は、身体から魔力のほとんどを持っていき、武雄は全身に枯渇感を覚えるのであった。


◆◇


 宙に垂直に浮かぶ黒い水溜まりを潜って、武雄はゴルドバの家に無事移動した。

 次に袋からペットボトルを取り出し、ラベルを剥がして、再びペットボトルをビニール袋に入ると、武雄は外へ出た。

 その行き先は前回硬貨を売った店である。


 市場に立ち並ぶ建物の中でも、一回り大きい商店。

 店内に入り、店員に「物を売りに来た」と言うと、武雄は奥へと通される。


 そこは、物を吟味する机しかない殺風景な部屋だった。そこへ店の主がやってくる。

 店主の名はベント――中肉中背、上質なベストとコートを着こなした壮年の男である。


「これはこれは先日ぶりでございます。えーと……」


「タケオだ」


「そう、タケオ様。また何か珍しい物でも売ってくださるので?」


 もみ手をしながら、媚びへつらうような笑顔を見せるベント。

 その様子を見れば、先日の硬貨の売買が余程旨い商売であったことは容易に想像がつくというものだ。


 しかし、そんなことは気にも止めずに、武雄はドサリと机の上に中身の詰まったビニールの袋を二つ置いた。

 そして、中から一本の水が入ったペットボトルを取り出す。


「こ、これは……」


 ベントは武雄が持ってきた物に驚いた。

 それは、ベントが今までに見たことのない物――まるで水のように透き通った容器であったからだ。


「中に入っているのは水だ、好きに触って貰って構わない」


 武雄の言葉に、ベントはまるで美術品でも扱うかのようにそれに触れる。

 完全に色の無いビンが開発されたかとベントは思ったが、どうも違うようであった。

 そして手に少し力を入れると、その透明な容器はペコリと凹み、ベントは慌ててその手を離した。


(まさか壊してしまったか!?)


 そう思って恐る恐る見てみれば、透明な容器は何と凹みなどどこにもなく元の姿を保っている。


 すると武雄がそれを掴み、床に強く叩きつけた。


「あぁっ!」


 何を馬鹿なことを、と思ってベントは悲鳴を上げる。

 一瞬の最中、ベントが頭の中で想像したのは、透明な容器が木っ端微塵となっている姿。


 そして、ベントは目を丸くした。


 なんと、透明な容器は何事もなく床に転がっているのだ。


「確かめてみてくれ」


 武雄が透明な容器を拾い、また机に載せる。

 中に入ってる水が、漏れている様子はない。それどころか、透明な容器には傷一つなかった。


 次に武雄がコップを用意してくれと言ったので、ベントは取っ手のついた木のコップを持ってくる。

 すると武雄がクルクルと蓋とおぼしき物を回して容器の口を開き、中の水をコップへと注ぐ。そしてまたクルクルと蓋を閉めた。


 珍しい蓋だ、とベントは思った。

 しかしそれだけではない、武雄は手に持った容器を逆さにして振るう。


「み、水が……」


 驚きで後に続く言葉は出なかった。

 あんな手軽に開閉する蓋であるのに、水が漏れていないのだ。


 ベントは唸った。水が漏れ出さないと言えば、ガラスでできたビンにコルク栓を詰めた物である。

 しかし、この目の前にある透明な容器は、重く割れやすいビンよりもはるかに実用性があるのは明らかだ。


 ベントは考える、この不思議な水入れの価値がどれ程であるかを。

 対照とするのは、無色とはいかないまでも一応の透明性を持つビン。

 ビンは作るのに相当の手間隙を要するビンはなかなかに高価であり、当然扱う者も金持ちだけである。


 では、これはどうか。


 そんなことは馬鹿でもわかるだろう。希少性、実用性を考えれば、ビンよりも、いや骨董も含めたどんな容器よりも高値がつくに違いないのだ。


 前に武雄からもたらされた硬貨とは訳が違う。あれは職人があの手この手で時間と金をかければ、同じ物を作れなくはないだろう。

 だがこれは、職人がどうのこうのという問題ではない。

 製法も素材も全く不明の物なのだから。


 ベントはゴクリと息を呑んだ。


 机に置かれた不思議な光沢をもつ袋を見れば、中には幾つもの透明な容器が入っているのがわかる。


 ――大きな商売になる。


 ベントはそう予感した。


 ベントの店は、街ではそれなりの大きさを誇っている。

 しかし、これを物にすれば街どころではない、王を相手に商売が出来るはずだ。


(王と繋がりを持ち、ゆくゆくは……)


 などと、一人妄想に浸るベントである。


「……店主」


「――はっ!?」


 うへへへ、と気持ち悪い顔をしているベントに武雄が声をかけた。


「い、いや、すみません」


 我に返ったベントが、恥ずかしそうに武雄に謝る。


「それで、幾らだ?」


「そうですな……伺いたいのですが、これをどこで?」


 もしもこれが大量に作られてどんどん輸入されるのならば、今一度評価を改めなければならない。


「……遠い地だ」


 しかし、返ってきたのは要領を得ない答えである。

 続けてベントがその遠い地とやらがどこであるかと尋ねても、武雄は答えようとしなかった。

 仕方がないので、ベントは質問を変えた。


「では、これはこの大陸にどれだけありますか?」


「僕が持っている物が全てだ」


 ベントが武雄の目を見つめる。その目は嘘を言っているようには見えなかった。


(――とは言え、買ったならばまず情報収集をするべきか)


 それらしい情報があれば、さっさと売り払えばいいのだ。

 儲け話を常日頃探しているベントが未だ見たことも聞いたこともない物なのだから、例えどこかの特産品として世に出回っても、出揃うまでには相当の時間がかかることは予想に難しくない。

 そしてベントは決断した。


「わかりました、一つ百金貨ではどうでしょうか?」


 その提案に、武雄は少しばかり考える様子を見せる。

 ベントは安すぎたか? と思った。

 安く仕入れて高く売るのは商売の基本である。珍しい硬貨の時もこちらを疑うこともせず、言い値で売ってくれた“上客”であったから、今回もまた買い叩くような値段を提示したのだ。


(もう一つ二つ釣り上げるべきか……?)


 しかし、それは杞憂であった。


「よし、それで売ろう」


 目の前の客はやはり“上客”であったのだ。


「ありがとうございます。それではすぐに代金を持ってきますが、えーとその袋にあるのは全部で何本あるんですかね」


 何本売ってくれるんですか、とは聞かない。

 さりげなく、全部売らせるように話を進めるのだ。


「うん、三本買ってくれ」


 そう言って、武雄は残り二本を袋から出す。

 しかしこれは、ベントにとってよろしくない結果である。


「え、ええっと、袋の中にはまだ何本もある見受けられるのですが……」


 ベントが、机の上に置かれたビニール袋を見ながら尋ねた。

 交渉に慣れた者であるなら、その目から動揺の色を読み取ることができるだろう。


「いや、これはいい」


「い、いやいや、いやいやいや。そんな、困りますよ。百万というのは全部売った時の一本あたりの代金でさぁ」


 もちろん、それは全部を売らせるための嘘である。


「そうか、一本なら幾らだ?」


「え? そ、そうですな二十金貨――」


 この瞬間、武雄が眉をひそめた。あまりにも落差が大きすぎたためだ。

 それを見て、慌ててベントは言い直す。


「――いや、五十っ! 五十金貨といったところでしょう。しかし、それを全部売ってくれるなら一つ百金貨で買い取ります」


 これに対し、武雄は眉間のしわを更に深くした。

 ころころと値を変えるベントを前に、かなりの胡散臭さを感じたのである。

 特に金に頓着するつもりのない武雄であるが、あからさまにカモ扱いされるのは気分がいいとは言えなかった。


「なら、僕は他の店で売ることにする」


 武雄は、机の上のペットボトルを袋に戻そうとする。

 しかし、その腕をベントの手が掴んだ。


「ちょっ、ちょっと待ってくださいよ! そりゃあんまりです、一体何が不満なんですかっ!?」


「物を売ろうとしているのだから、不満なんて買取り値の他にないんじゃないか?」


「ぐっ……、だったらそっちの条件を言ってください」


「売るのは一本のみ。そして値段は三百金貨だ」


 武雄は気持ちのいい笑顔で言った。

 他の店もあるのだから、この際吹っ掛けてしまえという考えであった。


「なっ、そりゃあんまりです!」


「だったらいい。他の店に行くだけだ」


 そして今度こそペットボトルを袋にしまい、店を後にしようと店主に背を向ける。


「ま、待ってくださいっ!」


 武雄の足がピタリと止まった。しかし振り返ることはしない。


「三百万ドエル……っ! 一本三百金貨という値で……買わせていただきたい……っ!」


 ベントの絞り出すような声であった。

 その言葉に武雄がようやく振り向くと、ベントは手を固く握り身体を震わせていた。


 余程無理な買取りなのだろうかと武雄は思った。


「しかしっ! こちらの条件も聞いてもらいたい……っ!」


「……聞くだけ聞こう」


「残りの品も……っ! 今は金は工面できません、しかし! 必ず何としてでも金を集めますので、残りの品もどうか私に売ってくだされっ!」


 そしてベントは膝を折り、己が頭を地面へと叩きつける。

 それはもう、木の床が抜けるんじゃないかというぐらいに、激しく。

 そう、まさかの土下座であった。


 そのあまりにも胴の入った土下座っぷりに、武雄が思わず仰け反ってしまったのは仕方のないことだろう。


「どうか……っ! どうか……っ!」


 部屋では『ガン! ガン!』と店主が床に頭を叩きつける音が響いている。

 こうまでされては、武雄も売らないわけにはいかなかった。

 所詮はペットボトルであるし、奴隷を買える金さえ手に入れば全部売ろうとどうでもよかったのだから。


「……わかったよ。取り合えず立ってくれ」


 武雄がそう言うも、今度は「ありがとうございます!」と土下座を続けるベント。

 もはや武雄は苦笑いするしかなかった。


 かくして、まず一本のペットボトルが売られ、残りはまた後日この店に売るという契約書が、ベントと武雄の間で交わされる。


 当然、字の読めない武雄には契約書に何が書いてあるかわからない。そのため契約の内容を、店員に読ませることにした。

 ここで店員とベントの間に少しでも疑わしい行為があれば、すぐにでも契約は打ち切るつもりだったが、そんなこともなく契約は無事に結ばれたのだった。


 契約書には両者の名前と拇印が押され、さらに武雄の持つ残りのペットボトルを、ベント商会が一つ三百金貨で買い付ける旨が記されている。

 三百金貨という値に最後までベントは苦しそうに顔を歪めていたが、武雄は決して譲らなかった。


 同じ文が書かれた二枚の契約書を、お互いが一枚ずつ持つ。

 そして武雄は、用は済んだとばかりに三百金貨の入った布袋と、ペットボトルが入ったビニール袋を持って店を去っていった。


 そんな武雄を、ベントは店の前で頭を下げながら見送っていた。


「うぅぅ……くっ……」


 三百金貨での買付が決まってから、ずっと続く悔しげな声。

 それがベントの口から――


「くっ……くくっ……ぶはーっはっはっはっは!」


 ――漏れなかった。


「やったぞ! やってやったぞ!」


 突然叫びだしたベントに、通りを歩く人々は皆ぎょっとする。

 しかし、そんなことはどうでもいいとばかりに、今度は小躍りし始めるベントである。


 全ては嘘だったのだ。


 低い金額を提示したことにより、武雄が店を出て行こうとした時は、確かに肝を冷やした。しかし、その後武雄が示した三百金貨という値段は、このペットボトルという品の価値を考えれば痛くも痒くもないものだ。


 『今は金は工面できません』『必ず何としてでも金を集めますので』なんてのもでたらめである。


 金が無いから低い値段を提示したのだと思わせるため、加えて相手の同情を引くためである。

 『金が集められなくて、何が商人か』とは、商いをする者にとって当たり前の言葉である。


 さらには契約書も交わした。

 誰の立ち会いもなく内容も緩い、何の拘束力もないものではあるが、それでも悪人でない限りはその契約を破ろうとはしないだろう。

 つまりは、心にかける錠のようなものである。


 内容も本数を曖昧にし『残りのペットボトル』と書いておいた。

 他にも武雄が持っているようならそれは全て『残りのペットボトル』である。


「はーっはっはっはっは! ひーっひっひ、ゴホッゴホッ!」


 笑いに笑い尽くしたベントであるが、これからの展望を考えると、まだまだ顔がにやけるのを止められそうにない。


 まず、どうしようか。

 王に売る? いやいや王に献上しよう。

 何、宣伝費だと思えば安いものだ。

 世にも珍しい品だ、王は他の者に自慢するに違いない。

 そして王が自慢する相手など一級の貴族に決まっている。

 安売りなどはしない。王も使っている品なのだ。千、いや二千で売ってやろうか。

 さらにはベントの名も高まるだろう。

 そして一躍大商人の仲間入りだ。そのまま信用を勝ち取ったなら、ゆくゆくは国御用達の商人だって夢じゃない。


「夢が広がるぜえっ!」


 晴れ渡る蒼天に向けて、ベントは大きく叫んだのだった。

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