【奴隷商人二巻発売記念】とある幸せな日常
奴隷商人になったよin異世界の二巻が5/17に発売しますので、それを記念して幕間をつくりました。
時系列としては戦争をするもっと前。
第一話のようにのんびりと奴隷商人をやっていた時代ですね。
次話を投稿する際には、第40部あたりに移動させます。
よろしくお願いします。
「タケオ!」「お兄ちゃん!」
その日、タケダ商会の執務室に突然現れたジルとラコが、口をそろえて言った。
「「弓を教えて!」」
タケオが話を聞いてみれば、学校で弓の授業があったそうだ。
しかし、これがなかなか難しく、授業が終わったあとに自主練までしているにもかかわらず、いまいち成果が出ない。
そんなわけで、弓の指南役としてタケオに白羽の矢が立ったのである。
「弓はあんまり得意じゃないんだよなぁ」
自身の弓の実力を顧みて、ぼやくように言ったタケオ。
弓の心得はあるが、あくまでタケオの得意は剣である。学校で習う以上のことを教えられるはずもない。
とはいえ、愛しい義娘たちの願いなのだ。なんとかしてやりたいと思い、誰か弓の得意な者がいたかな、と商会に勤める兵に思慮を巡らせたところ――。
「ごほん」
割って入るように喉を鳴らし、自己を主張したのはミリアであった。
自然、タケオ、ジル、ラコの視線がミリアに集中する。
「弓ならば、私にそれなりの覚えがあります」
淡々とした調子でありながらも、その口端には微かな自信の色を湛えている。
しかれども、ミリアの傷一つないであろう白く美しい肌と、力仕事など無縁そうな細い体つき。どこからどう見ても、彼女と武芸とは結びつかない。
何かの冗談だろうか、とジルとラコが懐疑の視線を向けたのも仕方のないことだった。
「森の民であるエルフを侮ると、痛い目に遭いますよ」
擬音にするなら、クワッといったところであろう。
ジルとラコの態度に心外だとでも思ったのか、ミリアははっきりと言い放った。
なお、森の民にしてはゴキブリが顔に飛んできたくらいで悲鳴を上げるのがミリアという女性であり、ジルとラコの反応は当然だとタケオは思っていた。
とはいえ、そこまで言うのならば、と一同はタケダ商会の兵たちが使う修練場に場所を移したのである。
――タケダ商会が有する大きな敷地の中の一角。そこに私兵たちが日々訓練を行う修練場があった。
といっても、特に特別なものがあるわけではなく、青空の下の運動場と言い換えても十分に通用するだろう。
元は一面に芝が広がっていたが、今ではそのほとんどが剥げてしまっている。これはタケダ商会私兵たちの日頃の厳しい訓練によるものだ。
それを示すように、今日も鎧を着こんだ非番の者たちが掛け声を上げながら武器を振るっていた。
タケオたちがいるのはその端っこである。
槍の刺突訓練を行うための巻藁が並べられた場所だ。
「まずは、あなたたちの現在の腕前を見せてください」
ジルとラコの実力がどの程度であるのか。それを確かめようと、ミリアは二人に巻藁を射かけるよう言った。
それに頷いたジルとラコが、弓矢を取って弦を引く。
次いで弓から放たれた、ヒュッという風を切る音。しかし、二本の矢は巻藁の見事に外した。
「ああ、もう!」
「むー!」
ジルとラコは苦渋の表情を浮かべながらも次々に矢をつがえて、それぞれの目標となる巻藁に向かって放っていく。
だが、まるで狙いが定まらず、矢は右へいったり左へいったり。
挙句は互いが互いの的を射貫くという、わざとやっているんじゃないのかと疑いたくなるような高等ミスまでやってしまう始末。
うまくいかないことへの憤りゆえか、二人の腕には余計に力が入り、さらに悪い結果を生み出すという負のスパイラルを生み出していた。
「はい、そこまで。あなた方の弓の腕の程はよくわかりました」
もうわかったとばかりに、弓を止めるように言ったミリア。
結局、まともに矢は当たらず、ジルとラコは口惜しそうな色を浮かべている。
「はっきり言って全くなっていません。いいですか、弓というものは何よりも姿勢――」
弓の指導者として、ミリアがうんちくを垂れ始めた。
武芸などからっきし。そう思われていたことが、よっぽど気に障ったのだろう。
普段よりも数段力のこもった口調であり、そこはかとなく得意げだ。
しかし、武芸に対してはとても真摯なジルとラコである。
ミリアのいつもと違った態度にも突っ込むことはせず、彼女の話にしっかりと聞き入っており、ここに一時の師弟関係が結ばれていた。
ところで、この場にもう一人いることを忘れてはいけない。
彼女たちの隣で一言も発さず、置物のように佇んでいたタケオ。
片や弓を教え、片や弓を習うミリアたちの姿に、その胸にはふと懐かしい記憶がよぎっていた。
(僕が初めて弓を習ったときのことを思い出すな)
タケオにもあったのだ。
目の前のジルとラコのように、弓の師事を受けていたことが。
そう……目を閉じて、耳をすませば聞こえてくる。
それはたくましく、頼もしい声だった。
『いいかタケオ。その特性上、弓は敵からの攻撃に注意を払う必要はない。そのため、必要なのは静水のような心を保ち続けることのみ。何事にも動じず、ただ目標を射ぬくことに神経を注ぐんだ』
タケオが、まだ十代半ばの頃。
天頂に燦々と輝く太陽の下、筋骨隆々としたゴルドバが、まん丸な頭をキラリと光らせながら言った。
『つまり平常心ってことだよね? 大丈夫、大丈夫。得意分野だよ』
『言うじゃないか。では、お手並みを拝見』
若かりし頃のタケオが弓をひきしぼる。
その心の中にあるのは、ゴルドバにいいところを見せようという思い。
タケオの狙いは数十メートル先の藁束に定められ、そして矢筈から指が離された。
その瞬間――。
『ワッ!!!!』
突如としてゴルドバから放たれた大声である。
タケオは『うわっ!?』と奇声を発し、矢は的から大きく外れて飛んでいった。
『ハハハハハ! タケオもまだまだだな!』
『いやいやいやいや……』
昨日のことのように瞼の裏に思い起こされる情景。タケオにとって、とても大切な思い出だ。
そんな心地よい夢から覚めると、タケオの面には笑みが浮かんでいた。
そうしている間にも、ミリアの指導は続いている。
現在はミリアが弓をとって、いよいよ実践に移ろうというところであった。
「では、私が手本を見せましょう。あなたたちに足りないのは、何事にも動じない明鏡止水の心。自分を大地にそびえたつ一本の木であると考えなさい。自然の一部になるのです」
ミリアが見事な立ち振る舞いで弓を引き絞り、そして指を離すその刹那――。
「ワッ!!!!」
「――っ!?」
お茶目にも、ついつい大声で叫んでしまったタケオ。
途端、ミリアの体がビクリと跳ねて、矢はあらぬ方向へ飛んでいった。
「……」
「……」
「……」
弓を打ち放った姿勢のまま固まるミリアと、そんな様子を茫然と眺めるジルおよびラコ。
沈黙が辺りを支配していた。
ややあって、いち早く我に返ったミリアが「タケオ様!」と怒りの声を上げるが、既に何もかもが手遅れである。
「ふーん、何事にも動じない心ねぇ」
ニヤニヤと笑みを浮かべるジル。
「じ、ジルお姉ちゃん、ぷっ、くく……」
ラコは、ジルのからかいを止めようとするも、自身は笑いを堪えきれていない。
するとミリアの雪のような白い肌は真っ赤になり、恨みがましい瞳だけをタケオへと向けた。
「ははは、ゴメンゴメン」
笑いながら謝るタケオ。だが、反省の色は一切ない。
その内にあるのは、〝あのとき〟と同じ湯水に浸かるような心地よさ。
タケオは、まん丸な太陽の下で今日という平和で幸せな時間を噛みしめていたのだ。




