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1章 戦勝後 2

 カシス領主テオドルスと奴隷商人タケオ、すなわち高みより見下ろす者と跪く者。

 両者の格差は月とすっぽんのごとく果てしないものであるが、しかし今日この時に限っては、共に同じ大地に立つほどに縮まっていたといい。


「タケダ商会会長タケオ・タケダ、このたびの働き実に見事であった!」


「ははっ、身に余る領主様のお言葉、ありがたき幸せにございます」


 その日、テオドルスとの謁見に臨んだタケオが目の当たりにしたのは、まさしく救国の英雄に対する礼であった。

 玉座から下りて、跪くタケオの前まで進んだテオドルスは、自身も片膝をつきタケオの肩に手を乗せて称えたのだ。


 すると左右に立ち並ぶ高官たちがパチパチと手を叩く。

 しばし誰も言葉を発さず、その称賛の余韻を楽しませるように、玉座の間を拍手の音だけが支配した。


「どんな気持ちだ、英雄というやつは」


 五月雨の拍手の下、テオドルスがニッと笑って尋ねた。

 その目線は、依然としてタケオのものと同じ高さにある。


「そうですね……なかなか、こそばゆいものでございます」


 タケオは、辺りの高官たちにちらりと視線を配ってから答えた。

 今もまだ拍手をしている高官たちは、本来タケオが顔色を窺うべき相手である。

 これまでにも、商売をするうえで賄賂を要求されたり、恐喝をされたりと色々と茶々を入れられていた。

 ゆえに、そんな者たちからの礼讃というのは、あまりにも不慣れでこそばゆい。


「ふふふ、こいつらも気が気でないであろうな。昨日の奴隷商が今日は国の英雄だ。立場は逆転し、お前がこいつらの不正を口にすれば俺も裁かずにはいられない。ふふ、まあそんなわけだから、仕返しをするにしても加減してやってくれよ」


 拍手に交じって、ぴしりと空気が凍り付く音が聞こえた気がした。

 高官たちの心情を思えば、タケオも苦笑する他ない。


 それを合図としたのか、テオドルスは片手を小さく上げて拍手を止め、そのまま立ち上って玉座へと戻った。

 こうしてテオドルスとタケオは、互いの立場は本来あるべき形――見下ろす者と跪く者となったのである。


「して、体調のほうはどうだ?」


「はっ、おかげさまで長きにわたる療養の末、先の戦いでの傷も癒えましてございます」


「そうか、ならば今日より祝宴を……と言いたいところだが、それでは少しばかり性急すぎるな。よし、明日から勝利の祝宴を執り行う。無論、お前が主賓だ。武勇伝は酒の席にてしかと聞かせてもらおう。

 皆の者、酒の支度をしろ! 明日から三日間、カシスは宴ぞ!」


 今日であろうが明日であろうが、どちらも変わりなく急な話である。

 しかし、たった一つの反論もなく、その場にいた者は「わかりました領主様!」と声を合わせて返事をしている。

 つまり、祝宴の準備は事前に済んでいる、ということだろうとタケオは思った。


「ではタケオ。こちらの準備ができ次第、お前のもとに使いをやるからな。今日のところは下がっていいぞ」


 これでこん召喚におけるテオドルス側の要件は済んだ、ということだ。

 タケオとしても内心でふぅと息を吐きつつ、さっさとこんな堅苦しいところからはおさらばしたいところではある。

 だがタケオ側には、まだ一つ用事があった。


「あの領主様、一つだけよろしいでしょうか」


 跪いたまま、タケオは口を開いた。


「うん? なんだ、何か困りごとか?」


「その……実は、私のもとに手合わせをしたいという者が多く集まっておりまして……。つきましては、お手数をおかけして心苦しくはありますが、ご領主様から何かしらのお達しをいただけないでしょうか」


 タケオが深く頭を下げて懇願する。

 自身との戦いを望んで連日声を張り上げている厄介者たち。タケオは、これを領主の権限でもってなんとかしてもらいたかったのだ。


「ふむ、強者の宿命というものだな。英雄の器量で受けてやってはどうだ?」


「それが、毎日十を超える者が入れ代わり立ち代わり商会の前で騒いでおりまして……。また果たし状も受け取っており、その数は五十は下らず、とても相手にできる数ではございません」


 別にタケオも戦うことが嫌いなわけではない。

 一人や二人程度なら、相手にするのもやぶさかでもないと思っている。


 しかし、タケオと戦いを望む者は五十を優に超え、それはおそらく今後も増えていくだろう。

 あのアルカトでの戦いからそれほど日数が経ったわけでもなく、それを考えれば、今いる者は国内の者たち。

 なればこそ、今後さらに他国からも挑戦者がやって来るであろうことは簡単に予想がつく。


 はっきりいって、そんな数をいちいち相手にしていられない。

 こちとら武芸者ではなく商人なのだから、というのがタケオの考えである。


「なるほど、確かにその通りだ。よし、わかった。お前の国に対する貢献を思えば、そのようなことなんの労でもないぞ。お前の言う通りに、俺がそやつらにビシッと言って――いや、待てよ?」


 話の途中、突如として言葉を止めるテオドルス。

 タケオが何事かと思ったのも束の間、テオドルスはその手を顎にやり、眉をひそめ、何かを考える仕草になった。


 それを見て、タケオは猛烈に嫌な予感がした。

 ただ一言、「タケオ・タケダと手合わせすることを禁ず」と触れを出すだけでいいのに、何故わざわざ考える必要があるのか。


 ややあって、テオドルスはニヤリと笑った。

 タケオの嫌な予感が確信へと変わる、あくどい笑みである。


「ふふふ、いい案がある。いいだろう俺に万事任せておけ」


 その声の調子は、今日タケオが聞いた中で一番の弾みがあった。

 またその瞳は、まるで子どもが新しいおもちゃを見つけたように爛々と輝いている。


 これらが意味することは一体何か。

 そう考えたとき、しまったとタケオは思ったが、もう遅い。

 こうなればもうどうにもならないことを、これまでの付き合いからタケオは知っていた。


「あの……禁を発してくれるだけでよいのですが」


「ふふ、わかっておる、わかっておる。あとは俺を信じろ」


 とても信じられるわけがない。

 テオドルスの言葉には、明らかになんらかの思惑が存在する。

 しかし領主であるテオドルスに信じろと言われてしまえば、信ずる意外に手段はなく、タケオはもう何も言うことはできないのである。


 こうして謁見は終了。

 帰りの馬車の中、とてつもない不安に駆られながら、タケオはタケダ商会へと戻っていった。




 そして翌日、太陽が中天に差し掛かった頃。


「さあ、コエンザ王国の勝利を祝おうぞ! 我がカシスの英雄も帰還しておる! 派手に騒げ!」


 カシスの真ん中を走る大通りでは、屋根のない大きな四輪馬車に乗ったテオドルスが、大行列を引き連れて祝宴の始まりを宣言した。

 それに伴い、日頃の教練の成果と言わんばかりに、一糸乱れぬ隊列を組んで進みく領主軍の兵士たち。

 音楽隊が曲を奏で、テオドルスが雇い入れた旅芸人の一座や、街角の曲芸師などが思い思いの芸を披露しながら隊列のあとに続く。

 カシスという大都市全てを巻き込んだ、祝勝パレードの始まりである。


「コエンザ王国万歳! コエンザ王陛下万歳!」

「テオドルス猊下万歳! 英雄タケオ万歳!」


 パレードを一目見ようと集まった住民たちは、国を、王を、領主を、そして英雄を、声高に称えた。

 その中でも、テオドルスの馬車に同乗するタケオに対する声援は並々ならぬものがあったといってよい。


 それもそのはず、このたびのコエンザ・ウジワール戦争においてカシスの功績は微々たるもの。

 アルカトの決戦では一応最後のほうで少しばかり戦いに参加したものの、当初より己を顧みずに戦った『救国の五将軍』との活躍とは雲泥の差である。

 五十歩百歩という言葉を借りるならば、日和見であった他の諸侯たちとあまり変わらない。


 しかし、絶対無敵と思われたウジワールの奴隷部隊を、先陣を切って一歩も引かずに打ち破ったタケオ・タケダはまごうことなきカシスの人間。

 よってタケオ・タケダはカシスの民の誇りとなったのだ。


「どうだタケオ。高い場所からの眺めというのは」


「はっ、壮観であります」


 ゆっくりと進む馬車の上でテオドルスに問われ、タケオは答えた。 

 するとテオドルスは、「そうであろう、そうであろう」とタケオの心情など露しらず笑みを深くした。

 どちらも座椅子に座ることはせず、観衆に手を振りながら顔を合わせずに行った会話である。

 ちなみにタケオの正直なところとしては、髭が素敵なナイスミドルと相乗りであることが実に悲しい。


 まあそれは置いておくとして、タケオが注目したのは人々の表情だ。

 これまで幾度となく浴びせられてきた非難や蔑みとは全く別のもの。

 牢獄都市アルカトにて向けられる瞳と同じ色をしていた。


 決して悪い気分ではない。

 しかしそれに伴って、一抹の影がタケオの胸によぎった。

 人々から英雄などと認識されて、今後奴隷商人としてやっていけるのか、という憂慮である。


「どうしたタケオ、顔が曇っておるぞ」


「いえ、その……恥ずかしながら、私は人から忌み嫌われる奴隷商人ですので」


 みなまでは言わなかったが、テオドルスは「ふむ、なるほど」と頷いて察したようであった。


「これを機に奴隷商を廃業して俺の下に付かんか? そうすれば、いずれはどこかの領地を得られるように取り計らうぞ? 商会はあのエルフに任せればいいだろう」


「ありがたいお申し出ではございますが、あいにくと私は商人風情というのが性にあっております。英雄などという大層な肩書もさっさと捨て去りたいというのが本音です」


「欲がないというかなんというか。まあ、気持ちはわかる。英雄とは得てしてそういうもの。意図せずに祭り上げられる」


 その通りだとタケオは思った。

 自ら英雄になりたいという者もいるかもしれないが、そもそも英雄とは国難があってこそだ。

 力があろうともなれるわけではなく、平和な世には決して英雄は生れない。

 大きな不幸からの救出という行為が必須の条件であり、それを成した者は望む望まずにかかわらず英雄となる。


「――だがな。英雄には英雄なりの力が必要だぞ? 英雄になったからには、本人の意思に関わらず多くのものを背負わされる。特に人々からの期待というのは、侮れるものではない。

 何か災いがあれば、英雄であることを理由にして人々は相応の成果を求める。それに応えねば逆に迫害されるであろう。

 奴隷商人タケオ・タケダ。皮肉なものだ、英雄と呼ばれるお前はもはや大衆の奴隷であるといっても過言ではない」


 テオドルスが語った話は、タケオ自身なんとなく理解していたことだ。

 だからこそタケオは英雄という肩書をさっさと捨てたかった。

 自身にはあまりにも重すぎる。

 己に関係ない争いに首を突っ込みたくはなく、やはり卑しい商人という身分が分相応なのだ。


「要するに、だ。そんな他からの介在をはねのけるためにも、領主となるのは悪くない話だと俺は思う。英雄から領主へ。肩書が変われば、守るべき者は自ずと限定される。いざというとき、『領』という大きな力も発揮できる。そういう意味を含めてのさっきの誘いだ。

 まあ、ゆっくりと考えていけばいい。英雄なんてものは、平和が続けば意外にあっさりと忘れ去られるかもしれん。

 とにかく、俺はお前を気に入っている。今回のことでは色々と助けられた部分もあるのでな。何かあれば、できる限り手助けしてやるつもりだ」


 こちらを一瞥せずに言ったテオドルスの言葉。

 その横顔はとても頼もしい。

 タケオが思わずキュンとしてしまったのも仕方がないことだ。


 タケオの乗せた馬車は、そのままパレードの行列と共に領主の城がある中央へと向かっていく。

 その途中、タケオは人混みに紛れてジルとラコがポカンとこちらを見上げているのを発見した。

 既にカシス全民校は再開しており、あの二人もまた学校の寮に戻って暮らしている。

 声をかけようかとも思ったが、周りにいるのは学校の者たちであろう。

 身分をばらすわけにもいかないため、タケオはぱちりとウインクするにとどめた。


 のちは城へと戻り、パーティーが行われた。

 テーブルの上には一級品の料理と酒が並び、それらを高官とその家族たちが囲んでいる。


 かつて己を煙たがっていた高官たち。

 しかしその態度を一変させて、胡麻をするように腰をかがめつつ挨拶に訪れる。

 誇りに囚われずただ利益のみに忠実なその様は、むしろさすがと褒めてやりたいところだ。


 タケオを前におべっかという名の談笑が交わされ、つつがなくパーティーは進行していった。

 そんな中、タケオには少しばかり気になる点も存在した。

 こういった席に必ずいるウジワール教の司祭たちをいまだ見てはいないのだ。


 王都での教会関係者の顛末はミリアから聞いた通り。今は皆地下牢いるはずである。

 だがカシスにおいては、これといった対応はなされておらず、ウジワールの教会もそこに住まう者たちもそのままだと聞いている。


(本来呼ばれずとも勝手にやって来る者たちだが、強欲な坊主たちもさすがに立場をわきまえたか)


 まあ、自身にはあまり関係ないことであるので、どうでもいいが。

 ところで、カシス全民校の教師たちにもウジワール教の関係者が多くいる。

 彼らに関しては身内である。何かあればタケオは尽力するつもりであった。


「では、英雄タケオ・タケダにその武勇伝でも語ってもらおうか!」


 会場に響くテオドルスの声。

 こうして遅まきながらの祝勝の宴は三日三晩続いた。




 事件が起こったのは、それからさらに一週間後のことである。

 その日、ミリアに「あ、あの、少し外につき合ってもらえないでしょうか」と誘われたタケオ。

 彼女の様子は、どうにもおかしい。

 どこへ? と尋ねてもミリアは言葉を濁し、いまいち要領を得なかった。


 しかし、行先を告げられない誘いほど何かを期待してしまう。

 こんなことは今まで一度もなかったからだ。

 タケオは鼻を膨らませて、ミリアと共に馬車に乗った。


 そして、たどり着いた場所。

 城郭に囲まれた、主にジョストと呼ばれる馬上槍試合を行うための競技場である。


 タケオが馬車から下りてみれば、ワイワイガヤガヤとした人の群れ。

 加えて、そこらじゅうに垂れ幕がぶら下がっている。


 既に祝勝の宴は終わっているのに、この騒ぎはなんであるか。

 そんなことを思いつつ、垂れ幕の文字の読めないタケオは大いに首を捻った。


「……挑戦者決定トーナメント、と書かれております」


「へ? 挑戦者トーナメント……?」


 隣に立つミリアが口にした言葉。

 最初はタケオも言葉の意味がよくわからなかった。

 しかし、段々と理解していく。


 自身が取り巻く現状。

 申し訳なさそうに下を向いているミリア。

 そしてここ一週間ほど見なくなった己に挑もうとする武芸者たち。

 さらに「英雄タケオ・タケダに挑む猛者を決めるトーナメントだってよ」「マジかよ、英雄の戦いが遂に拝めるのか!?」という衆人の声。


 それらを照らし合わせたならば、答えは自ずと見えてくる。

 でも、もしかしたら――。いや絶対にありえないことではあるが、奇跡的に、それこそ砂漠の中から一粒の米を見つけるくらいの確率で自身の考えが間違っているかもしれない。

 そう思って、タケオは一応聞いてみた。


「あのー、ミリアさん? ちょっと聞きたいんですが、これは誰に対する挑戦者を決めるトーナメントなんでしょうか」


 しかし、現実に小説ほどの「奇」が存在するはずもない。

 タケオの質問に対するわかりきった答えは、ミリアとは別の方から聞こえてきた。


「英雄タケオ・タケダ。お前に挑戦する者を決めるトーナメントだ」


 聞き覚えのある声にタケオが振り返ってみれば、そこにいたのはテオドルスである。

 背後に近衛兵をわんさかと引き連れて、ふっふっふっ、と楽しげに笑っている。


「出場料は一人三百金貨。並みの者では用立てすることが叶わない額だ。だからこそ集ったのは強者しかおらん。――ついてくるがいい」


 理解が追いつかぬままにテオドルスのあとを追って門を潜ってみれば、そこは城郭の中。

 今はまだ関係者しか人はいなかったが、入って右と左に壇が設けられており、右側が貴賓席らしく、屋根が存在し、その装いもそれなりに整っている。

 対して左側はなんの飾り付けもなく、ただ壇が設置されているだけ。間違いなく一般人用の観客席だ。


 さらにその中間は言わずもがな。

 左右が観客席を考えれば、競技を行う場所であることは明白であろう。


 それらをテオドルスは素通りし、さらに奥――つまり入って来た門とは対面にある門を潜った。

 タケオもテオドルスに続こうとしたが、その瞬間、むわっとした熱気を感じ、自然と足は止まっていた。


 何かがある、とタケオは思ったのだ。

 それは、長い探索者生活の末に研ぎ澄まされていった第六感ともいうべきものであった。


「ふふ。同じ強者同士、何かを感じ取ったか。だが、そこで立ち止まっていては何も始まらぬぞ。こっちへ来い、そして見よ。英雄タケオ・タケダ、お前にとってかわらんと野望に燃える百の獅子たちを」


 テオドルスがタケオに向かってニヤリと口元に弧を描く。

 それに誘われるように、タケオは門の向こうへと足を踏み込んだ。

 そして理解した。

 熱気の正体は、辺りを立ち込める殺気立った獣臭――。


「あいつがタケオ・タケダか……」

「たった一人で三千からなる敵軍を打ちのめしたというぜ。それも敵兵は亜人ばかりだ」

「三千人斬りのタケオ・タケダってわけか。おもしろい」


 そこにいたのは、ギラギラと真夏の太陽よりも熱い視線でタケオを見つめる武辺者たち。

 誰もが猛々しく、一角ならぬ者であることは疑いようもない。


 タケオは、テオドルスを見やった。

 いいかげん一から十まで説明してくれというよ、という視線である。

 

「こやつらは、お前に対す挑戦者。なあに、実際にお前と戦うのはたった一人よ。だからこそのトーナメントだ。ついでに、この前の戦いでの出費をちょっとばかり取り返させてもらったぞ、ハハハ」


 テオドルスの口から放たれたのは、人を出汁にしたまさかともいうべき金儲けの話であった。

 タケオの脳裏に思い起こされるのは、今より一週間余り前の『俺はお前を気に入っている。何かあれば、できる限り手助けをしてやるつもりだ』というセリフ。

 あのときのキュンとした領主様はどこにいったのか。

 目の前にテオドルスは全くの別人である。


「そんな顔をするな。俺のところもなかなか大変なのだ。王からの一切の褒賞を断っているし、ベルスニアにも出兵させてないからベルスニア占領後の特需にもありつけん。

 せせこましいと思うかもしれんが、ちりも積もればなんとやらでな。こういった興業もなかなか馬鹿にならん。もちろん、稼ぎはお前のところと折半にしてある。なあ、エルフの」


「じ、実は……」


 テオドルスが語るその横で、ミリアがそっと耳打ちした。

 出場料は一人三百金貨。さらにテオドルスが胴元となって賭けも行われており、凄まじい額が動いているのだという。

 その儲けをテオドルスとタケダ商会で半々。無論、テオドルスが所有する競技場の使用料などは経費扱いであるため、その儲けの天秤は圧倒的にテオドルス側に傾いているが。


「私は反対したのですが……その……タケオ様に絶対に漏らさぬように厳命されまして……」


 逆らえる立場にはないということだ。

 目の前では、ハッハッハッと悪びれもせずに笑うテオドルス。

 身分の差を超えて、タケオがちょっぴりイラッとしたのは秘密である。


「むしろいいことづくめだろう。お前が戦うのはたった一回。それも真剣ではない。

 おまけにこうして大々的に大会を開けば、時と場所を問わずに襲われる心配もない。闇討ちなど道理が立たぬからな。タケオと戦いたければトーナメントで、それ以外の場所ではたとえ勝っても誰も認めぬだろうよ。

 それにもし今後は望まないというのなら、ここでわざと負けるのも手だぞ? ん?」


 一理どころか二理も三理もある話だとタケオは思った。

 確かにこうでもしなければ、今後時と場所を選ばずに襲われる可能性もある。

 逆に戦う機会を与えれば、彼らの戦う場所と時間を誘導することができる。


 それにタケオも武芸者の端くれ。

 かつては探索者としてブイブイいわせていたこともあるし、先の戦いでは自身の未熟を感じ入る場面もたびたびあった。

 もしものときなんて存在しないと思っていたが、その認識は甘かったと今回の戦いで痛感したのは確かなのだ。


「……いいでしょう。見せてやりますよ、伊達に英雄扱いされていないってところをね」


 強者との戦いは己を成長させてくれる。

 相手を厳選するというのであれば、むしろ願ってもないことであった。


「そうこなくてはな。ちなみにうちの近衛兵からも二人ばかし出るぞ。おい、カミネロ、アレッサンドリーニ」


 テオドルスの呼びかけに応じて近衛の中から前に出てきた二つの影。

 一方は、褐色の肌をした巨大な体躯をした大男。もう一方は、それとは対照的に青白さを漂わせるしなやかな体つきをした優男。


「でかいほうがカミネロ。細いほうがアレッサンドリーニだ。どちらも腕は確かだぞ?」


 さながら山のよう佇むカミネロ。

 その眼光は強烈な殺気を放っており、やる気は十分であるといった様相。


 それとは対照的に柔和な笑みを浮かべたアレッサンドリーニが、「試合ではよろしくお願いします」と握手を求めてきた。

 一見すれば礼儀正しい好青年。しかし、その口から出た言葉に鑑みれば、相当な自信がうかがえる。


「こちらこそ、戦うことになったらよろしくお願いします」


 タケオがアレッサンドリーニの手を握る。

 瞬間、ギュウという圧がタケオの手に加わった。

 その力は、アレッサンドリーニの細腕からは想像できないほどに強い。


(なるほど、魔力は確かなようだ)


 そう思ったタケオは同程度の力を込めて、相手の実力を認めるように笑いかける。

 これにアレッサンドリーニは、面白いとでもいうように口端をより高く釣り上げた。


 何はともあれ、こうして大会は開かれた。

 なお、エントリーしようと受付にやって来たはいいが、三百金貨の出場料に「くっ」と歯噛みした二人の少女がいたことをここに記して置く。


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