1章 奴隷商人になるまでの話 1―3
次の日もその次の日も、武雄はノースシティの街を宛てもなくぶらついて過ごしていた。
昼は市場を回り、夜には酒場へ行く、それの繰り返し。
そして今日もまたいつものように、“あの”みすぼらしい露店で果物を買おうとしたところ――
「……いない?」
そこに、小さな店と小さな店主達は居なかった。
ここ数日、毎日通って果物を買っていた相手である。少しばかり気になった武雄は、隣の露店で紐の首飾りを買って、その対価にと亜人と人間の少女達について話を聞いた。
露店の主人の話では、二人は二ヶ月以上も前からここで食べ物を売っていたらしく、一度も休んだことはないそうだ。
二人の住みかも聞いたが、露店の主人は知らないらしい。武雄は露店の主人に礼を言って、その場を去る。
そして、その足はスラムへと向かっていた。
――スラムとは、主に税の払えない貧困層が集まって違法に形成された居住区画である。
貧困者や孤児、難民のみならず、犯罪者なども官憲から逃れるために隠れ住んでいるというのだから、治安は最悪と言っていいだろう。
餅は餅屋。おそらくは孤児である二人のことを知るならば、同じ孤児に聞くべきであると武雄は考えたのだ。
武雄がスラム区画に足を踏み入れる。
ボロボロのあばら屋が立ち並び、細い道の端にはあまり綺麗とは言えない格好をした者達が、所々にたむろしている。
そして武雄は、すぐにならず者達に絡まれた。スラムにおいて日本人特有の童顔に身綺麗な身なりと来れば、むしろ絡まれない方が不思議なことだろう。
「兄ちゃん金を――ぐはぁっ!」
それは電光石火の早業であった。
前に一人、後ろから二人の三人組に対して、武雄はまず正面の一人の鳩尾を鞘に入った剣で深く突き刺したのだ。
突かれた相手はその場にうずくまる。そして武雄はその後ろを取り、剣を抜いて相手の首に添えた。
「動けばどうなるか」
武雄がそう言うと、残り二人のならず者は口々に文句を垂れる。
「卑怯だぞてめぇ!」
「正々堂々と勝負しやがれ!」
開いた口が塞がらないとはこのことであろう。
三対一で襲おうとしたことは、どうやら彼らの中では卑怯ではないらしい。
武雄はそんな様子にあきれつつも、残りの二人に向かって指示を出した。
「この街の孤児について詳しい者を連れてこい。乱暴に連れてこようとはするなよ?」
すると「ふざけるな」「誰がそんなこと」などと、さらに勢いが増した二人のならず者である。
これではらちが明かぬと思い、しかたなしに武雄は剣を下にある人質の首に強く押し当て、血を流させた。
これに驚いたのは、当然その血を流している本人である。
「ま、待ってくれ! おい二人とも、頼むから言うことを聞いてくれ!」
そして剣の下で人質になっている男が、恐怖に耐えかねて懇願するように頼み、残りの二人は渋々とこの場より立ち去るのだった。
さて、ただ待っているだけというのも暇である。
「一つ聞きたいことがあるんだけど」
なので、武雄は目の前に座り込んでいる人質に尋ねることにした。
「な、なんだ」
当然とも言うべきか、人質の声は震えていた。
「亜人の少女と人間の少女の二人組を知らないか? 亜人の方は多分人間と獣人のハーフだと思うんだが」
「し、知らねえ」
即答である。
反射的に知らないと答えたのか、それとも本当に知らないのか。
「そうか」
特に期待していたわけでもないので、武雄の返事も淡白なものであった。
「ま、待て……今日の明け方、浮浪児狩りがあったそうだ」
すると思い出したかのように口を開く人質の男、その内容に武雄の眉がピクリと動いた。
「まだみんな寝静まってる時間、それでいてそれなりに明るい時間だからな、奴隷商の連中はやり易かったろうぜ。結構な数のガキが連れていかれたらしい」
「そうか」
またもや淡白な返答であったが、今度はそれだけではない。ならず者の首の上にあった剣は、鞘へと音をたてて納められた。
「おい、今の剣を鞘にしまった音だよな!? 俺はもう立っていいのか!? いいんだよな!」
武雄の返答は、人質の男の前に落ちたドエル金貨である。
「お、マジかよ! ありがてえ!」
人質の男は情報に対する対価だと判断し、すぐに金貨を懐にいれた。
そして、人質の男が座り込んだ状態で首を後ろに向ける。
すると武雄は既に一歩離れた位置にいたので、人質の男は解放されたのだと思い、立ち上がった。
「どこの商人かわかるか?」
人質の男が立つと同時に、武雄から質問が飛んだ。
「いや、わからねえ。結構な数の兵を用意していたようだが、奴隷商なんてみんな羽振りがいいからな。判断できる要素じゃない」
「そうか」
「それにしてもアンタ何者だい? あの動きはただ者じゃない、それに金払いもいいときたもんだ。有名な探索者さんで?」
「……いや、どこにでもいる名もない探索者だ」
「ふうん、それで探してるガキはなんなんだ? アンタの子かなんかか?」
人質だった男の何気ない問いであった。しかし、武雄はこの問いに思いの外心を揺り動かされた。
何故その子供を探しているのか。
言われてみれば、たしかにそうだった。
助けが必要な子供など、この世界には腐るほどいる。
このスラムだけでも、果たしてどれだけいるか。
なのに何故あの二人だけ。
あの家に住んでいた二人。数日間、金を払い果物を買っただけの間柄。
たったそれだけの繋がりであった。
「いや、すまねえ、変なこと聞いちまったな。言いたくないことなら別にいいんだ」
そんな言葉に、武雄自身も答えの出ない疑問を頭から打ち払う。
そしてそのままお互いが無言になり三十分程が過ぎると、武雄の指示に従った二人のならず者が一人の子供を連れてやってきた。
連れてこられた少年は、この辺りの孤児グループの顔役だそうだ。
武雄は人質の男にしたものと同じ質問をする。
しかし、少年の答えもまた先程と特に変わらないものだった。
(もうここで、得るものはないか)
そう考えた武雄は、少年とその少年を連れてきた二人のならず者にも金貨を渡し、スラムを後にする。
その行き先は奴隷商の下。
しかし、奴隷商の中には奴隷を見るだけで金を取るものもいる。
そして、今の武雄の懐はあまり暖かくはない。というより、銀貨数枚と残りは銅貨しかない素寒貧状態である。
それ故武雄は、まず先に手持ちの日本の貨幣をこちらの貨幣――ドエルに換金する必要があった。
その足は奴隷商の下ではなく、市場へと向かっていた。
◇◆
市場についた武雄は、通りで一番大きな商店に入り、中にいた商人に硬貨を見せる。
一円玉こそ全て売ってしまったが、財布の中にはまだ四十枚近くの硬貨があった。
彩飾豊かで形も均一な、今までに見たこともない硬貨である。それらは当然のように商人の目を引いた。
出所を聞かれたので、『死へと繋がる迷宮』と答えておく。すると商人はさらに難しい顔をした。
それもそのはず、四大迷宮の一つである『死へと繋がる迷宮』は既に踏破され、その力を失っていたのだ。
後は自然と荒廃が進み、やがては潰れ二度と立ち入ることはできなくなるだろう。
そんな遺跡から出土した硬貨。事実であるならば、歴史的価値も計り知れない。
商人が武雄を見定める。
武雄の着ている物はこの辺りでは見られない服装であり、顔立ちもまた同様である。
そして、踏破されたとはいえ『死へと繋がる迷宮』は国軍の騎士ですら震え上がる恐怖の遺跡。
そんな場所の出土品がこんなところに出てくるはずもない。
つまり武雄は異国の人間、硬貨はどこか遠方の国の物だろうと商人は当たりをつけた。
とはいえ、珍しい硬貨には違いないので、それなりの値段をつけねばならない。
結局、悩んだ末に商人がつけた値は全部で三百金貨であった。
武雄はそれに頷き、金貨の入った袋を貰う。そして今度こそ奴隷商の下へと向かうのだった。
◇◆
奴隷という大きな“物”を数多く扱う場合、それなりのスペースが必要となる。また、奴隷を買う者は相応の金を持っている者に限られる。
よって、奴隷商人達は混雑とした市場に店を構えることはしない。
高級住宅地にて、己の広い屋敷を商店として使っているのがほとんどである。
武雄はまず、街で最も大きいと言われている奴隷商を訪れていた。
塀に囲われた広い敷地、その中には華美な装飾がなされた大きな屋敷が見える。
相当に儲かっていることは間違いないようだ。
武雄は入り口に併設された受付所にて、奴隷を見に来たと説明する。初めての来店の上に誰の紹介もないということで、十金貨を要求され、武雄はそれを支払った。
そして武雄は、派手派手とした屋敷とは対照的な飾り気のない平屋の建物へと通される。
中は廊下や部屋などといったものはなく、ただ空間が広がっている。そしてそこには鉄格子が並べられていた。
鉄格子の中には様々な種族の奴隷達。
武雄は昔の自分を思い出し吐きそうになった。
一通り見て回ったが、件の二人は見当たらない。
一緒について回った店員にも亜人と人間の少女の二人組について尋ねたが、首を横に振るだけである。
続いてスラムで行われた浮浪児狩りについて聞いた。
すると店員は一瞬顔がこわばった後、顔を横に振る。
これは何か知っているな、と武雄は思った。
その考えの通り、武雄が店員の手に金貨を十枚握らせると、店員は浮浪児狩りを行ったであろう奴隷商を教えてくれた。その際、くれぐれも情報の出所を洩らさないでくれと念を押されて。
――浮浪児狩りはご法度。しかしそれを素知らぬ顔で行えているのは、行っている者が領主に賄賂を渡しているからだろうと店員は言う。
わざと見ない振りをしているところに、公に問題にするようなことがあれば、領主はどのような手段に出るか。
封建社会の世である。絶対的な権力を持つ領主にとって、痛くも痒くもない事案であるが、だからこそ楯突いた者を絶対に許しはしないだろう。
武雄は騒ぎは起こさないと約束し、教えられた奴隷商の下へと向かった。
◇◆
そこは、先程とそう変わらない大きな屋敷だった。
入り口にて受付を済ますと、特に金を取られることなく敷地の奥へと通される。
そして、そこには鉄格子が野晒しに並んでいた。
天井もまた格子であるので雨が降れば濡れるのは間違いない。先程の店よりもさらに待遇の悪いそれ。
武雄は不快に感じながらも表情には一切出さず、それらを見て回った。
助けを求める声、罵倒する声が聞こえる。しかし兵士が鉄格子を棒で叩くと、すぐに静かになった。
そして武雄は見つけた。
鉄格子に五人、その隅で小さくなっている人間の少女。
「おい、そこの隅にいる人間」
武雄の呼びかけに、人間の少女はビクリとして顔を上げた。その顔には青いアザ。
武雄はそれを見て、顔をしかめる。
そして人間の少女はこちらが誰かわかると口を開いた。
「お、お兄ちゃん」
言葉を交わしたことはなかったが、どうやらこの少女からは“お兄ちゃん”と呼ばれていたようである。
「亜人の娘もいるのか」
武雄が尋ねると、人間の少女は頷いた。
「そうか、おい」
「はい」
「この人間は幾らだ」
「う〜ん、二百金貨といったところでございます」
店員は先程の会話から二人が知り合いであることがわかったため、高めに値段を設定した。
本当なら小汚ないスラムの子供など五十金貨でも買い手がつかないだろう。
すると武雄は「そうか」と言い、次の鉄格子へと足を進める。
これは欲張りが過ぎたかと店員は思った。
数個先の鉄格子にてまた武雄は足を止めた。
「あ、あんたは……」
その鉄格子にいた亜人の少女が、武雄と顔見知りのようである。
またか、と店員は思った。
「この亜人は幾らだ」
亜人は力が強いため、使いどころは幾らでもある。
おまけに目の前の亜人はハーフなのだろう、獣の耳が生えているだけで人間と同じ容姿をしている。好き者ならば放っておかないに違いない。
百五十金貨でも買い手がつくはずだ。
「う〜ん、そうですな。三百金貨といったところですか」
武雄が放った金貨の入った袋が、ジャラリと音を鳴らし地に落ちる。
「二百八十あるはずだ。この亜人と先程の人間を買いたい」
「……二人合わせますと代金が五百金貨になりますが?」
この値段で売ってもよかったが、店員は敢えて尋ねた。
「わかっている、残り二百二十は近日中に持ってくる。これはその手付けだ。それまで誰にも売るな、というな」
「そういうことでしたら」
「ああ、それから二人を同じ鉄格子に入れてやってくれ」
「わかりました」
それだけ言うと武雄はその場から去っていった。