1章 奴隷商人になるまでの話 1―2
父の勧めもあって、武雄は賃貸マンションに部屋を借り、独り暮らしを始めていた。
父はそれを勧めた訳を言わなかったが、家族間がギクシャクとしていたのが大方の理由であろう。
母は武雄を息子だと気づかず警察を呼んだことに、負い目を感じているのかもしれない。
妹からは一切の無視。
そして武雄自身も両親に対して、昔のように父さん母さんとは呼べなくなっていた。
だから、これでいいのだと武雄は思った。
実家近くの小さなワンルームに引っ越してから一ヶ月、武雄は高校受験の勉強をしつつ、警察署にて持っていかれた物の返品を催促する日々を送っていた。
そんなある日のこと、話が聞きたいということで、武雄は警察車両に乗せられて研究施設へと向かうことになる。
たどり着いた先は、大きな白い建物だった。
車を降りると、白衣を着た男の誘導の下、建物へと入る。
武雄は、そのまま白衣の男の後について長い廊下を歩いた。
さらに武雄の後には二人の警察官もついてきている。
やがて目的の部屋に到着して中に入ると、そこにいたのは研究者とおぼしき初老の男。そしてその男の前には、武雄の持っていたあちらの世界の品々が並んでいた。
しかし武器であるためか、ゴルドバの剣だけは何処にも見当たらない。
初老の男は自分の紹介を簡単に済ますと、早速といった風に、異世界の品をどのように使うのか、どういう効果があるのか、と武雄に聞いてきた。
机に並んでいるのは、木製の容器に入った塗り薬、それに厚手の瓶に入った高価な液体薬だ。
チャンスだと武雄は思った。
「剣がなければ使えません」
武雄は嘘をつく。
どういうことか、と初老の男はさらに説明を求め、武雄はそれに答えた。
「剣に塗ったり、垂らすことによって効果が得られる物ばかりです。加えて、僕自身が行わなければ何も起きません」
全てはゴルドバの剣を取り戻すためのでまかせである。
異世界や魔力云々の話は初老の男も聞き及んでいた。
若干の疑いを持ちながらも、そういうものかと思い、初老の男は武雄に剣を渡すことに警察官に同意を求める。
それに対し、警察官は渋い顔をしながらも頷いた。
武器と呼べる者を一般人に、それもその武器を取り上げた相手に渡すことに躊躇いがなかったわけではない。
しかし、武雄はこれまで問題らしい問題を起こしたことはなかったし、さらに武雄の自身の物に対する執着は知っていたが、それが剣に対する執着であるとは思っていなかった。
それ故の警察官の許可であった。
初老の男は奥の部屋よりゴルドバの剣を持ってくる。
そしてそれは、武雄の手に渡された。
それからの武雄の行動は速い。
振り向いた先には警察官が二人。そのうち一人は扉を遮るように立っている。
だがそんなものは魔力で肉体を強化できる武雄にとって、障害でもなんでもなかった。
「止まれ!」
そんな制止の声も無視して、二人の警察官を力任せに吹き飛ばし、部屋を出る。
武雄の耳に吹き飛ばされた警察官の呻き声が届いたが、そんなものは気にもしない。
剣を片手に武雄は廊下を走る。途中通りすがる人は皆、武雄の右手の剣を見て道を開けた。
そして武雄は目に入ったトイレの扉を開け、個室へと入る。
そして武雄は念じた。
ゴルドバと共に過ごした家を思って。
――トイレの中の鍵が閉められた個室、そこにはもう誰もいなかった。
◆◇
武雄はあちらの世界へと“帰って”きた。
そこはゴルドバの死によって一度は人の手に渡ったものの、武雄が探索者としてやっていけれるようになってから買い戻したゴルドバの家。
樹木を切り出して作られたログハウス、ゴルドバと共に過ごした懐かしの場所であった。
見渡せば長いこと使ってなかったせいか、所々に蜘蛛の巣が張っている。
「懐かしいな……」
武雄は何とはなしに壁に手を触れた。
思い起こされるのは、ゴルドバとの暖かい日々。
「ぐっ……くっ……!」
そして武雄は剣を握りしめて泣いた。
既に“向こう”に自分の居場所はなかったのだ。
「ゴルドバァ……」
武雄は、ただただゴルドバが恋しかった。
一頻り泣いて我に返ると、蜘蛛の巣こそ張っているものの埃が積もっていないことに武雄は気づく。
死へと繋がる迷宮に篭って四年、向こうの世界で一ヶ月。誰かが住み着いてもおかしくない年月である。
武雄は我が家に居座る不届き者を、椅子に座り静かに待った。
◆◇
日が暮れて部屋の中の明かりが月の光だけになると、それはやって来た。
武雄が待っている視線の先で、家の入口の扉が開く。
開いた扉の向こうにいたのは、ブラウンの髪をした人間の少女――いや違う。
一見、人に見えるがそのブラウンの髪の上には獣の耳が生えている。つまり、それは亜人の少女であった。
亜人とは人とエルフ以外の全ての種族を指す。亜人の“亜”とは『人間に足りぬ』『人間以下』という意味が込められたものだ。
そして武雄と亜人の少女の視線が交差する。
「ラコ逃げて!」
亜人の少女は誰ぞに逃げるよう伝えると、自らも扉から手を離して一目散に逃げていく。
どうやら、もう一人いるらしい。
扉から出て、家と小さな庭を囲う塀の外にまで行くと、探索者専用の住宅街の道路に二つの影。
武雄は身体に魔力を巡らし、それを追いかける。そしてすぐに先程の亜人の少女を捕まえて、脇にかかえた。
「ラコ、私はいいから早く逃げて!」
捕まえた亜人の少女の、仲間に対する逃げろという声。
しかし言われた相手は、そのままそこに留まった。
「ジルお姉ちゃんを離せ!」
そう言いながら、小さな影が武雄の足元に突撃を敢行する。それは白い髪をした人間の少女だった。
それを武雄はひょいっと避けると、人間の少女は頭から地面に突っ込んだ。
「ぐ……っ! あ゛ぁ゛ーーーーーっ!」
しかしそれにもめげることなく、人間の少女は叫び声を上げながら再びこちらに突貫してくる。
「おい、まて! 僕はあの家の家主だ!」
それを避けつつ、武雄は言う。
しかし、まるで聞いていないかのように再び突進。
「くそっ、別にお前達に何かするつもりじゃない!」
「だったらジルお姉ちゃんを離せ!」
もっともな意見だと思い、武雄は脇にかかえた亜人の少女を地面に下ろす。
そもそもなんで追いかけたのか。
最初は我が家を使っているのがゴロツキだと思いこんでいた。しかし蓋を開けてみれば幼い子供である。
逃げられたから、思わず追いかけた。
いや、違う。子供といえど不法に我が家に住んでいたのだから、家主として事情を聞くのは当然である。
武雄はこれだと思った。
「それで君達は――」
事情を聞こうと口を開いた時には、既に二人の少女は走り出している。
そんな二人に、まあいいかと思い、武雄はそれを見送ったのだった。
――そして翌日。
武雄が目を醒ますと、そこは樹木を切り出して作られたログハウス、ゴルドバの家であった。
武雄は地球に戻らずに、こちらの世界で一夜を過ごしたのだ。
向こうでは自分がいなくなったことが、問題になっているだろうか。
家族にはまた迷惑をかけていることだろう。
そんなことを武雄は考えるが、帰ろうとは思わなかった。
外に出てみれば、日は朝か昼かわからない位置にまで昇っている。
武雄は太陽を背に、手を組んで身体を伸ばした。
すると武雄の口から気持ちのよさそうな声が漏れる。
ついでとばかりに腹も鳴り、武雄は腹を満たすために市場へと出掛けるのだった。
◇◆
現在、武雄がいる街の名前はノースシティ。
コエンザ王国は北方に位置し、周囲に三つの遺跡が点在することにより、探索者が多く集まって栄えた街である。
そんな街の市場に、武雄は遅い朝食をとるためにやって来ていた。
周りには商店や露店が立ち並び、人も多く賑わっていることが窺える。
(こちらの金――ドエルこそ手元に無いが、財布には日本の金が入っている)
財布の中を漁りながら考えを巡らす武雄。
ドエルとはこちらの世界の貨幣の単位である。
銅貨一枚で十ドエル、銀貨一枚で千ドエル、金貨一枚で一万ドエルとなっている。
また、一ドエルに相当する硬貨は存在しない。ただし、市井では割れた銅貨などが一ドエルとして使われていたりもする。
(こちらには無い精巧な作りの日本の金は、商人に見せればそれなりの値がつくだろう)
武雄はそう結論を出すと、それなりの大きさの商店に入り、財布の中の全ての一円玉を店主の言い値で売り払った。
一円玉以外の硬貨や札を売らなかったのは、なんとなく勿体ない気がしたからである。
武雄の思った通り高値がつき、一円玉は一万ドエルになった。
財布に入っていた一円玉は全部で七枚、つまり七万ドエル――金貨七枚を武雄は手に入れたのだ。
ホクホク顔の商人を見るに、武雄から買い付けた一円玉を何倍もの値段で売り付けるのだろう。
それから、何を食べようかと露店が並ぶ通りを武雄は歩いた。
昔と変わらぬ乱雑とした様子に、武雄は懐かしさを覚える。
そこに、ある露店が目に入った。
それは地面に敷いた木の板の上に、果物を載せただけのみすぼらしいもの。果物の種類もバラバラ、どこかでむしった物か、それとも盗品か。
そこまでは別に珍しくもなんともない、この町ではよくあることだ。
しかし、それらを売っている者に見覚えがあった。
昨日の亜人と人間の少女達である。
下を向いて落ち込んでいるように見えるのは、売り上げがよくないのか、はたまた住んでいた場所を追い出されたことによるものか。
そんな小さな露店に向けて武雄は歩を進めた。
「二つ貰うよ」
そう言って、武雄は金貨を一枚放る。
金貨はチャリンと音をたてて亜人の少女の前に落ちた。
それに、二人の少女が目を剥いて上を向く。
「――あっ」
人間の方の少女が声を上げた。
それに構うことなく、武雄は二つ果物を掴むと、その場を立ち去った。
武雄は果物を平らげ、さらに肉串などを買って腹を満たすと、ある酒場に行く。
そこは昔、ゴルドバに連れられてよく行った店だ。
両開きの入り口がギィという音をたてて、武雄を歓迎する。
日の明るい内から飲んでいる者は居らず、一人の客が飯屋代わりに使っているだけで、ガランとした店内がそこにあった。
店の奥のカウンターにて、ドッシリとした体格のマスターがこちらを認めて声をあげる。
「へい、らっしゃい!
――って言いたいところだがね、昼から飲むとろくな人間にはならないぜ。腹が減ったと言うんなら別に旨くもねえ飯を食わせてやるが、酒を飲みたいんなら他を当たりな」
マスターの相変わらずな様子に、武雄はクスリとした。
「お久しぶりです、マスター。タケオです、覚えてませんか?」
「ん、タケオ? お、おお! タケオじゃねえか! 久し振りだなぁ!」
ゴルドバが死んでからは一度も行っていない店である。
五年という長い月日なのだから、店主が武雄の顔に気づかなくても無理はないだろう。
「おめえ、その首……」
マスターは、武雄が奴隷の首輪をしていないことに気づく。
「……はい、ゴルドバは五年前に死にました」
「そうか……惜しい奴を亡くしたな。それで今日はどうしたい?」
「……わかりません。ただ何となく」
武雄は生きる目的を失っていたのだ。
マスターが改めて武雄の身なりを見る。珍しい服ではあるが、非常に上質な物のように思えた。
生活に困窮していると言うわけではないだろう。
「ちっ、しけた面しやがって。仕方ねえ、今日は俺の奢りだ。ゴルドバの好きだった酒でも飲んできな」
そしてマスターは武雄に有無も言わさずに、木製のコップを差し出して酒を注いだ。
武雄が酒を飲むのは初めてである。
武雄は注がれた酒をペロリと舐めた。すると、なんとも言えない味がした。
そして、次はゴクリと喉を鳴らして飲んだ。
喉が焼けるように熱くなり、次いで胸の辺りも熱くなる。
「どうだ? ゴルドバは何でかそれしか飲まなくてな。果実酒なんか見向きもしなかったぜ」
「……ええ、知っています」
この味を好きになろうと武雄は思った。
時間をかけてコップの中身を飲み干し、武雄は席を立つ。
「また来ます」
「おう、今日は特別だからな。飲みてえなら夜に来いよ」
店を出る武雄の背を見ながら、マスターはコップを片付けようと手に取る。すると、その下には一枚のドエル金貨。
「ふっ、あの野郎」
キザったらしいところはゴルドバに似てきたか。
そんなことを思いながら、マスターは口角をつり上げた。