1章 奴隷商人になるまでの話 1―1
武田武雄二十三才。
家族は父、母、妹、そして自分の四人家族。
いたって普通の日本の家庭で生まれ育った武雄であるが、そんな彼がどうして異世界で奴隷商人になったのか。
それは、武雄がまだ十五才だった頃にまで遡る。
◇◆
――中学三年の冬のある日のことだった。
学校であくびをしながら授業を受けていた武雄の目の前に、突如光が現れたのだ。
そのあまりの眩しさに武雄は思わず目を瞑る。
ややあって閉じていた目を開けると、そこは荒野であった。
そこからは酷いものである。
突然の見知らぬ場所に狼狽えながらも、武雄はとりあえず遠目に見える建物へと向かうことにした。
しかし、その途中で馬に乗った物取りに襲われる。そして身ぐるみを剥がされ、武雄自身は奴隷として売られてしまうのだった。
武雄は奴隷となり、檻に入れられ商品として扱われた。
しかし、言葉が通じない者などに客はつかない。奴隷商からは殴られ蹴られ、あげく性的なことまで要求されるという過酷な日々を武雄は過ごすことになる。
死にたいと何度も思ったが、簡単に死ねる方法もない。
武雄は奴隷商の暴力をただ受け入れるしかなかった。
しかしある時、転機が訪れた。
一人の男が武雄を買ったのだ。
それは筋骨逞しい、スキンヘッドの大男であった。
その容貌から酷いことをされるのではないかと震える武雄であったが、男は武雄に対して暴力を振るうこともなく、それどころか丁寧に言葉を教えてくれた。
武雄は必死になってそれを覚えた。男に捨てられ、またあの地獄のような生活に戻るのは嫌だったからだ。
そして言葉を覚えるにつれ、武雄は男のことを知っていく。
男の名はゴルドバ。遺跡に潜る探索者をしており、荷物持ちを買おうとして奴隷商を訪れたところ、武雄の値段の安さと不憫さに目を留めたそうだ。
理由などはどうでもよかった。 武雄は己を救ってくれたゴルドバに、少しでも恩を返すだけである。
さらに武雄は、この世界のことも知っていく。
魔法というものが存在する世界。
人には魔力というものがあり、それを身体に巡らすことで力を得ることが出来るのだ。
また、一部の者はその魔力を火や水といった物に変換できるらしいが、ほとんどの者は指に小さな火花すら灯せないそうだ。
訓練の末、武雄が魔力の扱い方を覚えると、ゴルドバは驚いていた。
魔力変換こそできなかったものの、武雄がその身に宿す魔力は文字通り桁が違っていたからである。
やがて戦い方も教わり、ゴルドバと共に色んな場所を回った。
ゴルドバは探索者。遺跡に現れる魔物を倒し、その一部を持ち帰って売ることで生計を立てている。
当然、武雄もそれについていき、数多くの魔物を倒していく。
そんなある日、四大遺跡の話を聞いた。
なんでも、深部に到達した者は常識外れの力を手にすることができるそうだ。
しかし、武雄にはどうでもいいことだった。
それからもゴルドバと二人、時にはゴルドバの知り合いだという者達とも一緒になって遺跡へと潜る。
ゴルドバと一緒に食べる食事は美味しかったし、ゴルドバが語る話は面白かった。
ゴルドバが隣にいるだけで、武雄は笑うことができたのだ。
――そして、ゴルドバは死んだ。
一瞬のことだった。
天井に張り付き、その身を偽装していた蜘蛛の魔物にゴルドバは頭を貫かれた。
武雄の目の前で。
武雄は己が剣で、直ぐ様その魔物を肉塊に変えると、ゴルドバに駆け寄った。
息はなかった。
ゴルドバは死んだのだ。
武雄はゴルドバを背負い、泣きながら町へ戻った。
探索者を取りまとめている組織――ギルドへと行き、ゴルドバの遺体を渡して事の経緯を武雄は話す。
やがて、担当の者が教会の司祭を連れて現れ、奴隷の首輪を武雄から外した。
そして担当の者は言った。
「『もし自分が死んだらタケオを解放してやってくれ』、これはゴルドバが生前に言っていたことだよ」
それを聞いた武雄は人目も憚らず、大きく声を上げて泣いた。
奴隷から解放されたから泣いたのではない。
死んでもなお、ゴルドバは武雄を思っていてくれていたからだ。
武雄が悲しみに暮れる中、担当の者が武雄に所持品の引き渡しを要求した。
奴隷であった武雄が持ち物はゴルドバの所有物という扱いであるため、規定に従いギルドがその全てを持っていかなければならない。
しかし、気を利かせた担当の者が一本の剣を武雄に渡した。それは、ゴルドバが使っていた剣であった。
武雄は未だ止まぬ涙と共に、その剣を握りしめた。ただただゴルドバのことを思って。
◇◆
次の日から武雄は、ゴルドバの剣を片手に遺跡へと潜った。
己を地獄から救ってくれたゴルドバ。
その剣を握っていると、ゴルドバと共にいるような気がしたから。
武雄はただひたすらに遺跡に潜り、やがて一流の探索者と呼ばれるようになる。
そして武雄は四大遺跡のうち最も困難とされる『死へと繋がる迷宮』へと挑んだ。
『死へと繋がる迷宮』
かつて国が三百名からなる騎士団を投じても、地下十階にすら到達できなかった恐るべき遺跡である。
それは一流と呼ばれていた武雄にとってもまさに過酷、常に死と隣合わせの探索であった。
そして武雄は日に何度も死にかけながら、毎日を過ごした。
「なぜそんな危険をおかしてまで、『死へと繋がる迷宮』に挑むのか」
ボロボロになりながら街に帰ってくる武雄を見た、他の探索者達の言葉である。
武雄自身、理由はよくわからなかった。ゴルドバの剣を振るうだけなら、別の遺跡でもいいのだ。
ではなぜか。
もしかしたら、ただの自暴自棄だったのかもしれない。
しかし火に群がる虫のごとく、危険であっても導かれる何かがそこにはあった気がした。
やがて、武雄の異常とも言える高魔力と日々進化していく剣技が、『死へと繋がる迷宮』の魔物達を徐々に凌駕していく。
そして四年もの歳月をかけて、遂に武雄は最深部へと辿り着いたのであった。
最深部――そこは何もない真っ白い空間。どこまでも広がっているようにも見えるし、かと思えば、すぐ目の前に白い壁があるようにも感じられた。
そこで武雄は声を聞く。
『何を望むか』
声には力があった。
どこからか響くその声。自分を導いていたのはこれであったのか、と武雄は思った。
そして尋ねられた自分の望み。
武雄にとってそんなもの一つしかなかった。
「ゴルドバを、ゴルドバと過ごした日々を僕に返してくれっ!」
何よりも叶えたい武雄の願い、それはゴルドバを甦らせてほしいというものだ。
懐かしくも恋しい、あの安らぎの日々――かけがえのない日々を武雄は願った。
しかし、それは無理な願いであった。
死んだ者は決して帰っては来ないのである。
悲しみに暮れる中、次に武雄の頭に浮かんだのは望郷の念だった。
今さらではあるが、ゴルドバが居なくなり、やはり寂しかったのだ。
そして武雄は力を得る。
それは異界へと渡る力。
武雄が念じると己よりも大きな黒い水溜まりが宙に現れ、それを潜ると武雄はその場より居なくなったのだった。
その後、『死へと繋がる迷宮』はその力を失い、魔物を産み出すことはなくなっていた。
やがて、その事が世間に知れ渡り、不到の四大遺跡についに到達者が出たのか、と世界は大いに沸くことになる。
◇◆
武雄が気がつくと、そこは自分の部屋だった。
当時と何も変わらぬ部屋。
荷物をその場に置き、部屋を出て階段を降りると、リビングより音が聞こえる。
武雄はその扉を開けると、ある女性が掃除機をかけていた。
(母さん……)
皺が増え、あの時より歳を取ってしまっているが、母であることがわかる。
「ひっ」
女性はこちらを見て小さく驚いた。
(ずっと居なくなっていた息子が帰ってきたんだ、驚くのも無理はないか)
そんなことを考えながら、武雄はニコリと笑って「ただいま」と言う。
そして武雄の母は悲鳴を上げて、窓から外へと逃げ出していった。
呆然とその場に留まっていた武雄は、やがて駆けつけた警察官に連れていかれるのであった。
警察署に連行された武雄は、まず身に付けている鎧や所持品などを最低限の衣服を除き没収される。そして、取調室に入れられて警察官による事情聴取が行われた。
武雄は必死に自分が何年も前に居なくなった武田武雄であること、そしてこれまでに何があったかを説明する。
中学生の時に光に包まれて突然見知らぬ地にいたこと。
奴隷となって悲惨な生活を送っていたこと。
恩人とも言える人に助けてもらったこと。
遺跡の地下にて、こちらへ還してもらったこと。
担当の警察官からしてみたら、それこそ意味不明で出鱈目な話である。
罪状は不法侵入、しかしその動機は盗みであろう。罪から逃れるために精神障害を装っているのではないか、と警察官は考えていたのだ。
武雄は自分の疑いを晴らそうと、何度も説明を繰り返すも、警察官は信じる気配はない。
そんな中、部屋に置いてきた剣とリュックは無事だろうか、と武雄はふと心配になった。
その日は警察署内の留置場に泊まり、翌日も同じことを説明する。
また翌日も、そのまた翌日も同じであった。
その間、武雄は病院に連れていかれ血液検査なども受けている。
そして武雄の持っていた物の一部が、この地球には無い物であることが確認され、さらに武雄の両親がマジックミラーより改めてその姿を見ると、息子の面影があることがわかった。
話していることも一貫していて、矛盾はない。
血液検査でも、居なくなった武雄と同じ血液であることが証明されていた。
こうして留置場生活一週間目の夕方に、武雄はとうとう釈放されたのだった。
釈放の日の昼過ぎ、武雄は迎えに来た両親と共に家路につくことになる。
父の運転する車での帰宅であったが、その途中に会話はほとんどなかった。
自宅へと戻り、武雄がまず向かったのは自分の部屋だ。部屋に残してきた剣とリュックが心配だったのである。
しかし、いや、やはりというべきか、部屋に残した剣とリュックはなくなっていた。
両親に知らないかと聞いたところ、警察に預けたらしい。
リュックはどうでもいいが、剣はゴルドバの形見である。
明日、返してもらいに行こうと思い、その日は久しぶりの母の手料理を食べた。
向こうで食べた物と比ぶべくもないほどに、それは美味しかった。
そのまま風呂に入り、久しぶりの自分の部屋にて武雄は寝る。
中学生なったばかりだという歳が離れた妹には、まだ顔を会わせてはいない。
次の日の朝、外は何やらやかましかった。
「マスコミが外に来てるから、外に出ちゃダメよ」
母が武雄に忠告する。
五年近くも行方不明だった人間が帰ってくれば、ニュースにするのは当然だろう。
だが、その忠告は聞くことはできない。
季節は春、ジーンズと長袖のシャツに着替え、武雄は外に出る。
途中、廊下で妹とすれ違ったが、目すら合わされなかった。
「武田武雄さんですか?」
マイクを向けられるも、武雄はそれを無視して警察署へと向かう。
しかしマスコミの記者もさる者、歩く武雄の横について色々と話しかけてくる。
その全てを無視して、武雄は警察署への道をひたすら歩いた。
「あなたの捜索には税金が使われています! 国民には知る権利があると思いますが!」
そんなことを言われても武雄にはどうしようもない。
そもそも警察から異世界については口止めされているのだ。
やがて一人また一人とついてきた記者が居なくなり、目的地にたどり着く頃には二人だけ、それも警察署が終着点だとわかるとその二人も尻尾を巻いて逃げていった。
警察署に入り名前を言うと、武雄の事情聴取に参加していた男性警察官が、スーツ姿で現れる。
「部屋にあった物を返してもらいにきました」
武雄がそう言うと、警察官はそれはできない、と答えた。
何故か、と聞くと、研究施設に預けているからだという。
いつ戻ってきますか、と聞いても、わからないという返事。
武雄が何を尋ねても、警察官は「わからない」「知らない」と言うばかりであった。
これはいよいよおかしいと思った武雄は、明日また来ますと言って警察署を出る。
こうなれば根比べだ。
返して貰えるまで、毎日来てやろうと決意する武雄であった。
結構な長さの帰り道を経て、武雄は自分の家に帰ってくる。家の前にはまだマスコミの記者がいたが、それらを全て無視して、武雄は玄関の扉を開けた。
「国民は皆、あなたを心配していたんですよ! どうか心配していた人達に何か一言でもいいので言ってあげてください!」
玄関の扉を閉める中、背後からはそんな声が聞こえてきた。
リビングにいる母にぎこちない帰宅の挨拶を言って、武雄は自分の部屋へと戻る。
それから一週間、警察署に足しげく通うもはぐらかされる日々。
家を囲んでいたマスコミの記者は既にいなくなっており、穏やかな日常が訪れていた。
記者達を嫌ってか、ずっと家にいた妹も無事に学校へ通っているようだ。
そんな時、両親にこれからどうしたいのかと聞かれた。
現在二十才。中学三年生の時に居なくなった武雄であるが、中学校に関しては卒業扱いになっているらしい。
そんなことを言われてもわからないと答えると、父は高校に行くか仕事をするかの二つの選択肢を与えてくれた。
高校進学なら私学であろうと国が全てを負担してくれる、仕事をするのなら国が働き口を紹介してくれるそうだ。
父は高校を卒業してからでも仕事は遅くないと言った。
ならば、と武雄は高校進学を選ぶことにする。
そしてもう一つの提案があった。
独り暮らしを勧められたのだ。