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1章 エルフの少女リリィ 3

 私が何日もかけて馬車で連れていかれた先は、小さな町の大きな屋敷。

 そこで私は奴隷の首輪をつけられ、主となる人に会う。


 それは優しそうな初老の女性だった。

 初めての顔合わせで、その方は私にニコリと笑い、頑張りなさいと声をかけてくれた。

 なんでも大貴族の奥様であったそうだが、旦那様が病気で亡くなると操をたてるために男のいない屋敷へと移ったそうだ。


 それから一週間、私はその屋敷でメイドとして働いている。

 そしてそれは、想像していたものとは全く違った奴隷の生活だった。


 雨風を凌げる家に住み、三食おいしい食事をとることができ、夜は暖かい布団で眠れる。

 仕事こそ覚えることが多くて叱られることもあったが、キツいというほどのものでもなく、何不自由のない生活を私は送っていた。


 だが、私の心は決して晴れることはない。

 むしろ、なぜ私なのだという気持ちが強かった。


「エマ……」


 その名を呼ぶと心臓が締めつけられるようになる。

 それにつられて、思わず廊下の窓を拭いていた手も止めてしまった。


「こら! さぼらない!」


「す、すみません」


 私の教育を担当している一つ上の先輩メイドに怒られて、私は再び手を動かす。

 ちなみに彼女は人間の奴隷だ。


 私は怒られたことを反省しながらも、頭の中ではエマのことを考えていた。


 エマはもう誰かに買われただろうか。

 私のようにいい人に買われただろうか。

 ご飯は食べられているのだろうか。

 夜はきちんと寝られているだろうか。

 酷いことをされていないだろうか。


 ――泣いていないだろうか。


 どれだけ心配してもそれはもう届くことはない。

 それでも私は――。





 ここに来て二週間ほどが過ぎた。

 仕事にも慣れ始めたが、先輩メイドには「慣れ始めに大体ポカをやらかすから気をつけるように」とよく言われている。

 その発言を聞いた他のメイドがクスクス笑ってるのを見るに、どうやら先輩メイドは前にポカをやらかしたらしい。


 そういえば今日から新しいメイドが来るそうだ。

 二週間前に私が来たばかりであるのに、またとはこの屋敷には随分人が足りてないようである。


 ……まったくそうは見えないが。


 一つ上の先輩になる私が新人の面倒を見るように、と先輩メイドに言われた。

 私もまだ新人であると言うと、「教えることもまた勉強!」と先輩メイドが物知顔で私に語った。

 他のメイドからクスクス笑われているところを見るに、誰かの受け売りだろうか。


 昼過ぎ頃、廊下を箒で掃いていると先輩メイドに私達が住んでいる寮に行くように言われた。


 おそらく新しいメイドが来たのであろう。

 私の時も同じだった。


 私は急ぎ寮へと向かう。

 そしてその入り口に待っていたのは――


「あ……あぁ……っ!」


「リ、リリィおねえちゃん……?」


 ――エマであったのだ。


「エマッ!」


 私は叫び声と共に駆け寄ると、エマを抱き締める。


「おねえちゃん!」


 エマも私を呼んで抱き締めた。

 もう二度と会えないと思っていた妹。

 頭に浮かぶ、『なぜ? どうして?』なんていう疑問はどうだっていい。

 エマがここにいる、それだけで私は十分だった。


 私の目からは涙が溢れる。

 悲しいからではない、嬉しさが目から溢れているのだ。

 鉄の枷もないこの腕でエマを抱き締められることが、私には何よりも嬉しかった。





 エマと再会を果たしてから数日後。

 私は私が去ってからのことについて、エマから既に聞き及んでいた。

 あの後もエマはずっと地下牢にいたらしい。

 最後に会った商会のエルフの女は、私達には既に買い手がついていると言っていた。

 もしかしたら、私の願いを聞き届けてくれたのだろうか。

 それならあんなに酷いことを言って悪かったかな、と少しばかり反省する。

 ちなみにダークエルフの女はまだ残っていたそうな。


「エマ、次の部屋へいこうか」


「うん!」


 私達は掃除の終わった部屋から出る。

 ここの主人は優しい。メイドの仲間もまた優しい。

 そして隣にはエマがいる。


 私は今度こそ、この温もりのある生活を離さないように、精一杯仕事に励もうと思った。


◆◇


 コエンザ王国は南の国境に位置する商業都市カシス。

 カシスが発展しているのは、建物がところ狭しと立ち並んでいることからもわかることだろう。

 そしてその中でも一際大きい建物は、奴隷商人タケオ・タケダの屋敷であった。


「裏はとれたの?」


「はい、他の商会から契約書を見せていただきました。間違いありません」


 現在タケオ・タケダの屋敷の執務室にて話し合っている二人。

 それは、屋敷の主であるタケオと、その秘書のミリアであった。


「うん、それじゃあ行こうかな」


「お供します」


「いや、ミリアは他の仕事があるでしょ。わざわざついてこなくても」


「いえ、私も同じエルフとして、事の顛末を見届けたいのです。

 それに月末までの書類は、ここのところずっと夜通しで作業していたので、あらかた終わらせてあります」


「そ、そう」


 まるで、お前が仕事すればこんな苦労しなくて済んだのに、と言われているようでタケオは大いに怯んだ。


「では早速、お役人様のところに――」


「それも済んであります。騎士様が一名同行してくださるそうで、出る際には騎士団に寄るようにと」


「あ、ああ、そう。うん、さすがに早いね……」


「ありがとうございます」


 こうしてタケオとミリアは馬車に乗ってカシスを出発した。

 タケダ商会の私兵十名と、見届け人としてカシス領主が持つ騎士団の団員一名がそれに随行する。





 タケオ達の一団が二日程の退屈な道のりを経て目的の村に到着した。

 するとそれを認めた村人達が、一体何事かと思い集まってくる。

 村人の耳は皆長い。

 そこはエルフの村であったのだ。

 やがて人混みを掻き分けて、顔に刻んだ皺から一目で老齢とわかるエルフが現れる。


「私がこの村を取りまとめている者でございます」


 その老人こそ、このエルフの村の長であった。


「それで、こんな辺鄙な村に何か御用でしょうか、騎士様」


 騎士甲冑を着た者を見ると、村長はへりくだるように言った。


「タケダ殿」


 騎士がタケオに顔を向ける。

 それを受けて、目元を仮面で覆ったタケオが口を開いた。


「村長。貴様、村の者を売っているな?」


「それは奴隷売買のことでしょうか」


「そうだ」


「しかしそれは村にかかる税のために仕方なくやっていること。ご領主様の法を破っているわけではありません」


「ほう……それで?」


「そ、それでとは?」


「言い訳はそれだけか、と聞いている」


「い、いや、言い訳などではなく――」


 タケオが村長の言い分を遮るように、今度は村人達へと問いかける。


「皆の者、よく聞け! お前達の村は毎年、若い少女を奴隷として売っている! そうだな!」


『……』


 それに対して村人達の答えは沈黙であった。

 お前達はやましいことをしているのだと指摘されているような気がして、それを肯定する言葉が出なかったのだ。

 しかしそんな中、一人の男が声をあげる。


「俺達だって売りたくて売ってるんじゃない! そもそもお前達人間が、ここでただ暮らしているだけの俺達に税金なんてものを払わせるから娘は……娘を返せ人間!」


 これには黙っていた他の村人達も賛同した。


「そうだ返せ!」

「娘を返せ!」


 そして巻き起こる『返せ! 返せ!』の大合唱。


「お前達の言い分はわかった! しかしこの地の治安を守るためには、税金は無くてはならない物なのだ!」


「ふざけるな! その治安とやらのために、村の娘達を売らなきゃいけないほど税を取ってたら意味ねえじゃねえか!」


『そうだ! そうだ!』


「待ってほしい!

 そもそもご領主様は、村の娘を売らなければいけないほどの税を村から取っていたのだろうか!」


「取っていたから……」


 そこで村人達はふと疑問に思った。

 これまで村は奴隷の売買も受け入れ、何も問題を起こすことなくやってきたのだ。

 騎士達がわざわざ村までやって来て、事を荒立てる必要があるとは思えない。

 では何故この人間達はやってきたのか。 


「まさかっ!」


 いち早く真相に気づいた村人が村長を見る。

 村長は一目でわかるほどに顔色を悪くしていた。

 続いて他の村人達も村長へと視線を移す。


「村長……あんたまさかっ!」


 一人の村人が詰め寄った。


「な、なんのことじゃ! 皆の者、騙されるでない! 人間の言うことぞ!」


 そこに、タケオの秘書であり村人と同じエルフでもあるミリアが二枚の紙を手に前に出た。


「こちらの右手にあるのが、この村に課せられている租税です」


 村人達が顔を近づける。しかし、書かれた文字を読める者はいない。


「このエルフの村において課せられているのは人頭税のみ。それも十五歳未満の子には課税されず、対象は大人のみで一人年間僅か一万ドエル。そしてこの村の課税対象の者は二百二十六人。

 つまりこの村には二百二十六万ドエルが課税されています」


 これは人間の村と比べて、驚異的な安さであった。


 エルフは人間の恩人である、というのがコエンザ王国国教、ひいては人間世界で最も信仰されている宗教の教えである。

 そしてエルフは土を耕さないため、金を得る手段が限られている。

 地方に住むエルフの税が安いのは、それゆえの配慮であった。


「そして左手にあるのが、先頃売られたこの村の少女の値段――」


 村人達はゴクリと生唾を飲み込む。


「幾らだったんだ!」


「――千万ドエルです」


『――なっ!』


 それはこのエルフの村にかかる年間租税の、四倍以上の値であった。


「俺達が払う税の十倍以上じゃねえか!」


「……違います」


 計算もできない村人に、ミリアは同じエルフとして少しばかり恥ずかしく思った。


「おおよそ四倍と言ったところですね。一人売れば、四年は税金を納めなくても済む値段です」


「ち、違う! そ、そうだ、村には借金があったんだ! それを払わねば村はどうなっていたか」


「確かに村に借金があったと調べはついています」


「ほら見ろ! ワシが村長になった時にはもう返せぬほどの借金が――」


「しかし、初回の奴隷売買でその借金は無くなっているはずですが? 村が金を借りていた相手にも確認は取ってあります」


「――ぐっ」


 必死に反論する村長であったが、ミリアの前では意味をなさず、逆に己の墓穴を掘ってしまうだけであった。


「村長! あんた同族を騙していたのか!」


「違うワシは……いや、その通りじゃ」


 村長はペタリと地面に座り込んだ。

 そして、観念したかのようにつらつらと語り始めた。 

 

 ――村長の口から語られる真実。

 そもそもの原因は、先代の村長から続く村の借金であった。


 田を耕さないエルフが、金を得る手だては少ない。

 薪を売るか、果物を売るか、あるいは野草を使った薬を売るか。

 そのため、村では毎年税を払わない者が何人か出る。


 ある時、先代の村長は足りぬ金の工面のために、一組の夫婦に町へと薬を売りに行かせた。

 それは現村長の息子夫婦であった。


 夫婦は娘を祖父に預け、街へと薬を載せた荷車を引く。

 しかし、村に戻ってきたのは息子夫婦の骸であった。

 薬を売り、村へ帰るところを物取りに殺されたのだ。


 先代の村長は仕方なく商会へと借金をすることになる。

 借金はその年だけであり、先代の村長は毎年少しずつお金を返していた……はずだった。


 だが、それは思い違い。

 借金は返すどころか、利子によって逆に膨らんでいたのである。

 ある時、商会からそれを言い渡された先代は、悩み抜いた末に首を吊った。


「――そして新たに村長になったのがワシじゃ。ワシまで逃げるわけにわけにはいかん。

 最初は亡き息子夫婦の忘れ形見、ワシの孫娘じゃったよ。商人に言われるまま、血を吐く思いで人間に売った。村の者には迷惑はかけられん、それが村長の務めだと思ってのう」


 皆が沈痛な面持ちになる。

 人間にエルフの子を売るなどという蛮行を今まで許していたのは、村長が誰よりも可愛がっていた孫娘を最初に売ったからだ。


「しかし、それで借金は無くなったんじゃ……?」


「ああ、無くなったよ。何もかも、な。借金だけじゃない、ワシにはもう何も無くなっていたのじゃ。

 ある時、思ったよ。なぜワシだけが、とな」


「だから俺の娘も人間に売ったってのか!」


「違う。たしかに村の者を恨んだこともある。

 しかし、孫娘を売ったのはワシ自身じゃ。他の者にその責任を押し付けようとは思わんよ」


「じゃあ、何故……!」


「借金を頼んだ商会は人間が取り仕切る組織じゃ。街にはエルフが営む商会なんぞ無いからの。

 ワシは思った、借金を頼んだのがエルフの取り仕切る商会だったのならば、とな」


「無いのだから仕方がないだろ!」


「いや、王都にはエルフの商会があって、近々カシスの街にも手を伸ばすという話を聞いた。カシスは商業都市じゃからのう。

 ワシはその商会に出資するために、村の娘達を売り資金を作ったのじゃ」


 それはあまりに身勝手で独善的な考えであった。


「ふざけるな!」


「ふざけてなどおらん。コエンザ王の側室はエルフ、そのお陰もあってかエルフが人間社会で活躍する機運が高まっておる。

 エルフの力が強くなればこのような悲劇も起こらんかったのだ」


「しかし、それでは……そうだ! 同族に売ったのならば事情を話せば……っ!」


「……」


「どうした村長、何故黙っている!」


「村長は騙されていたのですよ、そのエルフの商会にね」


 押し黙る村長に代わって答えるミリアに、皆が注目する。


「カシスは他国との貿易の中心部。コエンザ国のみならず、あらゆる国からの商会がひしめく巨大な貿易都市です。

 たかが王都の弱小商会ごときが入り込む隙間もありません。

 件の商会も下見の時点で諦めたはずです、しかしそこに村長から声がかかった。

 エルフの奴隷の価値ははかり知れません。美しい容姿に加え、長命。一億ドエルという高値がついたこともあると聞きます。まさに弱小商会にとって村長は金のなる木に見えたでしょうね」


 ――エルフの商会は地方の特産物を王都で売るという細々とした商いをしていた。

 しかし、カシスから他国の名産品等が王都に入って来るにつれ、苦しい経営を余儀なくされることになる。


 ならば我々も、とエルフの商会は販路拡大のためにカシスへと赴く。

 だが、圧倒的な商会の多さに赤字にしかならないと踏んだエルフの商会は、カシス進出を諦めるしかなかった。

 そんなところにやってきたのが、村長からの降って湧いた儲け話である。

 エルフの商会は仮の商店をカシスに作り、村長は毎年その店に村の娘を奴隷として卸すことになったのだ。

 

「そうじゃ、そして三年前にワシは十年近くも変わらぬ店のあり方に疑問を思った。

 しかし商会長を問い詰めるも、うやむやな返事ばかり。ワシは、目に見える成果が出ん限りは、もう村の娘を寄越さんと言うた。

 そうしたら、その店は次に訪れた時には無くなっておったよ。

 ワシは、ワシは騙されておったんじゃ……っ!」


「な、なんだそれは! 結局、全てあんたのせいじゃないか!」


「なんじゃと! そもそもお前達が税を払わんから、先代の村長が困って街の商会に借金をしたのが始まりじゃ! ワシだけのせいではない! みんなじゃ! みんなの責任じゃ!」


「このっ! 言わせておけば!」


「――待ちなさいっ!」


 今までの淡々とした様子とは打って変わったミリアの制止の声であった。


「話はまだ終わっていませんよ。

 その後もあなたは奴隷を売りましたね。それは、村人にこれまでのことが露見しないようにするためですか?」


 急に村の娘を売る必要が無くなったとなれば、不信に思う村人も出てくるだろう。

 ちなみに、その際に村長が行った三回の売買の内二回の相手はタケダ商会であるが、タケオとミリアがその商会の者であることは秘密だ。


「……」


「沈黙は肯定であると受け取ります」


「貴様! 娘を、リリィを自分かわいさに売りやがったのか!」


「ぐふっ!」


 ある男が村長に拳を振るい、それによって地に倒れこむ村長。

 さらに胸ぐらを掴んで引き上げ、再び殴り付けようとしたところで、その眼前に抜き身の剣が差し出された。


「騎士の前で無法は許さん」


「し、しかし!」


「二度は言わんぞ?」


 騎士の冷たい眼差しに気圧され、舌打ちと共に男は掴んでいた手を離した。

 それによってドサリと尻餅をつく村長。そして再びミリアが村長に尋ねる。


「それで、その後の売買で手にした金はどうしたのですか?」


「……家にしまってある。一ドエルも使ってはおらん」


 その答えを確認するために村長の家に向かう一同。

 村長の言う通りに床を剥がしてみれば、そこからはドエル金貨の詰まった壺が出てきたのである。


「騎士様、これで証拠は揃ったと思いますが」


 家の外、タケオが運び出された壺を前にして騎士に言った。


「タケダ殿」


「なんでしょうか」


「この金を使って奴隷を買い戻すことはできないでしょうか」


「……それが騎士様の願いとあれば、この金額分の奴隷くらいは買い戻して見せましょう」


「よろしくお頼み申す」


 騎士がタケオに頭を下げる。

 タケオが如何に大商人とはいえ身分は騎士の方が上、そんな者が頭を下げることなど、金を借りる時以外はまずあり得ないだろう。


 そう、それは騎士の心からの願いであったのだ。


 そして、それを聞き付けたのは己の娘を売られた村人達である。

 「俺の娘を!」「私の子を!」と騒ぎ始め、遂には取っ組み合いの争いにまで発展した。


「この金は俺の娘が売られて得た金だ! なら俺の娘のために使われるべきだろう!」

「バカを言うな! 長い間苦しんだ者にこそ使うべきだ!」


 そんな争いの中、タケオが「静まれッッ!!」とあらんかぎりの声を張り上げた。

 そのあまりの大声量に、争っていた者達は皆、手を止めてタケオを見つめる。


「最も酷い仕打ちを受けている者を買い戻す、異論は許さん! よいな!」


 タケオのその言葉に否応はなかった。

 それが最も正しいということを、誰もが理解できたからだ。


 そして村長はタケオの私兵によって捕らえられ、タケオ達の馬車に乗せられた。

 これより町に連行され、然るべき場所で裁かれるのだ。


 村より去っていくタケオ達の一団。

 村人達はそれを気の抜けたように見送った。


◇◆


 カシスに着くと村長は騎士団へと引き渡された。

 これより先は一介の商人が関与するところではない。

 おそらく、領主もしくはそれに連なる者の裁きがあることだろう。


 タケオは己の屋敷へと戻り、すぐにミリアに指示を出す。


「売られた奴隷全員の所在の確認。それから、買った者の身辺調査もだ」


「はっ、こちらに」


 ミリアより差し出されたのは紙の束。


「え?」


「こちらに」


「ああ、うん。その、調べてあるんなら言ってよね、別にいいけど」


 部下のあまりの優秀さに不意をつかれながら、タケオは紙の束を受けとる。

 しかし毎度の事ながら字が読めないことを失念しており、タケオは眉間に皺を寄せるばかりであった。


「読み上げましょうか?」


「いや、いい。酷い目にあっている順に上から五名を買い戻せ。値段は問わん、乗り掛かった船だ。

 ……もし、もう村に戻れないと言うような者がいたら、商会で仕事も世話してあげなさい。

 うん、後は全部ミリアに任せた。僕は“向こう”に帰るから」


 ミリアに全ての指示を与え終えると、タケオは執務室を出た。

 そして自室へと足を進める中、タケオは今回の事件について思う。


 それは偶然のこと。

 ある時タケオが、色仕掛けをしようとしたエルフについて、兵士達にその様子を尋ねたことが始まりである。


『一年前のマリィとかいうエルフを思い出しますね。

 あの時もドワーフの女の子を庇って色々と……ってそういや名前も似てますね』


 その言葉に、タケオは似ているといわれたエルフの名を呟く。


『……名前はリリィだったか』


 マリィとリリィ。エルフは村に合わせて名前を似通わせる習慣がある。

 同じ村から何故立て続けに奴隷が出るのか。

 エルフの村は税制が優遇されているし、森が枯れたなどという話は聞いていない。

 タケオは疑問に思い、ミリアに調べさせてみれば案の定であった。


(マリィとリリィの優しい心がなければ、来年も誰かが奴隷として売られていただろう)

 

 そう思いつつ、やがてタケオは自室の前へと着き、扉を開いて中へと入る。

 その部屋には異様な物で溢れていた。


 電池で光るライト、お菓子の入ったポリプロピレンの袋、飲みかけのジュースが入ったペットボトル。


 そのどれもが“この世界”では決して手に入らない物である。


 そしてタケオは強く念じる。


 すると目の前に黒い水溜まりが現れた。


 宙に垂直で浮かんでいる“それ”は、まるで吸い込まれるような黒であった。


 タケオは何の躊躇もなく黒い水溜まりへと入って行き、黒い水溜まりはトプンという音と共にタケオをその中に隠す。

 その後すぐに黒い水溜まりが消えると、部屋にはもう誰もいなくなっていた。


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