4章 奴隷商人になるまでの話 4―2
金属の器にガラスの蓋がなされたそれ。そのガラスの内側には、三本の針と円を描くように等間隔に配置された十二個の印がある。
ベントはすぐにそれが時計であると見抜いた。
日の影によって時刻を示す日時計に似通った体をしていたからである。
唯一、針が三本あることに疑問を思ったが、それもすぐに時間の細分化を行っているのだと気づくことができた。
そして、ベントは恋に落ちた。
日時計は天候に左右される上に、大地でしか時間を計ることができない。
では、この目の前の時計はどうか。
天候に左右されることなく時刻を知ることができ、持ち運びも手頃。
さらにその姿形は美しく、装飾品にもなりえるだろう。
必需品であり、稀少性があり、さらに芸術的価値まで備えている。
まさに非の打ち所のない名品であった。
(白の陶器は、色さえ除けば他にも代用品がある。無色のガラスは年々透明性を増した物が造られているため、そのうちに精製される。
しかし、この時計は違う! 太陽の高さに満足していた我々にとって、これは革命に等しい物だ!
これを我が物とするためにも、その価値は決して知られてはならない……っ!)
そう考えたベントは、武雄達に心の内を悟られぬよう素知らぬ振りをすることにした。
相手に考える時間を与えず、商店立ち上げの代価に時計という条件を押し通す。
それ故にベントは、時計に一切見向きもせず、最後の最後に不意を突く形でその名前を出したのである。
「理由を聞いていいですか?」
ベントが特に興味を示していなかった時計。それを条件にしたことを不審に思い、ミリアがその理由を尋ねた。
「ええ、もちろん。この時計はカラクリでしょう?
造る上で必要なのは素材ではなく、技術的な知識。つまり現物さえあれば複製することが可能なんですよ」
カラクリといっても、この世界にはまだ大した物はない。
弩や投石機などの兵器類に、生活圏で利用される物ならば、井戸の水汲みに使う滑車や糸を紡ぐ糸車など、カラクリと呼ぶのも烏滸がましい原始的な物ばかりだ。
ベントは話を続ける。
「この時計を複製させないようにするためには、その数を限定するしかありません。
そうですね、世に出すのは十か二十か」
百もあれば一つや二つくらいと、解明のために破壊もいとわず調べようとするだろう。
「王と高級貴族に一つずつ売り付ける。
中を開けて故障しても、責任はとれませんとでも言っておけば、彼らはおいそれと構造を調べるような真似はしないでしょう」
中はどんなカラクリとなっているかわからない時計。
とてつもなく精巧であるとは思うが、もしかしたら案外簡単な作りかもしれない。
されど、世に数えるほどしかない上に、己の手元には一つしかなく、さらに開け方も定かではないとくれば、買った者達もそうそう無茶な真似はしないだろう。
「既得権益が蔓延る王都。そこで旗揚げしようという私に必要なのは、利より名です。
そのため数の限られたこの時計は、タケオ様がカシスで売るよりも私が王都で売る方がふさわしいのではないでしょうか」
王都の権益に食い込むためにはとにかくコネクションが第一である。
それゆえの、利より名という発言であった。
もちろんこれだけではない。
ベントの頭の中では、自らが時計を複製してやろうという魂胆があった。つまり、時計の販売を限定するのは、己が時計を複製するまでの時間稼ぎでもあったのだ。
ベントは考える。
(まずは大きな時計を作ろう。それは、小さな時計を作るよりもはるかに簡単なはずだ)
現在のところ、人々は教会や塔にある鐘によって時刻を知り、それに基づいて日々の生活を送っている。
日に数回、決められた時刻に際し、定められた者が鐘を鳴らしているのだ。
それ以外に時刻を知るには、日の高さで判断するか、わざわざ日時計のあるところまで行くかしかないであろう。
当然、建物の影になる街中に日時計はないので、後者は現実的ではない。
(まずは店の看板の横に大きな時計を掲げてやる)
さすればベントの店の前を通る際、人々は時刻を確認するために、必ずや時計を見上げることだろう。
そしてそれは、時計の隣に掲げる看板を誰もが目にするということである。
さらに、もし時計を街のどこからでも見上げることができる高さの場所に取り付けたならば、その隣に掲げられたベント商会の看板は王都で一番有名になるに違いない。
(その後は時期を見て、貴族の家に備え付ける時計を作り、売り出す。
いずれは複製されるだろうが、それまでに信用と信頼を植え付ければこちらの勝ちだ)
ベントは己の天下を思って、内心、したたかに笑った。
「しかし……」
そんなベントに対し、ミリアはどうにも疑わしげに思って何かを言おうとするが、どうにも言葉が思いつかない。
『タケオ様が、ベントさんと同じことをカシスでやっても構わないのではないか』
そう言おうものなら、ベントは『じゃあ陶器にします』とあっさり意見を翻しそうでもあるし。
ベントの心の内が全く読めず、ミリアは頭を悩ませる。
するとそこに、武雄が割って入って結論を出した。
「わかりました、ベントさんには時計の専売権を渡します」
「おお、まことですか! では早速、契約書を持って参ります!」
跳ねるようにベントは部屋を飛び出していく。どうやら本当に時計目当てであったようだ。
「いいのですか?」
かつては商会で働いていたミリアである。商人がどんな人間であるかはよくわかっていた。
「ああ、他に幾らでもあるんだから時計くらいわけないさ」
タケオ自身、まだ何かあるんだろうなと勘づいてはいた。しかし、一応ミリアの両親の件では世話になったし、カシスでも頼りっぱなしになるのだから、時計くらい別に構わないという気持ちであった。
そして契約書を手に戻ってくるベント。
契約書には一つ二千金貨で買い取る旨と、十年間タケダ商会は時計の販売をベント商会以外と取引を行わない旨が書かれていた。
その値段にミリアが目を大きく見開きながらも、契約書の内容を武雄に読み聞かせる。
そして武雄は契約書の内容をを確認すると、そこに名前を書き付けた。
かくして契約はなり、さらにカシスへと赴く予定日を決めて、一同は解散するのであった。
◇◆
北のノースシティから南のカシスへと続く道。そこを二台の馬車とその護衛の騎馬が駆けていた。
武雄達にベントを加えた一行である。
「カシスってどんなところなの?」
女性陣が乗る馬車の中で、ウキウキ気分のラコが誰に聞くでもなく言った。
それは、もう何度目になるかわからない質問だ。
「人がたくさんいて、建物がたくさんある街ですよ」
ラコの質問にミリアがにこやかに答える。これも何度目かわからない返事であった。
「カシスっていったら物凄い都会なんだから」
そしてジルの知ったかぶりも、やはり幾度も繰り返されたものである。
このように、わいわいガヤガヤと賑やかな話し声が女性陣の馬車から聞こえていた。
そんな楽しそうな様子を耳にしながら、武雄はもう一方の馬車の中で満足そうに笑みを作った。
遠方への引っ越しである。ジルとラコがゴルドバの家を離れることを渋るのではないかと武雄は危惧していたが、どうやら杞憂だったようだ。
長く住んだ家を離れるのは寂しくもあったが、家族が一緒ならばそれも楽しい旅行。
ジルとラコの居場所は既に武雄の隣となっていたのだ。
「タケオ様、何を笑っていらっしゃるのですか?」
もっとも、今武雄と席を隣にしているのはおっさんのベントであったが。
一行は、街や村に停泊しながら進み、遂にはカシスへと到着した。
それは、ノースシティを発ってから十数日後のことである。
ところで、この旅の間にタケオは、ベントの目を盗んで何度も日本へと戻っていた。
音信不通となり、また行方不明とされては堪らないからだ。
案の定、携帯電話には警察からの着信があり、折り返し連絡してみると、金貨の代金の引き換え準備ができたという話であった。
時間に都合のつくのはカシスに着いた後となるため、余裕をもった日を武雄は願い出ている。
閑話休題。
カシスに着いてからのベントの行動は早い。
ベントは、まず商人然とした服を買ってくるようにと武雄達に指示し、その間に北の大通りの少し脇に入ったところにある空き店舗を即断即決で借りていた。
「こんな場所で大丈夫なのですか?」
やがて立派な服を着て武雄達がやって来ると、ベントが借りた人通りのない脇道に佇む店を前にして、ミリアが懸念を口にする。
そこが空き店舗であった理由も立地が悪さが原因であろう。
「問題ありません。そもそも大通りの空きを待っていたら何ヵ月も待つことになりますよ」
ベントの至極もっともな答えであった。
ミリアもベントがそれを理解しているのならば、それ以上何か言うつもりもない。
そしてその日は、皆で店舗の準備をして一日が終わった。
次の日。
武雄とベントはまず役所にて商会を開くことの届け出を行い、その後に領主の城へと向かった。
カシス領主に貢ぎ物を贈るためである。
城に着いた武雄とベントは、貢ぎ物があると言って、領主への目通りを願い出る。
係の者はその貢ぎ物を確認すると、すぐに上の者へと報告しに行った。
するとさらに上等な服を着た男がやって来て、貢ぎ物を確認する。
幾つかのガラスのアクセサリーに無色透明のガラスのコップ。
いまだに確立されていない無色透明なガラスの精製のことを考えれば、それらはまさしく領主に問い合わせるべき案件であろう。
上役の男はすぐに領主の下へと走り、ややあって武雄達に謁見の許可が下されたのである。
武雄とベントは領主の部屋の前へと案内され、そこにいた兵士によって入り口の扉が開かれた。
そこはカシス領主の執務室。
銀のシャンデリアが天井から吊り下がり、装飾がなされた壁にはこれまた見事な絵画が掛けられている。
この部屋にあるもの全てが意匠を凝らした調度品であり、足下の絨毯ですら美術品であった。
そしてその奥の執務席に座っている壮年の男。それは金色の髪を持ち、凛々しい眉毛に力強い目、鼻筋もしっかりとしている美丈夫。
しかし、唯一口元だけが弧を描いており、厳格そうなイメージを幾分か弱めていた。
その男こそカシス領主、テオドルス・ファン・シーボルトである。
――カシス領主にして、当代随一の貴族と呼び声も高いテオドルス・ファン・シーボルト。
カシスの発展はこの男の手腕によるところが大きく、またその能力故か性格も中々に尊大であった。
『王都が頭ならばカシスは心臓なり』
これはカシスへと連なる数多の道を血脈とし、そこを通る人や物資を血液に例えたテオドルスの言葉だ。
それは、王が直接治める地と己が治める地を同等と見なす発言であり、まさしく不遜と言って差し支えないものであろう。
しかし、誰一人としてテオドルスに意見する者はいない。
テオドルスはそれほどまでに大きな力を有していたのである。
そんなテオドルスの視線の先で、武雄とベントは膝をついた。
魔力の存在する世界である、その危険故にテオドルスとの距離は遠い。
また、テオドルスの横にも武雄達の横にも警護の兵士が立っていた。
「ああ、格式張った作法はいらん。そんなことよりも、無色透明のガラスを早く見せよ」
いらんと言われて、そうですかと立ち上がるわけにもいかない。
武雄は膝をついたまま、品の入った木箱を隣の兵士へと渡した。
「ううむ、ガラスの杯か。まことに透明であるな。
それにこの装身具のなんと見事なことか。一つ五百金貨は下らんぞ」
テオドルスは兵士から渡された品を手に取り、大いに唸った。
やがてその品を机に置くと何を思ったか、椅子を手にして武雄達の方へと進み出る。
そしてテオドルスは武雄達の真ん前までやってくると、そこに椅子を置いて座った。
武雄もベントもその行動にギョッとしたが、兵士達が何も言わないところを見るに、よくあることなのであろう。
「して、造った者はどこにいる」
テオドルスが椅子から身を乗り出すようにして尋ねた。
特異な技術を持つ職人は金のなる木である。テオドルスはその者を己の手元に置き、我が物としたかったのだ。
「残念ながら、誰が造ったかはわかりません。取引した者は東からやって来たと言っていました」
そのベントの言葉に残念そうに首を振るテオドルス。
「そうか、実に惜しい。
ガラスの需要は日増しに高まっておる。その者が居れば、我が領地の更なる発展も夢ではなかろうに」
「さすが領主様、思慮深いお考えにございます」
そんなベントのわかりやすいお世辞に、テオドルスはフンッと鼻を鳴らした。
「それで、これを寄越したそなたらは一体何を望む」
素晴らしい献上品である。これに対し、褒美を出さねばカシス領主の名折れであった。
「いえ、我らは何も望みません」
「なに?」
しかし、あろうことか望みがないと言うベント。
その言葉を予想してなかったのか、テオドルスは思わず聞き返した。
「強いて言うなれば、領主様のご夫人やご息女が気に入っていただければ、自ずと望みは叶いましょう」
その言葉には説得力があった。
王に次ぐ力を持った領主。その妻と娘ともなれば、影響力は計り知れない。
社交界にでもそのアクセサリーを身に付けていけば、それを欲しがる者は後を絶たなくなるであろう。
「ふむ、なるほどな。なかなか聡いようだ。店の名を聞いておこうか」
「(タケオ殿、あなたの番ですぞ)」
ボソリとベントが隣にいる武雄に声をかける。
武雄としては、ここで僕に振るのかよ、と突っ込みたい気持ちであった。
「はっ、タケダ商会と言います」
「ぬ、お前の貢ぎ物であったか」
「はい」
これまで武雄は一言たりとも喋っておらず、ベントの横で置物と化していたのだから、テオドルスが驚くのも無理はない。
「名を申せ」
「タケダ商会会長、タケオ・タケダと申します」
「その名、覚えておいてやろう。下がっていいぞ」
『ははーっ!』
武雄とベントの二人は再び地に頭をつけた後、部屋を後にした。
さて、武雄達が領主の城へと赴いている頃のこと。
「次はこの店にしましょう」
ミリアは、ジルとラコを引き連れて各商店を回っていた。
手に持っているのは、白い陶磁器と透明なガラスのコップである。
「それでいかほどでしょうか?」
とある商店に入り、店主に持ってきた品を見せるミリア。
「ふーむ、そうですな。ガラスの杯は十金貨。白い食器は全部で五十金貨でどうでしょう」
あからさまな買い叩きである。
安く買い、高く売るのが商人なれど、さすがにこれはないだろうという値段であった。
「そうですか。それでは別の店で売ることにします」
そう言って、ミリアはあっさりと席を立ち店を出ていこうとする。
「待って! 待ってください!」
まさか、交渉すらせずに出ていこうとは思わず、店主は焦って引き留めた。
というか、まず最初に安値を提示するのは商売の常識である。
確かに安すぎたかもしれないが、それにしたっていきなり出ていくことはないだろう。
「百金貨を追加します! だから待ってください!」
世に出回っていない無色透明なガラスと白の陶磁器、絶対に逃すわけにはいかない。
そんな気概が店主にはあった。
しかし、ミリアはあっさりとそれを突っぱねる。
「いえ、結構です。もう既にここでの交渉は終わりました。
もし、まだ交渉したいと言うのなら、明日以降に北の大通りにあるタケダ商会まで足を運んでください」
それだけ言うと、ミリアはジルとラコを引き連れて店を出ていった。
そしてまた別の店へと向かうのだ。
子供連れのエルフの女が持ってきた世にも珍しい品。多くの店がその品に安値をつけて、ミリアがそれを突っぱねるのが続いた。
中には、最初から高い値をつけた店もあったが、それすらも突っぱねた。
そして、ミリアは最後に必ずこう言ったのである。
「北の大通りにあるタケダ商会まで足をお運びください」




