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1章 エルフの少女リリィ 1

 商業都市カシスより、コエンザ王国の各所へと延びる多くの道。


 その中の北東への道を行けば、それは小さな街へと続き、さらにその街を越えた先には鬱蒼と木々が生い茂る森へと繋がっていた。

 森は、コエンザ王国の中で最も大きい都市であるカシスが、五あっても足りぬほどに大きい。


 しかし、そんな広大な森を前にしても、道は途切れることなく森の中の開かれた土地へと向かっている。


 やがてたどり着く、道の終着点――そこには村があった。

 それは二百人あまりの小さな村であり、住まう人々は皆一様に明るい髪色と白い肌、さらには人とは違う特徴的な長い耳を持っていた。

 そう、そこはエルフの村だったのだ。


 そして、そんな村の住人に銀色の髪を持ったリリィという名前の少女がいた。


◆◇


 私の名前はリリィ、エルフである。


 十五才になったばかりのある日のことだ。

 私が、まだ小さな弟と森の木の実採りから帰ると、父と母が家の前で待っていた。

 父は深刻な表情で、大事な話があると私に告げる。

 その様子を見れば、話の内容に大体の予想はついた。


「お父さん、話ってなに?」


 わが家の一室に移動すると、両親と私が向き合って椅子に座り、そして私は尋ねた。


「うむ……それなんだがな」


 父は言い辛そうにし、母は目を伏している。


「私、人間に売られちゃうの?」


「――っ!」


 目を丸くする父と母。

 すると母が口をおさえて泣き始めた。


「……知っていたのか」


 父のその言葉に私は頷く。


 今よりずっと子供だったある日のこと、近所に住むお姉ちゃんが居なくなった。

 どこへ行ったの? と尋ねて回ったが、誰も教えてくれなかった。


 その一年後、別のお姉ちゃんが居なくなった。

 私はまた尋ねて回ったが、また誰も教えてくれない。


 そして去年の今頃、一番仲の良かったお姉ちゃんが私に言った。

 明日から一緒に遊べない、と。

 私はその理由を尋ねた。

 すると、お姉ちゃんは人間に買われるのだと泣きながら答えた。

 なんで! と私はまた尋ねた。


 お姉ちゃんは私のお姉ちゃんだ。人間のお姉ちゃんじゃない。


 お姉ちゃんは、そうしないと村はやっていけないと教えてくれた。


 私は泣いた、お姉ちゃんと一緒に。

 最後に売られることがないように、いっぱい働きなさいと言われた。


 それから私は家の手伝いをたくさんするようになる。

 水汲み、薪拾い、お皿洗い、弟の面倒など、たくさんたくさん。


 ポトリと涙が落ちた。


 あんなに頑張ったのに、駄目だったんだ。


 そう思うと、途端に涙が溢れた。


「嫌だ、嫌だよ! みんなと離れたくない! もっとお手伝いするから! だから――」


 そう泣き叫ぶと、父が私を抱きしめた。

 頭にポトリとなにかが落ちる、それは父の涙だ。

 母もまた父と同じように、泣きながら私を抱きしめる。


 「嫌だ、嫌だ」と泣き叫びながらも、それはもうどうすることもできないだのと気づいていた。

 しかしそれでも私は泣くのだ。


 ――両親の腕の中で。


 それから数日後の朝。

 村にやって来たのは、布が被せられた鉄の檻を引く馬車。私はその檻に入れられて故郷の村を出た。

 服はぼろきれに着替えさせられ、腕には鉄の鎖がはめられている。

 

 見送りは父と母だけだ。

 私は檻の隙間から布をめくり、もう会うことがないであろう父と母の姿を、絶対に忘れないようにとその目に焼き付ける。


 父と母の姿が見えなくなると、ふと、私がいなくなって弟が泣き出さないか心配になった。

 しかし、すぐに首を振って考えを改める。

 これから泣きたくなるような目に遭うのは自分なのだから。




 村を発ち、馬車に揺らされること数時間。

 馬車は森を抜け、荒野を走り、外は建物が立ち並ぶ景色に変わっていた。

 これが街というものか、と村から出たことのない私は物珍しく思ったが、残念ながら自分は奴隷の身の上である。

 ここが馬車の終着点かと思うと、街など恐怖の対象でしかなかった。


 やがて馬車が止まり、兵士が固いパンと水を渡してくる。


「こ、ここが目的地ですか?」


 私は勇気を振り絞って兵士に尋ねた。

 兵士は首を横に振り、到着は明日だと教えてくれる。今日はこの街で一夜を明かすそうだ。

 私は兵士にお礼を言うと、パンにかじりつく。

 とりあえず、今日一日の無事が約束されたことに心の安らぎを得ると、固いパンでも不思議と美味しく感じられた。





 次の日の朝、馬車は街を出発する。

 この時、私だけしかいなかった檻の中には、もう一人新たな仲間が増えていた。

 それは私と同じエルフの少女。金色の髪をしており、歳は十才になったばかりの弟と同じくらいだろうか、私よりも身体はずっと小さい。

 そして彼女は、兵士に連れてこられた時からずっと泣きっぱなしだ。

 こういうのは下手に慰めるよりも、涙が枯れるまで目一杯泣かせるにかぎると思い、触らないでおくことにした。

 私も昨日はずっと泣いていたし。


 外の景色を眺めながらしばらくすると、少女は泣くことを止めグスリグスリと鼻を啜るだけになっていた。

 頃合いかなと思い、私は少女に話しかけて互いの名前を交換する。

 彼女の名前はエマと言うそうだ。


「わたしたちどこにいくの?」


 エマが私に尋ねた。

 とってもいいところよ、とは言えない。

 おそらく彼女は、奴隷になったということもわかっていないのだろう。

 だから私は、「わからないわ」とだけ答えた。


「パパとママはそこにいる?」


 わからないと言ったのに、その質問はどうだろうかと思ったが、相手はまだ小さな子供である。


「わからない。けど、いい子にしてたら会えるかもしれないわ」


「いや! パパとママに、いますぐあいたい!」


 私の頑張りもむなしく、エマはまた泣き始める。

 仕方なしに、私はエマがもう一度泣き止むまで外の景色を眺めることにした。


 それからまた長い時間が過ぎ、外は建物が立ち並ぶ景色へと変わっていた。今朝出発した街よりも人が多く、建物は大きい。


 多分ここが目的地なのだろう。

 そして、もうすぐ私は奴隷として――。


 そう思うと、ぶるりと体が震えた。

 心臓はドクドクと鼓動を早くする。

 まるで、子供の頃悪いことをして両親に叱られるのを待っているような気持ちだ。

 いや、違う。両親に叱られるだけならどれだけ良かったか。

 だって叱られた後は、またいつもの温もりのある生活なのだから。


 でも今は……、と私は自分の手首を見た。

 そこには冷たい鉄の枷がはめられている。

 それは、自分にはこれからずっと冷たい悲惨な人生しかない、と実感させるものであった。


 ――ふと隣を見れば、泣き疲れたエマがスヤスヤと眠っていた。





 やがて、馬車はどこかの屋敷の庭地に止まり、そのまま動かなくなった。

 変わらぬ景色につまらなくなり、私は外を見ることをやめる。


 することもなく、目をつぶったりボーッとしてみたり。

 しばらくして、外が騒がしくなった。

 檻の隙間から布をめくって外を見ると、四人の剣を抜いた兵士と、それに囲まれている鉄の枷を腕にはめた女が見える。

 赤い髪に褐色の肌をしたその女。

 背丈は回りにいる男の兵士と遜色がないほどに高く、ボロから突き出た腕は一目でわかるほど引き締まっている。


 しかし、私の目を引いたのはそのどれでもない。

 私の視線の先、それは女の耳だった。

 長かったのだ、私達エルフのように。

 褐色の肌に長い耳。その女はエルフの天敵ともいえるダークエルフだったのだ。


 おまけに、どうやら一団はその態勢のまま此方にやってくるようである。

 まさかとは思うが、その女もこの檻に入れるのだろうか。

 両親からはダークエルフは野蛮で危険であり、エルフとは決して相容れぬ存在と教わっていた。

 兵が四人もついているところを見ると、それは正しいのだろう。


 同じ檻だけは勘弁してください、と奴隷になった時に信じることをやめたはずの神様に向かって、私は祈った。

 でも、それは当然のごとく裏切られ、再び神を呪うことになる。


「ん? 白いのと一緒かい」


 ガチャリと檻の扉が開き、ダークエルフの女が入ってきた。

 そしてこちらを一瞥すると、奥に進みドカリと座る。

 しかし奥の右側に用を足すための壺が繋がれているのに気づくと、再び立ち上がり左側の中程に移動した。

 怖いので、極力目を合わさないようにしようと思う。


 それからそう時も経たぬうちに、兵士が食事を持ってくる。

 メニューは固いパンと水だ。


 私はエマを揺すって起こした。


「ううん、ママ〜?」


 残念、私である。


「ひっ! だれ!」


 エマは私のことをもう忘れてしまったらしい。

 しかし、悪夢はそれだけに終わらない。

 ここにはもう一人いるのだから。


 車内から聞こえるパンを咀嚼する音。

 それに反応したエマは、その音の方へと顔を向ける。


「ママ?」


「ん?」


 残念、ダークエルフでした。


「あっ……、ま、ママー! どこにいるのママー! たすけて、たすけてよママー!」


 エマはガチャンガチャンと泣き叫びながら鉄格子の柱を揺らす。

 非常にやかましいものであったが、例によって何か言っても逆効果だと思い黙っておく。

 幸いにダークエルフの女も何も言わなかった。

 もしかすると、このダークエルフはそんなに野蛮ではないのかもしれない。


 そのうちに叫ぶことをやめ、ひっく、ひっくとむせび泣くようになるエマ。大分落ち着いたかと思い、私は声をかけた。


「お姉ちゃんはリリィって言うんだけど、もう忘れちゃった?」


 エマは首を横に振る。どうやら泣いているうちに、色々と思い出したらしい。


「これ、ご飯。パンと水しかないけど」


 私は、水の入ったコップとパンをエマに差し出す。

 お腹が空いていたのか、エマはそれを受けとるとすぐに食べ始めた。 


 その後は何か特別なことが起こるでもなく日は暮れて、与えられた毛布にくるまりながら夜は更けていく。

 「ママ、ママ」とこぼすエマの声に、私は家族の顔が思い出されて少し悲しくなった。





 翌朝となり目が覚めると、兵士からまた固いパンと水を渡されて、私はそれをむしゃむしゃと食べた。

 隣を見れば、エマも文句を言わずに食べている。

 とても美味しいとは言えない、というか、かなり不味い食事であるのに、だ。


 それに昨日はなんとも思わなかったが、エマはとても痩せているように見えた。

 つまり、そういうことなのだろう。

 街の生活も楽じゃないのかと思いつつ、これ以上の勘繰りはゲスのなんとやらだと思い、私はその思考を打ち切った。


 侘しい食事を終えて、手持ち無沙汰に外を覗くが変わった様子はない。


 隣の方からは物音と話し声が聞こえてくる。察するに、私たちと同じ境遇の者達であろう。

 だけど、わかるのはそれだけだ。

 布が開くのは檻の出入口がある後ろだけであるから、その状況はつかめないのである。


「リリィおねえちゃん」


 すると、エマから声がかけられた。


「なに?」


 私はその視線を外からエマへと移す。


「わたし、いいこにしてたらママにあえる?」


 私は眉をひそめた。

 昨日は確かにそう言ったが、いざ改めて問われると返答に困ってしまう。

 会えるよ、と言うのは簡単だ。

 しかし、まず会えないに違いないのだ。

 無責任なことは言いたくない、ではどうするべきか。


「会えねえよ」


 その答えは、思わぬところからやってきた。


「……え?」


「だからもう一生会えねえって」


 ダークエルフの女がそう言うが、エマも負けじと言い返す。


「あえるもん! リリィおねえちゃんがきのういってたもん! いいこにしてたらパパやママにあえるって!」


 そしてエマは、「ね? おねえちゃん」とこちらに話を振った。

 エマの純粋な瞳とダークエルフの女の突き刺すような視線がこちらを向いている。

 なんというか、とても痛い。

 特に亜人の女の目からは『希望を与えるな、現実を教えてやれ』という、声ならぬ声とやらが伝わってくる。


 私は意を決した。


「うん、そうだね。いい子にしてたら“多分”会えるよ」


 ごめんなさい、私にはこれが精一杯です。


 私は心の中でダークエルフの女に謝った。


「ほら、リリィおねえちゃんもあえるっていってる! くろいおねえちゃんのうそつき!」


 その発言に私は、あわわわわ、と慌ててしまう。

 エマ、なんて怖いもの知らずな子なんだろう。奴隷にならなければ、将来大物になったかもしれない。


「けっ」


 それに対して、ダークエルフの女はこちらに興味を無くしたのか、その場に寝転がる。

 私は思わず、ホッと肩を撫で下ろすのだった。




 少しして、布がめくり上がり檻の扉が空いた。


「おい、降りろ」


 兵士に言われるがまま、檻から出る。

 するとたくさんの兵士達、それと私と同じように手首を鉄の枷に繋がれた人達がいた。

 小人や獣人、人にエルフ。パッと見るだけで実に様々の種族がいるようだ。


「並べ」


 黒い髪の仮面をした男が言った。

 私はエマの手を引き、言われたとおりに列へと入る。


 そういえばダークエルフの女はどうしたのかと思い、私は首を後ろに向けた。

 列には居ない。

 どうやらいまだに檻から降りてきていないようで、私達がいた檻の外で兵士達が声を荒げている。


「抜剣を許可する」


 仮面の男がそう言うと兵士達が剣を抜いた。


 奴隷の何人かが、ヒッと小さな悲鳴を漏らす。

 私もその一人だ。


 すると、ようやく事態がよろしくないことに気づいたのか、渋々と言った様子でダークエルフの女が出てきた。

 心臓に悪いので、もうこんなことはやめてほしい。


「よし、これで全員だな。おい、首を縄で繋げ」


 どうやらこの仮面の男がこの中では一番偉いようである。

 その命に従って、兵士が長い縄で奴隷達の首を結び、繋いでいく。


 当然、私の首も繋がれ、少し息苦しい。


「いいか、これよりお前達の当面の住みかに案内する。ついてこい」


 仮面の男が一人歩いていく。

 私達は兵士に急かされるまま、縦に二列になって仮面の男についていった。

 私の位置は列の中程、エマは私の後ろだ。

 そして周りは兵士達が囲んでいる。


 前の人について歩いていると、ジャラリという音とともに、服の裾が後ろから引っ張られる。

 それを行ったのは、私の後ろにいるエマだ。


「おねえちゃん……」


 不安なのだろう。私も不安だ。


「大丈夫。あの仮面の男の言うことを聞いていい子にしてたら、パパとママに会えるから」


 嘘である。けれど、ここで駄々をこねられて首が絞まるよりがはいいだろう。


「……うん」


 エマはどうやらわかってくれたようだ。

 こうして私達は仮面の男に先導されるままに歩き、庭地を出て細い道を通り、そこを抜けると人々が行き交う大通りに出た。


 人々がこちらを見ている。

 嫌悪、憐れみ、好奇、私達はそんな視線に晒された。


 私は何やら恥ずかしくなり、思わず下を向く。

 首を繋ぐ縄が、手首にはめられた枷が、自分をどうしようもなく劣った存在であるように思わせるのだ。

 そしてそんな情けない姿を人々に見られるのは、苦痛でしかなかった。


 早くこんな場所からおさらばしたい。


 そう思うけれど、それに反してゆっくりゆっくりと進む歩みの遅さ。

 まるでわざと羞恥を煽っているようである。


 おそらく仮面の男がわざとやっているのだろう。


 もっと早く歩け、という憤りと共に、あらゆる罵倒を仮面の男に向けて私は叫んでやった。


 もちろん心の中でだけど。

 すると後ろのエマが鼻を啜り始める。


 私は下を向きながら「エマ、エマ」と小声で話しかけた。


「グスッ、おねえちゃん……」


「地面だけを見て。他は何も見なくていいから地面だけを。大丈夫、エマはいい子にするんでしょ?」


「……うん」


 どうやら大丈夫そうで、私はホッと息を吐く。

 下だけを見ていたら危ないかもしれないが、この進み具合なら大丈夫だろう。

 さっきはゆっくり歩いてることに苛立ってしまったが、そもそも早足だとエマの歩幅ではキツいものがある。

 これは仮面の男の悪意に感謝といったところか。


 私達は、その後も歩き続ける。

 やがて長々とした行進の末に、大通りから外れて立派な住宅が軒を連ねる通りへと入った。

 そして私達は、その中でも一際大きな屋敷の門を潜ったのであった。


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