卒業式
受験はあっという間に過ぎ、しかし雪はまだ溶けることを知らずにいる。
それでもこの地域は溶けていて、春の訪れへの準備をしていた。
冷たい空気から一変して、ようやく暖かな空気がやってきている。
そんな中、北上高校は卒業式を行おうとしていた。
北上高校の卒業式は学年ごとの生徒が多すぎるため、在校生となる一年生と二年生は参加できず、それでも代表者だけが立ち入ることができる。
卒業式は第一体育館を使用することになっていて、いつもの殺風景なそこから一変して、華やかな装飾らが卒業生を送りだそうとしている。
ステージには大きな教壇にマイク、そして花が入っている花瓶を置き、後ろの壁には大きな日本国旗とこの学校のシンボルが掛けられている。
ステージ近くのパイプ椅子には卒業生。その後ろにはその家族のためのパイプ椅子が設置されている。両サイドには偉い方や先生たちの椅子も設けている。
二階にあたる部分には卒業生を除いた吹奏楽部全員が自分の担当とする楽器を手に、みんなと同じ椅子に座っていた。
式が始まる時間は刻一刻と迫ってくる。時計の針が進む度に生徒たちの表情が曇りつつある。この一、二年間を一緒に過ごした先輩とのお別れなのだ。悲しまない方がおかしい。
卒業生の家族と見られる方々が次々とこの体育館に来場してくる。
人数が揃い、その時がやってきた。
「只今より、第三十二回、卒業式を始めます」
「卒業、かぁ」
胸に、卒業生にのみ付けられる花がついた装飾品を触りながらも悠里が感慨深く呟く。
場所は三年生の間お世話になった教室だ。そこも体育館同様だが、手作りの装飾で飾っていた。
黒板にも一人ひとりの手書きで言葉が書かれていた。その一つひとつに大切な想いがこもっている。
既に最後のホームルームを終え、このクラスにはもう疎らに生徒がいるだけになった。
その中で悠里は窓際にある机に座って外の景色を見ていた。手にはしっかりと自分の卒業証書が入っている筒が握られている。
「何、悠里。黄昏て」
近くにはいつもどおり渚がいた。彼女の目頭は珍しく赤くなっており、先ほどまで涙を流していたことが誰にでもわかる。それでも本人は泣いていないと言い張っているが。
「確かに。あのさゆりちゃんでもナイーブになるんだな」
生徒会長の志馬もまた、全ての仕事、挨拶を終えて生徒会長という職を百合子に託して一卒業生になっていた。
わざわざ他クラスだったのにも関わらず、それでも全部を終わらせてからこのクラスにやってきた。
「ククク……宴はまだまだこれからぞ。ここで朽ち果ててどうする」
これもまた珍しく正しい制服を着ている初歌が元生徒会長の隣にいる。受験の関係上、改造制服ではいけないとのことで説得をされて渋々といった形で買い直した。
が、包帯だけはこの卒業式の時に着けて出席した怖いもの知らずだった。
「失礼だなお前ら。私だってこうなる時もあるさ」
「まぁいいや。それで、これから部室に行くのか?」
センター試験以降、部室に顔を出すことはおろか部員たちとの顔を合わせることもなくなってしまった。それでも受験が無事終えた時には報告し、全員で祝ってくれたが。
なので学校で会うことは久しぶりなことになる。
「そうだな。お前たちはどうする?」
「んー……いや。遠慮しとく」
「そうか」
帰宅部だけで祝うこともあるだろう、と察した志馬は辞退する。そうなると自然と初歌も参加しないこととなる。
少しだけ寂しそうな表情をした悠里に、彼は一つの提案をする。
「でも折角だし、一回学校内をぐるって見て回らないか?」
その提案の前に携帯を確認していたが、みんなは時計を見たと思い込んで言及はしなかった。
「志馬のくせにたまにはいい事を言うのね」
調子が戻りつつある渚が、そんな志馬に向けて軽口をたたく。彼もあまりそんなことを言わないので調子が狂ってしまう。
「うるせー。行かないんなら俺と初歌だけで行くぞ」
「行くわよ。悠里も行くでしょ?」
「勿論。それじゃあ行こうか」
卒業生四人は最後の学校内を巡ることにした。
学校内はいつも以上に騒がしい様子だった。
卒業生の最後の姿をしっかりと目に焼付けようとする、お世話をしてもらった在校生らがすぐに駆けつけていた。
ある人とは話し込んだり、ある人とは泣き崩れてしまい、ある人とはプレゼントを贈ったりと、それぞれ似たようなタイプばかりだった。
勿論この四人にも在校生たちが集まってくる。生徒会の二人の多大な人気は当然のこと、顔の広さでは悠里も負けてはおらず、そして隠れファンが多い様子の渚。人だかりができるのは自然だった。
みんなは折角のことなので一人ひとりに対応していたがさすがに時間を長くかけてしまったため、学校内をちゃんと回れるか微妙な時間になってしまい、泣く泣く在校生らと別れることになった。
「少し遅くなってしまったな」
「どうする? あまり行かなかったところは省く?」
「そうなるかな……というか、隠れファンって本当にあるんだな」
「我らの認知の届かない場所での調査活動……忠道大儀であった」
それから四人はしばらくの間、学校内を見て回った。
家庭科室。
「志馬は平凡でつまらなかったな」
「うるせー。そういうお前は……お前は…………」
「おいしいわよね」
「なんだ、しまくんはまた私の手料理が食べたいのかな? かなかな?」
「ぐぬぬぬぬ……」
理科室。
「クックック……ここは我の魔力が更に増大する城……」
「なんで生物の解剖とか変なのを好き好んでやるんだろうな」
「愚問だぞ我が好敵手。未知への遭遇、浪漫溢れる物語、そしてそれらを掌握することのできる喜び!」
「そのやる気だけでお腹いっぱいだ」
図書室。
「やっぱりここは落ち着くわね」
「我も同意見だ。この知識の湖は底知れぬ生命を感じ、飽きることのない時間を過ごせる」
「相変わらず二人は本が好きなんだな」
「本はわたしの親友よ。どこかの誰かさんみたいに裏切ったりしないから」
「……? どうして私を睨むんだ?」
視聴覚室。
「まさかここであんな嫌な事件が起こるなんてな……」
「そうね……ほんとに……」
「……何があったんだよ」
「いやまさか本当にあんなことが……」
「本当……忘れられないわね……」
「だからなんなんだよ!」
音楽室。
「うたちゃんは相変わらず歌もまだうまいか?」
「左様。以前より格段に力をつけたぞ」
「また聴いてみたいわ。いい感じに子守唄代わりになるから」
「我の黄昏の音色を精霊の囁きと偽るのか!?」
「ほ、褒められてるからいいじゃん……?」
食堂。
「もう食べられなくなるのか……チーズ乗せ激辛唐揚げカレー……」
「なんだその運動部御用達のメニューは」
「頑張ったご褒美として食べると、ほんとに幸せな気分になれたなぁ……」
「言えば私が作ってやるのに」
「わかってないな、お前は。食堂のおばあちゃんが作るからこそできるあの美味しさを、お前なんかが再現できるわけないだろ」
「む、そこまで言うのなら作ってみせてやろうじゃないか」
第二体育館。
「体育館にはあまりいい思い出がないわね」
「我もだ。真の力を発揮できぬ術式が施されておる」
「二人はいつも見学だったな。身体を動かすのは楽しいんだがな」
「我らにも苦手なこともある。克服しようとは思うものの、行動には現れないものだな」
「わたしは最初から諦めてるけどね」
「せめて初歌ほどの意思を見せてくれないか、渚」
校庭。
「もう校庭で運動ができないのか……」
「なにげにそれは寂しいことだよな」
「そう考えるともっと遊べばよかったなって、後悔しそうになるな」
「校庭では遊べないが、私たちはいつだってどこだって遊べるだろ?」
「……はは。それもそうか」
思い出深い場所を巡る度に四人の口数は少なくなる。記憶の底にある思い出を掘り起こすことを無意識にしているようで、その空気を壊すことはしなかった。
まだ学校内に残っている生徒たち、もしくは先生、保護者たちの喧騒が遠くの場所から聞こえてくるように思えてくる。
しばらくの間、彼らはこの景色を目に焼き付けるようにして見つめ続けていた。三年間お世話になった恩返しの如く。
「…………さて。最後にあそこへ行くか」
まだ本日立ち入っていないあの場所へと足を向けようとする。
みんなが校舎の方を見ている隙に、志馬はバレないように携帯を確認する。
しかしそれを渚は見逃さなかった。
「そう言えばさっきから携帯を確認してるけど、何か……」
彼女が言葉を続けようとしたが、その口を悠里が塞いだ。そのおかげで運良く志馬には聞こえなかった。
「なんか言ったか?」
慌てて携帯をポケットに戻して訊ねる志馬だったが、口を塞がれている渚の代わりに悠里が答えた。
「なんでもないさ。さ、行こうか」
志馬が歩き出して初歌と共に背中を見せたところでやった悠里は渚から手を離す。彼女の目線を見なくても言いたいことがなんなのか悠里もなんとなくわかってはいた。
それでも、せっかくのお楽しみを半減させたくなかったのだ。
「全く……悠里はいつもそうね」
「渚も楽しみがある方がいいだろ?」
志馬のサプライズ企画を密かに楽しみながら、二人は元生徒会の二人の後を追った。
最終目的地に無事たどり着けた四人。
既に空はオレンジ色に染まっていて、それでもまだ校内には生徒がまだ残っているようだ。
「やっぱりここには来ないとな」
悠里が、まるで子供の成長を見守る母親のような優しい表情をして、窓ガラスに貼られている青春系帰宅部の文字が書かれた紙を見た。
その気持ちは渚にもわかっているみたいで、なんだかんだお世話になって感謝の気持ちが収まらないようだ。
「それにしてもあいつらは今日見なかったな。まさか本当に先輩想いのない後輩たちだったのか」
先ほどの表情とは裏腹に、わずかだが淋しげな顔になっていた。
そんな悠里を見かねたのか、志馬がやや胸を張って扉に手を伸ばす。
「……そんなことはないさ。あいつらほど、先輩想いなやつらはいないと思うぞ」
そう言って志馬は静かに扉を開けて悠里と渚に中に入るように促す。
それに黙って従う二人。中に入るとすぐに彼女たちはクラッカーの音に包まれた。
「卒業おめでとうございます!」
「そつぎょーおめでとー」
「卒業、おめでとうございます」
「センパイ! 卒業おめでとうございますです!」
「先輩方、卒業おめでとうございます」
一切合ってないかけ声も遅れてやってきた。
突然の出来事に悠里と渚は呆然としていた。クラッカーの紙ビラが頭や体中に付いていても、それを払う暇すらなかった。
ようやく教室内を見れるようになった二人はその光景に更に驚きを隠せないでいた。
いつもの部室の風景とは程遠い綺麗さで、机は真ん中に集められて固められ、その上に白いテーブルクロスを敷いて簡易的な大きいテーブルにしていた。勿論そこにはお菓子やケーキがたくさん置かれている。
椅子は片付けられており、代わりに壁一面を使ってデコレーションをしていた。色々な国の国旗を吊すところまで完璧だった。
そして黒板には、先輩二人の名前と共に、卒業おめでとう、の文字がデカデカと書かれていた。その隙間には個人個人のメッセージが置かれていた。
「……お前たち…………」
思っていた以上のサプライズに、悠里は頭に言葉が浮かばなかった。隣にいる渚も同じ状態だった。
「夏撫さんから提案があったんだ。生徒会と協力してお前たちの卒業を祝おうって」
「それには我らも異論はなく、密かに計画を進めていたのだ」
「バレないためには今日準備しないといけなかったから、一日中ここに籠ることになってしまったんですよね」
生徒会のメンバーが口々に今日までの経緯を語る。準備が済むまで帰宅部部室に二人を近づけさせないように頑張って会長と会計が誘導していたことや、このことを二人に知らせないために全生徒や全教師に前もって頼んでいたことまで話してくれた。
「正直こんな規模になるなんて思ってなかった。でもそんなバカみたいなことをしても生徒はおろか、先生たちも協力してくれたことにもっと驚いた」
「ここにいる皆は勿論のこと、全国民に慕われている力の強さは、我も天晴と送ろう」
「みんな、二人だけのためにここまで頑張ってきたんですよ」
そんな嬉しいことを言われ続けて喜ばない人などいなかった。悠里は瞳に溜まった涙を指で拭い、渚は泣いていることを隠すために背中を見せた。
「ほら、照」
二人が涙を隠せないまま、瑛太は先ほどから話していない照に小突く。何かをやるらしいが、それを促すためだろう。
最後まで嫌な顔をしている様子だったが、腹を括ったらしく一回喉を鳴らしてから話し出した。
「はぁ………………今までお疲れ様。まあまあ楽しかった。これからも頑張れ」
自分の言っていることが段々恥ずかしくなってきて最後には二人から顔を背けてしまっていた。
照のその行動に在校生らと元生徒会は微笑ましく見守ったが、二人は涙を拭いながらにこやかに笑った。それでも照は悪い気がしなかった。
「ほら、あとこれをお前たちに」
照の送りの言葉に続き、志馬はそう言って初歌と一緒に両手で花束を持って悠里と渚の前に立った。
まさか自分がこのような花束を貰えるなんて思ってもみなかった二人は手で口元を隠しながら驚いていた。
「ほんとに……なんて言ったらいいか」
いつの日か同じように演劇で花束をもらったことがあったが、それとは比べ物にならないほどの喜びに包まれていた。
「私たちは幸せ者だな」
「そうね」
今はもう涙はなくなり、みんなの先輩の表情となって最後の言葉を口に出した。
「みんな、今日は私たちのためにありがとう。正直、何かサプライズをしてくるとは思っていたが、自分がそれを貰うとすごく嬉しいものなんだな」
今までほぼ自分が開催の目処を立てていたりしていたため、こういった感動は滅多にしていなかった。
「私はいい後輩を持ててよかった。後でみんなにも礼を言わないとな……って、もう先生たちくらいしかいないかな。それでも、最低限の感謝をさせてもらいたい」
「お前は少しくらい他人に頼りっぱなしにでもなってろよ」
「そうか? 私はいつもみんなに頼りっぱなしだと思っていたんだが」
「今はまず、わたしたちが歓迎されなきゃ」
照、そして渚にまでそう言われて初めて自分はこんなにも他の人たちのことを思っていたのだと気付く。
それは確かに悪いことではないが、周りに気を配りすぎて自分の幸せを見逃していないのか、それが心配だった。
それにようやく気付けた悠里は苦笑いをしながらも、今持っている花束を見て体感する。
「そうだな……せっかくこんな豪華なパーティーを開いてもらえたんだ。最後まで楽しもうじゃないか!」
「それでこその部長っすね」
いつの間にかみんなの分の紙コップにジュースを注いでおり、その二つを二人に手渡す。他のみんなは自分でそれを手に持つ。
「そ、それじゃあいきますよ……」
最後の最後での出番に、新部長である飛鳥はガタガタに緊張してしまっていた。部長の席を託されたとは言ったものの、慣れる気配はまったくなかった。
そんな可愛らしい部長なのだが、悠里が先代部長としてアドバイスをした。
「最初から上手くいくことなんてないんだ。カナカナはカナカナらしく、ゆっくりとみんなと一緒に頑張っていけばいいさ」
「そ、そうですよね!」
「でもちゃんと精進はするんだぞ」
「そうですよね……」
上げて落とされて一喜一憂を見せる飛鳥だが、チラッと部員たちを見てみる。
みんな、飛鳥の成長をずっと待ってくれているような暖かな表情を浮かべてくれていた。
「って、なんだかボクすごく子供扱いされていませんか……?」
「気にしたら負けだー、あすかっちー」
納得の行かない様子だったが、自分のことで先輩たちを待たせる訳にはいかなかったため、一旦置いておくことにした。
「じ、じゃあ……その……お! お疲れ様でしたッ!」
お疲れ様でした! とかけ声と共に紙コップが重なる音が響いた。みんなが笑顔になりながらもその瞬間を共有した。
その嬉しさの余韻に浸っていたはずだが、ふと悠里がみんなに普通に告げた。
「サプライズといえば、明日みんなで卒業旅行に行くぞ」
その言葉はしばらく虚しく宙へと浮かんでいたが、やがてみんなの思考に入り込んだ時にはみんなして同じ反応をした。
「「「「「「「「「え?」」」」」」」」」




