文化祭 前編-4-
照は急いで保健室へと向かい、いつも見てくれている先生がそこにいることを確認して言った。
「おい、いつも暇してるあんたに仕事をくれてやる」
「おいおーい、今日くらいはちゃんと出たらどう……」
保健室の先生はいつもの照の言い分だと思いながら返していた途中に、彼の隣にいる飛鳥の大きな怪我が目に入り、いつも通りというわけにはいかなかった。
「すぐに診せるんだ。女の子なら尚更だ」
いつもとはまるで違う真剣な様子の先生だったが、そんなことより飛鳥のことで頭がいっぱいだった。
一旦廊下に出て二人のことを待っている。あんな先生でも腐っても医療の先生だ、適切な処置を済ませるはずだ。
十数分が経ち、中から保健室の先生が照を呼ぶ声がした。
入ってみると診療椅子に飛鳥が座っていて、ジャージを上から着ていた。赤く汚れたものを隠すために。
頬の真っ赤な傷はそのままになってはいるものの止血されていて、綺麗に消毒もしてあった。
「まぁ俺にできるのはここまでだ。後は救急車呼んで病院側に任せるわ」
言いながら先生は電話をしようとするが、近くにいた飛鳥がそれを止めた。
「ま、待ってください! まだボクにはやることが……」
「キミのやることは救急車を待って適切な治療をそこで受けること。それ以外はたとえキミのような可愛い女の子でもダメだ」
そう先生に諭されるものの、彼の携帯を止めてる両手を飛鳥は離そうとはしなかった。
やれやれ、と呟くと携帯を診療机に置いた。
「じゃあ、キミは何をするつもりなの?」
「……クラスの出し物をします」
「そんな大きな傷を付けたまま教室に行くつもり?」
またしても先生に正論を言われる。ここに来るまで奇跡的に誰ともスレ違わずに済んだものの、こんな顔でクラスのみんな、学校の人たちに見られたら大変なことでは済まない。
そんな簡単なことも考えていなかった飛鳥は、言葉が出ずに口を閉ざしてしまった。
その口は痛いほど強く噛み締めていて、さらには瞳から涙が出てきた。
先生の言うことは正しくて、自分の言ってることは間違ってることくらいはわかった。
そうだとしても、納得ができていなかった。
ここまでみんなと練習したのに、たったこれだけでそれが成し遂げられなくなること。
みんなに迷惑をかけること。
それ以上に、照に劇を見せられないこと。
その想いが全て、弱くなっている飛鳥の精神にのしかかる。
それが涙となって代わって、彼女の中から溢れ出していた。
「お、おいおい。俺が泣かしたみたいじゃん」
「お前のせいだろ」
冷静に照はツッコミを入れ、今も尚泣き続けている飛鳥を見る。
やがて、照はそんな彼女に一言。
「待ってろ」
「え?」
そう言い残して照は保健室から出ていってしまった。
予想外の彼の一言に、飛鳥も先生もポカンとしてしまう。
そのせいでいつもまにか飛鳥の涙は止まっていて、彼の去った後を見つめていた。
「うーん……あんな格好見るのは初めてだな」
空気を読まず呑気なことを言う先生の言葉は彼女の耳には入っていなかった。
保健室を出た照はポケットに入れていた携帯に手を伸ばし、連絡先から彼女の番号を呼び出す。
ワンコールもしないで電話が繋がった。
「にーちゃんどーかしたー?」
相手は勿論妹の陽。
大体だが彼女は察していて、最初から本題を入れても構わないといった体勢だった。
「すぐ来い。三分以内」
「りょーかーいー」
陽の返事を最後まで聞かずに照は通話を終了させ、携帯を元の場所に戻して急いで自分のクラスへと走った。
腐っても短距離走の名手で、あっという間に教室に着いた。
中を見てみればクラスメイトがちらほらといない程度で、その中にいない人たちはまだ飛鳥を探しているのだろう。
走ってやってきた照の姿を見たみんなは驚いてまじまじと見てしまうが、瑛太だけはすぐ傍に駆け寄って事情を聞こうとした。
「何があったっぽいな」
「クラスメイト全員集めろ。それと、陽も入れる」
「呼んだー?」
彼の横にはちゃんと陽の姿があった。軽く肩は上下しているものの、彼同様全力で来てくれた。
照の大事な発言のために、飛鳥を探しに行っているクラスメイトを呼び戻させた。
戻ってきた生徒たちと準備を進めていた者たちに飛鳥のことを大まかに説明した照。さすがに頬の傷のことをはっきりとは言わずに、大きな怪我をしてしまったと言っただけだ。
そのせいで文化祭には出れないことを伝えた。
それを聞いた陽を含めたクラスメイトたち全員は驚きを隠せずにいた。
驚きの後にみんなは、飛鳥の容態のことや劇のことに心配を抱いていた。
だが照は心の隅で一つだけ不安があった。
「なんで照が知ってるの?」
その返答が怖かった。
もしかして照が発端なんじゃ、と言われた暁には本当に細かいことを教えなければならない。
さらにそれが作り話と疑われ、照本人にも疑いがかけられること。
そのことが怖くて、クラスメイトに話すことを最初は躊躇った。
けれども、照自身は飛鳥に言ってしまったのだ。
待っていろ、と。
クラスメイトの第一声に、照は緊張する。
初めに声をあげたのは瑛太だった。
「飛鳥ちゃんがいないんじゃ、どうする? 代役でも立てるか?」
みんなにそう提案した。照の嫌な先入観を察して一旦彼の元からクラスメイトの視線を外そうといった行動だ。
それに陽も乗ってくれた。
「そのためのオレじゃねーのー?」
「でも全部覚えられるのか? 俺らのクラスは生憎と一番最初なんだ」
第一体育館のステージは順番で使うことを既に決めていて、照たちのクラスが先発を任せられていた。
それでステージの準備も練習していたので、今順番を変えるのは無理なのだ。
公演まで準備を入れると二時間もない。
そんな短い時間で主役のセリフと振り付けを覚えることは流石の陽にも至難のものだ。
「じゃーにーちゃんはなんでオレのこと呼んだんだー?」
陽の言葉でクラスメイト全員が改めて照を見る。その瞳には不安な感情が大半だった。
でも照は自分の考えたことを発表した。
「あいつの代わりは陽だが、シナリオをアドリブだけにする」
しかしその考えは、みんなにとって驚きといった受け入れ方しかできなかった。
「アドリブって……」
「そりゃ、確かにそうすれば陽ちゃんの負担はなくなるけどさ……」
「一時間近くもアドリブを即興で考えるの……?」
このクラスの劇、白雪姫は一時間を予定していて、つまりその時間分の台本をその場その場で考え続けなければならなくなる。
それの不安と戸惑いを感じていた。
しかし、それを照はすでに考慮していた。
「シナリオ自体は変えない、会話の内容を変えるだけだ。他に司会進行がこの台本を読みながら進めるから完全なアドリブだけの劇じゃない」
瑛太が丸めて持っていた台本を指さしながら言う。司会進行役が舞台をよく見て話の流れができたところですかさず進める。
最悪劇が焦って止てしまった時も強引に進められることができる。
「その司会進行を瑛太、お前でいいよな?」
「じゃあ、余った王子役は照になるぜ」
元々瑛太の役は王子だったので、そこに空白ができると自動的に誰かを足さなければならない。
王子も白雪姫同様、出番は少ないが大切な役割なので失敗は許されない。
だから瑛太はそう言ったが、本人は内心照はやってくれないとわかっていた。
買い言葉に売り言葉。次は否定の言葉で返されると思っていた。
「わかった。台本よこせ」
だから照のその行動には思わず目が点になってしまった。
固まってしまった瑛太の手から台本を抜き取り、王子の出番を軽く確かめる。
「これでいく。他に何かあるか?」
念のためクラスメイトの意見を聞いて、自分の考えに何か間違いがあるかどうか確認してみる。が、クラスメイトは意外そうな表情で照を見ているだけで、誰も意見を言わなかった。
そんな彼らだったが、照の言ったことに反対をする者は誰一人としていなかった。
むしろ快く引き受けた。
「面白くなってきたな!」
「飛鳥ちゃんのためにも、絶対成功させようね!」
「どうなるかワクワクする!」
ざわざわと、これからへの期待感にクラスメイト全員は高まっていた。
この光景を見てホッとした照だったが、一つ気になることがあって隣にいる陽に訊ねる。
「お前んとこは大丈夫だよな?」
「もちー。元々観に行くよてーだったしー」
そんなことを聞いてくる照を意外そうに見ながら、陽は答える。
それもそうだったな、照は疑問が解消されてクラスメイトに向き直った。




