文化祭 前編-2-
全力ダッシュで昇降口までたどり着けた飛鳥は、膝に手をついて肩を上下させていた。
二度目となる家から学校の全力ダッシュというものの慣れるわけでもなかった。
「はぁ……はぁ……ッく、ッ…………」
文化祭当日と言えども時間帯が時間帯だったために昇降口付近に生徒がほとんどいなかったので、こんな飛鳥の見苦しい姿は誰にも見られずに終わった。
ようやく普通の呼吸に戻れて一安心した飛鳥だったが、また先ほどのことを思い出してしまった。
「(ど、どうしてこんなに恥ずかしいんです……)」
飛鳥の中からあまりにもかけ離れた単語だったからだろうか。それともあんな凄まじいインパクトの影響だろうか。
湯気が出るほど真っ赤になっている頭を勢いよく左右に振ってこんな気持ちを捨て去ろうとするが、そうそう上手くいくはずもなかった。
両手で両の頬を押さえるように包み込み、また軽くパニックに陥りそうになる。そうならないよう無心になろうとして靴を自分の下駄箱に入れようとした。
すると、下駄箱の中に入ってある上履きの上に一通の手紙が置かれていた。
「…………?」
これもまた日常とはかけ離れた存在だったため、あの気持ちは一旦落ち着けることができた。普通の人なら真っ先に思い浮かべるのはラブレターなのだが、相手は飛鳥だ。そんなこと思うはずがなかった。
上履きではなくその手紙に手を伸ばし、広げて確認してみる。
そこには丸文字でこう書かれてあった。
『屋上前階段の踊り場で待ってます。一人で来てください』
時間が指定されておらず、更に差出人の名前も記載されていなかった。
それでも飛鳥は不思議に思うだけで何も疑わず馬鹿正直に、今踊り場へと向かって行った。
「きょー文化祭なのにオレら何してたんだよー」
「うっせぇ。頭に響く」
飛鳥が嵐のように去った後、珍しく照が学校へ行く支度をしており、途中で陽の目も覚めて一緒に学校へ向かっているところだ。
輝は一般者として入るため、そのまま照の家で待機ということになっている。
「それにしてもー、お酒って毎回思うけどすげーよなー。だって記憶が曖昧になるんだからさー」
「それはお前がそういう体質だからだろ」
「にーちゃんだって同じなくせにー」
「うっせぇぺちゃパイ」
「あんだとー。ひんぬーはステータスだぞー」
「戯言ほざいてろ」
仲良く陽は自分の自転車を押しながら、その隣を照は歩いて通学していた。
学校に着き、それぞれが自分のクラスへと向かった。
いつもとは違う、壁や窓に飾り付けが付けられて華やかとなっている校内。これから活気溢れることになりうるだろう廊下。
ほとんどの生徒が賑やかに文化祭開演を楽しみに待っていた。
それは照のクラスも同様で、彼はそれを見て少しだけ躊躇したものの、向かうだけ向かってみることにした。
しかしそんな努力も、クラスの前にいた瑛太によって少しだけ無駄になった。
「お、珍しい。まぁそんなことよりさ、飛鳥ちゃん知らね?」
こんな時間に登校して驚かれることよりも飛鳥の所在を訊かれることになった照だったが、もう学校に着いてるはずだろ、と答える。
「マジか。んー……」
「なんかあったのか?」
「いや、飛鳥ちゃん早めに来るって言ってたんだけどさ、いつまでもクラスに顔出さなくて」
それでみんな心配になっていると、瑛太は言う。
携帯にも繋がらなく、靴は下駄箱に納まっていたことから、校内にいるはずなんだと推測してた。
唐突に、照は嫌な予感を心の底から感じていた。朝からの酔いなんて完全に覚めていて、いつもの状態で来た道を走って戻って行った。
「照も飛鳥ちゃんを見かけたら……って、あれ?」
いつの間にか瑛太の前から照の姿が消えていて、仕方ないやつだな、と一人ひっそりとため息をついた。
校内で人気のなくて先生の目から外れる場所。
それを数多く知っている照だったが、その中で唯一女子だけでも簡単に行ける場所と言ったらあそこしかなかった。
早足に向かったそこは、告白と昼寝で有名なあそこ。
自然と人の気配はなくなっていき、他の雑踏が遠い存在となっていた。
「…………!」
階段を昇っていって、上を見上げた先にはその人物がやはりいた。
こちらには背を向けていて、ただつっ立っているだけだった。
「おい。瑛太とかが心配してたぞ」
照がそう呼びかけても彼女はピクリとも動かない。
それに疑問に感じた照は、残りの階段をゆっくりと昇っていく。
この空間は恐ろしいほどの無音で、あまり照は階段を歩く時音をたてないのだが、ここだと全体に明白に響いていた。
そして、あることに気付いてしまった。
「……! おい!!」
彼女の立っている床に赤い液体が溢れ落ちていて、よく見てみると制服にもそれは染み込んでしまっていた。
急いで彼女のところに目指して強引にこちらに体ごと向けさせた。
「………………あれ……? 照、くん……」
そこでようやく意識が戻ったかのように反応してくれた。人形に魂を入れたみたいだった。
しかし、彼女のそんな態度よりも、照はそこに釘付けになっていた。
「お前その傷!?」
いつも彼女の柔らかでぷにっとしていた頬は、今は左に大きくて真っ赤な一筋の切り傷によって台無しになってしまっていた。
すでに液体は固まりつつあり、切られてから意外と時間が経っていることがわかった。
「…………これは……その……」
彼女が何か答える前に、照はその手を無理矢理取って走り出した。




