エピローグ-5-
「疲れた……」
何も役割を与えられなかった照は二階にある男部屋で一息ついていた。
珍しく悠里が気を利かせてくれたのか、またはスノーボードを教えてくれたお礼なのかは知らないが、言葉に甘えて照はゆっくりとした。
ベッドに座って横になり、今日は疲れたと思いながらもふと天井を見つめる。
「(去年よりは楽しめた、か……?)」
何しろ去年はそんなところではなかったため、楽しむという心の余裕がなくて嫌々といった感情が強かった。
そんな思い出よりかは今年は良かったと言葉にせずに呟く。
「……疲れた」
照の思っていた以上に身体的疲労があったため、重い瞼を閉じた途端に眠気が襲ってきてしまい、それには抗わずに眠りについた。
コンコン。
控えめな部屋の扉を叩く音が響くものの、深い眠りについている照を起こすまでには至らなかった。
「照くん、入ってもいいですか?」
再び音が響く。彼女の声と一緒だったがこれでも起きはしなかった。
彼女は少し躊躇いながらも、鍵がついていない扉を控えめに開けた。
「……あっ」
ベッドで足を放り出しながら眠っている彼の姿を見てようやくこの部屋の現状がわかった飛鳥は、すぐに部屋から出ようとした。
しかし、彼女の悪い癖が働いて部屋から出ずにそのまま彼の近くに歩いた。
「風邪引きますよ」
床に落ちていた布団を照にかけて任務を達成した飛鳥だったが、ふとあることに気付いてしまった。
「(そう言えば照くんの寝顔ってあまり見たことないです)」
新年早々に風邪を引いた時に初めて彼の寝顔を見たことはあったが、あの時の事情が事情だったため、しっかりとは見ていなかった。
それ以来そのようなチャンスはなく、今まさにその瞬間がやって来たのだ。
「せ、せっかくですし……」
部屋から出ずにその場に留まることを決めた飛鳥は彼の隣に腰掛ける。先ほどまで遠かったその顔はすぐ側にあり、途端に彼女は緊張してしまった。
「(な、なんだか悪いことをしている気分です……)」
いつもしかめっ面をしている表情も、眠る時には一人の普通の男の寝顔だった。整った呼吸にゆっくりと上下する胸。投げ出された四肢も全て見たことがない。
そんな普段見ることができない姿を自分一人で味わっている優越感と、本当にこんなことをしていいのかという罪悪感。両方同時に飛鳥の頭の中を支配して、あの時のようにしっかりと見ることができそうになかった。
頭がパニックに陥る前にこの部屋から出ようとして飛鳥が立ち上がろうとした時、不意に腕を掴まれた。
「!?!?」
驚いて掴まれている腕を見てみると、そこにはいつもと同じように怒って彼女の腕を握り締めている照の姿があった。
「…………よぅ」
明らかにドスの効いた声音を発して飛鳥のことを睨みつける照に、彼女は心臓をバクバクさせて脂汗を垂らしながら恐怖を感じた。
「あ……あの……その……お、おはようございます……?」
思わず裏声になってしまうほど今の照の姿が怖かった。怒られることは勿論のことなのだが、それ以外にも嫌なことを連想させてしまい更に恐怖心が増した。
「……で、なんでお前がここにいるんだ?」
怖がらせてしまって言葉が出てこない飛鳥のことをいつものように照の方から促す。声音も先ほどよりは落ち着いたようで、彼女もまた少しは緊張が和らいだようだった。
「え、えと……照くん何してるかな……って」
「寝てたのに勝手に部屋に入ってきて寝顔見んのか」
既に飛鳥の腕から手を離しており、上半身だけ起きして聞く体勢に入ったものの、意外と二人の距離が近かったため同時に一人ひとり分の隙間を空けた。
彼が訊いたこともそうだったが、この行動に対して若干気まずくなって余計に答えずらくなった。
「…………それで、なんか用か?」
面倒だと思いながらも先に動いた照はため息をついてまた飛鳥を促した。
その言葉でようやく復帰することが出来た彼女はモゾモゾとしながらまたもや躊躇いがちに訊ねてきた。
「あの……照くんってあまり甘い物は好きじゃないですよね?」
「あ? ……好きじゃねーよ」
逆に彼の方に訪ねられてしまい、少しだけ戸惑ったものの素直に肯定した。
すると、飛鳥は頬を微かに赤らめておずおずといった様子でポケットの中から何かを取り出した。
「その……これ……よ、よかったらどうぞ……」
それは可愛らしく包装された手の平から少しはみ出すほどの大きさの小包だった。
唐突のプレゼントに照は驚きを隠せずにいてしまい、そのプレゼントをジッと見つめてしまって言葉が出なかった。
理由を求めて彼女の方へ向き直ってみると、彼女はプレゼントを渡す前よりもさらに赤くなっていた。
「こ、これはですね…………その……」
ゴニョゴニョと訳を話すことをどもっている飛鳥だったが、嘘を付くことができない彼女の性格上、本当のことを話すしかなかった。
「…………ば、バレンタインです!!」
シン、と静まり返ってしまったこの部屋。理由を聞いたはいいものの照は全くわけがわからない状態だった。
今の時期はむしろホワイトデーで、バレンタインデーは先月終わったはずだった。
今年のバレンタインデーの照は去年より貰ったチョコの量が増えていた。直接渡す人が来たことは今年初めてだったが、彼の下駄箱、机の中、机のフックにたくさんのチョコがあった。
勿論受験に関係していない帰宅部女部員から義理として貰っていたが、その時は確かに飛鳥から貰っていなかった。というよりバレンタインデーという行事を知らなかったからだが。
全く知らなかったというわけではなく、チョコを誰かにあげるという行為が本命なのだと本来正しい意味を覚えていたため、友チョコという概念を考えずに用意してこなかったのだ。
そして改めて知った友チョコに対して、後で必ずあげますと公約したことで許してもらった。誰も怒りはしなかったが。
そんなチョコが照の目の前にあり、どう捉えていいのかわからなかった。
「あ、あの時、チョコをあげることができなかったので……その、今、渡そうかな、と……」
そこでようやくあのことを思い出した照は複雑な心境に陥った。
正直チョコ貰えること自体みんなから貰ったどんなチョコよりも嬉しいことだったのだが、できればそれは本命であってほしかったのが本心なのだから。
「……あ、あぁ」
「で、でも!」
受け取ろうとする照の手がその一言で止まった。彼女の顔を見てみると恥ずかしそうにして俯いていた。
しばらく黙っていたが、やがてポツリと小さな声で言った。
「…………ほ、本命には変わりないです……から……」
その言葉で照の中の何かが切れた。
気がついた時には既にこの言葉を告げていた。
「好きだ」
飛鳥はおろか言った本人でさえ負けないほどに驚いていた。
しかし彼は訂正をしようとはしなかった。これは本当の気持ちで、いつか伝えなければならないと心のどこかで感じていたからだ。
「飛鳥。お前が好きだ」
追い討ちをかけるように、或いは彼女の天然を潰すようにしてまた告げた。
彼女は鳩が豆鉄砲を食らったかのようにしていたが、彼の真剣な表情を見て、言葉の意味をよく理解できたのか途端に顔全体が真っ赤になった。首まで赤くして頭から湯気が出るほどだった。
いつもなら逃げてもおかしくはないのだが、彼女はその行動をグッと無意識に堪えていた。
彼女自身も照同様に、自分の気持ちを相手に今伝えなければならないからだ。
プレゼントを持っていない方の手を握り締めて、俯きながらも飛鳥は小さく頷いた。
「…………ボクも……照くんのことが、好き……です……」
いつの間にか彼女は涙を流していた。彼にこの気持ちをやっと伝えられたからだろうか、または彼が自分のことを好きだと言ってくれたからなのだろうか。
それとも、初めて自分のことをお前ではなく名前で呼んでくれたからなのか。
「嬉しいです……本当に……」
ポロポロと落ちる滴は止まることを知らずに流れ続け、布団を濡らしていた。
手で拭っても拭ってもずっと溢れ出してくるそれを、彼女は必死に止めようとする。
嬉しいのに泣いてたらダメだと考えると余計に溢れる涙を止めるにはもう少し時間がかかった。泣き止むまでずっと傍に彼は居続けた。
「さて! 料理も出来たことだし食べようではないか!」
夜。
夕飯を食べる時間帯ぴったりにみんなはすべての作業が終わった。
料理班は個性溢れる料理をそれぞれ完成させ、作業班もまた雪像を作り、湯船の掃除などを終わらせた。
結局輝は自分の手を焼くこともなくずっと雪景色を堪能してしまった。
「でもまさか小早川先輩が雪だるまになるとは思わなかったっすよ」
「あれは不慮の事故だ。忘れてくれ……」
料理は全てペンション一階のベランダのテーブルに置かれ、悠里たちが作った自信作の雪像を楽しみながら食べられることになった。
夜のため暗くなることを想定済みの悠里は前もって置けるライトを持ち込んでおり、外側にそれらを置くことによってちゃんと見れるようになっていた。
「それにしても料理の方も素晴らしいじゃないか」
「みんなの自信作よ。当然じゃない」
景色には溢れるばかりの雪像がたくさん置かれていたが、テーブルの方も負けてはいなかった。二つ三つテーブルを並べて所狭しと置かれている料理の数々はどれも等しく空腹を誘うものだった。
「それじゃあ恒例の乾杯をしようではないか。部長、頼むぞ」
みんなジュースの入った紙コップを手に持ち、飛鳥の方を向く。彼女は全体の真ん中に立つようにされ、自然と注目を浴びやすくなる位置にいた。
そんな彼女は若干だが目がまだ赤くなっていた。それは隣に立たないとわからないほどではあったため、誰にも指摘はされてはいなかったが。
あれから彼女は集合がかかる三十分くらい前まで泣き続けていた。泣き終わった後も夢か現実かはわからない状態にいた。
そのような感情の中で照と話している最中にまた泣き出しそうになるほど大変だった。
「は、はい!」
何度か乾杯の音頭を執ったことがある飛鳥だったがまだ慣れてはいなく、オドオドとして言葉を考えていたが、みんなはちゃんと待ってくれた。
やがて言葉がまとまったのか、部長らしいしっかりとした表情で話し始めた。
「多分、先輩たちとこうして学生として遊べることは最後だと思います。先輩たちは大学に行ってから忙しくなると思いますし、こうして集まることも会えることも少なくなると思います。
「久しぶりに会った時にまだまだ未熟者なボクなのかもしれないですけど、それでも少しずつ、小早川先輩みたいな帰宅部の部長になってみたいです。
「先輩たち、そしてここにいるみなさんと友達になれたことはとても嬉しいです。転校生で何もわからず不安だったボクのために色んなことを教えてくれたことや楽しみをわからせてくれたこと。そのひとつひとつがボクにとってはかけがえのない宝物です。
「だから、今度はボクの番です。今年でボクは三年生になって新しい部員が入ってくるかもしれません。その時にボクが受け取った大切なものをその部員たちに教えていきたいです。
「ボク一人だけでは無理かもしれないですけど、陽ちゃん、瑛太くん、此恵ちゃん、百合子ちゃん、そして、照くんと一緒なら乗り越えられる気がします。
「こんな情けない部長ですけど、どうか力を貸してください。一人じゃできないこともみんなで頑張ればできることだってあります。それこそ小早川先輩が教えてくれたことの一つです。
「だからみなさん、今日は思いっきり楽しみましょう! 楽しい方が人生いいことありますから! 乾杯ッ!!」
「「「「「「「「「「「「かんぱーーーいっ!!!」」」」」」」」」」」」
紙コップを空に届くように高く掲げて今日のことを祝った。
これからもまだまだ困難が続くことは確かにあるが、みんなはそんなことを一つの楽しみとして乗り越えていく。
飛鳥もまたそうするつもりで、隣に立っている照でさえそう感じていた。
彼女が彼に微笑みかけると、クスリと彼も同意するように笑って答えた。
これから続く、新しい道を二人一緒に歩いていくつもりで。




