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Side:Filia
今日の森はいつになく騒がしい。
木の枝の上で伸びをしつつ常とは違った様子に首を傾げれば、その疑問を解消するように声が響く。
【誰か入ってきたみたい】
【また密猟者?】
【でも大人と子供の二人連れ】
【何の用?】
【わからない、何だろう】
「……大人と子供、ね」
彼等の言う通り、一体何の用なのだか。
これがただの旅人で正直有り得ないが単純に間違ってこの森に入っただけならば問題はない。
けれどそれが偽りで密猟者であれば――
「ともかく、行ってみようかしら」
【大丈夫?】
【気を付けて】
【怪我しないように】
「わかってるわ。大丈夫よ」
答えて、森への侵入者の姿を見るため私は足に力を入れて跳躍した。
生い茂る木の葉に隠れて下の様子を窺うと、なるほど確かに皆が言っていた通り二人。
金髪に青い瞳の、おそらく私と同じくらいの年の少年と、黒髪に同じく黒い瞳の中年男性。
両者とも護身用なのかどうなのか判断がつかないが剣を持っている。
少年の方は疲れたようにため息を吐いていて、それに男性は呆れたような目を向けた。
「おいルーク、いい加減鬱陶しいぞ。これで何回目だ」
「そうは行ってもバルド、さっきからいくら歩いても景色が変わる様子がないじゃないか」
「………まぁな。だが、ここにあるんだろう?」
「どうだろうね」
「おい、強い反応があったから俺達はこんな森にわざわざ足を運んだんだぞ」
「いや、だって僕にもいまいちよく分からないんだよ、コレ」
―――どうやら彼等は何かしらの目的があってこの森に来たようで、迷い込んだ訳ではないらしい。
けれど密猟者かと問われるとそれにしては何だか違和感がある。
【どうする?】
【どうしよう】
【困った困った】
【でもあっちは危ない】
【そう、ドラゴンが寝てる】
それはいけない。眠りを邪魔するのは忍びないし、戦闘にもつれ込んでも困る。
できればこの<祈りの森>で死体などは見たくないのだ。
仕方がない、話が通じるかは分からないが。
「―――貴方達」
木の枝から一気に飛び降りて着地する。
突然現れた私の姿に彼等は相当驚いたようだ。
少年は目を大きく見開きこちらを凝視して、男性は警戒するように背におった剣に手をかけている。
「こっちに進まないで」
「何者だ」
「……それ、何を聞かれている?」
どういう存在なのかと、そういう意味だろうか。
首を傾げれば男性は眉をよせた。
「何者なのか、どうして俺達の行く手を阻もうとしているのか、だ」
「何者って……この森に住んでいる、ただの人間よ。
どうして行く手を阻もうとしてるのかは、この先は危ないから、かしら」
「この森に住んでいる?一人でか?」
どうやら疑われているらしい。
確かに不便なところも多いけれど、中々居心地のいい場所だというのに。
――いいや、今はその話ではない。
「私は質問に答えたわ。
だから貴方達もここから先に進むのをやめてくれないかしら」
「そうはいくか」
「………」
さて、どうしたものか。
どうにもこちらの男性はなかなか頭が固いらしい。
困って少年の方に目を向ければ、彼は戸惑ったように一瞬視線を揺らした。
青の瞳が酷く色鮮やかに私の瞳に映る。
不思議な色だった。
「……その、僕達はこの森に用があるんだ。
だから君のいう事は聞けない」
「用事というのは?」
「探し物」
「……ちゃんとした用事があったとして私はそれを信じられないし、何よりここから先に進まれるのはとても困るわ」
何しろこの先にはドラゴンがいるのだ。
眠っているところを邪魔されたらどれだけ怒りを買うことか。
想像するだけで何とも言えない気持ちになる。
けれどそれを説明する前に彼等は足を動かし始めてしまう。
「俺達にはお前の言葉に従う義務はない。通らせてもらうぞ」
「ごめんね」
「あ、ちょっと……!」
折角人が親切にも忠告してあげようとしたのに、何て勝手なのだろうか。
そもそも人の話は最後まで聞けと教わらなかったのか。
「……これ、放っておいてもいいかしら?」
【でも、ドラゴン怒ると止められない】
【それに血を土が吸うのは嫌】
「そうよね……」
ため息を吐いたところで森中におどろおどろしい咆哮が響き渡った。
【ドラゴン起きた】
【戦ってるみたい】
【でもすぐ負けるよ】
「……なんですぐに戦うのよ。逃げればいいじゃない」
そうすればきっと追ってはこないだろう。
下手に剣を向け攻撃の意思を示すからよけい相手を怒らせるのだ。
【行ってあげて、血が流れちゃう】
【止められるのはひとりだけ】
「私だけだって言いたいの?まあそうでしょうけど」
皆の声はドラゴンには伝わらないし、皆に実力行使で止めろというのも無理だ。
つまりこの森で今繰り広げられているであろう戦いを止められるのは私だけ。
一瞬皆の声には聞こえないふりをして放っておこうかという思考も過ぎったが、一度だけ視線が重なった青の瞳が同じく脳裏に浮かびあがりそれを止めた。
「………仕方ない、か」
どうしてだろう、何だか行かなければならない気がするから。
………そう思いはしたけれど、やはり憂鬱だった。
先程の場所から少しだけ歩いた位置で今現在剣を振るっている二人はまず間違いなく逆効果としか言いようがない。
その行為が余計に相手を怒らせるのに。
そもそも人間がドラゴンに勝てると思っているのだろうか。
実際どちらも体のあちこちに浅いけれど傷をおっているし、このままでは結果は明らかだ。
「………ルーク!」
そして少年の方が疲れによってか集中を切らし、それを庇うために前に躍り出た男性は身体を袈裟懸けにドラゴンの爪で裂かれ地に倒れた。
「バルド!!」
黙って見ている気は無かったけれど、様子を見ているうちにこんな事態になってしまったのには反省する。
いくら人の話を聞かない、頑固で頭の固い人間でも流石にあれは不味いだろう。
「だからこの先に進むなと言ったのに」
男性に取りすがった少年に並ぶようにして背後から足を踏み出せば驚いた様な顔をされた。
もしかして、どうしてここにだとかそういう事を考えているのだろうか。
それは紛れもなく貴方達のせいだと言ってやりたいけれど、それよりもまずはドラゴンだ。
「落ち着いて」
「なっ……危ない!」
警告してくる少年に対して全く止まるそぶりを見せない私というのは、先程までとまるきり立場が逆になったようで少しだけ面白かった。
けれど焦る少年には知らん顔をして、唸るドラゴンに手を差し出す。
「眠りを邪魔してごめんなさい。それに攻撃まで。
でももう止めさせるし、お詫びに果物でもあげるから許してあげて?」
背後で絶句する気配を感じた。
それほどおかしな光景なのだろうか。ドラゴンは元々温厚な性格なのに。
目の前で喉を鳴らすドラゴンの鼻筋を撫でてやれば瞳が細まり、もっととでも言うようにすり寄ってくる。
こういうところはとても可愛らしいのに、一度機嫌を損ねると色々と大変なことになるのだから難しい。
けれど私にとって慈しむ対象だというのは変わらないため結局のところ困ったように微笑めば、背後でドサリと何かが倒れる音。
「………ちょっと、自由すぎないかしら」
振り返ってため息を噛み殺す。
忠告を無視して勝手に先へ進んで、結局助けてもらって、勝手に気を抜いて倒れるとはどういうことか。
【怒ってる】
【でも仕方ない】
【迷惑なのに?】
【ドラゴンの爪は毒があるんだよ】
【じゃあ毒が回った?】
【でもじゃあもっと迷惑】
「確かに、迷惑だわ……」
つい同意して呟くと、ドラゴンは困ったように高く鳴いた。
どうやら申し訳なく感じているらしい。被害者(被害ドラゴン?)だろうに。
「ううん、気にしないで。
でも、そうね……この人たちの事、運ぶのを手伝ってもらっていいかしら?
流石に私一人では無理だし、そうすれば家にある果物をそのまま渡せるわ」
毒が体にまわっていることを知ってしまった以上、ここに放置は出来ない。
ドラゴンにそう提案すれば、快く承諾してくれた。
この素直さが倒れている二人にもあればよかったのに。
「じゃあお願いね」
さて、毒に効く薬草はどの辺りに生えていただろうか。
どうにか力の抜け切った重い男二人の体をドラゴンに手伝ってもらいつつその背にのせ、自らも乗せてもらいながら首を捻る。
それに家のどこに寝かせよう。
家は大木の洞を利用していて少し高い場所にあるから、まず家の中に入れるところからまたドラゴンに手伝ってもらわなければならないだろう。
つくづく迷惑な二人だ。
「……これで、いいか」
ドラゴンに色々と力を貸してもらって、二人を寝かせることも出来た。
寝具の上などではなく直接床に寝せているのは仕方がない。
私は一人でここに住んでいるし、こんな森の奥深くに来客などあるはずも無い。
そもそも私に友人や知人など、少なくとも私の知る限りでは存在しないから必然的に二人を寝かせる場所などないのだ。
帰宅途中に立ち寄ってもらった場所で採った薬草を懐から取り出し家から出る。
近くには小川が流れているからそこで水を汲んで、ついでに葉を洗わないといけない。
途中で二人が目を覚ましたとしてあの家に見られて困るようなものも、盗まれてしまう程高価なものもないし、第一体に毒が回っているのだから解毒なしでは動くことも出来ないだろう。
「でも、探しモノってなにかしらね。あなた達は知ってる?」
【探し物、どんな?】
「さあ」
【この森、いろんなモノがたくさんある】
【大切なもの】
【秘密の場所】
【悲しいもの】
【楽しいもの】
【切ない場所】
【だから、わからない】
「―――そんなにたくさんのものがここにあったなんて、知らなかったわ」
確かにこの森は広いけれど、でもここで過ごしている間にそのようなものを見つけたことは無い。
それともやっぱり秘密だから私には分からないのだろうか。
「でもじゃあもし何を探しているのか分かったら、あなた達はそれがある場所を教えてくれる?」
【それを望むなら】
【叶えるよ】
【だってそうしたいから】
【貴女のために】
「ありがとう。さっさと帰ってもらうためにも、目を覚ましたら聞いてみようかしらね」
それで聞き出すことが出来ないならそこまでで、私が関わる事でもないだろうし。
【きっと教える、貴女になら】
【それが必要だから】
【決まっていること】
【彼等は王都からやってきた】
【そして貴女に会った】
【なら、全部決まっていること】
「<王都>……?」
首を傾げてすぐに、この国の要となる場所で王が住む土地だという知識が湧き上がる。
まったく我ながらよくわからない、便利な頭だ。
「王サマのいる場所、ね……
あの二人はそんな場所から探し物のためにわざわざここに?」
頭の中の知識によれば徒歩で半月だ。
余程大切な探し物なのか。
【そう】
【でもそれでいい】
【決まっていたことだから】
「あなた達はよくそう言うのね。
決まっていたこと、なんて、私には分からないわ」
まあ根本的に私と彼等は違うから、それも仕方ないことなのかもしれないけれど。
でもまるで自分だけのけ者にされているようで複雑だ。
そんな思いを察したのか、彼等は困ったように声を響かせる。
【貴女にはまだ言えない】
【でも、いつかわかるよ】
【怒らないで】
「もう、怒っていないわ。こんな事じゃ怒らないわよ。
少しだけ寂しかっただけだし、いつか分かるならそれでいいもの」
案外気を遣ってくる彼等はわかりやすくホッとしたようだ。
気配でそれがわかってつい口許がゆるむ。
彼等の、こういうところが可愛らしい。
外見からは全く予想できない素直さと親しみやすさ、そしてあたたかさにいつも心が癒され、そして孤独ではないのだと嬉しくなる。
何もかも分からない、けれど色々なことを知っているらしい私だけれど、こんな触れ合いがあるから毎日が楽しい。
――まあ、今はおかしな闖入者がいるけれど。
「……さっさと出て行ってもらうためにも、薬を作らないとね」
そして普段通りのゆったりとして穏やかな日常に戻ろう。
依然として色鮮やかな青が、脳裏に焼き付いてはいるけれど。
きちんと準備をして薬を作り、器に入れて室内に入る。
やはりというか何と言うか、相変わらず二人は気を失ったままだ。
ただそろそろ毒が本格的に体に回ってきたのではないだろうか。
皆に聞いたところドラゴンの毒は神経毒だそうで、体が痺れて動けなくなり段々と体全体の機能が失われていくものだとか。
このままではいずれ呼吸も止まってしまうだろう。
流石にそれは忍びなく、それに悪人ではないつもりなのできちんと助けるつもりだ。
そのためにわざわざこうして薬をとってきたのだし。
「さっさと目を覚ましてくれるといいけど…」
横たわる彼等の傷口に薬を塗り込みつつ呟く。
少年の方はすぐに目覚めるだろうが、男性の方は難しいかもしれない。
なにしろかなりの傷だし、その分かなりの量の毒が体内に入り込んでいるはずだ。
そうなると目を覚ますまでに数日、体が自由に動かせるようになるまでに更に数日。
考える程気が重くなる。
それに二人とも目を覚まさない状態で家を空けるのもできればしたくないが、私自身ここにずっと籠っている訳にはいかない。
食料は新鮮なものが好ましいから、あまり備蓄はしていないのだ。
じっと少年の顔を覗き込む。
薬は即効性だ。だからもしかしたらすぐに目を覚ますかもしれない。
……あの青は、一瞬だったけれどとても綺麗だった。
もう一度見てみたい。
どうしてかそう思う。
青の瞳なんて初めて見たから?
同じ年頃の人間が珍しいから?
理由は分からないけれど、でもあの色はとても好きだと思った。
「………ルー、ク」
少年はそう呼ばれていた。きっとそれが彼の名前だ。
話してみたい。その目に映ってみたい。
――――名を。
突然の思いに瞬く。
まるでずっと心にあったかのように、あまりに真っ直ぐ素直に浮かんだそれ。
貴方は私の名を知っているだろうか。
そんな疑問。
可笑しな事だ。私と彼は今日初めて会って、言葉さえ僅かしか交わしていないのに。
不思議だった。それとも私は、この目の前の少年と以前会ったことでもあるのだろうか。
「………それこそ有り得ないわよね」
私は数年前からここにいて、そして今日、少年もそんな素振りを見せなかった。
つまり私と彼は間違いなく初対面で、彼は私の名前など知るはずはないのだ。
それに微かに落胆。ここには私の名前を呼んでくれる人はいないから。
でも、それなら名前を教えればいい。
そうすればきっと彼等は呼んでくれるのではないだろうか。
それが楽しみなような―――――それでいて、厭わしいような。
「厭わしい……?」
どうしてだろう。
どうして名前を呼ばれることが、厭わしく感じるというのか。
呼ばれたいと思っていて、それでいて呼ばれたくなくて。
つくづく自分が分からない。
ある意味仕方ない事ではあるけれど、それでも困惑した。
こればかりは皆に聞いてもいずれ分かる事だからと一切教えてくれないし、本当に困る。
そう、困惑からくるため息を吐いたときだった。
ふる、と目の前の瞼が僅かに震える。
微かな、吐息のような覚醒を告げる声。
けれどそれ以外に何の予告も無くぱちりと開いた青の瞳をじっくりと見る暇もなく。
「………っ、バルド!」
小さな叫びと共に急に起き上がった彼と額同士が衝突し、私は形容できない痛みを味わった。