あの世
――アンナさん……諸井アンナさん…どうか、僕の呼びかけに答えてください……アンナさん…諸井さん
「あなた、私を呼び出してるつもり? 生きてた頃は話したこともなかったのに」
――! ほんとに出てきてくれた。
「馬鹿じゃないの? そんなことしといて、ビックリした顔して」
――すみませんが誰、ですか? 思ってた人と違うようなんですが。
「諸井アンナだけど、あなたが話したがってたのは私じゃないの?」
――この間、轢き逃げで亡くなった?
「枕詞に物騒な言葉が付くのって悔しいわね」
――イメージと違うな。
「今はもう理性その他が薄いの。前みたいに演じるなんて高度なことできないわよ。本音しか言えないって、いやあね」
――いや、そういうのも結構好きだよ。
「妙な人ね」
――まあ、この年で幽霊を信じてるからね。おかげで君にあえたみたいだけど。
「前言撤回、イタい人ね」
――そこまで言う?
「……ご用件は? 死んでまで、ナンパされたくないわ」
――諸井さん、どうして死んだの?
「車に轢かれたから」
――じゃあ、なんであんなに身辺の整理がしてあったの?
「まさか、自殺とか言われてるわけ?」
――誰かに殺されたんじゃ、とも言われてる。巻き込まないために彼氏と別れて、もしそうなった場合に備えて自分のものを整理していたんじゃないかって。
「信じる人は?」
――信じてるかどうかは別にして、諸井さんのお母さんが言い出したらしいよ。
「ふうん。面白いわね」
――いちばん有力なのは、自殺しようと思ってたところで偶然轢き逃げされたって説なんだけど。
「死にたがりは死なないって言うの、知ってる?」
――てことは、全部違う?
「全部合ってる、とも言うわね」
――……そろそろ、謎解きをお願いしたいな。
「あなたの説は?」
――さっきのが全部合ってるなら、自分の説は一番遠いってことになるからいいや。
「あっそう。合ってるかもしれないのに」
――その時は一人しずかに溜飲を下げるさ。で?
「ちょっと待って。周先輩知ってる? あの人はなんて言ってた?」
――その人が、どうして気になるの?
「私が関わった人の中で一番性格が悪くて変人だから」
――先輩、ひどい言われよう。
「おあいにくさま。死んでから、理性的にものを言えないって言ったでしょ」
――あの人は、自殺だったのかもって思ってるらしいよ。もしそうなら、服も本も日記も手放してしまったことや、彼氏と別れたことも納得いくからって。自殺しようとしてたら車が突っ込んできたっていうのが実際なんじゃないかって言ってたって聞いたよ。
「……周先輩て本当に冷血」
――冷静なんだよ。感情抜きで理詰めで考えるとそうなるからさ。
「でも、冷血だわ。本当、冷たい。私が自殺なんかをする人間って思われたのって屈辱」
――他の人も何人かそういう考え方してたけど。
「その人たちはまた別の問題よ。あいつ、ほんっとうに性格悪い」
――はあ。じゃあ、何があったのか説明してもらえるね?
「はいはい。早い話が、何となくの行動から起こりそうな未来を割り出して、そうなっても問題がないように行動してたら、起こりそうだなって思った未来がやってきたの」
――時系列で説明してもらわないと、さっぱり分からないよ。
「仕方ないわね。昔の探偵小説の、延々と結論を先延ばしにするスタイルって私嫌いなのよ。……まず、なんとなく部屋の整理がしたくなったのね。死ぬ1か月くらい前のことよ。そこで、あまり読まなくなった本をオークションに出すことに決めた。服も着なくなった服がたくさんあることに気付いて、古着屋さんに持って行った。結構な量だったからいい値で売れたわ」
――そこまでなら、まだ普通の整理だね。近頃流行りの断捨離ってやつ?
「……そうしたら今度は学校のロッカーが気になったの。整頓できてないって思って。そこで、大掃除よ。要らないものやごみを全部すてて、キレイにしたの」
――まだ、ただの整理にしか。
「でしょ。で、そういうことを毎日日記に書いてたのね。5年連用日記よ。日記、つけたことある?」
――1年のなら。なんだけど、続かなくて半年くらいで挫折しちゃう。
「そう。一回5年続けてみたらいいわ。すると、分かるから。同じ時期に大体同じことを考えてたり、似たような気分になってるって分かるわ」
――そうなんですか。
「人間って、やっぱり自然のバイオリズムとは切っても切れない関係なのよ、ほんとに」
――それと、日記を焼いたことがどう関係あるんですか?
「その話はもうちょっと待ってちょうだい。同じ時期には同じことを考えるって言ったわよね? つまり、今年こうして大掃除したからには、前の同じ時期にも何らかの掃除とか整理整頓とか、してるはずなのよ。なのに、去年や一昨年の今頃はそれがない。読み返して、直感的におかしいって思ったの」
――偶然って思わなかったのか?
「思いたかったけど、自分の部屋や環境のあまりの変わりっぷりを見るとそうは思えなくて。いつもと違うことをすれば、いつもと違うことが起こるでしょう?」
――普通、いつもより良いことをしたら、いつもより良いことが起こるんじゃない?
「そういう考えもあるわね。だけど、私はそうは思えなかった。無意識に自分がもうすぐ死ぬって知ってるから、そのために身の回りを整理しているんじゃないかって分析したの」
――めちゃくちゃだな。
「昔からそういうことあったから。全ての運命には伏線があるのよ。物語みたいにね」
――信じたくないな。
「どこかでそう思ってるくせに」
――誰かに用意された筋書をたどりたくないってだけだよ。そこに君の意思はあるのかい?
「あるわよ。それ以上言うなら、もう話さないけど、いいの?」
――分かった、もう批判しない。続けて。
「まあ、そう分析したわけ。そう思うとなんとなく日記が気持ち悪いものに見えた。それに、自分が明日死んだら、これが親や警察や、いろんな人の手に渡って見られることになるかもしれない」
――だから、手っ取り早く火をつけた。
「そのとおりよ。それから、自分が死ぬまでに何か人の役に立ちたくなった。今までそんな気持ちになったことはなかったのに、いよいよ、死期が近づいてるんだなって思った」
――そして、その気分のままに行動したんだな? 彼氏と別れたのは、自分の死に巻き込みたくないから?
「そう。それはちゃんと気分じゃなくて私の意思よ。最後まで一緒にいたかったけど、それ以上に確実に生きてて欲しかったから。別れたくなかったから、実際には、ぎりぎりのタイミングになっちゃったけど」
――それで、全部整ったころに。
「ちょうど、あの世から迎えが来たわ。何とか間に合った」
――本当に轢いた人を恨んだりしてないんだね。
「人はいつか死ぬわ。あと70年もたてば、ほとんどみんなあの世にいるもの。私は、普通よりちょっと早く時間が終わってしまっただけ」
――ちょっと、じゃないよ。
「宇宙の歴史から見ればちょっとだわ。人の一生なんて塵も同じ」
――……君がすべきだったのは、起こりそうな未来が来ても問題が無いよう備えることじゃなく、そういう未来を起こさないようにすることだったんだ、違うか?
「お説教はいらないわ! もうすぐ死ぬような気がしただけで、何があってどうして死ぬかなんてわからないもの。他人に死なないように守ってって言えとでも? 家にじっとこもってろって? どうかしてる。仮に相手がそれを信じてくれたところで、死ぬのは避けられない。思いがけないタイミングで死ぬより、思いがけたタイミングで、自分で納得できる死を選びたかったの。分からない?」
――ごめん。そうだ諸井さんの彼氏に、この話は伝えてもいいかな?
「やめた方がいい。あなたが気違い扱いされるだけでしょ」
――いいよ、僕は妙でイタいんだから。
「そう思ったのは私だけ。みんなにそう思われる必要はない」
――諸井さんの彼氏が気違い扱いするとは限らないし。
「憐みの目で見られることうけあいだわ」
――そうかもね。でもさ、嫌がられはしないよきっと。向こうはまだ、好きなんじゃないかな。
「関係ないわ。この話は彼の耳には入れないでちょうだい。私のことなんて、早く忘れた方がいいんだから」
――じゃあ、どうして僕に教えたの。
「教えてもあなたの人生は変わらないでしょ? どうでもいい人だからよ」
――ひどいなあ。
「ひどくて結構。私、別に死にたいとは思ったことないけど、自分の命に執着なんてなかったし」
――彼氏、知りたいと思うけどな。
「知れば後悔するし、前に進むのが遅くなる。それは、彼にとって良いことじゃない。じゃあね、黒江くん。あなたが賢明であることを祈っているわ」