退職のバリキャリ
退職のバリキャリ
キャリア女性の場合【44歳~52歳の取材録】
もちろん仮名 高橋 ビビンバさん(52歳)
―「病気になったけど・・」(初回取材時44歳)
肝臓がんを患い、治療のため入院し、休職を余儀なくされた高橋さん。
数年前までは、都内の1LDKマンション駅チカ、家賃17万円オートロック。なにより高層階からの眺めが気に入っていた。
営業成績がそのまま給与に反映することが、やりがいの源泉。営業センスがあるのではないかと、自分でも感心するほど成績が良かった。
相手の立場を想定し「ちょうどいい」提案をすると定評があった。
コツコツと資料を集め、先方の業務を調べ、よく似た他社の事例を含めて、最新のデータをちょっとだけ盛る。
事前の調査をぬかりなく行うのが高橋さんのスタイル。
他の人にも「こうやったらよい」と言っても、だれも真似しない。真似できないと言われていた。それが「営業センス」があると言われる所以だろう。
そんな高橋さんが、入院から休職、からの退職を経験し、
からだと自分の心地を重視する暮らしへとシフトした。
体調を整えることが最優先の暮らしに変わった。
抗がん剤のせいで食欲もなくなり、食べる楽しみを一時期失った。
有り余るほどの体力も気力もなくした。
大好きだった、から揚げも天ぷらも食べたいと思わない。
それでも、時々、自分の食べたい食材を使って、好きなものを食べたいと思う。
実質10日間ほどの入院だったにも関わらず、
その10日で人生が変わったと感じた。
少し体力が回復してきた頃に「食材を探す」お買い物を始めた。
以前は、スーパーのお惣菜を買いだめしたくなるくらい、あらゆるものを食べてみたいと感じていたが、もう触手がうごかない。
とある日。
今日の気分は「冥加」これを薄く切って、冷水にさらす。
1個で十分なのに3個1パック梱包になっている。
1個だけ売ってくれるお店はないものか?
高橋さんのお買い物の旅はつづく。
今までは感じたことがなかった、「冥加」の個性にも気がついた。
プリっと膨らんだ形や流線形のや、紫と茶色が加わったような独特な色に緑が混ざったものや、黄色を含む色合いのものなど。
近所のスーパーや八百屋さんを5軒ほどめぐって、
一番気にいった冥加と豆腐を買ってきた。
キッチンに立ち込める冥加の香り。
スライサーを使って薄く薄く切る。
切り株のような模様、薄い冥加の板。
冷水で広がる様は、細胞が見えるようだ。
小さく切ったお豆腐に、薄い薄い冥加をのせると、まるで供物のようだ。
神様にお供えする料理。
そんな気がしてきた。
静かにそーっと口に運ぶ。
冷たい、冥加は香り高いが、味は薄い、むしろ豆腐の方が味もこくもある。冥加って、こんなふうだったんだ。
色合いや香りを楽しむ料理があることを知る。
冥加とお豆腐
高橋さんは、以来、好きな食材を探すことが楽しみになってきた。
ある時は、梅、ある時は卵。
わずかな分量だけ購入して丁寧に料理をする。
レシピはchatGTPに教えてもらったりしながら、好きな味を求める。
自分が好きな食べ方がだんだんわかってくる。
同じものでは飽きてしまう。
その日の風の感じと、からだの欲求が重要。
徐々に食材を探す旅が頻回になった。
農家を訪ねて「トマト」の収穫を手伝わせてもらったこともある。
ファラオの王よりもトマトの方がよっぽど太陽神だと思った。
それほどまでに、みずみずしく、はじくほどに輝いていた。
高橋さんは、見つけてきた食材を使って料理を作り、blogに掲載を始めた。
半年くらい続けたころ、近所の小料理屋さんからblogにコメントが入った。
山梨県から食材を取り寄せているので分けてくれると書いてある。
一人分だけ食材が手に入るならと、高橋さんは、その小料理屋さんを訪ねてみた。年配のご夫婦で営まれているお店は、一枚板のカウンターがあった。
「青い唐辛子」を生まれて初めて食べたかもしれない。
さほど辛みはなく、ピーマンとも違う、鰹節とくたくたになるまで煮込んだお料理をいただいた。
色のついた玉ねぎや甘みの強い紫の人参なども、味見をさせていただけた。
以来、ほしい食材があれば、一人分だけわけてもらえることになった。
八百屋さんよりも融通がきくのでとてもありがたい存在になった。
ある日、青唐辛子の風味が忘れられず、一人分だけわけてもらって、自宅でオリーブオイルとニンニクで炒めてみた、なぜか強烈に辛かった。
喉への刺激が強かったのか、激しくむせて、涙が出た。
嗚咽するほどの刺激!
気管に入っていて、肺にはいって、死ぬかもしれないと思うほどだった。
あぁ自宅で良かったと思った。
まさか、生きている実感を青唐辛子に教えてもらうなんて。
青唐辛子の刺激で生を感じた
会社に復職はできたが営業職を続けることはできない。
がん保険加入で支払われた保険金も入ったので、家賃の安いアパートに引っ越していた。
会社からは勤務時間の短縮の提案があった、営業アシスタントも、体力的にできないと感じていた。
徐々に勤務時間や日数を減らさざるを得なくなった。
収入が減った分、時間ができた。
小料理屋さんに手伝いを申し出てパートとして雇ってもらえることになった。週に1回、3時間。
blogからの収入は皆無だが、コメントでつながることが出来ている。
これが44歳から52歳までの軌跡。
大逆転もしていない。
3時間だけ料理をふるまうことが出来る場所ができた。
自分だけが納得していた食材を、好きに調理して客に出す。
反応を盗み見て時々喜んだり、時々しょぼんとなる。
定期的に病院に通っているが、いまのところ再発はしておらず、体力も完全ではないが回復しつつある。
あと2年で10年の軌跡ね。
高橋さんはますます色が白くなった。
前に会った時より、きれいになった!
セクハラと言われそうなので言わないけれど。
一回休んだ人のその後を取材して気がついた。