水神
「水神様に大雨の日にお祈りをすると願い事が叶うんだって」
朱里は自分の椅子の背もたれに腕をのせて後ろの席の私に向かってそう口にした。
高校の昼休み。昼食を済ませて午後の始業チャイムまでおしゃべりの時間だ。
「でもその条件はなんだか怖いね」
私、平松朋美は朱里に答えた。
朱里の話では近くにある白神神社は水の神様を祭っていて。なんでも願いをかなえてくれるかわりに自分の大事なものが水に流されてしまうのだという。水に流されてしまうとは、要は忘れてしまうということらしい。学校から神社までは徒歩10分ほどで着く距離にあり。夏になればお祭りも開かれるこの街ではそこそこ大きな神社だ。
「それはそうだけど、私たちって考えてみると意外とそんなに大切なものってあるのかな?朋美はどうか知れないけれど私は考えてみると意外とない気がするのよね」
朱里は目線を上にしながら答えた。
「大事なものって言ったら昔から使っているバッグとか、お気に入りの化粧品とか?別になくなったら買いなおせはいいだけだし、命まではとらないって話だし」
朱里はそのお祈りをした人と実際話したわけでもないのに噂話で聞いたことを私はすべて知っているかの如く喋っている。
「でも物や命とはかぎらないじゃない、例えば時間とか?身体の一部とか?命は取らないにしても何かそうね、目が見えなくなったりとか、耳が聞こえなくなったりとか?」
私は少し臆病すぎるかしらと思いながらも弱気なことを言った。
「朋美はビビりすぎなのよ。逆に願いは何かないの?お金持ちになりたいとか?もっとかわいくなりたいとか?」
朱里は私の願いに興味があるらしい。
「これと言ってないかもしれない」
私は少し考えて答えた。
「朋美無欲すぎ、私たち花のセブンティーンだよ。もっと欲張りに生きないと」
朱里はありえないという顔で私の顔を見ている。
「朱里は何かあるの?」
私は自分のことはいいからと朱里に自分の願いはなんなのかと質問した。
「あるよ、今言ったみたいにお金持ちになりたいし、かわいくもなりたい。でも今は佐々木先輩と付き合えたら最高かな」
佐々木先輩とは1個上の先輩でバスケ部の元エース。インターハイを最後にすでに引退しているが、顔がいいし性格もいい、背も高いときて高校生のスペックとしてはモテ要素満載の先輩だ。狙っている女子生徒は数多いる。先日も隣のクラスの女子が告白して玉砕したとのうわさがあった。
「佐々木先輩ね、確かになかなかにハードル高そう、神様にも頼りたいね」
私は朱里の顔をのぞき込んだ。
「でしょ?というわけで今日白神神社に行こうと思うんだけど時間ある?」
「予定はとくにないけど・・・」
「さすが朋美、持つべきものは暇な友人ね。じゃあ今日は一緒に帰るってことでよろしく!」
ちょっと失礼な気もしたが予定が無いのは事実なので朱里との約束は了承した。
放課後、白神神社前である。今は6月も半ばだからか雨がひどく降っている。
大雨には少し弱い気がするが傘をさしていても服の端が濡れてしまうくらいには降っている。
朱里の話では一番水神様の力が強いのが6月と言われているのだそう。雨がたくさん降る時期だからだろうか?朋美は妙に納得していた。
目の前には灰色の大きな鳥居があり、その先に上り階段がざっと30段ほど続いている。階段を登り切った先に手水舎が左手にありその先にもう一つ鳥居がある。その奥が白神神社拝殿、その先が本殿である。
私たちは靴を濡らしながら階段を登って拝殿まで歩いていく。鳥居は真ん中は神様が通るから歩いてはいけないということは知っていたので入口では端を通って階段を登る。屋根のついた手水舎で手と口をすすぎ第二の鳥居をくぐる。雨がひどいこともあり周りに参拝客は誰も見当たらない。
「いよいよね」
横を見ると気合の入った顔をした朱里の顔があった。
「で、具体的にどうやってお祈りするの?」
私は朱里に問いかけた。
「えっ?普通にお祈りするだけじゃダメ?」
逆に聞き返されてしまった。
「何か特殊なやり方があるのかと思ってたんだけど・・。だって大雨でもお祈りに来る人はいるでしょう?」
朋美は朱里に聞き返した。
「確かに・・・。言われてみれば確かにそうだよね」
朱里は考えこんでしまった。
二人の間に沈黙が流れて少し経った頃、拝殿の脇、本殿のある方から白衣に水色の袴を着た40代後半ぐらいの痩身の男性が歩いてきた。
「珍しいですね、こんな大雨に参拝客とは」
「こんにちは」
私と朱里は神主らしきその男性に挨拶をした。
「こんにちは、私はここの神主をしているものです。こんな天気の日にはあまり人は来ないのですが、これも水神様の思し召しですかね。それとも水神様に切なるお願いがあってこられたのでしょうか?」
神主は何もかお見通しという感じで私たちに微笑んだ。
「私、水神様にお願いがあってきました。大雨の日にお祈りをすると叶うって聞いて」
朱里が神主に話しかけた。
「それは忘れてしまうものもあるというのはご存じで?」
神主はさらに問いかける。
「はい、知っています。でもやり方がわからなくて普通に大雨の日に参拝するだけじゃダメなんですか?」
神主は少しの沈黙ののち口を開いた
「そうですね。まず普通の参拝、2拝2拍手1拝を行いその合せた両手に雨水を受け願い事をしながら飲み干してください。それが願いをかなえるための参拝方法です。しかし雨に濡れてしまうし、大事なものを忘れてしまうというリスクを背負いますそれでもよろしいのですか?」
神主は尚も朱里に問いかけた。
「構いません。だって私の大事なものなんてたかが知れてます」
朱里ははっきりとそう答えた。
「あなたも同じですか?」
神主は私に問いかけた。
「私は付き添いなので特にお願い事はないです」
朋美は答えた。
「そうですか、わかりました」
神主は少し寂しそうに微笑んだ。
私と神主の会話が途切れると朱里は神主の言った通りの所作で参拝をした。
最後雨水を受けて飲み干した瞬間、雨音が一瞬大きくなったように朋美は感じた。
次の日の放課後、朱里は佐々木先輩に告白し付き合うことになった。
私は朱里にお祝いのメールを送った。
朱里からもありがとうとお礼のメールが来た。
朋美は疑問だった、佐々木先輩はいままで朱里のことは学校ですれ違うぐらいはあっただろうがわざわざ見に来た事はないし気にしていた様子もない。なんならうちのクラスに顔を出したこともない。朱里は部活に所属していないし、委員会が同じというわけでもない。接点らしい接点が一切ないのだ。そんな中でこんなにすんなりと付き合えたりするものだろうか?やはり水神様へのお願いが効いているのか。あまりにもトントン拍子に進みすぎていて気持ちが悪いと思った。
1週間後梅雨明け宣言がニュースで流れた。
その日から朱里は私のことを忘れてしまった。