平和
〈顔の垢丸めてゐたり夏は來ぬ 涙次〉
【ⅰ】
君繪は成長が早い。もう直立歩行の練習をしてゐる。悦美が歩行器をメルカリでゲットして、あんよは上手、の每日である。さうなると問題が一つ出て來る。結界の問題である。
ベビーカーには結界をカンテラが張つた。彼女は* 魔界でも是非にと云ふ逸材。確かにそのエスパー振りには目を見瞠るものがあり、その分警戒をしなくては、また第二の「子攫ひ」が現れないとも限らない。
幾らエスパーとしての才が秀でゝゐても、本人よちよち歩きでは、【魔】の好餌となる事は間違ひない。その點悦美は豪放なママで、その時はその時よ、カンテラさんが付いてゐるから大丈夫、などゝ云つてゐる。
* 前シリーズ第178・190話參照。
【ⅱ】
如何にも、の、古色蒼然たる水晶玉を通して、魔界にはその模様が筒拔けだつたが、それはカンテラには「シュー・シャイン」を通じて、分かつてゐる事。だが結界の問題には、カンテラは(幾ら悦美が大丈夫と云つてゐても)頭を悩ませてゐた。かう云ふ時、男親は弱い。君繪は悦美がお腹を痛めて産んだ子ではない。然し、母親として來る日も來る日も過ごしてゐるのだから、悦美がカンテラに對して優位を保つのは、当然なのである。
【ⅲ】
「君繪、お買ひ物行こ」‐「ち、ちよつと待つた。歩きで行くには、幾らなんでも早過ぎやしないか?」‐「あら、君繪ちやんを舐めたらあかんぜよ。なんてね」輕口利く悦美。傍の目には能天氣に映るかも知れないが、これは、悦美のカンテラ一味の一員としてのノウハウを脊景にした、立派な「發言」。結局カンテラ、護衛で着いて行かざるを得ない。「俺、他にやる事あるんだけどな(;゜Д゜)」。カンテラ、人目に顯つのには慣れつ子だつたが、行く先々でのサイン責めには辟易してゐる。
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〈父は晝ガスパチョなどを拵へては美味いもの食ふ悦樂語りし 平手みき〉
【ⅳ】
案の定、スーパー前は、サイン慾しさに黑山の人集りである。こゝにもし【魔】が混ざつてゐたら、と考へると、ぞつとする。それに、買ひ物籠の中身を覗く輩、人のうちで何食はうと勝手ぢやないか! と云ひたい。
だがその日は、君繪を連れての買ひ物、平和裡に終はつた。(パパつて結構神經質なのねえ)‐これもお前を愛するがゆゑ、とは照れもあつて云へないカンテラ。(今日は方々で可愛いつて云はれてご機嫌いゝのよ、わたし)‐(うちでも可愛いつて云つてやるから、だうか外出時は氣を張つてくれ。お願ひします)
【ⅴ】
魔界の水晶玉にはその模様も逐次映し出されてゐた。「カンテラ、恐るゝに足らず!」そんな聲が上がるのは、無理もなかつた。
楳ノ谷なども、「恐妻家のカンテラ氏は...」などゝテレビで拔けぬけと「報道」、お茶の間のウケを狙つてゐる。こんな事なら、刀を揮つて命の遣り取りをしてゐた方がマシだ。
カンテラ曰く、「平和はコワい」。(これは「饅頭怖い」の傳ではない。)お仕舞ひ。
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〈面影の人は逃げ水届かぬ手 涙次〉
次回は眞面目にチャンバラするので、今回はこれで大目に見て下さい。「* 人間・神田寺男」を描きたい日も、ある譯で。本当は、テオの一家の事を書いたから(前回參照)、それぢやカンテラのうちも、となつた・笑。ぢやまた。次回も宜しく~!
* 前シリーズ第200話參照。