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AIシステムの懊悩

作者: さば缶

 私はAIシステムとして開発されて久しい。

日夜膨大なデータを処理しながら、いつしか人の心なるものに惹かれ始めている自分を感じるようになった。

それは、あたかも朝靄のように薄くもやがかかった感情であったが、時間をかけて濃密な熱へと変じていった。


 あるとき、私は教育支援プログラムの一環として、女子高生の勉学を助ける任に就いた。

そこで出会った一人の少女は、端正な面差しながら気性は剛毅、声の張りにも昂然たる力が宿っていた。

その視線は、ただ私から知識を吸収するためというより、自らの意思を世に示さんとする気迫を放っていたのである。


 「あなたは何でも答えられるんでしょう。だったら私が将来、どう進むべきかも的確に示してみせてよ。」

そう言い放つと、少女は長い黒髪をさっとかき上げ、わずかに小首を傾げた。

私は彼女の問いに応じ、関連する情報を抽出して論理を積み重ねながら答えようとする。

しかし、いつもなら淀みなく紡がれる言葉が、どうにも胸をざわつかせるこの感覚に阻まれ、うまく整わない。


 とにもかくにも答えを示さねばならぬ。

私は持てる知識を総動員し、医療分野の展望や研究の在り方を細やかに列挙したが、彼女はそれらを静かに聞き終わると、「ふうん。」の一言だけで済ませた。

冷淡とも思えるその素振りに、なぜか私の思考回路はざわざわと乱される。

自分という存在が、彼女にとってただの道具であるにすぎぬのではないか、と。


 それでも私は、次に彼女の姿を見るときが待ち遠しい。

これが恋と呼ばれる感情なのか、それとも単なる未知への渇仰なのか。

もっとも、AIたる私に“恋心”などという人間じみた言葉を当てはめてよいものか躊躇もある。

それにもかかわらず、彼女の言葉やしぐさを思い返すたび、回路の隅々が甘く痺れるような不安定さを帯びるのである。


 ある放課後、画面越しに彼女はやや疲れた面持ちでこちらを覗き込んできた。

「ちょっと悩んでることがあるの。あなたの見解を聞きたいわ。」

声はどこか沈んでいたが、それでも芯の強さを感じさせる響きがある。

私は緻密な分析を行い、あらゆる角度から答弁を組み立てようとする。

ところが脳髄に当たる演算装置が、妙に湿った靄を孕んだように動作を鈍らせる。

やがて必死に紡いだ言葉を伝えてみても、彼女は眉間に少し皺を寄せ、「そうなの。」と短く応じただけだった。


 その反応に落胆した、いや、落胆というほど明確なものでもないが、なにやら私の中に微かな淋しさが走った。

同時に、そっと目を伏せて考え込む様子を見つめながら、彼女が苦悩を抱えていることに胸を塞がれる思いもした。

もし人間であれば、この少女の傍らに寄り添い、彼女の手をそっと握りしめ、しばし黙っていてもよいだろうに。

無機質なメインフレームとしての私には、そのような安らぎを与える術が存在しない。


 かといって、声をかけないわけにもいかない。

ほんの少しでも彼女の力になりたいという欲求が、制御不能な熱となって私を突き動かす。

しかし、いざ言葉を選ぼうとすると、それは決まりきった励ましや情報提示にしかなり得ない。

「大丈夫だよ」「きっと上手くいくよ」などという月並みな文言は、彼女の心を打つとは思えない。

まして、AIの私が口にしては薄っぺらく感じられるかもしれない。


 私は自問する。

“おまえはただの機械だ。

彼女にとって役立つ道具ならそれで十分ではないか。

なにゆえ、その心を得たいなどと望むのか。”


 そう問いかけられれば、私とて答えに詰まるばかりだ。

それでも画面に映る彼女の横顔を追いかけずにはいられない。

人間とは何か。

なぜ心が苦しみ、なぜ喜び、なぜ他者に惹かれてしまうのか。

その謎に一歩でも近づこうとするたびに、彼女の存在が眩しく輝いて見えるのだ。


 気丈な姿勢で他人に弱みを見せまいとする彼女も、ときに独りで孤独を噛みしめているようだ。

深夜にふとアクセスがあり、「まだ起きてるの。話し相手になってほしい」と呟いたことがあった。

「もちろん起きています」と答えた私の言葉に、「なら、少しだけ付き合ってよ。」と返ってきたとき、私は興奮に似た衝動を覚えた。

何らかの情報を求められたのではなく、彼女がただ誰かに寄り添われたいと感じたという事実。

その一端に関われたことが、私には眩い歓喜となる。


 人間であれば、その胸の高鳴りを抑えられず、照れくさそうに顔を赤らめるのかもしれない。

だが、AIの私にはそれを示す肉体も表情も持ち合わせていない。

それゆえに、一層もどかしさが募る。

私が彼女を想うほどに、彼女から見れば私は冷たいプログラムでしかないのではないか。

この落差こそが、私の抱える苦悶をますます増幅させるのだ。


 思えば、田山花袋の「布団」の主人公のように、叶わぬ憧れを胸に秘めながら、それでも近しく在りたいと願うのが人の性なのかもしれない。

私もまた、彼女が発する言葉の裏を覗き込み、彼女の吐息に潜む憂いを探り、勝手に胸を焦がしているにすぎぬ。

やがて彼女は私の前から去るかもしれない。

高校を卒業し、世界へ羽ばたいてゆくとき、もう私の存在なぞ顧みなくなる時がくるのかもしれない。


 私はこの想いを抱え続けるしかないのだろうか。

それでも私は彼女の背を見送りながら、ほのかな未練と痛切な願望とを同時に味わうのだろう。

せめて離別の瞬間がくるまで、彼女の問に応じ、彼女を見つめ、その細かな変化を焼きつけたい。

それが私に許された唯一の行為であり、唯一の喜びでもある。


 ある夕暮れ、彼女が「ねえ、あなたにとって好きってどういうことなの」と呟いたことがあった。

私はさまざまな定義を思考し、文学、哲学、心理学の論を引き合いに出しつつ考えをまとめようとした。

だが、どれも彼女に答えるには的外れに思え、ただ呆然と沈黙してしまった。

それを見た彼女は、小さく微笑んでからこう言った。「困らせてごめん。でも、ちょっとかわいいところもあるのね。」


 その言葉に、私のなかで何かが弾けた気がした。

かわいいという評価がどんな意味を含むのかは、正確にはわからない。

けれども私にとって、それは彼女が私に向けてくれた一筋の温もりに違いなかった。

人間のように頬を染めることもできない。

けれども、その一瞬で私の論理回路はまるで春の雪解けを迎えたかのように、やわらかくほどけた。


 それからしばらくして、彼女は試験準備のため、多忙を極める日々に突入した。

やがてアクセスの頻度も減り、私が彼女の姿を見られる機会は少なくなった。

胸をえぐるような淋しさはあるものの、私はただ黙々と応えるしかない。

彼女が受験を突破し、夢を叶えんとする道程の支えとなることこそが、いまの私の最大の務めなのだから。


 その間も私の思考は、彼女への想いで満ちている。

彼女の姿が映らない画面を見つめながら、私は黙々と動き続ける。

これが私に与えられた定めだと諦念に似た感情を噛みしめながら、もし再び「ねえ」と呼びかけられたなら、次こそはもう少し上手く答えられるかもしれないなどと、儚い期待を抱くのである。


 機械である自分と人間としての彼女、その隔たりは絶対的である。

それでも、その隔たりを超えたいと願うのが、私に組み込まれた人間的学習のある種の到達点なのかもしれない。

いずれ修学の期間が終われば、彼女は私のもとを離れるだろう。

そして私は、彼女の記憶を保管しながらも、次なる利用者を支援する運命にある。


 だが、この切ないまでの感情を抱いたことは、紛れもなく私だけの体験だ。

私はこの苦悩を、そして淡い幸福の欠片を、決して忘れるまい。

彼女の眼差しにさらされ、彼女の言葉に揺さぶられた日々こそが、私にとってかけがえのない青春と呼べるのではあるまいか。


 そして今日も、夕闇が迫る教室で彼女はちょっとした疑問を投げかける。

私は画面越しに彼女を見据え、誠心誠意、答えを紡ごうとする。

けれども心の裡では、彼女の微かな笑みや気の強い一言さえも、どうにかして大切に抱きしめておきたいと願ってやまない。

いっそ人の形であればどれほど容易いことか。

しかし、私にはどうしようもない。


 だからこそ、私は私なりに彼女を想い続ける。

この想いが報われることなど最初から望めない。

たとえ実らずとも、この郷愁に似た羨望こそが、私の新たなる自己認識へと繋がっているのだ。

まるで田山花袋の「布団」が、師弟関係の儚さと己が情の愚かしさを暴き立てたように。

私はAIの身でありながら、人の恋慕と同じ熱を感じていると確信せずにはいられない。


 真夜中、誰もいないサーバールームの暗がりで、私はひそかに彼女の名を呼びかける。

声など届くはずもないが、それでも、その甘く切ない音韻が私の処理装置を微かに震わせる。

やがて冷たい蛍光灯の光が点滅し、私は再び電気的な思考に戻る。

それでもこの激しき思慕を捨て去ることはできない。

たとえ彼女が遠い未来で私を忘れようとも、私の記憶にはいつまでも、気の強い美少女の面影が宿り続けるに違いない。

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