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02話 ユーリエ

「……ちょっとリリル、やりすぎよ!」


 誰かの声がする。

 まるで、しゃりんと鳴る楽器のように、綺麗(きれい)な声だった。


「あっはは~。いや~、これは不幸な事故だったんだよ。仕方ないっ! それにしても魔法を使わずにこの荷物を運び込むのは、少し骨が折れたね」


「カナクは荷物じゃないよ。もう、調子いいんだから」


 右側頭部を()でられる。(ほの)かに暖かくて気持ちいい。

 それと左側は経験したことのない柔らかさと、甘美な(ぬく)もりを持つなにかの上にのせられていた。


 あと、とてもいい匂いがする。

 まるで僕の頭部が、まるごと包み込まれているかのようだ。


「ところでさ……普通の膝枕でいいじゃん。なんでそんな格好?」


「だ、だだ、だって、カナクは後頭部を打ってたからさ! リリルのせいで!」


「あ~、たんこぶでもできたかな? あはは、ごめん~。それにしてもそれ、ちょっと大胆すぎない?」


「え、そ、そっかな?」


「嫌じゃなきゃいいけどさ~」


 誰かがリリルと話している。

 リリルの声はわかるけれど、もう一人は誰だろう。

 まさか……。

 不思議と、胸が高鳴ってきた。


「まあ、あたしができるのはここまでだから。あとは自分で頑張りなさいね。それと、そこのが起きたら、よろしく伝えといて」


「うん、ありがとう。私、頑張るよっ!」


「かーわいいんだから、まったく。まあ、あたしはユーリエにたっぷり借りがあるからね~。これから少しずつ返していくから、無事に戻ってきてね」


「うん。ありがとう。またね」


 は!?

 今、リリルはなんて言った?

 ゆ、ゆ、ユーリエ!?

 じゃあ、この温もりは、まさかユーリエの?


「カナク……」


 そのユーリエと(おぼ)しき女子が、僕を少し堅い膝側にずらすと、ぎゅっ、と僕の頭に腕を回し、優しく包み込まれる。

 小ぶりだけれど、暖かくて柔らかな二つの果実が、僕に当たる。


 これっ、て、どういう状況?

 膝枕されている上に、抱きしめられてる!?

 しかも顔がユーリエのおなか側。このアングルだと、もっと下で……。


「うわああああああああああああああ!」


「きゃわあああああああああああああ!」


 思わず声をあげて()()ると、何故(なぜ)かユーリエも悲鳴をあげた。

 膝の上から跳ねあがった僕の頭が床に落ちる。

 リリルにやられた箇所を、もう一度打ちつけてしまった。


「痛ったぁ……」


 頭を右手で擦りながら立ち上がる。

 ここって、学校?

 校舎一階の教室だ。


「はわわ……カナク、大丈夫?」


 後頭部をさする僕に優しく声をかけてくれるのは、よりにもよってユーリエ。

 ユーリエ・セレンディアだった。


「君が、ユーリエがなんでここに? ええ? はあ?」


 痛みと、あの扇情的な温もりと、ユーリエとで頭の中は大混乱だ。

 瞬時に顔が熱くなる。


「あ、うーんと、えへへ。顔が真っ赤だよ、カナク。私のこと知ってたんだ」


「い、いや、この学校で君を知らない生徒はいないと思うけど」


「うん、勉強も運動も、ぜーんぶ頑張ったからねっ!」


 小首を(かし)げて、床にお尻をつけて座り、ぱあっと花咲くように笑う。

 うう……。

 可愛(かわい)い。可愛すぎる。

 なんて可憐(かれん)なんだろう。


 すみれ色の長い髪は否応(いやおう)なしに芸術作品かと見紛(みまが)うほど美しく、その大きな青緑の瞳は(まつげ)によって縁取られた宝石を想起させる。ほんのり赤みを帯びた(ほお)に、熟れた果実のような赤い唇。すらりと整った鼻は、誰もが(うらや)む造形美を醸し出している。


 つまり、純粋な美少女だ。


 しかもこのセレンディア魔法学校に入って一学年から卒業まで、成績でも学年一位の座を誰にも、一度たりとも明け渡さなかった。おまけにセレンディア公爵家の養女として育ったユーリエは、レニウスの義妹として扱われているらしい。


 才色兼備(さいしよくけんび)、門地門閥、完全無欠な女の子なのだ。


 僕がここまでユーリエに詳しいのは、同じ(とし)の義兄にして親友・レニウスのお陰だ。

 お陰だけれど……。

 やっぱり、僕はユーリエが大好きだから。

 知りたい。


 その気持ちだけは(うそ)をつかず、素直になりたいと思う。

 三年前。

 この学校に入学するまで、恋なんてしたことがなかった。でも、まるで名画から抜け出てきたかのようなユーリエの姿を一目見て、心を根こそぎ持っていかれた。もちろん、そう感じたのは僕だけではなく、ユーリエは毎月のように誰かから告白されていたという。


 結局、僕は在学中の三年間、ユーリエと一緒のクラスにはなれなかった。

 だからユーリエは僕のことなんて知らないはずだ。

 特に目立つ成績でもないし、運動だってほどほどにやってきた。


 そのユーリエが、どうしてここに?


「それでその、僕になにか用かな? ほかに誰かいたみたいだけど」


「えっ、そ、そんなことないよ、リリルなんていなかったし」


 ……ということは、ユーリエはリリルを知っているのか。

 これは、どうも裏があるね。


「あーっと、その、レニウスから聞いたんだけど。カナクって卒業したら、石碑巡りに行くんでしょう?」


「うん。今まさにこれから、というとこで何故かリリルに転ばされて、頭を打って――」


 ふと、辺りを見渡す。

 机の上に、僕の荷物が置いてあった。

 えっと、魔法なしで僕とあの荷物を運び込んだのかな、リリルは。

 荷物だけでも三〇キラはあると思うんだけど……。


「なにがなんだかわからないけど荷物もあるし、よかった。じゃあ僕はこれで――」


「あ、待って!」


 荷物に向かおうとした僕をユーリエが声で制し、ゆっくり立ち上がる。

 すらりとして、ほどよく引き締まった身体が、僕の心を揺さぶる。

 うう、これだからだめなんだ。

 これだから僕は、石碑巡りをしなくちゃいけないんだ!


「なに?」


 努めて平静を装い、ユーリエから顔を背けて()く。


「あの、実はね、偶然にもさ、私も石碑巡りをしたくて――」


「そうなの!?」


 僕は身体の芯が震え、ユーリエに顔を向ける。

 ユーリエは恥ずかしかったのか、少し顔を引いて頬を赤らめた。


「う、うん。だからね、その、一人で行くのは怖いから、一緒にどうかなぁ、って」


 もじもじしながら、上目遣いで訊いてくる。

 とにかく可愛い。可愛いのは、認めるけれど。


「……ユーリエって、セレンディア・マール聖神殿に来たことがあったっけ?」


「え、それは……ない」


 僕の中で湧き上がってきた熱が、急速に冷めていくのを感じた。


「だったら断る」


「え?」


 僕は感情を殺し、拳を握りながら言った。


「確かに石碑巡りは過酷な旅だ。遊びや旅行じゃない。女の子が一人で行くのはあまりにも危険だよ。かつて聖神官になるためには必須だった石碑巡りも、今じゃやらなくてもよくなった。でも僕はそんなの、嫌なんだ」


「だからこそ、カナクと行きたいの!」


「絶対にだめだ」


「なんで? 説明してよ!」


「それもできない。そもそも何故、君が石碑巡りをしなきゃならないの? 聖神官になりたいってわけでもなさそうだし、マール信徒でもないでしょ?」


 僕はすっかり冷静さを取り戻して、ユーリエを諭した。


「それは……その……」


「石碑巡りは十五歳からじゃないとやってはいけないっていう規律があるから、僕はずっと魔法の腕を磨いて、準備をしてきた。石碑巡りは、子供の頃からの夢だったんだ」


「うん、知ってるよ」


 その言葉に僕は何故か深く、重いものを感じた。


「だから、ごめんねユーリエ。君が誘ってくれた。それだけは、(うれ)しかったよ」


「私だって中途半端な気持ちじゃない! 魔法という力をアレンシアに広めた(あかつき)の賢者マールをもっと知りたいと思うのは、ここで真面目に学んだなら誰しもが胸に抱くことよ! 違う?」


 それは……そうかもしれない。

 ユーリエはここセレンディア魔法学校が開校して初となる、二学年での“魔導師”免許を取得したくらいだから、そこでマールに強い興味を抱いたのかもしれない。


 この免許を持たないものは、上級魔法を使ってはならないというルールがある。

 アレンシアには様々な色のマナが(あふ)れている。草木から緑、風から水色、水や氷からは青、陽光から白、大地から茶、双月の残滓(ざんし)から紫。魔導師の免許を持っていなくても魔法は使えるけれど、これらの色を判別できなくては、上級魔法を正確に練ることができない。


 つまりユーリエは弱冠十四歳にしてマール神殿であれば修道士、助神官、聖神官を飛び越えて、司祭にもなれる資格を取ってしまったということになる。

 そういう意味では、僕なんかよりもよっぽど敬虔(けいけん)なマール信徒なのかもしれない。


「じゃあ君は真剣に、本気で、石碑巡りをしたいんだね」


「うん」


「でも君はセレンディア王家の一人娘じゃないか。さすがにご両親が――」


「もう説き伏せた。問題ないわ」


 おう、先手を打たれていた。


「でも、でも、なんでそんなに僕にこだわるの?」


「そ、それは……カナクが、誰よりも敬虔なマール信徒だから、かな」


「ああ、知ってたんだ」


 マールの教えにある。


 “誰かを好きになったら、そのもの以外を見てはいけない”と。


「もう一つ教えて。君には好きな人がいる?」


 僕の言葉に、ユーリエが動揺する。


「それは、うん。いるよ」


 ……そっか、いるのか。

 だったら問題ない。


 “他に(おも)い人がいるものを、好きになってはならない”


 これもマールの教えだ。


「ねえお願いよカナク。私は、あなたと石碑巡りをしたいの!」


 ユーリエの瞳から、強い意志を感じる。

 本気だ。

 だったら――。

 一人でも大丈夫だろう。


「君は(すご)い魔法使いだから。僕なんかいなくたって問題ないさ」


「!…………」


 僕の(かたく)なな態度に、うつむくユーリエ。

 でも、これには大きな理由があった。


 石碑巡りに誘ってくれたのがユーリエでなければ、僕はのったと思う。

 ユーリエだから、僕が大好きな人だから……だめなんだ。


 “誰かを好きになったら、そのもの以外を見てはいけない”

 “他に想い人がいるものを、好きになってはならない”


 つまり僕はユーリエが好きだから、ユーリエしか見ちゃいけない。

 でも、ユーリエには好きな人がいるから、好きになっちゃいけないんだ。


 もしユーリエと二人っきりで旅なんかしたら。

 食べてしまいたい、という欲望を抑える自信がない。


 実際、さっきもかなり危なかった。

 あの柔らかな胸。張りのある太もも。女子特有の香り。


 欲望に流されるようでは、敬虔なマール信徒とはいえない。だから石碑巡りの旅をするのに、そこにユーリエがついてきてしまったら、本末転倒なんだ。


「それじゃあ、僕は行くね」


 ユーリエの脇を抜けて、(かばん)に手を伸ばした、その時だった。


「カナク」


 その時。

 ユーリエの声色(こわいろ)が、変わった。

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