高級ワインの味
冒険者ギルドの二階はギルドマスターであるレミリィの執務室であると同時に彼女の自室でもある。
彼女のプライベート空間と仕事の部屋が分かれていないのは理由がある。
冒険者ギルドの二階にギルドマスターの部屋を作ったのではなく、レミリィの住んでいた屋敷の一階に冒険者ギルドを作ったからだ。
最初からそうするつもりだったので、厨房や風呂、トイレなど生活に必要な部屋は全て二階に用意されている。
当然、寝室も。
「ふぅ……」
彼女は仕事を終え、お風呂に入っていた。
薪などの燃料を使わずに湯を沸かす魔道具は王侯貴族しか持たない品薄の商品だが、そもそもこれを開発しているのがキアナのミリオン屋だからその伝手で手に入った。
元々彼女は奴隷としてガウディルに拾われるまでお風呂に入る習慣はなかったが、いまではお風呂がない暮らしが考えられないほど、彼女の生活の一部になっている。
たとえ睡眠時間を削ってもお風呂に入るレベルだ。
(この新しい洗髪剤、なかなか使い勝手がいいわね。キアナに伝えておきましょう)
お風呂はこの街ではまだ広まっていないが、洗髪剤は庶民の間にまで広まっている。
風呂はないが、鍋などでお湯を沸かして桶に貯め、洗発剤を使って髪を洗う。
もちろん、毎日使うことはできないが、週に一度や二度、そうして髪を洗うのが庶民の、特に女性にとっての楽しみになっている。
というより、そうなるようにキアナが仕向けた。
彼女はそういう商売の天才だ。
そして、それを見抜いたのがガウディルだった。
(あの人は一体どこまで未来を見ているのかしら)
レミリィは答えのない考えに身を沈め、浴槽に張ったお湯から顔の半分だけを出す。
十五分くらい入ったところで息が続かなくなり顔を出した彼女は、浴槽の栓を抜き洗い場に出た。
身体の水気を拭きとり、バスローブを羽織って寝室の椅子に座り、冷やしていたワインのコルクを抜く。
そして、グラスに注ごうとしたところで彼女は気付いた。
居心地が悪そうにしているラークがそこにいたことに。
ちょうど入ってきたところのようだ。
「あら、来てたの?」
「……すまない。一度出直す」
「別にいいわ。あなただったら。どう? 一杯飲む?」
「僕は酔わない体質だから」
「私もワインじゃ酔わないわ。そこに座って」
彼女はそう言ってグラスをもう一つ用意してワインを注ぎ、片方をラークに差し出す。
観念したのかラークは椅子に座ってグラスを受け取ると、ワインを飲む。
ワインより葡萄ジュースの方がいいのに――という顔をしていて、それがレミリィの目には面白く映った。
ワインを飲む。
酸味は感じられるが安物のワインにある強い渋味はほとんど感じない。
つい飲み過ぎてしまいそうになる。
もっとも、ラークはそのワインを飲んで渋い顔をしていた。
「高いワインなんだろ?」
「興味がなくてもわかるの?」
「いいや。でもビンが高そうだ」
とラークはチェストの上に置かれたワインの瓶を見て言った。
「そうね。貰い物だから正確な値段はわからないけれど、うちの職員の給料四ヵ月分くらいかしら?」
「ってことはこの一杯で……」
「あなたにとっては大金ってわけでもないでしょ?」
「大金だよ」
ラークはそう嘯いた。
彼がミリオン屋に預けている資産はレミリィの貯蓄額を大きく上回る。
もっとも、彼はそのお金を一切使わないことをレミリィは知っていた。
Eランク冒険者として生きることを決めた彼は、ラークとしてではなくガウディルとして稼いだお金には手を付けないと己に制約を課している。
まるでガウディルとラークは別人だと言わんばかりに。
それがレミリィには少し悲しい。
グラスを傾けて残りを飲み干し、さらにワインを注ぐ。
「それで、今日はどうしたの? 例の盗賊団の事件絡みかしら?」
「ああ。対峙してきた。“翼”とは無関係だったよ」
「それは残念だったわね」
「むしろよかったよ――でも、そいつらはタダの盗賊団じゃなくて――」
その話を聞いて、本来ならばワインを飲みながら聞く話ではないと後悔する。
酔いが一気に冷めた。
ラーザルド公国の第四公女ミネリス・ラーザルドを狙っていて、その正体は第一公子に派遣された暗部の人間だなんて。
「事実なの?」
「拷問の腕が鈍ってるからね。嘘の情報を掴まされている可能性はある」
「あなたなら多少腕が鈍っていても嘘の情報を掴まされていることなんてないでしょ」
レミリィはガラスの水差しを持ってきて、グラスに水を注ぐ。
元々酔いにくいが、完全に酔いが冷めてしまった。
もう開けたワインを飲む気にもならない。
「とりあえず、賊は全員殺したのね? 斥候を送って安全を確認したら周知させるわ。それとミネリス公女のことも調べておくつもり」
「そうしてくれると助かるよ」
ラークはそう言うと、ワインを飲み干す。
賊の死体も回収しているそうだけれど、その死体の検証は明日にしてもらうことにした。
バスローブ姿で死体を扱いたくない。
ラークは頷き、去った。
「……お湯、抜かなければよかったわ」
一人残ったレミリィは少し冷えた身体で呟いた
※ ※ ※
翌朝、ラークは冒険者ギルドで遅めの朝食を摂っていた。
採取した薬草を納品して報酬を貰ったので懐に余裕ができ、茹で卵をトッピングするプチ贅沢をしていた。
茹で卵を齧りながら、斥候が得意な冒険者パーティが出発するのを横目で見る。
彼らはいまから数日かけて、もう全滅しているいるはずもない賊を探すために谷付近の森に行くのだ。
頑張ってくれ――と心の中で激励を送る。
と仕事を一段落終えたアイシャが声を掛けてきた。
「冒険者ギルドで例の谷の盗賊退治を本格的にすることになったんですよ。いまは斥候に出ただけですが、退治が終わればラークさんも安心して薬草採取できるようになりますね」
「それはありがたいですね。あの辺りでしか採れない薬草もありますから」
とラークは言う。
本当は先ほど納品した薬草もその谷の付近で採取してきたものだが。
「ラークさん、いつも水を頼んでますけれど、ワインって飲みますか?」
「昨日友達に貰って久しぶりに飲んだけれど、普段は飲まないですね」
このトレシアの街では水が豊富なため、お金のない人が飲むのは普通の水で、お酒といえば麦酒が一般的だ。
Eランクの冒険者のラークが普段飲みするものではない。
「だったら、これいりませんか? ギルマスに貰ったんですけど、あんまり私の口に合わなくて」
と言ってアイシャが渡したのは、昨日レミリィとラークが飲んだワインだった。
まだ半分くらい残っている。
彼女はこのワインの価値を知らないのだろう。
その価値をレミリィから聞いたラークは、当然断ろうとしたのだが一人の客が冒険者ギルドに入ってきたことに気付き、
「ありがとう。じゃあ飲ませてもらうよ」
とアイシャからワインを受け取った。
アイシャは「本当は持ち込み禁止なんで、みんなには内緒ですよ」とウィンクして仕事に戻っていく。
そして一人になったラークに彼女は声をかけてきた。
「席、御一緒していいですか?」
「はい、どうぞ……え!? どうして――」
と驚いたフリをして彼女を見上げた。
そこにいたのはミネリス公女だった。