楽に死ねると思うなよ
護衛の兵たちの治療が始まった。
怪我をしている者は多いが死者は出ていない。
ミネリスは上半身を起こして苦笑する彼に声をかけた。
「すみません、御迷惑をお掛けしました。あの、大丈夫でしたか?」
「ええ…………いえ、助かったわ。さっきの煙幕、あなたの?」
「はい。最近この辺に狼が出るって聞いて、自衛のために持っていたんです。まさかイノシシ相手に使うとは思いませんでしたが」
「そんなのがあるのならもっと早く使ったらよかったのに」
「そうしたかったのですが、あれ、ものすごく高いんです。なにしろ唐辛子を使っていますので」
「あぁ……」
唐辛子は遠い西方からの輸入品だ。
東方から輸入する胡椒などの他のスパイスに比べると安いが、それでも庶民が気軽に使えるものではない。
ただ、それとは別に気になったことがあった。
キリングボアは森の中にいるのに、獲物には一直線に襲い掛かって来る魔物だ。
逃げるのなら、障害物の多い森の中を移動したほうがいい。
わざわざ谷の底まで降りて来る理由が気になった。
もしかして、自分たちを助けるためにキリングボアをけしかけたのだろうか?
と思ったが、顔を擦りむいて鼻血を出している彼を見て、思い過ごしだろうとミネリスは首を横に振る。
「あなた、冒険者?」
「ええ。トレシアの冒険者でラークといいます」
「そう、ラークさんね。これで煙玉の代金には足りるかしら?」
ミネリスは袋から金貨を十枚取り出して彼に渡した。
50万ミルと結構な大金である。
「え?」
「助けてくれたお礼よ」
「いくら貴族様でもこんな大金――」
「無礼ですよ、ミネリス様は貴族ではありません。北のラーザルド公国の第四公女です」
ターニャが割り込んでそう宣言する。
「ラーザルドの公女!? とんだ失礼しました」
とラークが跪いて頭を下げる。
ミネリスはため息をついた。
「構わないわ。それより一つ伺いたいんだけど、この辺りの地理に詳しいかしら?」
「はい……まぁ。薬草採取でこの辺りはよく来ているので」
「馬車で通れるトレシアに続く道を知らない? この通り道が塞がっていて困っているのよ」
「それでしたら――」
とラークは簡易の地図を取り出し、今はほとんど使われていない農道などを教えてくれた。
さらに、賊に襲われる危険のある場所や魔物が出てくる場所も。
この辺りの土地勘のないミネリスにとって値千金の情報であった。
「ありがとう。よかったら街まで一緒に行く? さっきの賊が出るかもしれないわよ」
「ありがたい話ですが、森に荷物を置いてきてしまって。それに彼らの狙いがあなたたちだったら森の中の方が安全そうです」
どうせなら道案内についてきてほしかったのだが、彼の言うことももっともだと、ミネリスは諦めた。
護衛達の治療を終え、ミネリスは再度礼を言って馬車に乗った。
ラークと名乗る冒険者はその姿が見えなくなるまで深く頭を下げてミネリスたちを見送った。
※ ※ ※
トレシアの街 ミネリスの乗った馬車を襲った賊たちが潜伏していた。
賊というのは仮初の姿で、本当はラーザルド公国の第一公子に仕える暗部の人間なのだが。
彼らは第四公女を事故死に見せかけて殺すように命令されていた。
一体なんのために自国の公女の命を狙っているのかはわからない。
万が一任務に失敗し、捕らえられたとき必要以上に相手に情報が洩れるのを防ぐためだ。
もっとも、捕らえられそうになったら情報を漏らす前に奥歯に隠した毒薬を使って自害することになるが。
「とんだ邪魔が入ったな」
「なに、このくらいは想定の範囲内だ。岩で街道を塞いだからな。奴らがこれから行く先は制限されている」
「見張りが戻り次第、直ぐに行くぞ。全ては我らが主のために」
そう意気込んだ彼らの背後から、思わぬ声が掛かる。
「その主って誰なのか教えてほしいなぁ」
油断していたわけではない。
むしろ、普段より気を張っていた。
にも拘らず、彼らは男に声を掛けられるまで、その接近に気付かなかった。
それだけでも異常事態だ。
そして、その声を掛けてきたのは、先ほどキリングボアに追われていた男だというから猶更だ。
あの時はただの間抜けな冒険者にしか見ていなかったが、その認識を即座に改める。
「貴様、何者だ」
「ただのEランク冒険者だ」
「嘘つけ。正直に話すまで楽に死ねると思うなよ」
「お前らって同じこと言うんだな」
そう言って男は何か大きな玉のようなものを放り投げた。
先ほどの煙玉かと思って警戒したが、転がったのはそんなものではない。
見張りに出ていた男の顔だった。
絶望に満ちたその目と視線がぶつかる。
「やれ! こいつは危険だ!」
暗部のリーダーの男が叫び、その部下たちが一斉に動いた。
ただし、男に襲い掛かるのではなく、その場に倒れると言う形で。
全員何かに胸を貫かれて絶命していた。
「貴様、一体何をした!?」
「逃げられるのは面倒だから殺した。情報蒐集は必要だけど一人を残したら十分だからね」
暗部の男は悟る。
この男は自分より遥かに強く、それでいて自分を逃がすつもりはないのだと。
暗部の男は覚悟を決める。
奥歯に隠した毒薬を使い自害する覚悟を。
だが、暗部の男が覚悟を決める一瞬の隙をついて、彼の口を切り裂き、奥歯ごと毒薬を切り裂いて奪っていた。
しかも小瓶を壊さないように。
「死なないでくれよ。ただでさえこっちは当てが外れてイライラしてるんだからさ」
男は目を細めて言う。
「悪いが、拷問は久しぶりだからな。あんたたちはプロのようだし今の僕の腕だと楽に死ねないと思うから、覚悟を決めてくれ」
男はそう言って、黒い短剣を持って近付いてきた。
生憎、彼にそんな覚悟はなかった。
彼が死ぬことができたのは一時間経過した後のことだった。