襲われた公国の姫
一台の馬車が複数の護衛を伴って南の旧街道に向かって走ってミルファリス王国に向かっていた。
その馬車に乗っていたのは、十七歳くらいの金色の髪の少女だった。
ミルファリス王国より北に位置するラーザルド公国の第四公女ミネリスである。
彼女はある使命を帯びて、この街道の先にあるトレシアの街の教会に行かなくてはいけない。
そして、彼女がトレシアに向かうことを良しと思わない連中がいるのは既にわかっていた。
敵の裏をかくため、この旧街道を利用している。
馬車が揺れるたびに、首から下げたロザリオを強く握る。
馬車が馬の嘶く声とともに急に止まった。
「何事ですっ!?」
「前方に岩が落ちてきて――」
隣にいた侍女のターニャに御者が返事をする。
ミネリスが外に出て、前方を見ると谷を完全にふさぐ形で岩が落ちている。
(落石? 風も強くないのに突然岩が降って来るなんて)
ミネリスは嫌な予感がした。
そう思ったのは護衛の騎士たちも同じようだ。
そして、その予感は的中した。
馬車の後方に何人もの人が現れた。
谷の上から降りてきたらしい。
「姫、後方から賊です。馬車の中にお入りください」
「賊っ!?」
ミネリスは腰の剣の柄に手を置く。護衛の言葉に背き、外に出ようとしたが、ターニャが震える手で彼女の腕を掴んだ。
ミネリスの安全を確保するより、一人になるのが恐ろしいようだ。
こんなターニャを放っておけないと思ったミネリスは、賊の殲滅を護衛に任せることにした。
彼らは公国でも実力のある騎士。
ただの賊相手に負けるはずがなかった。
ただの賊相手なら。
「これはマズイわね」
「不味いんですかっ!?」
「大丈夫よ」
ミネリスの独り言にターニャが泣き喚くので、大丈夫だと嘘をついた。
実際のところ大丈夫ではない。
数はそれほど変わらないのに、護衛の騎士たちが押されている。
このままでは死者が出かねない。
そう思ったときだった。
遠くに砂煙が見えた。
ミネリスたちがこの街道を通ることは誰にも伝えていない。
味方の援軍ということはない。
だとしたら、敵の援軍だろうかと思ったが、どうもそうではない。
砂煙に浮足立っているのは賊たちも同じだった。
そして、その砂煙の正体がわかった。
あれは――
「イノシシの群れっ!?」
この辺りにいるキリングボアという狂暴なイノシシの魔物だった。
討伐難易度はCランク程だが、しかし一度ちょっかいを掛けると地の底まで追って来ると言われている。
森に生息しているはずのイノシシが地の底まで来ているのだからその解説は正しいのだろう。
その先頭にいるのは冒険者風の一人の男性が、ちょっかいを掛けてしまった張本人らしい。
「どいてください! 危険です!」
男が叫んだ。
それで一番困ったのは賊たちだ。
なにしろ、彼らは賊が現れた場所のさらに後方からやってきたのだ。
賊にとっては思わぬ挟み撃ちである。
この緊急事態に賊たちの対応は早かった。
彼らはミネリスたちではなくイノシシの対処をすることにしたようだ。
ここで護衛たちと戦って体力を消耗したところでイノシシと戦うより、まずはイノシシと戦い退路を確保しようとしているのだろう。
そうなった場合、一番危ないのは先頭を走っている男性だ。
賊の目当てがミネリスの命である場合、目撃者を活かしておくとは思えない。
当然、真っ先に彼を殺す。
賊たちがイノシシに向かった。
彼らはやはりイノシシの先頭を走る男性に斬りかかった。
男性は思わぬ賊の行動に驚いたのだろう。
つまずいた。
つまずいて盛大に転がった。
そして、まるで虫のように這って起き上がって扱けた。
その奇想天外な動きが賊たちの攻撃を躱すことになった。
「なんて……運がいいの?」
思わずミネリスが独り言ちた。
賊は実力者揃いだ。
だからこそ、実力者がしないような動きを想定できなかったのだろう。
だからといって、賊たちはその逃げた男性の追撃をすることはできない。
イノシシがすぐそこまでやってきているのだから。
賊たちはイノシシと最低限切り結び、そして去っていく。
引き際も一流のようだ。
だが、危機が去ったわけではない。
数を少し減らしたが、イノシシが今度はこちらに向かってきている。
護衛たちは疲労困憊でこのままでは対処が厳しいかもしれない。
「ターニャ、賊はもう逃げましたよ」
「本当ですか」
「ええ。皆を労ってきますから手を離してくれますか?」
ミネリスの言葉にターニャは腕を離す。
そして自由になった彼女は馬車から降りてイノシシに向かっていった。
「姫、危険です! おさがりを――」
「このくらい大丈夫!」
ミネリスは突然現れた男の横を通り過ぎ、イノシシに向かっていく。
腰に差した剣を抜いて。
そして――
「え?」
突然、煙が立ち込めた。
これではイノシシが見えないと思ったが、直後気付いた。
イノシシが遠ざかっていくことに。
それだけではなく、
(この煙、目が痛いっ!? 毒……!? じゃない、辛いっ!? 唐辛子っ!?)
そして煙が晴れたときにはイノシシはいなくなっていた。
イノシシの嗅覚は人間の何倍も優れている。
地の底まで追って来るイノシシたちも唐辛子の煙幕の匂いは我慢できなかったようだ。
「はぁ、助かった……にしても、この煙幕、風向きと使う場所を考えないと自爆するな」
同じく唐辛子の煙幕を顔に浴びたのであろう茶色い髪の彼は、失敗したとばかりに頭を搔いた。