人間に戻りたい
隠し通路として使われているためか、入ってすぐのところにランタンが置かれていた。
ミネリスはそれを頼りに前に進む。
ガウディルには明かりがなくても足音の音響で周囲の地形を把握することができるが、ミネリスにはそれができない。
ミネリスも隠し通路の存在を知っていても、
「ここはラーズ王国の建国前の遺跡のようだな」
ガウディルは隠し通路の壁に書かれている文字を指でなぞって言う。
この土地がまだ国になる以前の文明。文字も現在使われている文字とは違う古代文字だ。
「読めるの?」
「単語を繋ぎ合わせる程度だがな」
国の研究員に忍び込むときに必要な知識を詰め込んだことがある。
その時の知識だ。
専門家ではないので、完全に読むことはできない。
「ここはどうやら、竜と吸血鬼を神として信仰する部族の縄張りだったらしい」
「竜と吸血鬼を?」
「旧くから人は超越した存在を神とみなす。それは自然であり、英雄であり、そして魔物でもある」
「だったら、英雄であって吸血鬼であるあなたは神に最も近い存在ね」
「亡霊は神にはなれん」
そう言って、ガウディルは前に進む。
歩くのが速い。
ミネリスは小走りで彼を追いかける。
「吸血鬼を神として崇めていたことと、吸血鬼公爵がこの国にいることは関係あると思う?」
ミネリスの質問に、ガウディルは何も答えない。
それがミネリスには気に食わない。
何か知っている気がする。
それは彼女の直感だった。
「ねぇ――」
とミネリスは言葉を止める。
これ以上踏み込んではいけない。
これもまた直感だ。
ミネリスは直感を尊む。
彼女はこれまで、何度もその直感に救われたから。
それは彼女にとって一種の呪いでもある。
二人は奥に進む。
結構歩いた。
「いま、どのあたりかしら?」
「既に城壁は越えた。今は北の門から五百メートル北北西の位置にいる」
「わかるの?」
「ある程度はな」
「あなた、弱点とかある?」
「吸血鬼だ。朝は弱いぞ」
「あら、残念ね。私は朝が大好きよ」
「そんな感じがする」
ガウディルはふっと笑った。
それを見て、ミネリスは意外そうに言う。
「あなたも笑うのね。てっきり強さと引き換えに感情を失っていたのかと思ったわ」
「そうだな。そうなりたいと思っていた時期もあった」
「今は違うの?」
「違うな。大切なモノを失って気付かされた」
「それは――」
「俺は人間に戻りたいんだ」
ガウディルはミネリスに静かに言った。
※ ※ ※
ガウディルはかつて、“翼”という名の義賊にいた頃、ある遺跡に訪れていた。
かつて馬車で拾った少女をある程度育てた十三歳の頃の話だ。
個人差はあるが、既に暗殺者としての技能は一人前に育てたつもりだ。
暗殺とは別に、それぞれ得意な分野も磨き上げている。
ラミリィは仲間の統率、キアナは帳簿の管理、マリンは魔法。他にも神聖術、剣術、鍛冶、料理、探索等々、得意分野はそれぞれ異なる。
一点だけに置いて磨いていけば、その分野だけならガウディルを越えるほどだ。
「ねぇ、ラーク。聞いていい?」
ラミリィが尋ねた。
「俺のことはガウディルと呼べ」
「でも、それって……」
「最初にそう命令したはずだ」
「わかったわ、ガウディル。この遺跡にバックロウ王国の秘密が本当にあるの?」
「あくまで噂だ。空振りならそれで構わん」
バックロウとはかつてミルファリス王国の東にあった小さな国の名前だ。
そのバックロウ国王がこの遺跡で何か怪しい儀式をしているという噂を聞いた。
戦争の火種になる可能性が高いから、その儀式を潰してこい。
王家にしか立ち入ることのできない遺跡だから財宝もあるだろうし、ついでにかっぱらってこい。
というのが頭領からの命令だった。
とはいえ、金目のものなどいまのところ見当たらないが。
だが――
「このランプに魔力痕跡が残ってる。誰も入っていない遺跡というのは偽造」
マリンが言った。
この時のマリンの魔力に対する感覚は鋭く、その一点に関してのみ既にガウディルを抜いていた。
彼女が言うのなら間違いないだろうと、皆で奥に進んだ。
そしてガウディルたちは目撃した。
何やら儀式をしている王族と宮廷魔術師たち。
「なんなんだ、あれは」
そして、赤い鱗のある尻尾が生えた美しい少女が眠る棺桶を。




