蔓延る悪夢
ラーザルド公国の公都が見えてきた。
ラーズ王国の首都として使われていた都のため、その歴史はラーザルド公国よりも遥かに古く、城の地下には王族ですらも知らない隠し通路が存在しているのではないかとまことしやかに囁かれている。
ちなみに港町が近いため、海鮮料理が名物だ。
護衛の仕事が終わったら、干物でも買って持って帰ろう。
もちろん、公女であるミネリスを乗せた馬車はほぼフリーパス状態で公都の中に入ることが許可され、さらに大通りを進む。
いまミネリスが乗っている馬車は貴族用の馬車なので不用意に近づいてくる人はいない。そして中に乗っているのがミネリスだと気付いている者もいないようだ。
護衛達の顔を知っている人間もいないみたいだし。
「どう? ラーク。公都に来た感想は?」
窓を開けてミネリスが尋ねた。
「素敵な街です」
お世辞ではなく本心からラークは言う。
どうやらレナルドの事件はいまのところ国民たちに大きな影響を与えていないようだ。
ざっと大通りから見える市場の商品の値札を見るも、トレシアと大きな差はない。というより、輸入品についてはトレシアより遥かに安いように思える。
この街は海産物が名物だと言ったが、その経済は海路を用いた貿易によって成り立っている。
ミルファリス王国にも港はあるのだが、海洋技術の差でいえばダンルガルド王国には遠く及ばず、その属国のラーザルド公国もその恩恵に預かっているという感じだ。
もしもラーザルド公国がダンルガルド王国から独立するようになったら、この市場も大きく様相を変えることだろう。
それが国民にとって幸か不幸かはラークにはわからない。
それを選ぶのはその世界の住民たちだ。
もっとも、この国の独立を国民が決めることはできない。
それを決めるのはレナルドと――と肩越しに後ろを見る。
(……ミネリス。ラミリスの妹――)
彼女もまたこの国の命運を握る重要人物の一人だ。
第四公女という立場の話をしているのではない。
歴史の転換点において、鍵を握っている人物は多いようで限られている。
それは国の王のこともあれば、夜の街で性を売る娼婦やただ学を修めようとする少年であることもある。
大通りを進む。
王宮の敷地に入った。
ラークはわずかな違和感を覚えていた。
門を開ける衛兵の緊張感が見え見えだった。
外敵に対する備えではない。
その緊張感の中にある戸惑いの表情――彼らの狙いは恐らく。
馬車が王宮の入り口に停まった。
そして、ミネリスは盛大に出迎えられる。
武装した衛兵に槍の穂先を向けられる形で。
「なんのつもり?」
「ミネリス様。我々と同行をお願いします。あなたに国家反逆罪の容疑が掛けられています」
「なんのこと? レナルド兄さまの指示かしら?」
「国王陛下のご命令です」
「そう、レナルドの指示なのね」
ミネリスが下唇を噛む。
ミネリスが王宮を出るときは国王陛下は傀儡状態になっていたが、しかし第二公子であるフライドの影響も強く、レナルドもここまで好き勝手はできなかった。
それがいまは可能となっている。
ミネリスが公都を離れた約一週間のうちにレナルドの影響が強くなっている。
それはミネリスにとって想定外だった。
そして、衛兵の一人はその槍先をラークにも向けた。
ラークは黙って諸手を上げた。
「彼は無関係よ! ただ送ってもらっただけ」
「ここにいる者は全員捕らえるように命令されております」
「くっ」
恐らく、吸血鬼に襲われたことを知っている人物を逃がさないため。
だったら、ここで道中起きたことを暴露しようかとも思ったが、最悪ここにいる全員が巻き添えを食う可能性もある。
「みんなの命は必ず私が助けるから」
ミネリスはそう言って衛兵に連行される形で王宮に入ることになった。
そして、彼女が連れていかれたのは牢屋ではなく、かといって国王陛下のいる玉座の間でもなく、貴賓室だった。
「レナルド殿下が間もなく訪れます」
「お父様は来ないの?」
「レナルド殿下が間もなく訪れます」
「何を言って――」
ミネリスは自分をここまで連れてきた衛兵に尋ねるが、衛兵は同じ言葉を繰り返すだけ。
そしてその彼の目を見てミネリスは質問を辞めた。
その目はミネリスを一切映していなかった。
(魅了されている?)
吸血鬼には相手を操り人形にする力がある者もいると聞く。
まさか、自国の兵にその力を使わせるなんて。
必ずレナルドを止めないといけない。
(ううん、お父様を操っている時点でいまさらね)
となると、護衛達やラークにも魅了を使って情報を引き出しているかもしれない。
ガウディルの情報が洩れるのも時間の問題だ。
そうなったら、警備が厳しくなる。
ミネリスは剣の柄を見る。
ラークから借りた剣を。
隙を見てレナルドを殺す。
(成功しても失敗しても本当に国家反逆罪が確定ね……)
本当はレナルドではなく、吸血鬼の親玉を倒したいと思っていたミネリスだったが、それは難しいだろうと思う。
それはガウディルに頼るしかない。
(私は私にできることをする)
緊張からくる喉の渇きに耐えながら、ミネリスはただ、その時を待った。




